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無関心の勧め⑪~責任問題の責任の問題とは何か?

2022-09-30 13:16:52 | 無関心の勧め
過去記事 7月10日
 
責任問題の責任の問題とは何か?
 
さて、本日は参議院選挙投票日です。
 
無関心党の党首の公約は、
 
"投票率0%で選挙制度をぶっ壊す"
 
です。
 
そういうわけで、一体どのような状態であるのかについて、党首である僕が自ら確認するために、無関心党の公認Tシャツを着て投票所に向かいました。
 
投票所は、さして混んでいませんでした。立会人に知り合いがいたので聞いてみると、それほど多くないとのことでした。
 
僕は、投票所に入り、無関心を広める為に無関心党と党首に一票を投じてきました。
 
そして、投票所から出た時に、重大なことに気が付きました。
 
うっかりしました。
 
無関心党の公約は、
 
"投票率0%で選挙制度をぶっ壊す"
 
です。
 
党首自らが投票したことにより、公約を破ってしまったことに愕然としました。
 
申し訳ありませんでした。公約を破ってしまいました。しかしながら、もう一つ重大なことに気づきました。
 
無関心党には誰も党員もサポーターもおりません。従って、公約を破っても誰にも謝る必要が無いのです。
 
自ら公約を破ったことについては、自ら責任を負うだけなのです。
 
ここでもうひ一つ、重要なことを述べたいと思います。よく、政治家に責任問題を追求し、追求された方は責任を取る為に辞任したりします。
 
しかし、辞任は責任を取ったこととは関係ありません。もし、その政治家が責任を取るのであれば、解決するまでその職責に留まり改善するという考えもありますが、何故かそれは誰もが許しません。
 
逆に居座る気かと非難されます。
 
つまり、責任とは何かという時に、あらゆる出来事について、誰かが責任者だったとしても、責任は取ることは誰にも出来ないという事です。
 
一番理解しないといけないのは、責任者は責任を取ることが出来ないということです。
 
つまり、驚いたことに責任者には責任は全く無いのです。犯罪であれば法的に処分され、そうでない場合においては社会的制裁を加えられるのです。
 
要するに、皆さんの憂さ晴らしの対象として生贄に晒されるということです。これは責任を取ったのではなく、ただけなされる対象としてみなさんから蹴られることによって許されることも無いのです。
 
という、何かすっきりしないうっぷん晴らしの生贄となるのです。
 
では誰に責任があるのかというと、責任は皆さんにあるので、誰かに責任を取らせるのであれば、皆さんがそれを考えないといけないのです。
 
もしかしたら、責任者の人に責任を押し付けてすみませんということかもしれません。
 
責任者が責任を取れると言うのは幻想であり、それこそ責任者に責任を押し付けている自分自身の問題です。
 
つまり、誰も責任を取ることは出来ず、出来るのは次の人が新しいやり方を行いその問題に取り組むということです。
 
そして、その新しい責任者もいずれ追い詰められる。責任を放棄した人々から。
 
要するに責任は幻想です。
 
責任は幻想であり、問題が生じた時、次の責任者が、新しいあるいは既存の方法で、問題を変化させることが責任をとり、あたかも解決したかのようになる。
 
ということです。
 
ですから問題は、解決される事無く変化する。そもそも解決される問題などあるのか?ということです。
 
近視眼的には、たとえば区切りとして解決されたように見えることがあっても、問題が問題だと捉える人は必ず存在して、問題は問題として残り、やはり誰かが、一般的に考えられている責任をとる方法でスケープゴートとなり、新しい人と変わり、問題が変化するということです。
 
そして、その問題はある人が見れば問題ではなく、ある人が見れば問題となり、あるタイミングでは問題となり、あるいは問題が問題で無かったりします。
 
常識が変化すると、過去には何も問題だと思われていなかったことが急に問題視されたり、しかし、過去から観たら今の問題は変態に見えたりします。
 
つまり、問題とは何かと言った時に、その問題は本当に問題であるのか、という問いに対しては答えが無いと言うことです。
 
これは極論に至ってもそうです。例えば戦争です。
 
通常、殺人は重罪です。しかし、戦争においてはそうではありません。
 
問題と責任と解決は、とてもいい加減な概念なのです。
 
この認識においては、ではどうしたらいいんだよと答えを求める人がいると思います。
 
特に常識的な人は答えを求めるのです。その答えを求める思考が、結局、問題をさらに問題に肥大化させて、あらゆる問題に加担してしまうという認識が全くないのです。
 
これが大多数の人々です。
 
答えを求めるということを止めることです。正義感を持たないことです。これが正しいとかいう思考をすてることです。
じゃあどうすればいいのですか?
 
そういう問いを立てることを止めなさい。
 
無関心党代表のヨッシーは、公約を自ら破ってしましましたが、今後も無関心を拡大して行きます。
 
無関心党の公約は
 
"投票率0%で選挙制度をぶっ壊す"は終わったので、今後は
 
”あらゆることに無関心でいなさい”となります。
 

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1 コメント

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お返事 (カステラ)
2022-09-30 22:48:20
コメント欄にお返事を書かせていただきました。もしよろしかったら読んでください。どうぞよろしくお願いします。
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