観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

長門二見駅 山陰本線

2012-12-12 08:08:56 | JR西日本 山陰本線 日本海

長門二見駅は、山口県下関市豊北町大字神田上字上二見にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陰本線の駅。駅周辺にはときわ屋(二見饅頭)など商店が少しあります。

以前はその和菓子屋さんで、切符の簡易委託販売を行っていました。
長門二見駅から小串駅までは日本海を海岸沿いに通過するため、車窓からの景色がよい。

夫婦岩(みすヾ潮彩号の停車スポットから見ることができる)があり毎年1月2日には注連縄張りの神事がとり行われます。国道191号を北上すると土井ヶ浜遺跡があります。


土井ヶ浜遺跡(どいがはまいせき)は、山口県下関市豊北町土井ヶ浜にある弥生時代前期から中期の墓地遺跡です。「戦士の墓」とか「英雄の墓」とかいわれています。土井ヶ浜遺跡の発見は、1930年まで遡る。1930年晩秋夕刻、神玉小学校教諭河野英男により、砂丘中に6体の人骨が入った石棺が露出しているのが確認されました。翌1931年3月旧山口高等学校(山口大学文理学部)小川五郎・旧京都帝国大学(京都大学)三宅宗悦らにより人骨収集と学会報告が行われ、「土井ヶ浜遺跡」と命名されました。

戦後、神玉中学校教諭衛藤寿一が砂丘で収集した人骨や土器の破片を九州大学医学部に届けた事を契機に、1953年九州大学医学部教授金関丈夫を中心とし、日本学術会議・日本考古学協会の協力の下で本格的な発掘調査が5年間に渡って行われました。その成果により、1962年に砂丘の一部が国の史跡「史跡土井ヶ浜遺跡」に指定されました。現在では遺跡のほぼ全域が「土井が浜弥生パーク」として整備され、「土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム」が造られています。

島式ホーム1面2線の交換可能な地上駅です。待合室のみのこぢんまりとした駅舎でコミュニティ施設「夫婦岩ふれあいステーション」と回廊でつながっています。

待合室には広島支社独自の列車近接案内が設置されています。長門鉄道部管理の無人駅であり、自動券売機等の設備はありません。

ホームは急な崖の中腹にあり、駅舎からは地下道経由で階段を上るようになっています。

ホーム上に待合室がある。駅舎とホームの間に通過線がある。

構内には採石場か何かの痕跡も残っています。


長門二見駅プラットホーム
ホーム 路線 方向 行先
駅舎側 ■山陰本線 下り 小串・下関方面
反対側 ■山陰本線 上り 滝部・長門市方面

1925年(大正14年)8月16日 - 国有鉄道小串線(当時)の小串駅 - 滝部駅間延伸時に開業。客貨取扱を開始。
1933年(昭和8年)2月24日 - 小串線が山陰本線に編入され、山陰本線所属駅となる。


1961年(昭和36年)8月1日 - 貨物取扱を廃止。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅となる。
2010年(平成22年)8月7日 - ホーム上の待合室が不審火により全焼。

大正期に山陰本線最後の連結区間として、この地域の鉄道敷設が行われた。当時、日本海岸沿いに敷設される予定であった本線だが、地域の要望や予算等により、滝部駅と特牛駅の2駅が内陸に置かれるような敷設となった。そのため本線は長門二見駅周辺で、ほぼ90度方向転換する。

電報略号 フタ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度- 51人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1925年(大正14年)8月16日
備考 無人駅

 

 

 


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