陽出る処の書紀

忘れないこの気持ち、綴りたいあの感動──そんな想いをかたちに。葉を見て森を見ないひとの思想録。

あなたの働きは誰かの人生を輝かせる

2023-11-12 | 仕事・雇用・会社・労働衛生

日経新聞のオンラインだったか、あるタクシー運転手が若い女性の命を救ったことが報じられていました。古さびたダム見物を所望した乗客、しかし、いっこうに高揚感が伺えない。不審に思ったドライバーはこの女性に同行し、希死念慮を聞き出し、あなたが死んだら悲しむひとがいるのだと必死に説得したのだそうです。

その一週間ほど前、20代の女性ふたりが電車にはねられたという事故を知りました。
ヲタクならば百合心中だと喜びますが、現実はそう簡単ではありません。百合心中を図った女性たちがその後生き別れになって…といった漫画も小説もありますけども、どこか感傷的で腑に落ちない点もあります。

20代から30代、迷いの多い時期です。
闊達で野心的な学生気分が抜けて、社会人としての能力を試されていくその時期。その昔ならば花嫁修業で腰かけ気分だった女性の勤めも、今は全力が求められ、それは男性にしたって同じなのです。情報が多すぎて、こころを乱されることが多いのです。

このタクシードライバーのような人物に、私も救われたことがあります。
30代前半の頃でしょうか。何度目かの派遣仕事を過労で退社した後の私は引越しを思い立ち、不動産営業の男性と物件を見て回ったのです。私が選んだのは、当時の現住まいからは近場で、とにかく古くてもいいから家賃が安いところ。いちばん安かったのは、風呂なし4畳間のアパート。陽当たりも悪く、陰気な雰囲気。

ここにしますと言い張る私に、営業マンいわく「なぜ、ここを選ぶのですか?」
うつむいて答えに窮した私に、彼は明るめに言います。「僕、きょう、誕生日なんですよね。めでたい日に、自室に戻ってお祝いするの楽しみなんですよね」。そのあと、彼は少しだけ家賃が高めだが、高齢の女性大家さんが常駐している二世代住宅を改装したマンションへ私を紹介し、そこへ入居することに。

その部屋は日光がよく入り、近所の人とも交流があり。
そこへ入居したあとに、私は希望の正社員職を授かり、いまから15年ほど前までの数年間そこで過ごすことになります。私が体調不良で出社できなかったときは、会社の総務さんが大家さんとともに見舞ってくれて。あのマンションに住むことがなかったら、私の人生は、薄暗いアパートの一室で終わっていたかもしれません。あの不動産営業マンの機転で、私の未来は救われたのです。

たまたま、その一瞬だけ、その人に出会っただけで、人生の方向性が変わってしまった。
そういったことはありうるのでしょう。もちろん逆の場合もありえますね。事件や事故に巻き込まれたり。

会社に勤めていると、社内外で多くの人に支えられていることに気づきます。
商品を配達してくれるドライバーさんは、時間に追われながら、天候悪化にめげずに、荷物を届けてくれます。多忙な時についついぞんざいな対応をしてしまう自分を恥ずかしく思うのです。交通事情の悪い駐車場に車を乗り入れることがどれだけ大変か、車の運転が下手な私なら理解して当然であるのに。

めんどうな注文をしてくる取引先も、雑談をふってきたり、よけいな手間仕事を頼んでくる同僚も。彼ら彼女らの働きがあるからこそ、今の自分のポジションがあるのです。ひとが生きることは、こうした煩わしさにまみれながら、どれだけ気分良く過ごせるかの極意を身に着けるためなのでしょう。

仕事をするのは、何も報酬を得て、好きなものを買い、楽しみを増やすためだけではありませんし。ネームバリューのある企業に在籍して、見栄えのいい職種について、自分の能力値を誇るためだけでもありません。ホワイトカラーの仕事はいずれAIに奪われてしまうとも言われています。そうなると、自分のからだをつかって動く仕事のほうが重宝されるといった、かつての手仕事への回帰現象も起きるのかもしれません。

タクシー運転手も、不動産営業も、ただ客を運び、契約させ、お金さえもらえたらいい。そんなふうにとらえているだけならば、誰の人生も輝かせることもなく、記憶に残ることもないでしょう。

多くの人は自分の働きを残すことは、表現者になるほかないと思いこみます。
足で稼ぐようなどろくさい仕事はダサい、楽して儲けたらそれにこしたことはないのだと。だから、私人逮捕系ユーチュバーやら投資詐欺がはびこったりする。

けれども作品でなにかをしるすことよりも、ウェブ上での発言で知名度をあげることよりも、自分の身の振る舞い方で身近な他人に良い影響を残すことができること。それはどんな仕事であっても、あるいは家族や親族、友人知人であったとて、人付き合いのなかでは、誰でも出来うることです。

こうした気遣いがあれば、働く人も、学ぶ人も、子育てや介護をする人も、老若男女問わず生きやすくなるのではなかろうかと思われるのです。経済がひっ迫しても生き延びるために必要な心もちなのでしょう、それは。


(2023/11/04)


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