観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

大宮駅 JR東日本・東武鉄道・埼玉新都市交通

2014-06-05 06:14:10 | JR東日本 山手線・中央本線・総武本線・東北本線

大宮駅は、埼玉県さいたま市大宮区錦町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東武鉄道・埼玉新都市交通の駅です。JRでは、新幹線・在来線ともに東北地方と信越地方を結ぶ路線の分岐点に位置する。東武鉄道や埼玉新都市交通の路線を合わせると14の路線が乗り入れる埼玉県最大のターミナル駅である。さいたま市の合併前は、JTB時刻表の巻頭索引地図において旧・大宮市の中心駅として表記されていたが、合併後のさいたま市及び埼玉県の中心駅とはされていない。

当駅周辺にはJR東日本大宮総合車両センター・日本貨物鉄道(JR貨物)大宮車両所(旧・大宮工場)をはじめとして、日本国有鉄道(国鉄)時代から数多くの鉄道施設が立地し、駅周辺は「鉄道の町」として発展した。1980年代以降は大規模な百貨店やオフィスビルが建ち並んだ。当駅は鉄道駅としての規模が大きく、周辺には古くからオフィスビルや百貨店などが建ち並び、県内最高の商業集積地である。自治体合併でさいたま市となった際、合併協定書などで浦和が『行政と教育の中心』であるのに対し大宮は『経済の中心』とされていた。
2007年6月より「さいたま市路上喫煙及び空き缶等のポイ捨ての防止に関する条例(→路上喫煙禁止条例)」が施行され、大宮区では大宮駅周辺の概して250 - 500メートル四方のエリアが規制地区とされており、喫煙所以外での路上喫煙や空き缶などのポイ捨てが取り締まり対象となっている。

東口駅前からは大宮中央通りが東方向に延び、旧中山道と交差して産業道路・第二産業道路方面へと向かい、さらにそのまま直進すれば緑区上野田で日光御成街道(旧国道122号)に至る。旧中山道は北から宮町・大門町・仲町・下町・吉敷町の5町があり、これらが大宮宿を形成していたが、かつての宿場町の面影は無く、商店や業務ビルが立ち並ぶ町並みとなっている。さいたま市大宮区役所(旧・大宮市役所)は旧中山道より1本東側の通りに面している。
地名の由来となった氷川神社は駅から北東方向へ徒歩20分程度の場所に位置する。駅前から北へ延びる「大宮銀座通り」商店街から横に伸びるいくつかの商店街を通り抜けて旧中山道に出て渡り、美容室や衣料品店の並ぶ「一の宮通り」を通り、「二の鳥居」から参道を経て神社に至るルートが最も近く、一般的である。氷川神社からほぼ真南に約2kmの参道が延び、緑豊かな「氷川参道」として市民に親しまれている。駅前から旧中山道を南へ1.2km進むと、参道の基点「一の鳥居」であり、その南にさいたま新都心を望む。また、氷川神社は大宮公園に隣接している。
旧中山道を軸として、線路東側から氷川参道の西側、大栄橋で線路を渡る県道2号(旧国道16号)の南側、線路をアンダーパスでくぐる南大通りの北側が大宮の中心市街地である。駅前中心に商業地、その外側には旧中山道や中央通りに面して業務ビルが並び、さらに外側には大型マンションが立ち並んでいる。その外側である東町、浅間町、天沼町、堀の内町などは住宅街となっている。


西口道路は駅前から三橋中央通り(市道)が国道17号・新大宮バイパス方面へ伸びている。北へは工機部前通り(市道)がのび、県道2号(旧国道16号)を経て鉄道博物館方面へ向かう。駅前から北は県道2号と交差する大栄橋、西は国道17号と駅前通りの交差する交差点付近までの一帯は、埼玉県内でも最も交通渋滞の激しい地点の一つである。17号との交差点に武蔵野銀行本店があり、大宮法科大学院大学ビルが国道17号の反対側にそびえる。
桜木町の大宮スカイビル南側の地域は旧来の細路地に戸建ての家屋などが密集しており、土地区画整理事業が進行中である。その南側はすぐに中央区上落合になる。国道17号沿いにさいたま赤十字病院があり、その南側には超高層マンションが立ち並ぶ。17号を少し南へ行けばさいたま新都心である。一方、北側の大成町、櫛引町、西側の上小町や新大宮バイパスのある三橋方面へは閑静な住宅地が広がり、高層マンション開発は少ない。
鉄道の町とも言われる由来となった国鉄大宮工場から名称変更されたJR東日本大宮総合車両センターと日本貨物鉄道(JR貨物)大宮車両所が西口から徒歩10分程の距離にある。鉄道博物館へ当駅から徒歩で行く場合にはニューシャトル駅横の出口が最寄り出口であり、車両センターの敷地と新幹線の高架を右手に見ながら北方向に歩くいていく。駅から約2km離れているため、ニューシャトルの利用を促す看板がJR改札に設けられているが、徒歩でのルートも整備されており、車両センターの壁にJRの車両写真が飾られ、大宮工場製の蒸気機関車や、電気機関車の運転台カットモデルの展示、工場内を覗ける休憩スペースが用意されている。


JR東日本の新幹線・在来線各線と、東武鉄道の野田線(愛称:東武アーバンパークライン)、埼玉新都市交通の伊奈線(愛称:ニューシャトル)が乗り入れており、接続駅となっている。野田線・伊奈線はともに当駅が起点である。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は、新幹線が東北新幹線と上越新幹線、在来線が東北本線・高崎線・川越線であり、東北本線を当駅の所属線としている(詳細は路線記事および「鉄道路線の名称」を参照)。東北本線に関しては本線のほか、武蔵浦和駅経由の別線(埼京線の線路)が分岐している。上越新幹線・高崎線・川越線は当駅を起点としている。
新幹線の運転系統としては、上述の2新幹線のほかに山形新幹線、秋田新幹線の列車が東北新幹線経由で、北陸新幹線(長野新幹線)の列車が上越新幹線経由で乗り入れている。これらの新幹線はすべて当駅以南で東北新幹線上野駅・東京駅方面へ乗り入れる。
在来線の運転系統は以下のように多岐にわたっている。
京浜東北線 : 東北本線の電車線を走行する近距離電車。当駅を運転系統の起点/終点とし、東京駅以南で東海道本線へ乗り入れている。宇都宮線(東北線) : 東北本線の列車線を走行する中距離列車。上野駅発着列車と、新宿駅経由で横須賀線に直通する湘南新宿ラインが存在する。後者は当駅以南で東北貨物線を走行し、さいたま新都心駅を通過する。高崎線 : 線路名称上では当駅が起点であるが、当駅以南で東北本線の列車線(宇都宮線)に乗り入れる中距離列車。上野駅発着列車と、新宿駅経由で東海道線に直通する湘南新宿ラインが存在する。当駅以南は上野駅発着・湘南新宿ライン共に宇都宮線と同じ走行線路となる。
武蔵野線(むさしの号・しもうさ号) : 当駅から与野駅まで東北貨物線を経由し、同駅から武蔵野線支線に入り、同駅は通過する。公式サイトなどの時刻表では、当駅のみ湘南新宿ラインの列車として扱われる。埼京線・川越線 : 地下ホームに発着する。武蔵浦和駅方面の東北本線別線を走行する埼京線と、当駅を起点とする川越線の間で直通運転をしている。

当駅にはJR東日本・東武鉄道・埼玉新都市交通の3事業者が乗り入れている。埼京線・川越線以外のJR在来線と東武野田線のプラットホームが地上に並び、その上の地上2階に乗り換え通路を配置する橋上駅の構造を基本に、地上2階にニューシャトルのりば、地上3階にJR新幹線のりば、地下1階にJR埼京線・川越線のりばを有している。また駅舎内の店舗施設や屋上の駐車場などが整備され、駅自体が商業施設の様相を呈している。
乗り換えコンコースは東西自由通路を挟んで北と南にあり、それぞれ商業施設が設置されている。鉄道会社相互の連絡改札口はなく、乗り換えには一度改札の外に出る必要がある。また、JR南北コンコース間の直接の行き来は不可能で、一度ホームに下りて移動しなければならない。
JR改札は東西自由通路を挟んで4箇所と、地下ホーム乗り換え階段の地上部分(ルミネ2連絡口)に、東武改札は東西自由通路の北東側の地上階に、ニューシャトル改札は自由通路と連続した北西側の新幹線のりばの真下にある。
東西自由通路は駅ビル「ルミネ」と一体化しており、また、みどりの窓口とびゅうプラザの他、様々な商業施設が通路沿いに設置され、通路中央には観光案内所を兼ねたインフォメーションセンターがある。自由通路の南北改札口前には金属製の大型オブジェ「行きかう・線」がある。これは駅開業100周年と埼京線開業記念として日本交通文化協会の発注により東京芸術大学美術学部デザイン科教授の造形家・伊藤隆道(1939年 - )が制作したもので、駅利用者からは公募によって命名された「まめの木」の愛称で呼ばれており、大宮での主要な待ち合わせ場所として利用されている。

新幹線のりばが地上3階の高架上、在来線は地平と新幹線直下の地下に置かれており、隣接して大宮総合車両センターがあることから、地平に多数の側線を持っている。
コンコースおよび改札口は地上2階にあり、東西に伸びる中央自由通路を中心としておおむね南側と北側に分かれている。現在の姿は2007年9月30日に鉄道博物館の開館に伴うコンコースの大規模改修工事によって完成したもので、中央自由通路に面して向かい合わせの北改札と南改札が中央改札(北)と中央改札(南)に、西口側から南コンコースにつながる西改札が南改札に変更され、南改札の向かい側に北改札が新設された。また、自由通路に面してみどりの窓口とびゅうプラザを一体化した窓口が新設されている。
南側はJR東日本によるステーションルネッサンス(駅の復興)計画として、中央改札(南)内コンコースが改修・増床され、2005年3月5日に全国初となる大規模駅ナカ商業施設「エキュート大宮」がオープンした。これに伴い自由通路の拡張やトイレ・エスカレーターの増設、エレベーターの整備も行われ、既存の駅ビル「ルミネ大宮2」も増床された。北側も中央改札(北)内コンコースの改修が行われ、新たな駅ナカ商業施設として同年11月1日にDila大宮が開業した。
同年には、当駅開業120周年を記念して、駅構内に郵便ポストが設置された。このポストは、鉄道部品を寄せ集めて製造された。
ルミネ大宮が駅ビルを運営している。ルミネ1と2があり、旧館と新館の関係にある。双方は離れているが、上層階の渡り廊下で接続している。
ルミネ1 - 民衆駅化に伴う駅舎改築により、1967年(昭和42年)10月3日に東口側に開業。当初は大宮ステーションビル(OSB)と呼ばれており、PiNo(ピノ)、Kiss(キス)と名前を変えて現在に至る。駅舎とは2階コンコースでつながっており、1階は東武野田線の改札へ通り抜けられる。
ルミネ2 - 新幹線開業に伴う駅舎改築により、大宮ステーションビルの増床部として1982年(昭和57年)6月19日に西口側に開業。当初はWe(ウィー)という名前だった。コンコースとは2階でつながっており、1階では埼京線乗り換え階段とつながり、専用改札もある。大宮区役所大宮駅支所も併設。
ルミネ アネックス - ニューシャトルのりばと中央自由通路を結ぶ連絡路に設けられたルミネ2の増床部分。連絡路の両側に様々な店舗が入っている。

のりば
地上ホーム
1 - 11番線(1・2番線:京浜東北線、3 - 11番線:宇都宮線・高崎線・上越線・両毛線・湘南新宿ライン)は地上1階にある島式5面10線の地上ホーム。
3・4番線、8・9番線にはホーム上に常時立ち番が配置されており、案内放送や出発指示合図の他、発車メロディも立ち番が扱う。1・2番線、6・7番線、11番線に関しては基本的にホーム事務室から案内放送を行い、発車メロディは車掌が扱う。
京浜東北線は、日中は2番線からの発車が多い。また、宇都宮線からの上り列車は4番線、高崎線からの上り列車は6番線からの発車が多い。
宇都宮線・高崎線(上越線・両毛線)・湘南新宿ラインの発着ホームが上り・下りともに2つに分かれているため、利用者にとって非常に分かりにくい。下り列車に関しては上野からの列車は8番線(高崎線)・9番線(宇都宮線)から、湘南新宿ラインからの列車は宇都宮線・高崎線ともに11番線から発車と分かれており、上り列車に関しても3・4番線が宇都宮線から、6・7番線が高崎線からと、完全に発車ホームが分かれていて不便である。また、市販の時刻表でも発着番線が記載されていないが、駅構内の時刻表や発車標で発着ホームを確認することができる。
ダイヤが大幅に乱れた場合、宇都宮線・高崎線下り列車は7番線から発車することもある。
5・10番線は貨物列車や団体・臨時列車用の待機線で、ホームは存在しないため、欠番となっている。また1970年代頃までは、10・11番線の2本が待避線として存在し、現在の11・12番線が12・13番線だった。また現在の12番線の隣の線路は13番線(1970年代頃までは14番線)として扱われており、信号機にも表記されている。
11番線は構造上、湘南新宿ライン(宇都宮線・高崎線直通)、東武日光線・鬼怒川線直通特急「(スペーシア)日光・きぬがわ」、武蔵野線からの直通列車「むさしの号」「しもうさ号」(終着)、「成田エクスプレス」(終着)など、新宿・池袋方面(東北貨物線経由)からの列車や武蔵野線方面(武蔵野貨物線)より運転された列車の発着ホームとなっている。
11・12番線は1985年9月29日まで非電化時代の川越線列車が発着しており、以後も線路は川越線・高麗川方面へとつながっている。上記のように11番線は活用されている反面、12番線の線路は非電化のままでホームは欠番となり、長く使用されていないが、2009年度にホームの平面化改良工事が行われた。
高架ホーム
13 - 18番線(東北・山形・秋田・上越・長野新幹線)は地上3階にある島式3面6線の高架ホーム。
上りホームには基本的に13番線に上越・長野新幹線、14番線に東北・山形・秋田新幹線が入る。
下りホームには基本的に17番線に東北・山形・秋田新幹線、18番線に上越・長野新幹線が入る。
2007年2月より新幹線の発車標がフルカラーLED式(一部は液晶ディスプレイ式)に置き換えられた。17・18番線に3色LED式乗車位置案内表示器が設置されている。
15番線はラッシュ時などに一部の列車が発着する。
16番線は2013年3月16日以降、定期列車は後続のはやぶさを退避するなすの253号のみ発着し、主に臨時列車、ダイヤの乱れ時に使用する。
すべての線路がホームに接しており、いわゆる通過線はない。可動式安全柵もないため、通過列車は低速で走行する。2013年3月のダイヤ改正でそれまで通過列車だった上越新幹線のとき313号・314号も当駅に停まるようになったことで、通過列車はMaxとき310号[1]のみとなった。
地下ホーム
19 - 22番線(埼京線・川越線)は地下1階にある島式2面4線の地下ホーム。
埼京線と川越線は直通運転を実施している。
埼京線の各駅停車はほとんど当駅を始発・終着とする一方、埼京線の快速・通勤快速は全列車が川越線に直通する。ダイヤの乱れなどで同線と川越線の直通運転を中止する場合は使用ホームが異なる場合があり、埼京線と川越線の運転を分離をする場合は、19 - 21番線発着が埼京線新宿・新木場方面行き、22番線発着が川越線川越方面行きとなることが多い。
2007年3月18日時点での通常ダイヤでは22番線から発車する川越線川越行は土曜・休日の1本しかない。川越線と埼京線が運転分離する場合は、22番線も川越線折り返し専用となる。
平日朝・夕ラッシュ時は、20番線が川越方面からの直通列車(主に通勤快速)、21番線が川越行き、22番線が埼京線折り返し列車(各駅停車)が使用する。19番線は使用しない。
川越線の東京近郊路線図に表記されている大宮 - 川越間のラインカラーは埼京線と同様の■グリーンであるが、当駅では両線とものりば・車両が共通であるため、埼京線との区別のため例外的に■グレーの表示が使用されている。19・20番線はグリーン表示のみ、21番線はグレー表示のみ、22番線は2色とも表示されている。なお、日進・西大宮・指扇・南古谷・川越の各駅では埼京線と同様のグリーンでの表示となっている。
当駅ののりばの案内には方面として「高麗川」が表記されているが、現行ダイヤでは当駅から高麗川駅へ直通する列車はなく、川越駅で高麗川方面の電車に乗り換えとなる。


番線 路線 行先
地上ホーム
1・2 ■京浜東北線 上野・東京・横浜・大船方面
3・4 ■宇都宮線(東北線) 赤羽・上野方面
■湘南新宿ライン
(横須賀線直通) 赤羽・池袋・新宿・渋谷・横浜・大船方面
(さいたま新都心は通過)
6・7 ■高崎線 赤羽・上野方面
■湘南新宿ライン
(東海道線直通) 赤羽・池袋・新宿・渋谷・横浜・大船方面
(さいたま新都心・西大井・新川崎・保土ヶ谷・東戸塚は通過)
7 ■特急「成田エクスプレス」 成田空港方面
8 ■高崎線・上越線 上尾・鴻巣・熊谷・高崎・前橋・水上・長野原草津口方面(上野方面からの列車)
9 ■宇都宮線(東北線) 久喜・古河・小山・宇都宮・黒磯方面
(上野方面からの列車)
11 ■宇都宮線(東北線) 小山・宇都宮方面
(湘南新宿ライン方面からの列車)
■高崎線 熊谷・高崎方面
(湘南新宿ライン方面からの列車)
■東武線直通特急
「(スペーシア)日光・きぬがわ」 東武日光・鬼怒川温泉方面
(栗橋駅までは宇都宮線経由)
高架ホーム (新幹線)
13・14 ■新幹線 上野・東京方面
15 ■新幹線 上野・東京方面
(一部列車)
16 ■東北新幹線 小山・宇都宮・那須塩原・仙台・新青森方面
(一部列車)
17 ■東北・山形・秋田新幹線 宇都宮・仙台・盛岡・新青森・山形・新庄・秋田方面
18 ■上越・長野新幹線 高崎・長岡・新潟・長野方面
地下ホーム (埼京・川越線)
19 ■埼京線 池袋・新宿・大崎・りんかい線 新木場方面(各駅停車のうち始発)
20 ■埼京線 池袋・新宿・大崎・りんかい線 新木場方面
21 ■川越線 日進・川越・高麗川方面
22 ■埼京線 池袋・新宿・大崎・りんかい線 新木場方面(各駅停車のうち始発)
■川越線 日進・川越・高麗川方面(通常ダイヤでは土曜・休日の1本のみ)
武蔵野線直通列車「むさしの」「しもうさ」については構内の案内標には記載されていないが、3番線から発車する。
臨時快速「ホリデー快速富士山」「ホリデー快速鎌倉」は3番線から発車する。
特急「スーパービュー踊り子」「踊り子」(臨時列車)は7番線から発車する。
特急「あかぎ」(下り)は、上野始発の列車は7番線、新宿始発の列車は11番線から発車する。
宇都宮線「ホームライナー古河」・高崎線「ホームライナー鴻巣」(いずれも当駅からの乗車不可)は7番線から発車する。
湘南新宿ラインの横須賀線直通快速列車は当駅から南は終点まで各駅に停車するため、当駅で種別表示が「普通」に切り替えられる。逆に東海道線直通快速列車は、当駅まで各駅に停車するため、種別表示が「普通」から「快速」へ切り替えられる。ただし、「特別快速」は種別変更されず、そのままの運行となる。


日本鉄道によって、1883年に東京から北へ向かう初の鉄道である上野 - 熊谷間の路線が開業した時、県庁所在地である浦和駅の次の駅は上尾駅であって、大宮に駅は設けられなかった。氷川神社のお膝元として古より栄えた町にも拘らず、大宮宿は明治維新以後衰退して、鉄道開業当時は243戸の家しかなく、駅を大宮に作るとすると、当時としては駅間の距離が短くなってしまうことが原因である。当時の機関車は牽引力が低かったため、短い間隔での駅設置はしないことが基本となっていた。しかし、白井助七(後に大宮町長)ら地元有志は町のこれ以上の衰退を危惧して、駅の敷地のために土地を提供すると提示して、駅の誘致運動を始めた。白井の尽力を記念して、さいたま市民会館おおみやに隣接する児童公園・山丸公園には白井を顕彰する記念碑と蒸気機関車C12 29号機が置かれ、大宮ソニックシティ前の鐘塚公園には白井の胸像が設置されている。
上野駅から青森駅へ向かう現在の東北本線を建設する際に、高崎駅・前橋駅へ向かう路線のどこから分岐させるかが問題になった。浦和・大宮・熊谷の3案があった。熊谷案は当時最大の輸出品目である繊維産業の中心地である桐生・足利を経由するなどといった理由で具体的検討がなされた。浦和分岐案は、経由する岩槻の住民が鉄道忌避を起こした。アメリカ人技師のクロフォードは宇都宮への最短経路となる大宮経由で建設すべしといった意見を出した。最終的には井上勝の決断によって大宮はその起点となる地として、駅が設けられることになった。
1894年には北に隣接して大宮工場(現:大宮総合車両センター・大宮車両所)が、白井が提供した土地を基に設けられ、さらには日本の重要幹線の分岐駅という交通の要衝で、駅を中心にして大宮は「鉄道の町」として栄えるようになった。当時は近隣住民の長男は家業の農業を継ぎ、次男以下が大宮工場に勤務するのが珍しくなく、大宮の住民生活は地域内でほぼ完結していた。一方、浦和住民は昔から東京への通勤が多く、周辺との交流が乏しかったことが大宮・浦和の不仲の遠因となっている。また、後年には鉄道出身者から大宮市議会議員を何人も輩出しており、大宮と鉄道は密接に関係している。
1906年には、川越馬車鉄道が改称した川越電気鉄道が川越久保町 - 大宮間の路面電車線(電気鉄道)を開業させる。これは後に西武鉄道へ合併されて同社の大宮線となるものの、川越線の開業で打撃を受け、1940年に休止、翌1941年に廃止された。


路線跡はDOMビルとJACK大宮の間を通り、その先のホテル・マロウドイン大宮に至る区間が道路として残っている。そこから先は現在の国道17号(中山道)桜木町交差点まで直線で線路が敷設されていたが、一部を除き線路跡が路地として残っている。同交差点の付近に当駅から出て最初の駅である大成駅があった。かつて大成駅を名乗っていた埼玉新都市交通伊奈線の鉄道博物館(大成)駅とは全く関係ない(西武大宮線の大宮電停に関しては大宮駅 (西武)も参照のこと)。
1929年には北総鉄道(総武鉄道、現在の東武野田線)が、1932年には東北本線電車線(省線電車、現在の京浜東北線)赤羽駅~大宮駅間がそれぞれ開業し、大宮駅の拠点性と重要性はさらに高まった。特に省線電車は埼玉南部と東京都心を直接結びつけるために、東北本線沿線住民の30回に及ぶ陳情によって実現したもので、大宮~上野間を40分で結び、朝晩8分おき、日中16分おきのダイヤで運転された。開業を機に大宮駅周辺には郊外型住宅地が多数造成され、都市計画法施行や都市計画地域指定などもあり、急速に都市化が進展して人口が増加した。
駅の東西の往来は、昭和中期までは駅北側にある国道16号線(現・埼玉県道2号さいたま春日部線)の跨線橋・大栄橋を渡るか、入場券を購入して改札を通る必要があった。そこで、住民の陳情もあって1968年に駅の真下に地下道が設置され、歩行者と自転車は無料で駅の東西の往来が可能となったが、地下道にホームレスが住み着くなど放尿による悪臭問題を始めとした新たな環境問題が起こり、新幹線工事もあって1981年には早々と廃止された。後の駅舎大改装により改札を通らずに駅舎内を徒歩で自由に往来できるようになったものの、自転車は大栄橋を利用することになった。また、西口駅舎の南端に大宮操車場の荷扱い窓口があったが、操車場の機能停止により廃止された。
1960年代、大宮の人口は急増し、また大宮駅周辺は商業集積地として飛躍的に発展した。1965年のダイヤ改正により、大宮周辺住民の待望の特急電車の停車が始まる。このとき停車した特急は東北本線「ひばり」、奥羽本線「つばさ」、上越線「とき」である。
1982年の東北・上越新幹線暫定開業時には始発駅となった(→新幹線・1982年11月15日国鉄ダイヤ改正の項目も参照)。線籍上の上越新幹線の起点であるため、0キロポストが存在する。暫定開業のため、上野駅との間を結ぶ「新幹線リレー号」が運転され、駅構内には「リレーガール」と呼ばれる女性案内員が配置された。同時に東西自由通路・新駅ビルが開業、西口の区画整理・再開発第一期がまちびらきした。1983年には伊奈町との間を結ぶ埼玉新都市交通が開業する。
1985年には新幹線の上野開業で始発駅の地位は失ったものの、埼京線が開業して東京の副都心池袋、後に新宿駅と直接結ばれ、関東における一大ターミナルへと発展を遂げる。後に駅利用者の数は東京都内の主要駅に匹敵するまでに成長している。
1987年頃、中央改札前の「まめの木」近くに鉄人28号のオブジェが立っていたこともあるが、駅ビル「We」(現・ルミネ大宮2)のキャンペーン用として製作されたもので、展示期間終了後に廃棄される予定だった。しかし、その出来の良さから譲渡を求める声が多く寄せられ、最終的に大宮市に存在していた埼玉工業専門学校(現・埼玉自動車大学校)に譲渡され、同校が伊奈町に移転した現在でも校内敷地の道路に面した位置に展示されている。
国鉄分割民営化に際しては、110年の歴史を持ちD51形の復元なども行った大宮工場をJR東日本大宮総合車両センター・JR貨物大宮車両所として継承し、2001年には駅西口の南側にJR東日本大宮支社、車両センター西側の研修センター跡地にJR東日本研究開発センターがそれぞれ置かれた。また、元大宮市議会議員久保島文雄らが中心となり、鉄道の街を記念した施設の誘致をさいたま市は旧大宮市時代より1987年から官民一体で続け、施設の誘致が決定した場合のために基金を積んできた。鉄道博物館の建設が決定すると、さいたま市は約25億円の基金を建設費として充当し、2007年10月14日に開館した。さらに、ステーションルネッサンスの一環とした「駅ナカ」第一弾「エキュート大宮」が2005年に開業して成功を収めており、21世紀においても「鉄道の街」としての地位を保ち続けている。ただし、これらいわゆる「エキナカ」施設に対しては、駅舎外への客足を妨げるものとして地元商店街からは非難の声も挙がっている。

1885年(明治18年)3月16日 - 日本鉄道線の駅として開業。
1885年(明治18年)7月16日 - 後の東北本線となる栗橋駅までの路線が分岐開業。
1902年(明治35年)5月9日 - 川越電気鉄道(後の西武大宮線)川越久保町 - 大宮間が開業。
1906年(明治39年)11月1日 - 日本鉄道が鉄道国有法に基づき政府に買収され国有化、逓信省鉄道作業局に移管される。
1929年(昭和4年)
11月17日 - 北総鉄道(後の東武野田線)大宮 - 粕壁(現・春日部)間が開業。当時は仮駅で開業。
11月22日 - 北総鉄道が総武鉄道に社名変更。
12月11日 - 総武鉄道が大宮 - 大宮(仮駅)間を開業。
1932年(昭和7年)9月1日 - 国鉄京浜東北線赤羽 - 大宮間延伸開業。
1940年(昭和15年)7月22日 - 川越線開業。
1941年(昭和16年)2月25日 - 西武大宮線廃止。
1944年(昭和19年)3月1日 - 総武鉄道が陸上交通事業調整法に基づき、東武鉄道に吸収合併される。
1961年(昭和36年)2月17日 - 貨車ヤードおよび貨物取り扱い業務を大宮操駅として分離。
1965年(昭和40年)10月1日 - 特急列車の停車開始(東北本線「ひばり」、奥羽本線「つばさ」、上越線「とき」)。
1966年(昭和41年)9月27日 - 駅構内の国鉄東北本線と国鉄高崎線の立体交差が完成。
1967年(昭和42年)
10月1日 - 与野駅~大宮駅間の3複線が供用開始、国鉄東北本線の電車線・列車線・貨物線の分離が完成する。
10月3日 - 民衆駅化され、大宮ステーションビル・OSB(現・ルミネ大宮1)が開業する。
1982年(昭和57年)
6月19日 - 大宮ステーションビルの新館としてWe(現・ルミネ大宮2)が開業する。
6月23日 - 東北新幹線大宮 - 盛岡間が開業。東京都心への連絡として大宮~上野間に「新幹線リレー号」運転開始、女性案内員「リレーガール」登場。
11月15日 - 上越新幹線開業。
1983年(昭和58年)12月22日 - 埼玉新都市交通大宮 - 羽貫間が開業。
1985年(昭和60年)
3月14日 - 東北・上越新幹線上野 - 大宮間が延伸開業し、暫定始発駅としての役割を終える。
9月30日 - 建設当初「通勤新線」と呼ばれていた国鉄埼京線が開業し、国鉄川越線大宮 - 川越間との直通運転開始。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅になる。
2001年(平成13年)11月18日 - JR東日本で交通系ICカードSuica供用開始。
2005年(平成17年)3月5日 - JR東日本のステーションルネッサンス計画の第一弾として、駅構内ショッピングモール(改札内商業施設)「エキュート大宮」が開業。同時に、「かえるポスト」を設置。
2006年(平成18年)3月18日 - 東武線直通特急「(スペーシア)日光・きぬがわ」運転開始(JR線ホームを使用)。
2007年(平成19年)
2月18日 - 3月18日にSuicaとの相互利用が開始となるIC乗車カード「PASMO」の利用試験がJRと東武の改札口で行われた。
3月18日 - 東武鉄道でPASMO供用開始。埼玉新都市交通でSuica供用開始。
2009年(平成21年)
3月14日 - ダイヤ改正に伴い全ての「はやて・こまち」が停車するようになる。
12月1日 - 東武鉄道の駅業務を東武ステーションサービスに委託。
2014年(平成26年)3月15日 - 東西自由通路の大規模リニューアル完了。

電報略号 オオ←ヲヲ
駅構造 高架駅(新幹線)
地上駅・地下駅(在来線)
ホーム 3面6線(新幹線)
5面10線(在来線・地上)
2面4線(在来線・地下)
乗車人員
-統計年度- 240,143人/日(降車客含まず)
-2012年-
開業年月日 1885年(明治18年)3月16日
乗入路線 11 路線
所属路線 ■東北新幹線
■山形新幹線
■秋田新幹線
所属路線 ■上越新幹線
■長野新幹線
所属路線 ■宇都宮線
(東北本線列車線)
所属路線 ■高崎線
所属路線 ■■湘南新宿ライン
(東北本線貨物線)
所属路線 ■京浜東北線
(東北本線電車線)
所属路線 ■埼京線
(東北本線別線)
所属路線 ■川越線
備考 みどりの窓口 有


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