観光列車から! 日々利用の乗り物まで

日記代わりに始めました。
まずは先日の小旅行での観光列車から出張利用の乗り物まで。

国鉄ア4形蒸気機関車「見習機関車」若鷹号

2016-02-18 05:29:38 | 乗り物(鉄道:船:飛行機:バスなどなど)

ア4形は、かつて日本国有鉄道の前身である鉄道省に在籍したタンク式蒸気機関車
鷹取工場の教習用に使用された機関車。鷹取工場で保存されていたが19世紀ホール開設前よりトロッコ嵯峨駅に移設されていた。元は、阿波電気軌道(1926年に阿波鉄道に改称)が1921年(大正10年)にドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社で1両を製造(製造番号9752)したもので、出力60HPクラスの車軸配置0-4-0(B)型ウェルタンク機である。本機のウェルタンクは、3形が第1動輪の前後の台枠内を全部使って水タンクにしていたのに対し、輪軸の上部に水平の仕切りを設けて浅く長いタンクとする新しい方式であった。


本機は、阿波電気軌道では4形(7)と称し、1933年(昭和8年)7月に同社が国有化されたのにともない、鉄道省籍に編入されたものである。鉄道省での形式は、当初80形が計画されたが、あまりに小型で長く使用するものではないとの判断から、私鉄時代の形式に阿波鉄道を表す「ア」を付加してア4形とし、番号は元のまま7として使用した。当時は、私鉄買収機の形式付与方針にぶれが生じていた時期で、このような形式の付与方法は、結局、阿波鉄道買収機のみの特殊な事例となった。
国有化後は、集中6カ月点検時の入換機関車として岡山に転じたが、1936年(昭和11年)5月に廃車となった。その後、本機は鷹取工場内で解体されることなく保管されていたが、1939年(昭和14年)に技術者養成のための実習機として転用することになり、設計は島秀雄がおこない生徒の手で改造が行われた。ボイラ、シリンダ、動輪をそのまま活用し、台枠を継ぎ足し、運転台を新製し、水タンクはウェルタンクを廃してサイドタンクとされた。本機は「若鷹(わかたか)」と命名されたが、車籍は復活せず、工場内で修繕実習車として使用された。
太平洋戦争中は、機関車の不足から無車籍のまま安治川口駅にある国鉄用品庫の入換用に貸し出されたが、戦後は1948年(昭和23年)に再び鷹取工場に戻って保管されていた。2000年(平成12年)に鷹取工場が再開発のため閉鎖されることになったため、本機は京都市右京区のトロッコ嵯峨駅に併設された「19th CENTURY HALL」(19世紀ホール)に移された。

全長 : 5,920mm
全高 : 3,150mm
軌間 : 1,067mm
車軸配置 : 0-4-0(B)
動輪直径 : 800mm
弁装置 : ワルシャート式
シリンダー(直径×行程) : 230mm×400mm
ボイラー圧力 : 12.0kg/cm²
火格子面積 : 0.42m²
全伝熱面積 : 19.3m²
煙管蒸発伝熱面積 : 17.2m²
火室蒸発伝熱面積 : 2.1m²
小煙管(直径×長サ×数) : 45mm×2,200mm×62本
機関車運転整備重量 : 11.68t
機関車空車重量 : 8.89t
機関車動輪上重量(運転整備時) : 11.68t
機関車動輪軸重(各軸均等) : 5.84t
水タンク容量 : 1.0m³
燃料積載量 : 0.46t
機関車性能
シリンダ引張力 : 2,700kg
ブレーキ装置 : 手ブレーキ

 

1921-9 Orenstein&Koppel 製番9752
阿波鉄道7号
1933-7-1買収 国鉄ア7
1936年度廃車
1939-9 鷹取工場改造 7 若鷹号
車籍復活
1946-12-31現在 福知山
保存 国鉄鷹取工場
1964-3-20~5-31 京都新世紀展展示(綾部)
1987-4-1 保存移管 JR西日本鷹取工場
2000-5頃 保存移管 トロッコ嵯峨駅前
2003-4 保管庫となる19世紀ホールオープン


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大原駅 広島高速交通 | トップ | 豊前桝田駅 JR九州)日田彦山線 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿