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安倍首相の表現方法?トランプ大統領とは違った「口先」だけ

2019年06月26日 | 日記

参院選について安倍首相記者会見の内容という。
ここ
いつも感じることは、はぐらかされているのでは?と!

自民党が憲法改正を真剣に検討しているとはちっとも思わない。
いつになったら、国民投票をするのかと、今か今かと待っているが、
決してそういうことにはならない。
いつもしなければならないというだけである。
言えばしたこと、していることにはならない、と思う。
安倍首相は言えば、していることになる、らしい。

北方領土もプーチン氏に○○回あった。自分の時代に終わらせなければという。
耳にたこが出来るほど聞いた気がする。
客観的にみれば、そんなことできるわけない。
それでもおなじことを繰り返し言い続け、会い続ける。

拉致問題もそう。
自分があって直接話して、解決するという。
しかし、これも言うだけ。
出来る環境づくりをするわけではない。
だれもできるとは思っていないので、しなければならないというだけで済むのかもしれない。

特徴的なことは
だれもできることとは思っていないことを、しかしやらなきゃいけないことを
している。しているということ。
トランプ大統領とやり方は違うが結局は同じ、特殊な才能ではある。

しかし、成算があるかどうかなどと具体的なことはいわない。
言えない、というより考えたこともなけれが、そんな能力も意欲もない。
そもそもそんなことどうでもいいのである。

「安定した政治の下で」改革を進める方がいいのか?については
「安定しているかどうか」別にして、改革が進んでいるとは思わない。
また「安定している」とも思わない。停滞しているだけだとしか思えない。
「安定した」を持ち出すことで改革にだれも注意を向けない。
改革をだすことで、安定に注意をはらわない。
停滞であることは誰も疑わないと思うが、安定した政治の下ということで、
それが当然の前提とされたことで、
錯覚をおこしている。
一般論として「安定した政治の下で改革を進める」ことについてはだれも異論を唱えないと思う。
問題は「安定しているか」どうか「改革をすすめているかどうか」であるが、
一般論化することで、済し崩しにしてしまうということかもしれない。

また、公的年金について、「対案もないまま不安をあおってはならない」と
いうが、安倍流の特徴はいつまでたっても「対案」がないことである。
対案など難しくて誰も出そうとは思わない。
いつまでたっても対案がないので、いつまでたっても何もしなくていいということなる。
北方領土もそう。拉致問題もそう。解決に具体的に結びつく「案」は何もない。

結局、安定の時代ではなく、停滞の時代である。

でもなぜそうなるのか?

そういう元気が野党にも与党にもないからである。本気で取り組むにはあまりにも重すぎる。
だから、少子高齢化がここまで進んだのでもある。
先送りすればするほど、問題の解決は困難になることだ。

言葉の嘘に騙されているような気がする。

言いつつける・・・どうやらこれが秘訣のようだ。

・・・・・・

最近、ちょっとちがうのでは?????と思うことしきりなり!

責任は誰にあるのだろうか?

 


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