本来、日本人は無宗教では無く、自然と一体化してあらゆる存在と繋がっていると思います。
しかし、外国の人々は宗教の枠(観念)に縛られています。
これが人々が世界が平和にならない理由であり、平和にならないように仕掛けられている装置だと僕は思います。
以下、THE CYPRESS IN THE COURTYARD p89より
信仰は死んだ信頼です。実際にあなたは信頼していませんが、それでも信じています。それが信仰です。
それは誕生によって、偶然に与えられます。あなたが、ヒンズー教徒、イスラム教徒、またはユダヤ教徒とした育てられたのは偶然です。
あなたがヒンズー教徒として育てられたとして、モーセやアブラハムについて考えたことは一度も無いでしょう。
彼らはあなたの世界の外にとどまります。クリシュナやラーマ、あなたが仏教徒ならブッダのこと、イスラム教徒ならモハメッドの事を考えたことでしょう。しかし、これらの出来事は事故です。
ある家系に生まれただけで、どうして信じられるのでしょうか?
あなたは条件付けられているので、信念は心の中にあるだけです。信頼は生きているものです。
以下は、僕の文章
彼らは生まれたときから条件付けられており、その枠から出ることができず。不自由なのだと思います。
また、興味深い箇所があれば翻訳して記事にします。
追記
日本には幽霊も妖怪も存在しており、さらに動物、昆虫、草や木、川や海、物にも感情移入できる。喜びを感じることができる。まさにスピリチュアルの国なのだ。
望遠鏡と顕微鏡~その嘘世界
テレビで流され電気的点滅信号の情報は皆さんを夢の世界に深く誘う様にプログラムされている。
例えば、映画や演劇あるいは音楽のステージを作り上げるには、その演出家が意図的にこういう雰囲気、こういう感情を引き起こすように、そのストーリーや背景や光や音をプログラムする。
意図的にプログラムしたものを私たちは観て、感情を揺さぶられ、怖くなったり、嬉しくなったり、悲しくなったりして涙を流し、最後には幸せになる。
実際には、何も起こっていないが、その演出家が皆さんにマジックをかけて、皆さんの頭は完璧に夢の中に誘われる。
映画を考えると分かりやすい。映画館に話題の映画を観に行く。椅子に座り、白いスクリーンに映像が映し出される。
その映像を観て、僕たちはハラハラしたり、驚いたり、怒りに震えたり、涙を流したり、心が暖かくなったりする。
もちろんそれは意図的に演出されたものであり、目の前では何も起こっていない。
ただ、あなたは椅子に2時間ほど座っているだけに過ぎない。
目の前で展開されているのは白いスクリーン上で光の三原色が点滅しているだけで、僕らが動いていると認識している映画の中の登場人物は動いてもいない。
それはただ光のドットが点滅し、ただ単に点滅している場所が違うだけである。僕らはそれを動いているように認識する。
その映画の中には確かに世界があり、動いて生きているように見え、実際に僕らは鳥肌が立ったり、身体が避けてしまったり、動悸がしたり、涙が出たり、心が暖かくなったりする。
これは光の点滅に僕らの身体が反応することを意味している。あなたの身体も心もハッキングされている。
映画が終わると、光の点滅が終了し、目の前には単に白いスクリーンだけがある。
これは映画を楽しむことに問題は何もない。それは単なる娯楽映画だと皆さんは認識しているからである。
確かにそうだ。
しかし、これがドキュメンタリーになると、皆さんの心に真実として入り込む。これはまさに光の点滅によるボディーマインドのハッキングだ。
悲惨なドキュメンタリーを観た後に、その感情がのちのちまであなたに影響を及ぼし、あなたの生活に深刻な状態をもたらすことがある。
娯楽映画でもドキュメンタリーでも、あなたの目の前には白いスクリーンに光が点滅しているに過ぎないのに。
ただ、映画のテロップにこれはノンフィクションですとか、事実に基づいたドキュメンタリーです。と記載されており、それをあなたは見たから起こったことである。
そのテロップも光の点滅に過ぎない。
それは、あなたの周り(現実)とは何の関係も無いのに、あなたの心は奪われ、身体はストレスに反応する。
こうやってあなたはプログラムされ幻想のマジックに誘導され深い眠りにつく。
帰宅して、テレビやインターネットをつけたときにまた、そのマジックははじまる。
ほら、こんな悲惨な出来事があるよ。今日も車が暴走して人を撥ねたよ。どこそこで人が切り付けられたよ。ミサイルが飛んできたよ。怖ろしい病気が蔓延しているよ。戦争が始まったよ。災害で人々が苦しんでいるよ。地球が温暖化して食糧危機が来るよ。税金が上がるよ。
それを無防備に観ているあなたは、心が常に忙しく、悲しい気持ちになる。なんとかしなければならないと思い出す。
しかし、あなたは光の点滅の心を奪われているだけで、実際はあなたは椅子に座っているだけなのです。
その心が苦しくなっているあなたは、可愛い赤ちゃんを抱っこしているかもしれません。
一体、あなたの幸せはどこにあるのでしょうか?
テレビを消して、周りを、見まわして下さい。そこに何がありますか?
皆さんは、テレビやインターネットという音と光の点滅機械によってコントロールされています。
これは完璧な装置です。ほとんどの人が心と身体を奪われています。そこで点滅している世界は望遠鏡と顕微鏡で観た世界です。
あなたが実際に見て体験できる世界ではありません。真実かどうかもわかりません。仮に真実であったとしても、それは全くあなたの現実とはいかなる接点もありません。
あなたが顕微鏡を持ち出し、あらゆる観察を行って見えない世界を見たとすれば、もはやあなたの周りには脅威しか存在しないでしょう。しかし、その脅威はミクロの世界の出来事で、見なければ何の脅威もあなたに齎(もたらす)ことはありません。
それと同じように望遠鏡で宇宙を見たときに、そこの無数の彗星を発見しました。これは地球に衝突するかもしれません。そのこととあなたの現世における生活と何の関係があるのでしょうか。
それは遥か遠く、そして拡大された世界です。拡大されている分、可視できる範囲は宇宙の中で本当にミクロの世界です。
人間が触ることも見ることも出来ない世界を見てこれは問題だというのは、マジック以外の何物でもありません。
なぜならその世界は、世界全体からすると超ミクロの出来事に過ぎないからです。
ですから、望遠鏡で拡大した世界と、電子顕微鏡で見ている世界は同じであり、どちらも超ミクロの世界になります。
そしてこの望遠鏡は人工衛星などに搭載され、テレビと接続されています。カメラが捉えて超狭い領域の情報がテレビからいかにも世界的問題のように報道されて、それを見た皆さんは深い夢のプログラムの世界に入り込みます。
これは大変なことが起きている。地下室を作らなければ、マスクをしなければ、周囲には病原菌だらけだ、除菌しなければ、注射をしなければ、昆虫を食べなければ、地球をなんとかしなければ、
世界中を顕微鏡や望遠カメラで拡大すればいくらでも大きな問題を作り出せます。
そして、憂鬱になったあなたがテレビやインターネットのスマホの7インチの画面を閉じて電源を落とせば、目の前には、単なる箱があり、そして可愛い赤ちゃんがいて、愛する猫ちゃんが、にゃーんと鳴いています。
外に出て空を見上げると青空が広がり、太陽の光が降り注ぎ、道端には可憐な小さな花が咲き、鳥が鳴き、暖かい風が吹いています。あなたはそこで深呼吸するととても気持ちが良いでしょう。
しかし、顕微鏡や望遠鏡で覗いた微小な存在するかもわからない世界の電子的な点滅に心と身体を奪われたあなたは、その目の前に広がる現実を認識することが出来ず、ため息をつきながら、足元の可憐な花を踏みつぶして歩いているのです。
私たちが最も大切にしないといけないことは、電子的な光の点滅ではなく、目の前に広がる世界です。
戦争をしている兵士が、銃で戦って地面に伏した時に見える青空や可憐な花は、僕らに現実とは何かを教えてくれるでしょう。
一体人間は何をしているのか、これほど陳腐な瞬間はないでしょう。
身の回りの幸せを考えてください。それは実際に目の届く範囲、歩いて移動できる範囲。身の回りにいる人と平和に暮らすことです。自分の身の回りに争いが無ければ戦争はおきません。
身の回りに身体や心に悪い不自然なものを置かないことです。飲食物に気を配り、家族や友人と仲良くすることです。
顕微鏡と望遠鏡の世界は一切関係ありません。それはとてもいい加減です。これが真実ですよと言うのです。たとえそれが真実だとしても、私たちが判断できる世界ではありません。
さらに、そのカメラは向ける方向を変えると、全くちがう情報と景色になります。
だから、全部嘘ですよ。
目を醒ますことです。そして、ゆっくりと深呼吸をして周囲を見渡すことです。
ほら、
もう何が真実か理解できたでしょう。
あなたはフィルター無しに、目の前の世界を観察しなければなりません。
昨夜は、Thinker メンバーシップのZOOM ミーティング http://www.thinker-family-health.com/ だった。
以下はThinkerを主催の鶴田さんが述べた言葉ではありません。僕が捉えた言葉です。
Thiker は健康情報を中心に、社会的な陰謀論的視点から真相論、哲学的、スピリチュアル的な視点、さらに本質的な視点からこの世界を追求している。
思考を広げ、あらゆる概念(マジック)を外し、一体この世界はどういう仕組みであり、私たちはどうやってこの世界を理解し、どう生き抜くのか。
それが僕の中のThinkerである。
昨夜のテーマは”悪”についてだった。
シュタイナーの本にそのままズバリ、”悪について”という本があり、僕も以前読んだ。
一体悪とは何かというのは、一体善とは何かという問いと同じである。
僕はこのことをずっと考えてきた。
そして僕が現在たどり着いたのは、僕は善悪の概念と関係が無いということだ。
だから良いこととか悪いこととかも関係ないし、正しいとか間違っているとい考えも僕には全く関係ない。
そんなものは知らないということである。
だから、僕がこのところずっと言っていることにつながる。
”何事にも無関心で何もするなということ”
社会的、政治的、国際的問題などの大きな問題は放っておけということです。
そもそも、そこには問題など存在しない。問題にしたい力があり、それを情報として皆さんにメディアや様々な媒体を通じて、電子顕微鏡で拡大し、送り届けて皆さんをコントロールしているだけだ。
その方法は常に恐怖を伴う、そこには必ず”悪”を利用する。それも一方的な”悪”として送り届ける。
そして皆さんはそれを”悪”だと操作される。実際はそれが”悪”であるかどうか全く不明なのに、電波的に頭をハイジャックされた人々は何の思考も入り込む余地がなく、ただ脊髄反射(膝蓋腱反射)で反応しているだけに過ぎない。
真実は、その問題は問題ではなく、その問題を問題にしたい人が大問題だと言っているに過ぎない。
そのことに人々は全く気付く様子はない。なぜならそれは反射を利用していからだ。
悪と正義を利用した感情的、そして肉体的反射。そこに思考は全く存在しない。
そうやって人々はお互いに混乱しながら意味も何もない混乱と不毛な戦いに明け暮れて、気が付いたら死ぬ。
もちろん。それが悪いわけでもない、何しろ夢見心地で死を迎えるのだから。
物事に対して一般的に悪と言われていることに対して、自分が正しいと主張し、そのために活動することは良いと思われているが、
それは必ず悪になる。
なぜならば、誰かにとっての”善”は、誰かにとっての”悪”であるからだ。
これは善悪の概念を捨てない限りは、その先には、いつまでも混乱と争いしか存在しない。
だから僕は善悪の概念は関係が無いと言い。自分が正しいと思うことはするな。もっと言うと、何もするなと言っているのである。
無関心でいろ、介入するな、干渉するな。
自分軸を持てとかいう言葉がよく言われるが、僕はこの自分軸とか他人軸という言葉とも全く関係が無い。
うまり僕は善悪とのバランスをとることとも、自分軸と他人軸のバランスも関係ない。
とにかく関係ない。僕にはその言葉が存在しない。
無関心はいけないというマジックも僕には通用しない。
ただ、僕は自分の身の回りのするべきことを、ただやっている。
自分の周囲手に届く範囲について、手入れをしている。その範囲は僕が自分の中に世界を創り、それを外に拡大している。
そこにはなるべく争いが生じないようにしている。他人の人生には干渉しない。ただ毎日、治療家として父親として夫として友人として、僕という存在を表現している。
それ以上でもなければ以下でもない。
僕の言葉を聞いて、僕の考え方、行動を見て、誰かがどう思おうが関係ない。
何かを思うのは僕ではなく、僕を見た人の問題であって僕とは関係ない。
僕は人を社会をコントロールしないしするつもりもない。そしてコントロールされるつもりもない。
自己中とも関係ない。
以上の文章は読んでも全く理解できない人がいるかもしれないが、それにたいして、僕が丁寧に説明することも無い。
それはその人が自分で考えることである。
僕の考えを押し付けるつもりもないし、自己顕示欲もない、誰かに勝つつもりもない。
ただ、僕はこの世界を、時には悲惨に時には面白く体験しているだけなのです。
もしも、いやこの吉田の考えはおかしいとか、思う人がいるならば、例えば僕に言うのでは無く、それは自分の心が反応した感情なので、自分に問うことをお勧めします。
追記
僕も目の前で何かが起これば必ず動きます。さらに僕をみていろいろとやっているじゃないかと思う人がいるかもしれませんが、それはそうみえるだけで、僕は実際は何も行っておらず、とにかく無関心なのです。それをみて判断しているのは、僕ではなく、僕を見た人の、あなたの反応なのです。僕には関係ありません。