中国がロシア軍機をコピー販売、「外見は同じで中身は違う」と反論
サーチナ
2010年12月08日19時27分
長年にわたり、ロシアから武器を輸入してきた中国が、ここに来て輸入武器をもとに“模倣品”を製造、販売し始めている。台湾中央通信社が伝えた。
11月に広東省珠海市で開かれた中国国際航空航天博覧会で、ロシアは小型飛行機のモデルを展示しただけ。
一方、中国はロシアの技術を基に製造したとみられる大規模な武器を展示し、存在感を見せつけた。
中国政府は1996年に25億ドルを投じて、ロシアの戦闘機「Su27型」の組み立て許可を取得。
当時の契約書には、レーダーやエンジンなどの部品を輸出してはならないとの規定が明記されていたが、中国は100機余りを製造した後、04年に契約を破棄。
それから3年後、同機の“模倣品”「J-11B」をテレビで披露した。
中国国有航空機メーカーの中国航空工業集団の張新国副総経理は、「ただのコピーではない。見た目は似ているが、中身は全く違う」と模倣品説を否定。
しかし、ロシアの中国軍事専門家は、「こうなることは最初から分かっていた。しかしリスクがあると分かっていても、生き残るためにはそうするしかなかった」と語る。
馬鹿なことを言うな。
『見た目は似ているが、中身は全く違う』
からこそ、ただのコピーなのだ。
陶磁器などの世界では『写し』というものがあって、
そこに魂とか精神の理解や憑依があれば
原型よりもむしろ高い評価を受けることがある。
たとえばマイセンは
景徳鎮の磁器の白さ、
柿右衛門の絵付けの鮮やかさに
大きく影響を受けた。
しかし、マイセンは
、、、景徳鎮であれば、
この真っ白な磁器を造る為に試行錯誤を重ね、
その魂を得たのちに、
ヨーロッパ的、ドイツ的に解釈した
『写し』を創り上げたのである。
マイセンを
景徳鎮や柿右衛門のただのコピーだ
と
言う者は居まい。
ドラエモンからベンツまで、、
支那のコピーは常にその表面のみで
原作の魂を踏襲しない。
これを買う人物の品性までをも
疑わせるものである。
↓
サーチナ
2010年12月08日19時27分
長年にわたり、ロシアから武器を輸入してきた中国が、ここに来て輸入武器をもとに“模倣品”を製造、販売し始めている。台湾中央通信社が伝えた。
11月に広東省珠海市で開かれた中国国際航空航天博覧会で、ロシアは小型飛行機のモデルを展示しただけ。
一方、中国はロシアの技術を基に製造したとみられる大規模な武器を展示し、存在感を見せつけた。
中国政府は1996年に25億ドルを投じて、ロシアの戦闘機「Su27型」の組み立て許可を取得。
当時の契約書には、レーダーやエンジンなどの部品を輸出してはならないとの規定が明記されていたが、中国は100機余りを製造した後、04年に契約を破棄。
それから3年後、同機の“模倣品”「J-11B」をテレビで披露した。
中国国有航空機メーカーの中国航空工業集団の張新国副総経理は、「ただのコピーではない。見た目は似ているが、中身は全く違う」と模倣品説を否定。
しかし、ロシアの中国軍事専門家は、「こうなることは最初から分かっていた。しかしリスクがあると分かっていても、生き残るためにはそうするしかなかった」と語る。
馬鹿なことを言うな。
『見た目は似ているが、中身は全く違う』
からこそ、ただのコピーなのだ。
陶磁器などの世界では『写し』というものがあって、
そこに魂とか精神の理解や憑依があれば
原型よりもむしろ高い評価を受けることがある。
たとえばマイセンは
景徳鎮の磁器の白さ、
柿右衛門の絵付けの鮮やかさに
大きく影響を受けた。
しかし、マイセンは
、、、景徳鎮であれば、
この真っ白な磁器を造る為に試行錯誤を重ね、
その魂を得たのちに、
ヨーロッパ的、ドイツ的に解釈した
『写し』を創り上げたのである。
マイセンを
景徳鎮や柿右衛門のただのコピーだ
と
言う者は居まい。
ドラエモンからベンツまで、、
支那のコピーは常にその表面のみで
原作の魂を踏襲しない。
これを買う人物の品性までをも
疑わせるものである。
↓
>>>支那のコピーは常にその表面のみで
原作の魂を踏襲しない。
全くその通りですね
北大路魯山人がある著作のなかで
同じようなことを言って居ます
70年代のマイルスデイヴィスはブラックカルチャーを独自の解釈で自身の創作に活かしました
端的にいえば
ジェイムズ・ブラウンの音楽を参考にしたわけですが
その『まね』はジェイムズブラウンの音楽の方法論や思考などを真似した訳で
決して表面の模倣ではありませんでしたね
私がもっと若いころの話ですが
美術品を観賞するのが大好きで
ある美術館の学芸員から著名な彫刻家の
小品を借りて知り合いの歯科技工士に
型を採らせて複製したことがあります
しかし
これが全く本物の雰囲気が伝わってこない面白くないものでした
今回の記事を読み思い出した次第です
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P様のもともとお持ちの知識の豊かさや深さはよく存じ上げていますが、今日のは本当に素晴らしい!
いつも素晴らしいのですが、ペコちゃんか、とか、チワワか、など不意をつくような言葉が爆笑を・・・そこがP様の楽しく愉快な魅力ですが、今日のはなんて芸術的、芸術の粋を示した名文です。
しかし、最後の写真には爆笑しましたよ。
せっかく芸術の極致をお書きになったのに、この写真は実にひどい!
車なのに、笑わせるのです。
今まで車で笑ったことなどありません。
中国がやっているコピーの品性のなさ、それを買った人まで品性を落とすシロモノがよ~くわかりました。
この文章、拙ブログに転載させて頂きたい(芸術のことを書くので)のですが、写真はナシです。よ~く理解できましたので。(爆笑)
私のは拙文ですが、P様の今日の文に感銘を受けて書いたものです。
精神や魂と言う者がない即物主義。おまけに騙すことに勢力を注ぐ・・・ホントにどうしょうもない。
今ほど、マイセンを始め西欧の食器を直接目にすることがなかった頃、
それらの本やカタログは宝物でした。
この度の記事を拝読し、今もその写真を捨てられずにいる
マイセンの『柿右衛門写し』やヘレンドの『カキエモン』を思い出しました。
タングートでその良質の土は生まれる。
その土を30~40年の長きに太陽の光に当て風雨に晒し、
磁器のための特別な土を作り出す。
今、掘られる土は子どもや孫のためだと、
東方見聞録でマルコポーロが伝えたと言います。
良質の粘土を手に入れられなかったイギリスが、
ボーンチャイナを開発したことを思うと、
その白磁器への憧れが新しい技術を生みだし、
また、それが透明感のある乳白色の磁器となったことは、
決してうわべだけの真似事でないと思います。
シノワズリと言われる文様は、まだ見ぬ東洋への憧れを感じさせます。
その思いを、美しい白磁器ではもちろん、
大胆な色遣いや繊細な文様に触れるたびに思います。
ノーベル平和賞へ対抗するように孔子平和賞を作っても、
抑圧された国で語られる平和ほど陳腐であること
感じさせられる、今の中国の姿勢ですね。
魯山人の造った星岡茶寮や星岡窯には
多くの『温故知新』の書が在ったといいます。
これは魯山人が
過去のものや他所のものであっても
良いものはドシドシ取り入れて、
しかも彼なりに咀嚼して
最高のものを目指した心境を端的に表したものと言えます。
魯山人は
ただ表面だけの模倣を非常に嫌って痛罵したりしたために
毀誉褒貶が激しい人ですが、
その審美眼は本物でした。
支那の猿真似とは
似ても似つかぬ類いのものですね。
ありがとうございます。
ベッラさんの文章拝見しました。
ベッラさんのテリトリーである音楽の世界でも
同様のことが言えるのですね。
私のものは衒学の類いで、
なにひとつとしてモノになっておりませんが、
ベッラさんは実践を通して感じられたものであり
まさに本物です。
ブログを通して
声楽家の領域を少しでも垣間見られる事は
幸せな事だと思います。
ありがとうございます。
中国産戦闘機ですか?オフィスチェアとか便器みたいに爆発するんですかね。中国空軍の戦闘機を100%国産にしてもらいたいです。
おっしゃるとおりです。
現在の支那は
文革で自らの貴重な文化を破壊し
否定したのです。
そこらの焼き物をペンキで白く塗って
『白磁』と称しているようなものですね。
ロシアと支那は共産主義というイデオロギーにより
スターリン、毛沢東時代から琴瑟ただならぬ関係にありましたから
今でも徒党を組みたがるのでしょうが、
実際にはおっしゃるように、
国境辺りのトラブルもあり
また支那の経済成長に対する複雑な思いもあり、
ロシアは中国寄りで様子見、、
というところなのでしょうね。
そうですね。
我が国もそうですが、ヨーロッパにおいても
東洋、その中でもシノワ(支那)の古典芸術や文化は
一種何ともいえないオリエンタリズムの香りがして
人々を憧れさせたことでしょう。
ところが、毛沢東は文革において
孔子や儒教を否定し
中国最古の仏教寺院である白馬寺を破壊し、
景徳鎮の窯を壊し、
その陶磁器はことごとく割られたといいます。
まさにこれらの事はいち支那の問題だけでなく
世界的な文化喪失を生んだといって
良いのではないでしょうか。
中にはルーブルを設計したイオ・ミン・ペイのような中国人
(もっとも中国系アメリカ人というべきかも知れませんが)
も居ますが、
今の支那人に
文化的創造力を持つ人物は
非常に乏しいといって良いと思いますね。
わははは、全部支那のオリジナルで戦闘機作ったら、中が自転車になってて自力で飛ばなきゃならんことになりますね。
グライダーに『最新戦闘機』って書いてあるようなことになります(笑)