対潜哨戒としては、第一次世界大戦にドイツのUボートを発見するため、連合国軍が航空機を用いたことが初の例とされている。第一次世界大戦中、および第二次世界大戦の初期は人間の目で捜索していたが、この時期の潜水艦は潜航可能深度が浅く、また頻繁に浮上しての充電が必要だったため、目視捜索でも絶大な効果をあげた。これに対してシュノーケルを開発し完全に浮上しない状態で長期間航行が可能となった。
また目視に加え、1940年頃より、イギリスにおいて浮上中の潜水艦や潜望鏡に対してレーダーが使用されはじめ、これによってUボート1隻を1941年11月に撃沈している。初期のレーダーはシュノーケルを発見することは出来なかったが、やがて波長の短いシュノーケルを探索できる装置を開発し対処を可能とした。また、さらに潜航中の潜水艦を探知できる装備として、1943年ごろより、地磁気の歪みを利用して海中の潜水艦を探知する磁気探知装置(MAD)や、海面投下型のソナー(いわゆるソノブイ)が搭載されはじめた。これらは、対潜哨戒機の効果を格段に向上させるもので、1944年2月、アメリカ海軍のPBYカタリナ飛行艇がUボートに対して使用している。カタリナ飛行艇は、1943年よりさらにSバンドの捜索レーダーを搭載して対潜任務に投入された。これらは、対潜哨戒機の基本装備として、現在でも使用されているが、対潜哨戒用の飛行艇そのものは、1960年代ごろにはおおむね固定翼機や回転翼機にその座を譲ることとなった。 1944年から1945年にかけて日本海軍でもレーダーと磁気探知装置を搭載し、航続時間が10時間におよぶ対潜哨戒機「東海」を開発して運用していた。
一方、第二次世界大戦中より、アメリカ海軍は、「ハンター・キラー」と呼ばれる新しい戦法を研究していた。これは、1機が捜索レーダーによって目標を探知し、もう1機が要撃レーダーおよびサーチライトによって目標を捕捉・攻撃して撃破するというものであり、ハンター専任機とキラー専任機の組み合わせを経て、兼任できる機体が開発された。これらの戦法を背景に、第二次世界大戦後には、各国の航空母艦には広く艦上哨戒機が配備されることとなった。
ハンターとキラーを組み合わせた運用思想は、このころ登場しはじめていた、対潜哨戒ヘリコプターにおいても踏襲された。当初、アメリカは対潜哨戒ヘリコプターを艦上機として開発していたが、カナダは独自開発の着艦支援装備によって艦載機としての運用を開始し、その後、ハンター・キラー兼任の対潜哨戒ヘリコプターが開発されるとともに、各国も追随した。後に潜水艦発射巡航ミサイルの登場、原子力潜水艦の普及と共に、対潜ヘリコプターは、水上艦において最重要の対潜装備となり、ついには航空母艦上にも進出して艦上哨戒機を駆逐するまでに至った。
多くの国は対潜哨戒ヘリコプターを艦載化していたが、アメリカは、無人の艦載対潜攻撃ヘリコプターとしてQH-50 DASHを使用していた。しかしDASH計画が放棄されるに伴い、有人の対潜哨戒ヘリコプターを艦載化することを決定した。これがLAMPS構想で、ヘリコプターとしては、最初に使用された小型のSH-2 シー・スプライト、続いて実用化された大型のSH-60 シーホークがある。これらはディッピングソナーを搭載せず、センサーとしてはソノブイを使用する。
「QH-50D DASH(ダッシュ)」は1959年にプロトタイプのDSN-1が初飛行、洋上試験を経て米海軍の制式装備となった無人対潜ヘリコプターで、対潜艦艇に搭載した。DASHとはDrone Anti Submarine Helicoptorの略である。海上自衛隊では2次防で建造する護衛艦に整備を計画し、護衛艦「たかつき」型4隻、「みねぐも」型3隻に搭載した。300馬力のターボ・シャフト・エンジンを搭載し、二重反転ローターによって飛行、Mk44などの魚雷を2本装備可能だった。運用方法は格納庫後方にある管制所からのコントロールで目標海面まで飛行し、艦からの水中攻撃指揮装置(FSCS)の指示で魚雷を投下して帰艦するというもので、有効な対潜攻撃手段として期待されたが、米海軍では運用中の事故が多発して損耗率が高く、1970年に使用を中止して生産を打ち切った。海上自衛隊での運用は順調で実際の対潜運用に自信を持っていたが、部品補給の見通しが立たなくなり、1979年に使用を中止した。
最高速度 約150km/h
巡航速度 約100km/h
航続距離 約60海里
航続時間 1.75時間
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