参院選について安倍首相記者会見の内容という。
ここ
いつも感じることは、はぐらかされているのでは?と!
自民党が憲法改正を真剣に検討しているとはちっとも思わない。
いつになったら、国民投票をするのかと、今か今かと待っているが、
決してそういうことにはならない。
いつもしなければならないというだけである。
言えばしたこと、していることにはならない、と思う。
安倍首相は言えば、していることになる、らしい。
北方領土もプーチン氏に○○回あった。自分の時代に終わらせなければという。
耳にたこが出来るほど聞いた気がする。
客観的にみれば、そんなことできるわけない。
それでもおなじことを繰り返し言い続け、会い続ける。
拉致問題もそう。
自分があって直接話して、解決するという。
しかし、これも言うだけ。
出来る環境づくりをするわけではない。
だれもできるとは思っていないので、しなければならないというだけで済むのかもしれない。
特徴的なことは
だれもできることとは思っていないことを、しかしやらなきゃいけないことを
している。しているということ。
トランプ大統領とやり方は違うが結局は同じ、特殊な才能ではある。
しかし、成算があるかどうかなどと具体的なことはいわない。
言えない、というより考えたこともなけれが、そんな能力も意欲もない。
そもそもそんなことどうでもいいのである。
「安定した政治の下で」改革を進める方がいいのか?については
「安定しているかどうか」別にして、改革が進んでいるとは思わない。
また「安定している」とも思わない。停滞しているだけだとしか思えない。
「安定した」を持ち出すことで改革にだれも注意を向けない。
改革をだすことで、安定に注意をはらわない。
停滞であることは誰も疑わないと思うが、安定した政治の下ということで、
それが当然の前提とされたことで、
錯覚をおこしている。
一般論として「安定した政治の下で改革を進める」ことについてはだれも異論を唱えないと思う。
問題は「安定しているか」どうか「改革をすすめているかどうか」であるが、
一般論化することで、済し崩しにしてしまうということかもしれない。
また、公的年金について、「対案もないまま不安をあおってはならない」と
いうが、安倍流の特徴はいつまでたっても「対案」がないことである。
対案など難しくて誰も出そうとは思わない。
いつまでたっても対案がないので、いつまでたっても何もしなくていいということなる。
北方領土もそう。拉致問題もそう。解決に具体的に結びつく「案」は何もない。
結局、安定の時代ではなく、停滞の時代である。
でもなぜそうなるのか?
そういう元気が野党にも与党にもないからである。本気で取り組むにはあまりにも重すぎる。
だから、少子高齢化がここまで進んだのでもある。
先送りすればするほど、問題の解決は困難になることだ。
言葉の嘘に騙されているような気がする。
言いつつける・・・どうやらこれが秘訣のようだ。
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最近、ちょっとちがうのでは?????と思うことしきりなり!
責任は誰にあるのだろうか?