さて吉祥院境内で見つけた宝篋印塔である。
〈寛政8(1796)年11月建立。塔身に金剛界四仏、東の種子が刻まれている。基礎に梵字で宝篋印陀羅尼経が刻まれている〉
誰の手によって建立されたものかは不明だが、
意匠的には堀之内の阿弥陀堂で見つけた宝篋印塔の作者である
高遠石工・團蔵のものによく似ている。
このあと訪ねる東福寺の宝篋印塔は寛政7(1795)年の建立で
高遠石工・團蔵の名が刻まれているから
時期的なことも含め合わせれば
團蔵の仕事だと考えてもいいかもしれない。
自然石に線刻が施されたこの石仏は、
美しい線が刻まれている。
右に刻まれた文字は一部判読できないが
わかるのは以下の通り。
■壽童女 靈■
貞享四■天八月四日
貞享年間は1684年から1688年。元禄のひとつ前になる。
この近くにあった石祠は古そうだが、
こういった祠は何が祀られているのか調べようがない。
600mほど南の東福寺に向かうことにする。
〈続く〉