観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

米子空港駅 境線

2013-02-23 07:47:28 | JR西日本福塩線 / 伯備線 /境線

米子空港駅は2008年(平成20年)6月15日に美保飛行場(米子空港)の拡張工事に伴い、大篠津駅(おおしのづえき)を800m境港側の新線上に移転し改称しまし。それにより所在地も米子市から鳥取県境港市佐斐神町になりました。西日本旅客鉄道(JR西日本)境線の駅。妖怪の名前から取られた愛称は、べとべとさん駅である。

べとべとさんは、夜道を歩く人間の後をつけてくるといわれる。奈良県宇陀郡では暗い夜道で遭うといい、静岡県では小山を降りてくるときに遭うという。足音がするのみで人に危害を加えることはないとされるが、足音を不気味に感じるときには道の片側に寄って、「べとべとさん、お先にお越し」(奈良県)「お先にお越し」(静岡県)「お先にどうぞ」(同県)などと唱えれば、ついてきた人間から離れるという。妖怪漫画家・水木しげるはこの妖怪と思われるものと遭遇したことがあると語っている。べとべとさんは元来音だけで姿が見えない存在だが、その姿は水木しげるの想像によって図化されており、水木の漫画『ゲゲゲの鬼太郎』にも登場する。同作のべとべとさんは、丸い頭部に足が生えた格好で、微笑んだような愛嬌のある口が大きく開いている(図化された姿はあくまで水木の創作である)。消えるときの仕草や図化された姿などから、愛らしさを感じる者が多く、人気がある妖怪の一つである。鳥取県境港市の水木しげるロードには同様のデザインのブロンズ像があり、「かわいい」と声をかける女性もおり、観光客がお参りに似た気分で口に賽銭を入れることも多い。鳥取県境港市の観光協会による「妖怪人気投票」の第1回(2007年発表)では9位に、第2回(2009年発表)では7位に選ばれている。平成以降には、昭和期のような人間対妖怪に主題を置いた作品ではなく、人間と妖怪の共存をテーマとした作品が多くなるが、その一つとして2004年(平成16年)発表のSF小説およびアニメ作品『ぺとぺとさん』では、べとべとさんの子孫として美少女キャラクターの「ぺと子」が登場する。妖怪のような異形の存在が、時として「萌え」の対象となり得る一つの例とも見られている。

大篠津駅時代は境線の開通に伴って、弓ヶ浜のほぼ中央の大篠津に駅が設置されたのは、まさに画期的な出来事でした。後年の弓ヶ浜駅、余子駅、和田浜駅が設置されるまで、大篠津の村民はもとより、和田村・崎津村・中浜村・富益村さらに夜見村・彦名村・渡村の一部地域の人々の最寄り駅でした。大篠津が“基地の町”になって行くのは、1943年(昭和18年)海軍航空隊美保基地と予科練ができてからです。当時、県内外を問わず、多くの人は“美保”とは呼ばず、“大篠津の飛行場”と呼んで、全国的に有名になり、終戦まで続きました。これは大篠津駅が人的、物的に飛行場直近の玄関口であったからです。

移転に伴い、米子空港の旅客ターミナルから徒歩5分の至近距離となりました。途中で交通量の多い道路を横断する必要があるためエレベータ付きの歩道橋を整備しています。空港ターミナルまでの通路は屋根付き歩道により結ばれています。移転直前の大篠津駅跡周辺に人家は存在しなかった。そのため2005年度(平成17年度)の1日あたり利用者数は4人だったということです。

ただ美保基地で催される航空祭の時は、来場者の利用で賑わいを見せることもありました。大篠津駅周辺や駅前通り沿いにはかつては商店や民家、キャバレーまであり、終戦直後はそれなりに賑わっていたらしい。しかし、昭和50年代に美保飛行場の滑走路付け替え工事などで駅以外の建物は集団移転し、荒地となった。旧:大篠津駅周辺はそれ故、防衛施設庁の管理地となっていました。なお米子空港駅の移転開業前は、隣の中浜駅が米子空港の最寄り駅(徒歩15分)であり、旧:大篠津駅から空港ターミナルまでは空港敷地を迂回するため、それよりも若干の時間を要しました。

地上駅で、境港方面に向かって左側に1面1線のホームを持つ棒線駅(停留所)。米子駅管理の無人駅(日本国内の空港駅としては唯一)。駅の移転当初は空港ターミナルビルと仮設通路で結ばれていましたが、その後の整備工事により、屋根付き歩道で結ばれました。40人程度が利用できる駅待合施設が整備されています。2011年(平成23年)1月、自動券売機が設置されました。移転前の旧・大篠津駅は地上駅で2面2線の相対式ホームを持っていましたが、2008年(平成20年)3月15日のダイヤ改正に伴い、列車は駅舎側の単式ホーム1面1線のみに発着するようになっていました。米子空港駅での列車交換停止に伴い、交換設備は隣の中浜駅に整備されました。旧・大篠津駅は現在の米子空港駅同様に無人駅でしたが、古い駅舎が最後まで残されていました。また、境線ではこの先交換可能駅がなく、特殊自動閉塞方式とスタフ閉塞方式の境界でもあった。


利用者はとても多くなったようですが、ホームの幅は狭いままです。ホームを広くできなかったのかなと思います。


左手の林の間を旧線は走っていました。

1902年(明治35年)11月1日 - 大篠津駅として開業。現在の境線に該当する区間の開業当初からの設置。
1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。境線の所属となる。
1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道の駅になる。
2008年(平成20年)
3月15日 - 列車交換設備の使用を停止。その機能は隣の中浜駅へ移転する。
6月15日 - 米子空港滑走路延長工事に伴う新線切り換えと同時に800m境港側(所在地は境港市)に移転し、米子空港駅に改称。
2009年(平成21年)4月 - 待合室及び当駅と米子空港ターミナルビルを結ぶ屋根付き歩道が供用開始

電報略号 ヨク
ノツ(大篠津駅時代)
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
乗降人員
-統計年度- 4人/日
-2007年**-
開業年月日 1902年(明治35年)11月1日
備考 無人駅
* 2008年に大篠津駅から改称。
** 大篠津駅時代の記録

 

 


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2 コメント

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初めまして^^ (hgn)
2013-02-23 10:33:59
 タイとクルマと食いしん坊のブログからやって来ました。

 米子空港駅の解説、興味深く読ませていただきました。米子空港自体、便数の関係から利用客数が限られるからなのでしょうが、空港駅で無人駅っていうのは驚きでした。

 境港には知り合いもいるので、一度行ってみたくなりました。
返信する
hgnさんへ (オーナー )
2013-02-23 13:53:11
コメントありがとうございます。格安ロシア便やモンゴル便などあれば乗客数が伸びるのでは。
返信する

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