
金田駅から堀川駅そして伊田へ支線として伸びていたようです。
明治42年に開設された堀川駅跡。ここを通って金田中学に通っていました。この近辺には当時石炭の遺構が沢山ありました。小学生の頃はよく忍び込んでは遊んでましたし、まだ線路もありましたね。
中元寺川には石炭積出桟橋の跡があります。
「石炭積出桟橋の跡」
1920年代(大正時代)糸田町朝日(後の岡崎・真岡)炭坑から掘り出された石炭は、約2.5キロの車道をトロッコによって引込線堀川に運ばれ、ここから石炭運搬車や専用石炭列車によって各地に送られました。その専用桟橋が架けられていた橋の跡です。
運炭線として中元寺に架かる桟橋があったとモニュメントに記してあります。石炭積出桟橋断面図面(長さ57m。巾は2車線で4m。高さは7.5m)もモニュメント面で紹介。
川の対岸にも遺構が少し残っている様子です。
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