ハッピー(吉田鍼灸指圧治療院から)

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社会と病気の関係について全てを解き明かしていきます。

頑張るという言葉の意味とは

2022-09-13 19:31:28 | 精神的・本質的成長について

 (カステラ)2022-09-10 17:50:51吉田先生


旧ブログの読者です。特に心理面の記事を読ませてもらっていてました。ブログがなくなって残念ですがこれからこちらのブログを楽しみにさせていただきたいと思います。


突然すみません。心理面のことになりますが、もしよろしければ教えて下さい。


ここ数年、抑うつ状態が定期的に(月に1度くらい)続くのですが、何か自分から落ち込むための種を拾いに行っている気がしはじめました。頑張っていてもその種をきっかけにして落ち込み悩みを広げ深め投げやりになっていく気がします。


このような心の動きは何なのでしょうか。怠惰でしょうか。。


よろしくお願いいたします。


このコメントが失礼、ご迷惑でしたらご放念ください。すみませんでした。

 

返信

カステラさん。旧ブログが突然飛んでしまってすみませんでした。僕も18年間の2500を超える記事が一瞬で無くなり、少しだけ呆然としました。

しかし、すぐに記事は無くなったが、僕がいることに気づきました。記事は消えたけれど僕はまだいるので何も無くなっていないのです。

ただ読者の皆さんを置き去りにしてしまったことが気がかりでした。しかしこうやって必ず見つけてくれるだろうと思っていました。

本当に感謝しています。

カステラさんは何歳でしょうか。もし、50代以上であれば女性、男性に関わらず更年期のようにホルモンが変化(減少)して、身体的にも自律神経の失調による不定愁訴が現れることがあります。その場合、精神面も影響を受けて鬱気味になったり、不安になったり、元気がでなかったりと情緒が不安定になることがあります。

僕らは、身体も心も完全にはコントロールできません。外部的・環境的要因(社会・季節・気圧・高地・低地・南・北など)により心(内面)は多大な影響を受けます。

コントロール出来ない要因が多々あるということを認識しながら、コントロールを手放すことです。

カステラさんは、抑うつ的になってはいけないと考えているかもしれません。それはいけないことではありません。

しかしながら、

抜粋

”ここ数年、抑うつ状態が定期的に(月に1度くらい)続くのですが、何か自分から落ち込むための種を拾いに行っている気がしはじめました。頑張っていてもその種をきっかけにして落ち込み悩みを広げ深め投げやりになっていく気がします。”

抜粋終わり

ということなので、ご自分で気づいている通りだと思います。

何か、今まで生きてきて、これで自分は、自分の人生はいいのかという自己不全感があるように見えます。自分を肯定していない。自分はダメなんじゃないかとか、自分は何か劣っているとか、自分の思うように生きられていないとか。

それを隠す(カバー)する為に、抑うつとして表現して頑張っている自分の言い訳をして直面を避けている。

だから、考えないといけないのは、何を頑張っているのか、何に対して、何のために、何を以て頑張っていると言っているのか?誰かにそれを認めてもらいたい、でも認めてくれる人がいない(自己承認欲求が満たされていない)、どうして頑張っているのに、どうしてと言っているのかもしれません。

そこから抜け出すには、まず何を以て良いとか悪いとか言うのか?頑張る必要があるのか?誰かに承認される必要があるのか?

まず、自分で自分を認めることが大切だと思います。頑張っているという言葉に、何か問題を感じます。そこから落ち込みや悩み、投げやりになり抑うつという。

飲食物の見直しや、運動、日光浴などと共に、自分の内面と向き合い、子供の頃から両親や教育、そして社会的常識という刷り込まれたマジックを解いてみてください。

現代社会は、人間を経済動物としてみなし、早く金になる人を育て物として使い捨て消費して行く自然と切り離された異常な人工(仮想現実)社会です。

よく考えてみると、現世に誕生した人間個々人としての内面的、精神的成長とは全く関係なく、人工的社会において外面的な経済的に生きることを常に要求され、その要求に応えることが自己実現ということになり、自己としての持って生まれた能力を開花させることなく(画一的で標準的に育てられ、この年齢ではこれが出来て当たり前という馬鹿げた教育、あるいは早期教育により能力を制限されたエリート教育)精神的に成長する前に死に至ります。

この認識に立った時に、全てのマジックが解けて、より本質的に生きていくことが出来るようになると思います。

現代はとにかく外面(そとづら)ばかりなんです。そんなことはどうでもいい。

Yoshidavision

https://suzuri.jp/Yoshidavision

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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6 コメント

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ありがとうございました (カステラ)
2022-09-17 13:17:19
吉田先生

お返事、本当にありがとうございました。今の社会では心理的なことはマイナスでみられることも多いですし、この際新しいブログになったのだし、もう私のようなコメントはご覧になりたくなかったかもしれない、、など後悔しましたから、まさか記事にして詳しく書いてくださって感激しました。

私はあと少しで50歳になる女性です。仰る通り、今まで感じなかったような体の変化に気づくようになり(老眼になったり目が乾燥したり手指の動きが怪しくなったり等)人生の折り返し地点に来た実感や不安とともに、これまでの生き方を振り返るようにもなりました。

私は自分が認められず劣等感はあるけど自信がありませんでした。そして何が好きなのか、何をしたいのかも分からなかったです。

年齢のことで元気いっぱいに動き回れのはあと10数年位かもしれないと思った時、このままこれまでのように少し漂うような、そして嫌なことも我慢するようなことはしたくない、もったいない。もっと遊んだり楽しみながら時間を過ごしたいと思いました。

確かに、世間で褒められるような生き方をしたとしても、その中で頑張って何かを得たとしても、それは誰かが望む姿を纏い、誰かが望むことをして、自分を消費させてきたのかもしれません。そうなると私でなくても代わりの人はたくさんいます。

吉田先生の言われるような本質的に生きる人は現代人の大多数とは別の種類の人、現代にはあまりいない気がします。だけど少しずつでも、少しだけでも本質的に生きるようにしたら、消費し、消費される人生とは少し違ったものになりストレスなんかも大幅に減りそうに思います。

自分を認めていなくて自信のなさを「隠す(カバー)する為に、抑うつとして表現して頑張っている自分の言い訳をして直面を避けている。」これは深いですね。。ずばりという感じがしていますがまだよくわかっていません。ゆっくりこのことを考えてみます。

「コントロールできない要因があることを認識しながら、コントロールを手放す。」これもまだ良く分からないのですが、もう少し考えたり少し意識して生きていくうちに分かるような感じがしています。

飲食物の見直しや、運動、日光浴もしてみます。

失礼かなと思いましたが、吉田先生のご意見を聞いてみたかったのです。

本当にありがとうございました。
これからも楽しみにしています。
どうぞ宜しくお願いします。

カステラ
返信する
返信 (吉田鍼灸指圧治療院)
2022-09-23 20:55:50
カステラさん

多くの人々は自分を隠すことばかりしていて、自分自身を見失っています。だから、自分が何をしたくてどうやって生きて行けばいいのかがわからないのです。

ありのまでいいんですよって言われても、そもそも子供の頃から両親から学校から社会から、そのままではいけない、それではダメだ、もっと努力しろと言われて躾や教育されて、テレビでも頑張った人は偉いという番組が放映され誰もありのままの姿を褒められることが無い。

そういう国で育てられたのです。これは完璧な洗脳であり幻想(マジック)です、本質的な生き方とは全く関係ありません。

生き生きとした生を抑圧するシステムです。そうやって使い捨ての様に人生がお金に換えられて消費されてしまうのです。

途中で自分に気づき、自分らしさを発揮しようとしても、今度はそれを社会が認めないという事に直面します。

ありのままでいいと言いながら、ありのままを世間は許さない。

しかし、やはり本質的な生き方を目指して下さい。自分に嘘をつかないことがとても重要なことです。

そうしているうちに周りは勝手に幸せになり、自分に会わない人はいなくなるでしょう(いても関係無くなる)

頑張るのは不自然な生き方です。より頑張らない生き方をするといいと思います。

頑張らないでいると出来ることが増えていきます。頑張ると何もできなくなります。

力を抜いた時に、人間は一番力を発揮します。もうすでにみんな頑張って来たのです。

自分が何をしたくて、何をしたくないのか。それがとても大事なことです。
返信する
ありがとうございました。 (カステラ)
2022-09-30 22:43:27
吉田先生

お返事をありがとうございました。
自分のことを分かってもらえたと嬉しくなったし、お陰様でこれからの人生も楽しくなってきているところです。

中学生の頃からはっきりと劣等感や自分はだめだ、変えないといけないという思いが生まれて、その気持ちはまだ少し残っていると思います。

振り返ってみると自分を良くするというのは社会や家族が理想とするような人になることで、あまり自分の本質や本当の自分に沿ったものではなかったと思います。外面がいいところもあるし、人とはその場しのぎで表面的に付き合ってきたことも多いです。

自分の本質から離れた自分を作って生きてきたのなら生きづらかったり疲れたりするのは当たり前だなと思いました。自分で努力したことも努力の方向が外れていたこともたくさんあったと思います。変わりたいといいつつなかなか行動せず周りからも口で言うだけで何も行動していない、とよく言われていました。
今となってみるとあのまま行動したりしていたらどんどん自分の本質から離れた方向に行ってしまっていたと思うので、行動しなくてよかったと思いました。

自分の本質に本当に沿って生きることは私にはまだ難しいですが、自分に嘘はつかないようにして自分の本質を意識して暮らしたいと思いました。
本質を意識せずに毎日過ごしていたら、人が望んだ自分を演じて生きづらいままで人生を全うしていたかもしれません。これから自分の本質や好きなことを大事にして生きていくと考えると毎日が楽しいです。
本当にありがとうございました。
無関心党などの記事もとても興味深いです。読ませていただいています。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
返信する
返信 (吉田鍼灸指圧治療院)
2022-10-04 13:53:30
カステラさん

子供の頃に教え込まれた本質とは全く関係ない生き方は本能を抑え込み、抑圧されマインドの奥深くに反射神経として植えつけ(インプラント)られます。

これらは全て意図的にプログラムされており、子育てを行っている親たちも教育者も、ほとんど大人達も何の理解もしていません。

何故なら洗脳されているからです。

ですから、子供たちが大きく成長した時に、自分でもどうすればいいのかわからない、何が問題かわからない抑圧で苦しみます。

これは本質から遠く離れているので、本質が苦しんでいるのです。本質は実は自分が嘘世界を生きていることを全て知っているからです。

しかし、誰もそのことを知らない上に、知っていたとしても世界は社会はなるべく人々が本質的にならないように、気づかない様に私達を幻想の社会へ閉じ込めます。

そうしないとこの破壊的な世界(破壊的な世界を望んでいる者が現世を創りだしている)が機能しないからです。もしも、多くの人々が本質に気づき、本質的な生き方をし始めるならば、この世界から争いも貧困もなくなり、人間は霊的に全く次元の違う成長を遂げるでしょう。

今の人類の幻想の破壊的生き方は間違いなく、この世界を破滅させます。

本質的になればなるほど、周囲の人々と合わなくなり、時には嘲笑され、迫害されます。

しかし、霊的な高次元の成長を望むのであれば人はより本質的な生き方を選択することになるでしょう。

僕は常に本質的な生き方を選択したいと思います。
返信する
子供 (カステラ)
2022-10-17 21:35:23
吉田先生、お返事を本当にありがとうございました。コメントを頂けていたことに気が付かずお返事がおそくなりすみませんでした。

私は落ち込むと高校の頃に戻りあの頃に何気なく選んだ進路選択をやり直したいいつもと思っていました。ですが、戻りたいのは高校生の頃ではなくて幼稚園の頃ではないかと最近ふと思ったのです。その頃言われたことがとてもショックで不信感や不安、疎外感、劣等感、罪悪感、自分がいていいのか、などの思いが生れたと思っています。思い込みかもしれませんが、私はそう思っているので、私にとっては思い込みではなく真実なのだと思います。
私が人生ほとんど悩んでいるのは、あのころからずっとそうしていたからかもしれないと思いました。悩むことが生活の一部になっていて、そしていつも悩むことで子供の頃の怖さやショックをみなくていいようにしているのかもしれないと思いました。

私の本質はショックを受ける前の私で、それを一人で大切にするしかなかったから(本当はそうでなかったかもしれませんが、子供の頃の私はそう感じていました)、大人になりたくない、変わりたくない、変化は嫌だ、そう思っているのかもしれません。そしてだからいくら変わりたいと思っても変わらないのかもしれないです。

前から薄々と子供の頃の事が性格や生き方に影響していると思っていましたが、今のように気づくことはなかったです。

今、1つ、本来の自分(本質)が喜ぶような選択や行動をとって、その行動を大切にして積み重ねていけば、自分の本質に近づいて行けるでしょうか?大人の私は疲れていると面倒に感じますが、そこは無心で良いことをしようとする子供の姿を想像して。。
返信する
返信 (吉田鍼灸指圧治療院)
2022-10-22 12:31:00
カステラさん

子供の頃に経験したことはトラウマとして心の奥に残り続け、身体反応に組み込まれます。これに妄想と錯覚が重なり、その経験が自分にとってとても大きな問題として捕捉されます。

しかし、これは本当に幻想です。確かに子供の頃に自我が自己防衛の為に反応したことは間違いありませんが、それを強化したのもその自我によるものです。

すでにその状況は存在しません。しかし、あなたはその反応を強化して、それを思考した瞬間あるいは似たような状況で機械的に反応してしまうのです。

そしてよりその反応を強化してしまう。

これは本質ではありません。自らが創り出した幻想です。

自我は傷つきたくないために常に逃避的防衛的反応を引き起こすことであなたを守ろうとします。

そしてさらにその妄想と錯覚を強化して生きていくことになります。もはや大人になったあなたは、現実に起きたことに様々な色を加え、何が真実であったのかは認識できません。

そもそも人間には真実など存在せず、妄想と錯覚の幻想の夢の中に生きており、その錯覚にさえ気づくことが出来ません。何故ならそのトラップは幾重にも複雑に重なっているからです。

さらに、あなたの周りにはそのイリュージョンを強化する情報で溢れています。その情報に真実や事実は一切ありません。全部マジックです。

本質的に生きるとは、その幻想をひとつひとつ剥がして行くことです。まさにそこにアプローチすると自我の幻想の化けの皮がはがれていくので、自我は恐怖に陥ります。

何故なら、本質の自分はその嘘を無意識に認識しているからです。

その嘘で着飾った自分がバレ(暴露)てしまうのが
怖ろしいのです。

しかし、実際はその恐怖も幻想です。自我があなたにかけたマジックにすぎません。

本質的生きるとは、このマジックを解いて本当の自分に至ることです。

そして本質に至るとそこには喜びだけが存在しています。

私達が恐怖と思っていることは全てマジックで在り、本来は恐怖などありません。

愛の反対は憎悪では無く、光には闇は存在しません。
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