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陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

漫画『神無月の巫女』 其の伍

2011-10-10 | 感想・二次創作──神無月の巫女・京四郎と永遠の空・姫神の巫女



五年前の初心に戻って、神無月語りにふけってみます。
過去の日記を読み返したりすると頭を抱えたくなるので、振り返らない方針だったんですが、今年はなぜか熱が戻ってきました。やはりあの漫画のせいですよね、きっと。これぞ姫千歌マジック。

お目見えのワンカットは、原作漫画の作中、私のお気に入り場面。
漫画の第捨弐話、アニメでいうならば第十一話「剣の舞踏会」にあたる部分ですね。アメノムラクモを発動させた陽の巫女・来栖川姫子は、月の社で待つ月の巫女・姫宮千歌音と対面。その瞬間を描いたものです。ふたりの間にある緊張感あふれる空気が伝わる一瞬。

懐かしい友を迎えるかのように、友好的に腕を広げている千歌音…ではありませんでした。
彼女のこの行為は、言うなれば磔刑図そのもの。無防備な千歌音はこの直後、自分の胸に刺さるのが憎しみの刃だと望んでいた。姫子が携えてきたその太刀はやがて血を吸うだろう。そしてこの筋書きは終わる。しかし、終わらない。胸にまっしぐらに飛び込んできた姫子が投げつけたのは、必死にその名前を呼ぶ声です。もう、一生分かと思うくらい、連呼してますよね。姫子らしいと言いますか、猫が飼い主に甘えた声をさかんに出すようなものといいますか。ひたすら名前を叫ぶしかないわけです。不器用な彼女らしい一面です。姫子は千歌音の思惑をつゆ知らず、オロチに取り憑かれたために非道になった、と思い込んでいる。なんとかして目覚めさせようとしているわけです。

漫画版は、姫子と千歌音の日常生活における触れ合いといった点では、あまりにエピソードが乏し過ぎます。ふつうの学園百合なら描かれて当然のところがすっぽかされている。姫子と千歌音がどう出会ったのか、なぜ親友になったのか、が皆目わからない。だから、一巻ラストのあの「事件」についても、漫画版の姫子ときたら、大神くんを横取りしたから嫉妬したんだとか、逆鱗にふれてお仕置きされたんだとか、見当違いの誤解を繰り返してしまいます。ソウマとのデートを逐一報告して千歌音を苦しめてしまうアニメの姫子もどうかと思うけれど、こっちの姫子もそうとう鈍いことこの上ない。アニメの宮様は、姫子の理解ある友人であろうと装いソウマとの恋を泣く泣く応援しているのですが、こちらの宮様は、それはもうお怖い顔つきで「ソウマに近づくな」と忠告してはばからない。もう全宇宙二千億人(?)の姫千歌ファンの代弁者のようです(笑) 実はソウマがオロチの闇に身を任せた方が、千歌音の計画どおりに事が進むからなのです。なにせ、ソウマが「陽の巫女の資格を失った」姫子の側に居続けることは、大切な人の命を否応なしにオロチによる世界浄化の渦に巻き込むことになってしまうのだから。

アニメでは千歌音がすべてこのシナリオを仕組んでいました。
しかし、漫画版ではそうではなかった。アニメで生じたできごとが時系列で相前後して起こっているために、それは千歌音の思い描いた軌道から外れていくことになります。

まず、第一に、ソウマがオロチの闇に呑まれずに最後まで敵対していた。
「お姫さまを守る騎士気取り」と揶揄したのは、千歌音にはオロチ神の力をつかって姫子を守る力が存分にあり、いやそもそも暗黙裡に陽の巫女を戦いから逃がす画策をしていたのに、姫子を戦闘に引きずり込んでしまったソウマへの羨望と憎しみのゆえ。アニメ版のように、女子だから、ロボットを持たないから無力という後ろめたさ、挫折感はありません。宮様、最強。好きな女の子のために戦おうとしている点では千歌音とソウマは似たものどうしなんですが、初戦の理由が「オロチに初告白を潰された」とほざく少年と、幾度もの生れ変わりを経て、耐えて忍んで苦しんで、それでもなお守りたいものがある少女とでは、その決意に大きな差があるといってもいいでしょう。

第二に、千歌音の秘めた恋情による計画の修正を、御したはずのオロチ衆に勘づかれてしまったこと。そのために千歌音はオロチ衆と仲間割れを起こし、ツバサ戦で深手を負ってしまいます。千歌音がオロチ側の巫女になろうとしたのは、世界の再生をアメノムラクモに頼りたくはなかったからなのでしょう。二人をいくども引き裂いてきたあの神を復活させたくはなかったのかも。

第三に、姫子一人の力で、しかも儀式などを経ずに、アメノムラクモが復活してしまったこと。
このあたりは唐突感が強過ぎて笑ってしまうのですが、千歌音はあの「所業」で姫子が復活させられないと思っていたみたいですね。しかし、「純潔」の意味を捉え間違えてないのだろうか、千歌音ちゃん? 姫子の愛し方を知ってるのに、生物の欲求にもとづく営みを知らないわけがないわけで。「純潔」がめしべとおしべの接触ではなく、定められた相手以外との交渉を許さない、という意味あいだとすると、実は姫子は運命の相手=千歌音と結ばれてしまったことになります。アニメ版でもそうでしたけど、二人の巫女が愛し合うと片方でも、ムラクモ復活させられるようになっているのでは? だとしたら千歌音ちゃん、一挙両得!

第四に──まさしくここからがアニメとの決定的な相違点──はからずも姫子が千歌音の真意を悟ってしまうこと。千歌音は姫子の憎悪を掻き立てて刃を向けさせようとしたが、失敗してしまう。それは悲劇でもあるが、嬉しい誤算でもあります。前世での記憶もよみがえり、巫女の使命も明らかになり、ならば私は貴女と共にあれ、この身今生で朽ちるとも悔いはなし、とばかり涙ながらに姫子は千歌音に告げる。それは二人しての滅びを覚悟してのこと。姫子が千歌音の本懐に気づかないと言うならば、千歌音も姫子のことを誤解していたのかもしれない。いいや、むしろ、姫子からならばそう言い出すことを承知の上で、周到に、念入りに、姫子を舞台から降ろそうとしたのかもしれない。

そして、最後のイレギュラー。
千歌音が予期しえなかった姫子の決意。千歌音は姫子の愛を受けとめながらも、あえて、彼女が自分の居ない世界で幸せに暮らす選択を望んでいた。おそらく前世でお姉さん肌で積極的な姫子が、病弱でやや控えめだった千歌音にそうしてくれたからでしょう。千歌音は姫子と結ばれない世界ならいっそ滅びてしまえ、などとツバサ兄のごとくには思わなかった。しかし、あろうことか、姫子は自分を追いかけてきてしまった。ここから怒濤の、感動の、絶対絶愛の告白タイムがはじまります。植竹ポエムのような洗練さはないけれど、姫子らしい飾りっ気のない言葉、想い、愛。千歌音の寂寥も呵責の念もここにきて報われようというものです。
その裏側で、千歌音が引導を渡すために犠牲になったソウマが哀れ(せいぜい世界を救うぐらいの勇者どころか、疫病神て…。アニメ以上に不憫でならない彼、合掌)ですが、読者はもはや誰も気にしていません(笑)

こうして考えてみると、漫画版『神無月の巫女』のほうは、姫子が千歌音を救う(しかも作中、千歌音に負傷させることは一度もない。どっちかというと、読者サービスで千歌音にいたぶられてばかり(艶笑))結びになっているのですね。(もちろん、アニメ版のほうが畳み掛けるような事件の連続で千歌音の不幸感を煽ってあり、感情移入しやすいつくりで感動を呼びやすい巧みさがあることは言うまでもない)
そして、『京四郎と永遠の空』でも、千歌音もとい絶対天使かおんは、その存在においてひみこに依存せざるをえないし、最終的にはひみこが救いに向かうことになります。すべての鍵を握っていたのは別のヒドインならぬヒロインでしたけどね。(アニメ最終話では、かおんがひみこを蘇らせています)

二〇〇九年、四十六年ぶりの日蝕が話題となったその記念すべき年に連載が開始され、近ごろその話を閉じた『絶対少女聖域アムネシアン』も、最初は守られてばかりいた姫子が、逆に千歌音を救う結末になっています。
しかし、そこで姫子こと来栖守姫子がとった選択は、ほんらいならば神無月の、アニメ版の姫宮千歌音がおこなったものでした。『アムネシアン』は千歌音と姫子が、どうして転生をくりかえす巫女であるのか、どうにもならぬ運命に呪縛されつづけてしまうのか、そのルーツを解き明かしたものともいえるのですが、逆に考えると、漫画版神無月の姫子と千歌音の後世譚とも読めますね。本来は一人ですむ月の社に巫女ふたりを住まわせたムラクモは、その二人と侍り暮らした日々を忘れがたくて…。いやいや、あちらにはオロチの封印だのなんだのはないわけですから、まったく別世界のことなんでしょうけれど、あれはあれで個人的には面白かったものでした。はてさて『十字架トライアングル』から数えれば、四度目の転生は何年後におこなわれるのでしょうか。いやいや、その前に現在進行中のウェブノベルが……。



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