観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

後藤駅 境線

2013-03-05 08:18:54 | JR西日本福塩線 / 伯備線 /境線

後藤駅の駅名は、山陰本線・境線(御来屋駅 - 米子駅 - 境港駅間)の鉄道敷設に尽力した米子の豪商・後藤快五郎に由来します。

山陰屈指の歴史を誇る駅で米子市の住宅地、鳥取県米子市米原字三軒家道西空地にある西日本旅客鉄道(JR西日本)境線の駅です。沿線米子市街地の駅としては唯一駅前に余裕があり、送迎車駐車場などもあります。

周辺には大規模店舗や高校が立地し比較的乗降が多く、車両工場を併設するため、後藤駅までが電化区間となっています。


妖怪の名前から取られた愛称は、どろたぼう駅です。
泥田坊は顔が片目のみで手の指が3本しかなく、泥田から上半身のみを現した姿で描かれている。解説文によれば、北国に住む翁が、子孫のために買い込んだ田を遺して死んでしまい、その息子は農業を継ぐどころか酒ばかり飲んで遊びふけっており、夜な夜な田に一つ目の者が現れ「田を返せ、田を返せ」と罵ったとある。
このことから一般には、農業を営む老人が田を遺して死んだ末、放蕩息子を怨んで泥田坊という妖怪と化したものとされる。太平洋戦争の時期には、基地建設のために多くの農地が撤収され、農民は反対したために逮捕されたり、行き場を失って浮浪者となったり自殺したりと不遇な死を遂げたことから、昭和に入ってから彼らの怨念が泥田坊と化して祟りを起こしたとの説もある。


JR西日本後藤総合車両所後藤工場への車両の入出場のため、この駅まで電化されている。後藤総合車両所は駅の南東にあるが富士見町駅が最寄り駅です。

島式ホーム1面2線を持ち、列車交換が可能な地上駅で屋根の高い大きな木造駅舎です。非電化のホームのほかに、後藤総合車両所後藤工場への車両入出場に使用される、電化された着発線があります。


終日無人駅(米子駅管理)である。米子寄り西側にある駅舎は駅の完全無人化に伴い、西日本電気システム(JR西日本グループの会社)の事務所として使用されています。

新POS導入直後は反対側(境港寄り東側)のショッピングセンターに面してプレハブの小さな駅舎にて、切符の販売などを行っていたが、撤去された。ホーム上の待合室等も撤去され、その場所に椅子が新規に設置されています。


自動券売機はホーム上に移設され、これに伴い、米子寄り西側にある駅舎内に設置されていた乗車駅証明書発行機が撤去された。
米子側・境港側何れの入出場とも、ホームへの連絡は構内踏切です。


後藤駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1(西側) ■境線 下り 境港方面
2(東側) ■境線 上り 米子方面

1902年(明治35年)11月1日 - 官設鉄道の御来屋駅 - 米子駅 - 境駅(現・境港駅)間開業と同時に設置。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。境線の所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)の駅となる。
2005年(平成17年)4月1日 - 境港寄り東側にあった駅舎での出札業務を廃止・無人化。
なお、1926年 - 1938年には駅前に米子電車軌道という路面電車も発着していた。

電報略号 トウ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗降人員
-統計年度- 796人/日
-2007年-
開業年月日 1902年(明治35年)11月1日
備考 無人駅(自動券売機 有)

 

 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 三本松口駅 境線 | トップ | UA36A 海上自衛隊 多用機 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿