陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

交流が苦手な二次創作者でもSNSはできる

2024-05-28 | 二次創作論・オタクの位相

SNS嫌いを標榜する二次創作者が挙げる理由として、社交的ではないというのがあります。ピクシブやツイッター、ほかの創作系SNSのユーザーではない=人付き合いが下手というレッテル貼りまであるようです。今回はこの点について考えてみましょう。

以前にお話ししましたが、ブログや個人サイトそれ自体も、コメント受付ツールを利用しており、自ブログやサイトへのリンクを張っていれば、実質、いまのツイッターなどと変わりがなくなっています。また、このgooブログもそうなのですが、評価ボタンも装備されてしまったので、SNSに近いものになっています。ですので、ピクシブやツイッターをせず、自サイト引きこもりだから付き合い下手とは言い難いのではないか、と。

私もツイッター上では「交流が苦手」と前置きしています。
しかし、交流したくないオーラを出す人は、俗にいうコミュ障であったり、無口なひとなのでしょうか。

ネット上での意見の吹き溜まり場的な場所を覗くと、「交流が苦手」と言い切る人は、自分の創作に専念したいから、あるいは、他者の影響を受けたくないから、と考えている人が多いです。

では、そうした人は実生活では人付き合いが悪いのかといえば、そうでもなく。
むしろ二次創作以外に仕事や部活、地域などのしがらみがあるので、ネット上でのお付き合いに時間を割く余裕がないことが多い。また、自分が二次創作はするのだけれども、どこかそんなヲタクな自分を冷淡に見つめているので、同じように熱狂的な仲間たちを傍観者めいて眺めている。また、ジャンル内の派閥争いがひどくて、どこにも関わりたくないというのもあります。ひとが三人集えば、どうしたって政治が生まれます。

ブログやサイトですと、主客の関係で1対1でしたが、ツイッターですと孤立してしまったり、また逆に仲の良さそうな語り合いに割り込んでしまったり、といった実社会の人間関係の縮図を経験してしまうこともあります。

ところで、ブログ経験が長い立場から言わせていただきますと。
ツイッターのやりとりは面倒だが、ブログや個人サイトでのコメント交流なら快適…とは言い切れないものです。

不特定多数がコメントに現れると、メイン記事に無関係な訪問者の日記帳にされたり、自サイトの宣伝の踏み台にされたり(互いに広報を了承しているのならばいいが)、あるいはコメンテイター同士でバトルをはじめたり、といった困った事態になることもあります。返信を律儀にするひとは相手をするだけで疲れます。

私は二次小説にコメントをもらうことはほとんどなく、レヴューのほうに多かったほうです。
二次小説は分割投稿しているので更新期間が長く、待ちきれないのか、先の展開を読んで書かれたり、自分だったらこう書きますや、小説内に出てくるモノについてのご自分の蘊蓄を述べられたりして、辟易したことがあります。その方は字書きさんだったらしく、だったら、ご自身のサイトでおやりになったら、としか思いませんでしたし。

今から10年ぐらい前にコメント欄に荒らし(?)めいた不穏な言葉が相次いだので、コメント欄を閉じたまま、今に至っています。

そんな私ですが、ちょうど10年ぐらい前から5年ほど前ではツイッターをしていまして。
そこで実感したのは。SNS上で二次創作物に対して積極的にコメントを寄せる人は、やはり同じく二次創作者が多い事実です。しかも匿名ではなく、みなそれぞれが名前を背負っているので、後からきた二次創作者ですが、あなたと対等に話したいですよ、私を認めてほしいですよ、といったスタンスの方が多い。倭の国が古代中国の皇帝に朝貢をしたみたく、数字の稼げる反響の大きい相手とつながって承認されたい、居場所を固めたいという欲求がそこには渦巻いています。

でも、それはかつてのブログや自サイトでも同じなのです。
最初は新参者で後発組だったのに、アクセス数が増えてしまったら目立ったのか、他のサイト管理人に絡まれてしまっただとか。

ただ、ブログ活動がメインである私には、SNSのいい部分が見えてもいます。
それは他人の萌えの好きな部分だけを断片的にコレクションできるし、探しやすいことです。しかも、公式も同一平面上にあるので、情報が網羅しやすい。

逆にSNS、いやツイッターの悪い部分とはなんでしょうか。
それはTLが均質化しやすいということです。同ジャンル内で公式がどかんと情報を放つと蜘蛛の子を散らすようにひろがる。二次創作者同士でつながっていると、互いに広報しあう。文字制限があると、つぶやき感想も似通ってしまい、カップル絵も反応がもらいやすい人気ペアになり、面白みが欠けます。また、よくありがちなのですが、最初に目ざとい発言者がいても、後から同じことを言った人のフォロワーが多かった場合に、言論封鎖されてしまうこともあります。

そのため、交流が嫌だからと鍵付きにしてしまう。
私も再開したツイッターはそうでして。思い切って公開してみましたが、とくに何ということもありませんでした。ゼロからやり直しなので、フォロワー数も少なく、取るに足らない存在と思われているのかもしれません。

今回のテーマは、交流が苦手な二次創作者でもSNSはできる。
それは、発信側ではなくて、ひたすら受信側に回る。不用意に誰でも彼でもフォローしない。知りたい情報は検索で集める。苦手なものはミュートかブロックし、逆に自分がそうされても割り切ることですね。ネット上に限らないですが、自分を無条件でなんでもかんでも愛してくれるひとなんて、そうそういません。

SNS上の評価軸を自分の価値としてしまうと、精神の隘路に陥ってしまいます。
ひとの評価なんて気まぐれです。頑張って数字を稼ごうとしても報われなかったときの絶望感が大きい。だとしたら、確実に自分の実績になりそうなものを他に生きがいとして持っているほうがいいのではないでしょうか。

私は同人誌を自費出版したことだけが誇りです、イベント会場で褒められました、ということだけ言い続けるひとを見ると、コロナ不況で大規模集客するシステムがどん詰まりを迎えている当世、自分の幸福度の物差しをバレンタインチョコの数で競う半端なプレイボーイみたいになるべきではないようにも感じます。本を自費出版するのにはコンクール受賞も国家資格もいらないからです。逆にいえばお仕着せの権威にとらわれない自由きままな遊びごとであるべきだが、なぜか一部界隈で野良めいた権威を帯びてしまうのが不思議ではあります。


(2020/11/22)


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★★★神無月の巫女二次創作小説... | TOP | 【画像№007】きたない神無月... »
最新の画像もっと見る

Recent Entries | 二次創作論・オタクの位相