「おまえたち人間には信じられないようなものを私は見てきた。オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦。タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム、そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た」
これは映画『ブレードランナー』(1982/監督:リドリー・スコット)のクライマックスでレプリカントのリーダーであるロイ・バティー(ルトガー・ハウアー)が、地球に戻ってきたレプリカントを殺す任務を帯びたデッカード(ハリソン・フォード)との闘いの中で語る言葉だ。闘いのなかでデッカードはロイに救われ、そしてロイはこの言葉をデッカードに告げて絶命する。
ルトガー・ハウアー演じるロイは、無力な鳩を愛おしく抱きしめ降りしきる雨のなかで冒頭のセリフを語り死んでゆく
〈オリオン座の近くで燃える宇宙戦艦〉や〈タンホイザー・ゲートの近くで暗闇に瞬くCビーム〉といった言葉がなにを意味するのかなど気にかける必要はない。子どものころからSF小説になじんでいれば感覚的に了解できる。むしろ大事なのは〈そんな思い出も時間と共にやがて消える。雨の中の涙のように。死ぬ時が来た〉という悲痛な叫びのようなささやきである。
このセリフはフィリップ・K・ディックの原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968)にはない。意外とセンチメンタルな要素ももつディックだが、さすがにここまでの泣かせるセリフは書かないだろう。
宇宙の遥か彼方で過酷な労働を強いられるレプリカントたちの反乱と逃亡。その勝算のない絶望的な闘いの心情を、詩的に昇華したこのセリフを書いたのは誰なのか。ずっと気になっていた。
『ブレードランナー』の脚本はハンプトン・ファンチャーとデヴィッド・ピープルズのふたりがクレジットされている。ハンプトン・ファンチャーは意見の相違から制作途中で降りている。二人目の脚本家として呼ばれたのがデヴィッド・ピープルズである。彼はこのあと10年後にクリント・イーストウッド監督・主演の『許されざる者』の脚本で第65回アカデミー賞と第50回ゴールデングローブ賞で脚本賞にノミネート、第27回全米映画批評家協会賞と第18回ロサンゼルス映画批評家協会賞で脚本賞を受賞した。
原作には登場しない『ブレードランナー』の〈レプリカント〉の名称は彼の造語と言われる。
冒頭に引用したロイのセリフに戻る。
実はこのセリフのデヴィッド・ピープルズによるオリジナルは次のようなものであったらしい。
「私は冒険を知っている。お前達人間が決して目にすることはない場所を見てきた。オフワールドへ行って戻ってきたんだ…フロンティアだぞ!プルーティション・キャンプへの信号機の背甲板に立って、汗で沁みる目で、オリオン座の近くの星間戦争を見たんだ。髪に風を感じていた。テストボートに乗って黒い銀河から去りながら、攻撃艦隊がマッチのように燃えて消えていくのを見た。そう、見た、感じたんだ!」
SF小説が好きな人間であればこのセリフの良さは充分に理解できるはずだ。しかしこれを読んだロイ役のルトガー・ハウアーは、死んでゆくレプリカントの言葉としては長すぎると、オリジナルのイメージを残しながら要約したのがそのセリフである。素晴らしい!
つまりこのセリフはデヴィッド・ピープルズとルトガー・ハウアーの共作と言えるのかもしれない。
『ブレードランナー』のなかでもっとも印象に残る登場人物は、ハリソン・フォード演じるデッカードではなくルトガー・ハウアーのロイ・バティーだろう。
ルトガー・ハウアーは1989年に製作されたデヴィッド・ピープルズが監督したSF映画『サルート・オブ・ザ・ジャガー』で主演をつとめているとのことだが、未見である。
『サルート・オブ・ザ・ジャガー』
ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』と映画『ブレードランナー』はまるで違う作品である。しかし、ディックが構築した世界を基に、リドリー・スコットはSF的ハードボイルドともいうべきスタイルであらたな物語を創出した。それはレプリカントという存在を通じて、人間の〈生〉と〈死〉という根源的な哲学的主題の追求にほかならない。映画としての娯楽性を捨てることなくこういう主題を追求する姿勢は、スタイルに違いはあるものの、ディックとの共通性を読み取ることができるだろう。
映画が完成した1982年3月2日に53歳の若さで亡くなったフィリップ・K・ディックは、『ブレードランナー』のラッシュを観て「まさに私の想像した通りだ」と感嘆したという。
リドリー・スコットは『ブレードランナー』の3年前にSF映画の傑作『エイリアン』を作っている。
2017年に製作された『ブレードランナー2049』(監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ)はなんとも言いようのない退屈な駄作であった。
ワタシがいちばん好きなSF小説家P・K・ディックとその映画化された作品のことを少しづつ書いていこうと思う。
フィリップ・K・ディックPhilip K. Dick 1928年12月16日〜1982年3月2日
〈のんびりと続く〉