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観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

糸崎駅 山陽本線

2012-03-29 07:40:52 | 瀬戸内海 山陽本線・JR神戸線

糸崎駅は、尾道・三原の市代表駅に挟まれ山陽本線にとっては重要だった駅。特急・急行の大半が停車し、一時は電化区間の末端だったこともあります。機関車の交換等が行なわれ、賑わった駅でしたが、今はその機関区もすでになく、だだっ広い構内と、長いホームと、古い駅舎があるだけです。

駅前の通りは国道2号線で、駅前のスペースも十分あります。広島県三原市糸崎(いとさき)四丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)山陽本線の駅です。

2面4線の島式ホームを持つ大ぶりな木造駅舎の地上駅。駅舎とホームは跨線橋で結ばれています。以前は下りホームにそば屋があり、名物の天ぷらうどんを停車中の電車の車窓から買うことができました。この建物はすでに取り壊されており、代わりに休憩室が設置されました。
旅客線路は2-5番線(ホーム案内上では1-4番のりばとして扱われる)。3番線(2番のりば)が上り本線、5番線(4番のりば)が下り本線となっています。旅客線路の両側にある、ホームの無い1番線・6番線は貨物用(6番線から三原始発の電車の回送も発車する)で上りは所定で停車する貨物列車があります。駅の南には留置線が多数あり、糸崎乗務員センターの建屋もありま。夜間滞泊の設定駅でもあります。


便所は改札内の駅本屋と3・4番ホームにある。駅本屋は簡易水洗式で、ホームは水洗式で岡山寄りに男女共同のものが設置されていたが、撤去されました。2009年頃に跨線橋の下付近に男女別のものが新設されました。
せとうち地域鉄道部管理の直営駅であるが、窓口は朝と夕方のみ営業。ICOCA利用可能駅。自動改札機は集札機能のない簡易式のため、降車客の乗車券は駅係員が集札します(窓口非営業時は改札機裏側の集札箱に乗車券を投入する)。


糸崎駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
1・2 ■山陽本線 上り 尾道・福山・岡山方面
3・4 ■山陽本線 下り 三原・広島・(■呉線)呉方面
上り本線は2番のりば(3番線)、下り本線は4番のりば(5番線)。


待避線となっている1番のりば(2番線)と3番のりば(4番線)は、糸崎駅始発となる列車(一部除く)や貨物列車を待避する列車が発着します。なお、3番のりばは広島方面からの入線も可能となっており、広島方面からの糸崎駅止まりの列車のうち、糸崎駅始発の岡山方面行きに接続しない場合は、3番のりばに入線して直接広島方面へ折り返すことが多い。


糸崎オフレールステーション(略称;糸崎ORS)は、糸崎駅南側にある日本貨物鉄道(JR貨物)のコンテナ集配基地である。12フィートのコンテナ貨物を取扱っており、貨物列車代替のトラック便が拠点駅である東福山駅との間に1日2.5往復(当駅発が3本)設定されています。
当駅はかつて貨物列車が発着する一般駅であったが、貨物取り扱いは1996年(平成8年)3月にトラック輸送に転換された(自動車代行駅)。その後、2006年(平成18年)4月に「JR貨物糸崎オフレールステーション」に改称されました。
かつて当駅の貨物ヤードは駅北東側と南側にあり、駅南側の貨物ヤードから三菱重工業、日本セメント糸崎工場(現・山陽白色セメント糸崎工場)、糸崎倉庫など周辺の企業や糸崎岸壁、糸崎港に向かう専用線が多数分岐していました。

この駅は1892年(明治25年)の7月に山陽鉄道の尾道駅から当駅までの延伸に伴い山陽鉄道の終着駅である三原駅(みはらえき)として開業した。当初は終着駅であり、この駅から広島方面へは線路も延びておらず結果この駅が三原の町に一番近かったのです。開業から2年後の1894年(明治27年)6月には山陽鉄道が糸崎駅から広島駅までを開通させ三原の町により近い現在の三原駅ができたためこの駅は現在の名称である糸崎駅(いとざきえき)に改称しました。


1906年(明治39年)12月には山陽鉄道が国有化され、そのおよそ3年後の1909年(明治42年)の10月には線路名称の制定により神戸駅から下関駅までと兵庫駅から和田岬駅までが山陽本線とされたため、この駅は国有鉄道・山陽本線の駅となりました。
この駅は駅名こそ糸崎になったもののその後も交通の要衝としての地位を保ち続け蒸気機関車時代には糸崎機関区が置かれ山陽本線と呉線の運用を任されており、三原駅だけでなく福山駅や尾道駅をもさしおいて岡山駅 - 広島駅間で最も重要な駅と位置づけられ、太平洋戦争前には特急の富士やさくらも停車したほどでした。しかし山陽本線が電化された後の昭和40年代から徐々にその地位を三原駅に譲り始め、1975年(昭和50年)3月10日に山陽新幹線が岡山駅から博多駅まで延伸し三原駅に新幹線が停車するようになると、完全に三原市の代表駅としての地位を譲ってしまいました。
しかしこの駅は今でも区間列車の始発駅であり(呉線発着列車の一部も当駅まで乗り入れてくる)、運転上の主要駅としての地位を持ち続けています。

1892年(明治25年)7月20日 - 山陽鉄道が尾道駅から延伸し、その終着である三原駅として開業。一般駅。
1894年(明治27年)6月10日 - 山陽鉄道が広島駅まで延伸し、途中駅となる。同時に新設の三原駅に名を譲り、糸崎駅に改称。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
1986年(昭和61年)11月1日 - 貨物取扱いを廃止。
1987年(昭和62年)
3月31日 - この日より書類上、貨物取扱い再開。ただし、この時点では貨物列車の設定なし。
4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。
1991年(平成3年)3月16日 - 貨物列車によるコンテナ貨物の取扱いを開始。
1992年(平成4年)11月 - みどりの窓口営業開始。
1996年(平成8年)3月16日 - 貨物列車の設定を廃止、自動車代行駅となる。
2006年(平成18年)4月1日 - JR貨物糸崎駅(自動車代行駅)を「糸崎オフレールステーション」に改称。
2007年(平成19年)
6月22日 - ICOCA対応簡易型自動改札機導入。
9月1日 - ICOCA導入。

電報略号 イト
駅構造 地上駅
ホーム 2面4線
乗車人員
-統計年度- 847人/日(降車客含まず)
-2009年-
開業年月日 1892年(明治25年)7月20日
備考 直営駅
みどりの窓口 有
1894年に三原駅から改称。
 この間に岡山支社と広島支社の境界標あり(当駅から尾道寄りは岡山支社管内)
 貨物列車の発着はなし、オフレールステーションを併設

 

 


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