今回は、年季の入り過ぎた二次創作者ならではの、懺悔シリーズです。
シリーズって、続くのか?(謎)
私は子どもの頃、絵日記交換を親友としていました。
同じくセーラームーンの愛好者で、イベントにも出かける仲でした。のちにウラネプの合作イラストを雑誌に応募したり、コスプレに近い恰好をしてプリクラを撮ったりしたこともあります。大学入学して、アニメ熱が冷めたので、同人誌制作をもちかけられてもお断りしました。我ながら、我がままです。もしいまそんなものがあったら発狂して捨てているでしょう。昔のスケッチブック、ポスターなどすべて廃棄済みです。
そんな熱烈オタ友だちとの黒歴史は語ればキリがありません。
といっても、誰かに迷惑をかけた覚えはないのですが。
もし、あのときの私たちが現代のSNS世代よろしく、ツイッターなどで掛け合いをしていましたならば、間違いなく超うざい奴と危険視されていたに違いありません。
中学時代にいつも帰り道でいっしょだった親友。
話のネタは当時人気絶頂だった、ドラゴンボールやセーラームーンのアニメのオチ話。次の予想展開。CDなどグッズ新商品情報。漫画雑誌での原作の最新動向。今も変わらないヲタク女子の日常です。
で、この中で今から思えば常識外れだったのが。
アニメ作監のこき下ろしでした。いまのアニメにはあまり見られませんが、当時1990年代のテレビアニメは、作画監督の個性が明らかにわかりました。放送回によっては、作風がかなり異なるからです。毎回、違う番組を覗いているのかと思うほどです。
アニメ雑誌によくピンナップを載せている美麗作監さんなら諸手をあげて褒め、等身が短く顔が可愛くない作監さんの場合は、「昨日は〇〇さんだったから、イマイチだったね」などと酷評します。田舎のJCJKは、アニメの制作現場スタッフが過労死レベルで働いていることなど知る由もありません。しかも、テレビアニメは子どもがタダで見れる善意の娯楽なのです。ちょっとぐらい絵が悪かろうが責められるべきではないのに、私たち子どもはとても残酷でした。
子ども時代だけではなく。
「魔法少女リリカルなのは」の第三作アニメが放映されたときだったか。作画が崩れた回があって、近代ベルカ式作画などと徒名づけられて揶揄されました。
正直、思うさま時間をかけて好きなキャラ絵しか描かないくていいだけの、二次創作者が、プロの仕事にクレームをつけるのはおかしい。漫画の神さま・手塚治虫であっても、忙しいのか顔が崩れているコマなんていくらでもあります。
他にありがちのが、原作至上主義者がアニメ絵批判、もしくはその逆。
ゆきすぎたカップル愛が公式に与える弊害もありますね。平成版仮面ライダーなんかは如実で、あきらかにBL好きな奥様連中に忖度したとしか思えないシーンが増えていました。おじさんズラブとか、なんかそんなドラマが堂々とドラマになってしまえる時点で日本のサブカルチャーをゆがめているのは、声の大きい腐要素の人間だと思わざるをえませんね。はい、今回も自己紹介乙な案件でした。
それにしても、いまのSNS隆盛で、公式版権者が横暴なファンの爆撃を受けやすい状況は、ほんとうにお気の毒です。有名タレントが誹謗中傷のあまり自死にいたるとか、個人情報開示請求をプロバイダに対しておこない裁判で訴えるとか。出る杭を打つという、この日本の悪しき意識、なんとかならんものですかね、もちろん、正義感ぶって誰かを叩いたことがないわけではない自分も他人のことは非難できません。調子に乗って公式怒らせチャレンジめいたツイートをしてしまい、後で猛烈に頭を抱えたくなるの繰り返しです。なぜ羞恥心は好奇心に先駆けないのでしょうか。
【二次創作者、この厄介なディレッタント(まとめ)】
趣味で二次創作をしている人間が書いた、よしなしごとの目次頁です。
二次創作には旨みもあれば、毒もあるのですね…。