かいちんの憂鬱

パソコン教室卒業その後

歩行補助具

2007-07-25 11:14:26 | Weblog
最近はインターネットの普及で、何でも簡単に調べることができるようになった。店をテクテク歩いて探し回らなくても欲しいものも簡単に手に入る便利な世の中になったもんだよね~

医者に「これで終わり」と言われてしまった私は、とりあえず自分で何とかするしかなくてまぁ・・・3ヶ月は安静にしすぎず無理しすぎずと言われたので、まずはとりあえず歩こうと思った。少しづつ歩いたり動いたりして慣らしていくしかないのだから・・・
でもねまだまだフラフラして宇宙飛行士状態の身体と、何よりめまいが怖いという恐怖心が抜けない私にとって、手すりや壁のないところに足を踏み出すのはかなり勇気のいることだった
そこで「な~んかいいものないかな~」とインターネットで探したのです
まず探したのはとか、おばあちゃんが押して歩いてるシルバーカーの仲間。それにママさんたちが押して歩いてるベビーカーみたいな・・・あーいうの押して歩けば安心じゃないかなでも恥ずかしくないかなぁ押して歩くと安定して、恥ずかしくもなくて、ついでに後々も使うことができるものはないかなぁ・・・

そして捜し求めた一品を見つけましたそれがスワニーのウォーキングバッグだったのです
見た目も普通でおばあちゃんっぽくないし、体重をかけるとまっすぐ進んでくれるので安定しているし、必要なくなったら枠からはずしてバックだけ使うことも出来るしどうでしょう。なかなか良い物を捜したでしょう
という訳で、早速インターネットで購入しました。現在ゴロゴロ押しながら通勤して、無事仕事復帰を果たすことができたので~す

病気の話 ~4 衝撃の結末

2007-07-06 15:56:57 | Weblog
先日の検査結果を聞くために外来受診した。先生はおもむろに言った。
「入院した当初から言ってたと思いますが、やはり左耳の前庭神経の機能は全廃だね」

「全廃って・・・全廃って・・・全然ダメですか?もう死んでるってことですか?」

そりゃ・・・ね。もちろんある程度予想していた言葉だけど、先生あっさり言いすぎずじゃない
「前庭神経の機能が復活する見込みはなし!!もう薬もなし!!治療もなし!!受診も終了」
・・・って一応私ショック受けてるんですけど。
インターネットで調べたら、薬飲む場合もあるみたいだし、平衡機能訓練のリハビリみたいのもあるみたいだし、それに治る人もいるみたいだし、それにそれに・・・いっぱい先生に言いたかった。でも何も言えなかったなぜ私はダメなの。薬出してよ。リハビリしてよ。これからもちゃんと治るまで診察してよ。今、見捨てないでよ

「私を見捨てないで・・・」ホントにそう言いたかった。でも言えなかった。
ダメになった左前庭神経の機能は、右耳や眼や脳がフォローしてくれる。今は少し動くとフラフラだし頭が痛くて気持ち悪くなっちゃうけど、3ヶ月もすればその症状は落ち着いてくるはずだから。慣れるしかないのだ。それは自分でもわかってるけど・・・

「今、右耳を下にしないと眠れないんですけど、なれるためにはがんばって左を下にして寝てみたりいろいろやった方がいいですか?」
「何かをした方が良くなるということは、何一つない」
 ガ~ン  あっそ。まぁいいけどという訳で私の病気のお話も結末を迎えた訳です。
これからは、無理しすぎずに安静にしすぎずに?少しづつ以前の日常生活に戻していくだけということです。
それにしても、不安がいっぱいで・・・どのくらい良くなったら仕事復帰すればいいの?どのくらいならバイク乗っていいの?運動はした方がいいの?車に乗ったら酔うの?聞きたいこといっぱいなのに経過観察も診ないで診療終了なんて、先生ちょっとひどいんじゃないの

病気の話 ~3 寝耳に水?

2007-07-03 10:21:56 | Weblog
という訳で、7日間の入院生活から無事???帰宅した私は在宅療養に入った。と言っても、ほとんど寝たきりのまま食事はヨーグルトって感じがさらに1週間続いた。こんな状態で家に帰されて最初は先生を恨んだけどかいちんの喜びようを見ると、ふとんの横にかいちんが寄り添って居てくれるだけでも帰ってきて良かったと思えた。

退院してら2週間後。やっと何かにつかまれば歩けるようになった頃外来受診があって平衡機能検査をやることになった。この検査をやらないと確定診断がつかないのだが、多少なりとも落ち着いた状態でないとできないので先伸ばしになっていたのだった

この検査にあたって事前に健康調査票なるものを書いた。これがなんと195の質問 はい ・ いいえで答えるというもの
その質問内容にまたびっくり
今までの病歴や、家族の病歴などの質問はまだわかる。そりゃ・・・うん。
でもね。こんな質問あり~?
「寄生虫のいたことがありますか?」「小学校の頃寝小便をしていましたか?」っていつの時代だよ
「いつも病気がちで不幸ですか?」「情けないほど脚が悪いですか?」って基準がわかんない
「いつも決心がつきかねますか?」「見知らぬ人や場所が気にかかりますか?」って質問のシュチエーションが全然わからん
「いっそ死んでしまいたいと思うことがありますか?」「何か恐ろしい考えがいつも頭に浮かんできますか?」「人生はまったく希望がないように思われますか?」・・・ってこの質問に答える意味があるのでしょうか
ってな訳の分からん質問が195ですよこれが平衡機能検査に必要な健康調査なのでしょうか ね。

さて当日。私は顔に4箇所電極を取り付けて様々な負荷をかけて眼振(眼の動き)を記録する検査を行った。ちょっと緊張。さてさて本日のメインはカロリックテストこれは寝ながら片方ずつ耳に水を入れて人工的にめまいを起こさせるという超恐ろしい検査だなんと1回に50CCもの水を注射器で勢いよく耳に注入。きゃ~怖いよ~
まずは右耳。ザザ~っと鳥肌が立つと同時にほわわゎゎ~~~んって感じのめまいが起こった。同じように左耳・・・反応はなし。今度は少し暖かい水。右耳はやはり反応がほんのりでたが左耳は反応なし。これって・・・
反応がでないので左だけ最後に超冷たい水を左耳に勢いよく注入すると・・ほわわわんほわん・・ほわん・・ぐわんぐわんぐわわわ~~~んものすごい勢いで周りが回転しだした。「怖い~ベットから落ちる~」と大騒ぎ

ふぅ。寝耳に水の検査にとっても疲れた一日でした

病気の話 ~2 初めての入院

2007-07-01 15:05:21 | Weblog
そんな訳で私は生まれて初めての入院生活を送ることになった。
私の手首には本人確認のためのバーコードがはめられた。なんか商品になったみたい。入院生活は想像以上につらいものとなった。入院当初ぐるぐる眼が回る回転性のめまいに始まって、地震のようなたてゆれ横ゆれ、ベットが流されていくような不思議な感覚と続く嘔吐。でもなぜか発病直後から右を下にして頭を固定していると症状が軽くなった。後で聞いた話では右を下にして安定すると言うのは左の前庭神経がおかしいと言う証拠らしい
とにもかくにも右向きのままの入院生活が始まった。

食事はほとんどとれなかった。看護士さんがなんでも食べたいものを少しでも口に入れてと、朝はパン食、昼は麺類、夜は通常メニューにしてくれた。これはうれしかった
当初は恥ずかしいという気持ちもあって車椅子でトイレまで行っていたが、動くたびにひどい嘔吐を繰り返すことと、行くたびに看護士を呼ばなければならないことからポータブルトイレを使用することになった。最初は抵抗があったけど、なかなか楽チンですぐ慣れてしまった。

一番大変だったのはやはり恐怖の点滴
6日間毎日500cc2本の点滴を受けた。私にとっては生まれて始めての点滴だった。もともと私の趣味は献血献血のたびに「良い血管だねぇ」って褒められていたので点滴なんて楽勝だと思っていた。ところが・・・
最初に留置した左手の甲の針から点滴がもれて(血管に入らないで皮膚の中にもれてしまっていた)左手が右手の倍以上にはれ上がってしまった他の血管に刺しなおそうとして一人、また一人と入れ替わり看護士がチャレンジするが、これがまたうまく入らない。現れた4人目の挑戦者は、なんと一番細い針を使って右手の甲に留置することに成功した。・・・んだけど。これがまたものすご~く痛い500ccの点滴を入れるときにめまいの薬をいれるのだが、その時の痛さと言ったら毎回涙を流すほどだった。実は退院して3週間たった今でもこの血管がまだ痛いのだから
3日ほどして別の看護士が「痛そうだから針変えようか」と言ってくれた。その看護士も散々苦慮した結果、左手のひじ関節のところの一番太い血管に留置してくれた。もちろん太い血管なので痛くはないのだけどちょうど曲げる部分なのでもっと動きづらくなった。500ccの点滴1本やるのに4時間くらいかかるので2本でほぼ一日中点滴してることになり、まったく不自由な生活となった。

そしてそれはとても唐突だった。主治医が現れて、「週明けに退院しよっか?」と言った。「へっ?こ・・・このまま退院ですか?」そりゃぁびっくりするよ。私はほとんど食事もとれず一歩も歩けず、治療もなくこのままの状態で家に帰されるこれから私・・・ど~したらいいのさ