観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

四郎ケ原駅 美祢線

2012-11-27 06:46:02 | JR西日本 美祢線・因美線

四郎ケ原駅は、美祢市の市域南部(山口県美祢市東厚保町川東字大向)に位置しています。周囲は小集落となっています。厚狭川沿いにあり対岸には小学校がありました。美祢線。

駅前には異常なぐらいのスペースがあります。駅前の大木は明治38(1905)年の駅開業を記念して植えられたとのことです。


相対式ホーム2面2線で、交換設備を有するスレート葺き(トタン板)木造駅舎の地上駅。分岐は片開きですが、場内・出発信号機は片方向のみの対応であり、一線スルーではありません。


下りホームに面して待合室(元駅舎)があり、上りホームへは跨線橋で結ばれています。頭上には列車近接案。待合室には三方の壁沿いに設置された長椅子がありました。

内長門鉄道部が管理している無人駅で、乗車券の委託発券も行われていない。
貨物列車が行き違うため、ホームが長い。

ホーム待合室は撤去されていました。



ホームには国鉄九十周年記念碑ありました。

跨線橋は鉄道が他の鉄道の上をまたぐものであり、跨線線路橋とも言います。鉄道駅構内の跨線橋には古くから大切に使われているものも多く、産業文化財として貴重なものもあるが、建て替えが進められているため、古い跨線橋は急速に減りつつあります。跨線橋の主要な構造部材を中古のレールで造ることもかつてはよく行われ、そのレールが貴重なものであることもあります。
近年では、鉄道駅が橋上駅舎とされることが多く、その場合は駅舎と跨線橋は一体化したものとなります。大規模な駅の場合、橋上駅舎化されるだけではなく、駅前広場そのものを高架化してペデストリアンデッキと一体化しているものも増えてきました。


また1990年代末からは特に、高齢者や車椅子使用者への利便などバリアフリーの観点から、エレベーターを備え付ける場合も多くなっています。
階段を廃し、ホームと橋上との間の昇降手段がエレベーターのみしか設置されていない跨線橋もある(岐阜県の恵那駅にあるものなど)。この場合、橋上への昇降手段が階段のみの跨線橋(以前からあるものをそのまま使用することが多い)もしくはエスカレーターがついている跨線橋も別に存在することが多いです。
2007年現在で現存する日本国内最古の駅構内の跨線橋は、愛知県の半田駅構内のものとされています。旧国鉄・JRの案内放送においてはしばしば「りくばし(陸橋)」という呼び方が用いられました。

ホーム 路線 方向 行先
駅舎側 ■美祢線 下り 美祢・長門市方面
反対側 ■美祢線 上り 厚狭方面

 

1905年(明治38年)9月13日 - 山陽鉄道の厚狭駅 - 伊佐駅(現在の南大嶺駅) - 大嶺駅間開業と同時に設置。
1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により、国有鉄道の駅となる。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。大嶺線の所属となる。
1924年(大正13年)3月23日 - 線路名称改定。大嶺線が美禰線(1963年より美祢線と表記)の一部となり、当駅もその所属となる。
1985年(昭和60年)2月1日 - 無人駅となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が継承。
2010年(平成22年)7月15日 - 大雨による厚狭川氾濫で橋梁や路盤が流失、全線不通となり、営業休止。
2011年(平成23年)9月26日 - 全線開通により、営業再開。

電報略号 シロ
駅構造 地上駅
ホーム 2面2線
乗車人員
-統計年度- 11人/日(降車客含まず)
-2010年-
開業年月日 1905年(明治38年)9月13日
備考 無人駅

 

 


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