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甲山防空監視哨

2011-09-07 06:31:12 | 遺構 /人間魚雷 回天の島 大津島など

甲山防空監視哨に行ってきました。防空監視哨は原爆を投下したエノラゲイが広島へ向かうのを確認した監視硝のひとつです。エノラゲイを確認した監視哨は他に松永監視哨(福山)、三次監視哨(三次)などありますが、現存しているのはこの甲山防空監視硝のみとのことです。場所は標高500mほどの古城山にありました。


汗をビッショリ掻きながらやっとの思いでたどりつきました。


写真は途中、立ち寄った郷土資料館です。


 

館長に道順を尋ねると目的の監視哨は城の傍にあり、日曜日しか今高野山城は開いてないかもとの事でしたが土曜日も空いていたので展望を楽しむ事ができました。


また、話によると甲山防空監視哨はエノラゲイを飛来を発見した監視哨のひとつ。エノラゲイが福山上空から広島市へ向けて飛行しているときに発見し、呉鎮守府および中国軍管区に通報しています。しかし偵察機として判断されたために空襲警報発令が遅れ、原爆による被害が大きくなってしまいましたとのことです。



昭和12年頃から、全国に防空監視哨が設置された。これは警察の管理下にあり、広島県警所轄のものは終戦までに33ヶ所の防空監視哨が置かれたとのことです。防空監視哨は見晴らしの良い山頂や高い建物の屋上に築かれた。監視設備は屋根のついた地下式のコンクリート製円筒もしくは多角形筒による簡易聴音機と、双眼鏡のみという貧弱なもので、これに班員の詰所が併設されていた。7人から10人を1個班とし、5個から7個班を1哨に配置した。班員ははじめは地元の在郷軍人や消防団員だったが、応召による人手不足によって青年学校の生徒や女子青年団員までも動員されたようすです。



具体的な監視業務は1村1班6人づつ配員
・1班が午前8時から翌日午前8時までの24時間勤務
・2人1組で1人が立哨監視ともう一人が通信事務、他4人は仮眠
・2時間交替で1人当り8時間勤務
・監視項目は
 ①飛行機の飛行する方角と高度(高いか低いか)
 ②敵機か味方機か
 ③爆音の大小(機数)
 で、これを所轄の三次警察署に電話連絡していたらしい。




「蘇る爆音」と記された碑がありました。平成8年3月に甲山防空監視哨保存会の方々が建立された碑のようです



甲山防空監視哨

太平洋戦争(昭和十六年~昭和二十年:1941~1945)のとき、空襲にそなえて県内の要所に防空監視哨がつくられた。

この監視哨は、「尾道防空監視隊第十三番甲山防空監視哨」と称し、昭和十七年(1942)夏、設置された。

毎日八名が詰め、二名ずつ二時間交代で昼夜通して監視した。昭和二十年(1945)広島に原爆が投下されたときは、飛来機をいちはやく発見通報しており、爆発時のものすごい閃光も目撃している。

監視哨が戦後四十年を経て、なお当時のままの姿で残っているのは県内でもめずらしい。

戦争は静かな農村地帯までも巻き込むことを語り継ぎ、平和の貴さを知り平和を願う貴重な資料として保存するものである。

昭和六十三年(1988)七月十五日

甲山町教育委員会




防空監視の任務は、敵機の飛来に当たり、いちはやくこれを偵知、発見し、防空飛行隊および高射砲隊その他(いわゆる防空諸部隊)の戦闘準備をすみやかに完成させ、当該都市の住民に灯火管制、消防、消毒、避難その他の防護準備をさせるため、都市外郭において対空監視を行なうことです。



防空監視哨は、防護するべき都市を中心に、外線にむかって重複層かさねて配置されるのが常であるが、第一線哨所を都市からどれほどの距離の地点に置かれるかは飛行機の空中戦闘および灯火管制の2つの面から決定されます。



(1) 飛行隊の空中戦闘、すなわち防空飛行隊が命令一下、ただちに出動し、敵機を撃退させるには、まず飛行場の後端は都心から約 30km 前方に進出させる必要があり、戦闘地帯の縦深は両軍の飛行機および照空灯の性能その他によって異なるが、 20km あればよいとされ、すなわち飛行隊戦闘地帯の前端は都市から約 50km の線にあることになる。

いまかりに監視哨が敵機を発見し、情報を伝達するのに要する時間が5分間であるとし、飛行準備に要する時間を3分間であるとし、戦闘機が所要高度に上昇するのに要する時間が7分間であるとすれば、敵機の発見から戦闘準備の完了までにおよそ15分間を要し、この時間で敵機はおよそ 50km 接近するから敵機が戦闘地帯の前端に達するまでに飛行機が準備を完了して敵機を迎撃するためには、監視哨の位置は、都市から少なくとも約 100km の線に設定されなければならないとされました。



(2) 灯火管制が基準とされる場合、まず遠隔の地点から敵機に対して要地を秘匿する必要があります。

このために要地の外周約 100km の点に敵機が到達したとき、要地であるところの都市は灯火管制が実施されていなければならない。

いまかりに情報が伝達されてから警報が伝達され、灯火管制が実施されるのに要する時間が約10分間であるとするならば敵機はこの間に約 30km 接近するから、監視哨の第一線は少なくとも要地から距離 130km の地点に設定されなければならない。

この2条件を考慮して通常監視哨の第一線は少なくとも要地から距離 150km とするのが適当とされる。

監視哨間の距離間隔は主として聴測可能距離を基準として決定される。

すなわち1哨所において聴測し得る水平距離の2倍が哨所間距離間隔の基礎となり、通常 8km ないし 15km とし、第一線付近においては最小限度の 8km を採用し、後方になるにしたがって大きくします。

その縦深は都市からの距離はある程度にとどめ、都市に最接近する地帯は都市内では対空射撃部隊その他の防護団において直接監視哨を設けるのが常です。

防空監視哨の設置の縦深は最小限2線で足りるが、実際は重要でない方面において2ないし3線を重複配置し、重要な方面において数線設置。

ただしこれらの防空監視哨は直接防空監視隊本部に隷属せず、通常防空監視隊本部においてその方面の哨所を統轄します。

防空監視哨に服務するものは、在郷軍人、消防組合員、青年団、青年訓練所生徒その他で編成され、これに将校、下士官および通信兵その他が指揮あるいは補助員として加わるにすぎないとされました。

甲山防空監視哨近くにある古城山展望台からの眺めです。さすが防空監視哨がある場所だけに見晴らしがとてもよかったです。



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