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京福電気鉄道モボ101形電車

2020-03-16 06:22:40 | 乗り物(列車・車両)

京福電気鉄道モボ101形電車(けいふくでんきてつどうモボ101がたでんしゃ)は、京福電気鉄道に在籍する路面電車車両。

1929年(昭和4年)の嵐山本線四条大宮 - 嵐山間の全線複線化に伴う輸送力増強と、新京阪鉄道による桂駅 - 嵐山駅間開業の対抗に、登場した車両である。同年から1950年(昭和25年)の間にモボ101形6両・モボ111形7両・モボ121形10両・ク201形(制御車)3両の26両が製造された。

モボ101形
1929年に101 - 106の6両が藤永田造船所(現・三井造船)で製造された。車体は前面非貫通型・15m級2扉(側面窓配置dD10D、点対称)の半鋼製となっており、前面窓には3枚窓を採用し、運転台上に前照灯を、前面窓左上に標識灯を、右下に行先表示サボ受けを装備している。落成当初は、バンパー下にストライカーを装備、床下のロックフェンダにつながっていた。またドアと連動したホールディング・ステップを装備していたが戦時中に撤去された。自重は19.6t(新造時)

塗装は落成当初は単色塗りであった。モボ121形の落成後、当形式とモボ111形も塗色変更、雨樋から窓下までがダークアイボリー、窓下から車体下部までがダークグリーンで、現在に至るまで実に80年近くの長きに渡って標準塗装として受け継がれている。

車内はロングシート構造で、網棚と吊革支持金具が一体となった構造が珍しかった。

制御器はGE製PC6(電空カム軸式総括制御)、主電動機はSE129B(44.8kW)×2、駆動装置は吊り掛け駆動、台車は新造時は神戸製鋼所製のトラックCを使用していたが、これは貨車用の台車のように軸バネが無いタイプで、ゴツゴツとした乗りこごちであった。

また、四条大宮・北野白梅町寄りにトロリーポールが設置されている。

1929年にモボ101形が、1932年にモボ111形が、1936年にモボ121形が、1950年にク201形が運用を開始した。

モボ101形については当初連結器を持たなかったが、モボ111形の入線と同時期に連結運転が開始されたことに伴い取り付け工事が施工された。またク201形の就役に合わせ、牽引車として指定されたモボ121形121 - 124の主電動機を4個に増強する改造を施工している。

その後しばらくの間は大きな改造もなく推移したが、軸バネが無いために乗りこごちが悪く、老朽化も進んだ台車を履いていたモボ101形については1968年(昭和43年) - 1970年(昭和45年)に日立KL15台車(モボ301形と同形)への交換が行われている。同時に102・105については外板張替え等修繕工事が施工されたが、他車には波及せず以降の更新は車体新製へと方針転換されることとなる。

1975年(昭和50年)の嵐山本線・北野線のポール集電の廃止に伴い集電装置をZ型パンタグラフに換装し、同時にモボ101形のみモボ301形と同様の車体に更新され、面目を一新した。なおこの際、修繕工事を受けていた102・105の車体はモボ111形117・116のものと振り替えられている。さらに1982年(昭和57年)のワンマン運転開始に伴い、前面窓右上にサイドミラーを追設した。

1980年代に入ると車体更新されなかったモボ111形・モボ121形・ク201形の老朽化が顕著になる。その代替車についてはこれらの主要機器類を流用して製造することとなった。以降、モボ111形はモボ501形・モボ611形に、モボ121形はモボ501形・モボ621形・モボ21形にそれぞれ機器を流用し、ク201形はモボ631形に代替され、モボ111形は1984年(昭和59年) - 1992年(平成4年)に、モボ121形は1984年(昭和59年) - 1996年(平成8年)に、ク201形は1996年にそれぞれ全車廃車・形式消滅した。

車体も台車も新しくなったモボ101形6両は1990年(平成2年)には冷房改造も行われ、2015年(平成27年)7月現在、全車が在籍し、行楽シーズン(多客時)を除き、基本は嵐山本線四条大宮 - 嵐山間のみで運用されている。


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