ゆうちゃんの独り言

モーツァルトが大好きで毎日欠かさず聴いています。人生の生き方は仏教で毎日般若心経を唱え、時間を見つけて寺巡です。 合掌

■ 夢と現実と般若心経!!

2008-09-15 11:51:42 | Weblog
 昔から、「夢」という言葉が大好きで、自分でもよく使う言葉のひとつです。夢はこれか
ら先のことに関係し、かつ希望とつながっているので、誰でも前向きの気持ちになります。

 しかし、人間はいつも前向きで対応することは難しく、時々落ち込むことがありますが、
そのときには小さな夢を実現しようと動き出すと、意外と回復が早くなる傾向にあります。
また、この様な時に大きな夢を実現しようとして動き出すと、長い時間を要することとな
り、さらに落ち込むことが多いと思います。

 夢を追いかける一方で、自分が置かれている現実をきちんと直視していないと、これまた
違う方向に自分を向けてしまうことに繋がります。自分の置かれている立場を冷静に理解す
ることが出来る人は、素晴らしいと思います。

 常に不動の考え方を持っている人であれば問題ないですが、あるときはこちら、またある
ときはあちらと、その時々で傾いてしまう自分を見るたびに情けなくなります。今の現実を
確実に把握することが重要です。また、今の状況が自分の全てであり、それ以外にないと素
直に思ことから、次に繋がる何かが見つかるのだと思います。

 日頃を生きるに当たって、人間としての基本的な考え方を確立するには哲学が必要であり、
さらに人生を人として生きるためには、宗教が必要だと思います。これらが欠けている人は、
やはりどこかが歪んでいます。

 哲学かあるいは宗教のどちらかを持っている人は強い人です。また、哲学と宗教の両方を
持ち合わせている人は、人間として素晴らしい人であると思います。どちらも持ち合わせて
いない私は、この年になって仏教に興味を持ち始めていろいろ勉強をし始めていますが、ま
だまだ自分が確立できていません。

 ただし、仏教を勉強しだして、全国の寺院を拝観させていただきながら思うことは、昔の
人も今の人も同じ人間であり、同じ悩みや苦しみを背負って生きていることです。今の自分
を考えると、昔の時代に生きていたならば、とてもこの年まで生きていられなかったと思う
し、反対に今の時代に生きられて良かったと思っています。

 人間として生きることに対する考え方、またどのように生きるべきかを説く宗教は、どの
ような宗教であれ一人の人生を大きく左右するものであると思います。ですから「生と死」
をどのように位置付けるのかを、自分の中できちんと整理しておく必要があります。

 今の自分は、昨日の自分ではないしまた明日の自分でもありません。常にその時々で変化
するものです。世の中で生じる事象を、常に変化するものと捕らえながら見ると、般若心経
で説いている「色即是空」「空即是色」の「空」に対する考え方や対応が理解出来ると思い
ます。

 最近は、寺院に行った際に手を合わせて祈ることが自然と出来るようになりました。それ
だけ仏を信頼出来るようになったからです。過去の偉大な僧侶の史実を読むごとに、素直に
その素晴らしさを認められることに喜びを感じています。

 夢は誰にでも必要であり、またそれ以上に自分が置かれている現実を理解し、どのように
対応したら良いのかを考えながら、260余文字の般若心経を読み込み、宇宙に匹敵する人
間としての智慧を整理することができる喜びに浸る幸せを感じているこの頃です。

 修行を積んだ僧侶の行動や言葉に対して、素晴らしいと感じるのは私だけではないと思い
ます。今の私にとって、夢と現実と般若心経は、生きるために必要なものになっています。

■ 第1625回NHK交響楽団定期演奏会を聴いて(Aプロ初日)♪♪

2008-09-15 11:49:19 | Weblog
 昨日、新しいシーズンの開始であるN響の9月定期演奏会を聴いてきました。指揮者は、
ドイツのドレスデン生まれで、今年79歳の名匠ハンス・ドレヴァンツでした。10年振り
にN響を振るとのことで、期待して会場へ向かいました。

 後期ロマン派の大作が得意とのことですので、今回の演奏曲目である、マーラー/交響曲
第5番嬰ハ短調は最適なものかも知れません。また、前半にソ連の作曲家であるデニソフの
絵画(1970)という現代曲が用意されていました。

 演奏会のはじめに今年の7月27日に逝去した、指揮者ホルスト・シュタインを悼んでバ
ッハの組曲第3番ニ長調BWV1068から「アリア」が演奏されました。ホルスト・シュ
タインは好きな指揮者の一人でしたので非常に残念でした。偉大な指揮者がまたこの世から
あの世へ旅立っていきました。

 追悼演奏はとても厳粛な中に暖かい思いが込められた演奏でした。通常のバッハの厳しい
面が抑えられ、優しさが前面に出ていた演奏であったと思いました。演奏終了後、だれも拍
手をせず、静かに指揮者のハンス・ドレヴァンツが舞台の袖に消えて行った後に、楽団員も
いったん全員がいなくなる形で行われました。ちょっと感動モードに入った感じを受けまし
た。

 さて、当日の演奏ですが、前半のデニソフの絵画(1970)という現代曲ですが、以前
から現代曲に関して述べているように、頭の固い私には今の現代音楽は全く理解できない範
疇に入るもので、聴いていて苦痛になります。

 絵画であれば目に入って来たものを、いままでの人生経験を通して自分の心でいったん消
化して考えることができるので、近代絵画に関してはまだ許容範囲にありますが、現代音楽
は音が強制的に入って来るとともに、消化し感じようとしている矢先にまた次の音が飛び込
んでくるという繰り返しになり、石頭で保守的な対応しか出来ない今の自分にとっては、理
解することは至難の技です。

 ですから、現代音楽に関しては一生かかっても理解できないと思います。そのために時間
を費やすのであれば、現代音楽以外のジャンルの作曲家の作品をさらに聴き、それぞれのさ
らに奥に秘められた感動の深さを味わいたいと考えています。

 休憩後は、ドレヴァンツが得意としているマーラーの交響曲でした。今回のマーラー/交
響曲第5番嬰ハ短調ですが、今から15年ほど前に、アムステルダムでテンシュテットの指
揮によるロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団により初めて聴きました。

 それまで気違い音楽家と思っていたマーラーの作品をその時に聴き、何故か涙が自然と流
れて止まらない不思議な体験をしました。その頃は感動する心が今まで以上にあったのだと
思います。あの感動はいまでも覚えています。ですから、初めて聴く曲でこのような体験を
してしまうと、次に同じ曲を聴くと自然に比較をしてしまうので本当は、いけない聴き方を
してしまいます。

 今回のドレヴァンツの演奏もは、普通以上の演奏だったと思いますが、最終的にはいろい
ろな点に関してケチ付ける結果になってしまいました。最も不満だったのは、マーラー独特
なテンポ、強弱、音色に関して、異なった位置づけのパート間で連携をとる際の連続性がな
かった感じを受けました。

 流れるような感覚がなく、どこかパート・パートで独自にクローズしてしまっていたよう
に聴こえました。言葉で表現しているので感覚を十分に伝え切れていないのは残念ですが、
私にとってのいい演奏と異なるものであったことは確かでした。

 マーラー/交響曲第5番嬰ハ短調は、人生の起伏を現したものと個人的に捕らえています。
ですからあるときは感傷的にまた悲劇的に、またあるときは狂ったように突進するとか、我
を忘れてしまうほど官能的にとか、何しろ人生で生じるあらゆる事象がいろいろな場面に散
りばめられているように感じています。

 それも立ち止まらずに連続して延々と続くことが人生であり、それを現しているのがマー
ラー/交響曲第5番嬰ハ短調だと今でも思っています。ですから今回の演奏はちょっと残念
なものでした。常に名演奏には恵まれないのが普通ですので、名演奏に恵まれるようにまた
次回も演奏会場に足を運びます。