寿命のかたち

2009-02-02 14:52:34 | 社会

父に「性格が消極的すぎる」と叱られ高2男子首つり 


埼玉・鴻巣市の公園で1日午前2時頃、同県吉見町に住む男子高校生(17)が滑
り台の手すりで首をつって死亡しているのが発見された。高校生は1月29日の夜
に、父親(46)から「性格が消極的すぎる」としかられ「俺なんて生まれてこな
ければよかった」と言い残して家出していた。県警鴻巣署は自殺とみている。

 ふだんは子供たちの無邪気な声が行き交う公園で、男子高校生の遺体は発見され
た。

 鴻巣署によると、同市内のJR北鴻巣駅前にある赤見台近隣公園で1日午前2時
ごろ、上下黒のスエット姿の生徒が滑り台(高さ2・5メートル)の最上部の手す
り部分にショルダーバッグの着脱式ベルトをかけて首をつって死亡しているのを、
帰宅途中だった大学生の男性が発見し、110番した。遺書などは見つかっていな
いが、同署は自殺とみている。

 生徒は、発見3日前の1月29日夜、家族で会話している途中、父親から「性格
が消極的すぎる。積極性を身につけろ」としかられた。口論になった末に殴られる
と「俺なんか生まれてこなければよかった」と言い残し、自転車に乗って家を飛び
出した。家族は翌30日午前、警察に捜索願を出していた。吉見町と鴻巣市は隣接
しており、生徒は自転車で移動した末に同公園にたどり着いたとみられる。

2009年2月2日06時01分 スポーツ報知




 
何という弱さだ。

文面からしかワカラナイが

父親を含めこの子の周りの人に

瑕疵があるとは思えない。


この子がもし社会に出たとしても

とても生き延びる事は

できなかっただろう。


彼が生きるには

社会はあまりにも過酷だ。


残念ではあるが

寿命だと思う。









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6 コメント

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同情に堪えないが (やまびこ)
2009-02-02 16:27:01
Pさん、こんにちは。

痛ましいですね。
この子にも、まして親御さんの心情を思うと本当にお気の毒です。
月並みにすぎますが、この子の冥福を祈ってあげたいです。

ただ、そうした思いの上で、ここに至るまでの親の育て方に何一つ瑕疵がなかったとも言い切れないのではないでしょうか。
これだけの年になって「おまえはもっと強くなれ!」と言ってもかなり難しいでしょう。
幼子の時からの育て方が大切です。
前に「育てたように子は育つ」という、相田みつおさんの作品を紹介しましたが、派遣の若者やこういう子のことを聞くたびに思い起こされます。
親御さんに少々酷なことを申しました。

               合掌
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自責 (P@RAGAZZO)
2009-02-03 11:38:28
こんにちは、やまびこさん。

本当に残念ですね。
親御さんは17歳のわが子がこのままでは
厳しい社会で生きていけないのではないかと
心を励まして叱ったのでしょう。

しかし、それがきっかけとなって命を落とすとは、、、
言葉もありません。

私は親御さんの己を責める心中を思い
『寿命だったのですよ、、』と声をかけてやりたい気持ちです。

しかし、、弱い。
あまりにも弱いですね、、、

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Unknown (桃太郎)
2009-02-03 14:58:26
おじゃまします。

私もPさんのいう「寿命」と解釈することに同感です。
もう少し言い換えるならば「運命」とでもいいましょうか。

生まれながらに障害を持ったり病魔に冒されたりと、生きることを望みながら
人生を終える選択しかできない場合、誰のせいでもないので「寿命だった」とか
「運命だよ」と、その死を悔やみながらも受け入れ納得する努力をしますね。

今回の場合、私も親御さんにも同情します(私も3人の子持ちですから)し、
なにも死ななくても・・・と思いますが、もう受け入れるしかないのです。

殺人者の精神鑑定で無罪になることが納得できません。 そんな時の精神状態が
正常であるはずはないのにです。 自殺者もある面では同じ精神状況だと推察を
します。 死が怖くない人などいない(と思う)はずですから、それを選択する
時点で普通ではないのだと思います。

あまり使いたくないのですが、「そのとき病気だった」ということでしょうか。
そう考え結論することが必要なケースであるかと思います。

で、Pさんの

>私は親御さんの己を責める心中を思い
>『寿命だったのですよ、、』と声をかけてやりたい気持ちです。

人柄が窺えます。 大人として尊敬します。

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運命と諦観 (P@RAGAZZO)
2009-02-03 16:58:38
桃太郎さん、こんにちは。

私には過ぎたるお言葉、、恐れ入ります。

そうですね、、運命ですよね。

インドの最下層の人々『不可触民』のほとんどは
路上に生まれ路上に死にます。

しかし彼らは輪廻転生を信じ、
徳を重ねれば次に生まれ変わる時は
上級カーストになれるかもしれないと夢を見ます。

そうしなければ自身の最低限の人生を
納得させるさせる事はできないからです。

ヒンドゥー教はこのように
因果応報と輪廻の思想により高度に理論化され、
インド人の死生観・世界観を形成してきたのでしょう。

件の父親も、
これは運命であり息子の為には必ずしも悪い死ではなかったのだと諦めて
自身のための一歩を踏み出して欲しいと思いますね。
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Unknown (翡翠)
2009-02-04 18:56:33
悲しいことです。
自己殺害者となってしまった
少年は、本当は生きたかったのでしょうか。
弱くても生きていける場所が
どこかにあるようにも思うのですが・・・・。
なんだか痛々しくて

何もいえません。
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メナンドロス (P@RAGAZZO)
2009-02-05 10:59:11
翡翠さん、こんにちは。

そうですね、、
少年は死ぬ為のきっかけを捜し求めていたのかもしれませんね。

彼にはせめてメナンドロスの言葉
『神々が愛する人たちは若くして死ぬ』
を贈りたいと思います。

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