今朝の気温は、幾分暖かくて0度丁度でした。
ただ南からの風が強くて寒さは厳しく感じて
落ち葉と競争しながらのウォーキングでした。
いよいよ12月に入り私以外の皆さんはすべて
師ですから、皆さん元気に走り回る月ですね。
神社で「二礼二拍手一礼」は伝統的な作法で
はない 宗教学者が教える“しきたり”の嘘
という週刊新潮の記事が目に止まりました。
初詣などで神社に参拝するときは、「二礼二
拍手一礼」が一般的な作法として知られる。
この作法をイラスト入りで紹介している神社
も少なくない。だが、宗教学者の島田裕巳氏
によればこれは伝統的な作法ではないという
ことのようです。
神社巡りといえば、高齢者の老後の楽しみと
言われものだが、最近は30~40代の女性の
参拝者が目立つようになった。神主から朱印
と墨書をいただくいわゆる「御朱印ガール」
と呼ばれている人たちだ。彼女たちは、参拝
する際は二礼二拍手一礼を頑なに守っているが
彼女たちより年輩の人たちから見れば、この
作法に違和感を覚える人もいるはずです」
と語るのは、先日、『神社で拍手を打つな!』
を出版した島田氏である。同書では、神社の
参拝作法や除夜の鐘、初詣など、日本人の
しきたりについて解説している。
「昭和の時代は、二礼二拍手一礼はそれほど
広まってはいませんでした。以前の参拝作法
は、基本的には、両掌を顔や胸の前で合わせ
て拝む合掌でした。今でも、合掌して参拝す
る人もいます。二礼二拍手一礼だと、形式だ
けで終わってしまう。心の中で祈る間がこの
作法は含まれていない。だから、物足らない
と思っている人は多いのではないでしょうか
島田氏は、最も美しい形の参拝として、黒澤
明の映画『姿三四郎』のワンシーンをあげる。
「三四郎は、村井半助という他の流派の年配
の柔道家と対戦しますが、試合前に近くの神社
を通りかかったとき、半助の娘が、神社の拝殿
の前で一心に祈りを捧げている姿を目撃します
娘は着物姿で、下駄を履き、からだをその上に
沈め、目をつぶりながら手を合わせ、懸命に
祈っていました。映画の舞台は明治時代ですが
当時、神社に参拝するときは合掌したことが
うかがえます。映画を見ればわかりますがこの
祈りの姿は美しいですね」
合掌が伝統的な作法
「元々神道には、開祖も教祖もいません。教え
を記した教典もありません。ですから参拝の
作法もありません。そのため明治以前は、神道
と仏教が密接な関係を結びます。仏教には教え
の体系があるので、仏教の理論を応用し、融合
したのが神仏習合です。明治維新になるまで
神仏習合は千年間続きます。仏閣での参拝には
拍手がありません。基本的に合掌となります。
それが神社に受け継がれてきたわけですね。
実際、江戸時代の1763年に、芙蓉山人という
人物が出した、伊勢詣のガイドブックのような
書物『伊勢参宮細見大全』では、参拝者の様子
が描かれています。参拝者は座り込み、合掌
して拝んでいます。頭を垂れて、一心に拝ん
でいる人もいます。拍手を打っているような
人間は一人もいません」
昔の人たちは神に祈る場合、座り込むかそれに
近い形をとっていたわけですね。
「現在の二礼二拍手一礼は、立って行います。
果たして神に祈るとき、立って礼拝するという
のは正しいのだろうか。疑問に思いますね」
奈良時代から始まった神仏習合、当初は仏教
が主で、神道は従だった。
「神仏習合の理論の代表的なものが、“本地
垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)”です。日本
の神々は、仏がその姿を仮に現わしたという
考え方で、仏が本地(本来の境地)で、神が
垂迹(仏の化身)です。仏を神の上に位置づ
けたわけです」ところが、江戸時代になると
神道の優位を説く思想が起こり、明治時代に
なると、神道を国家の基本に据えようする国
学者や神道家が現れる。
「これで、神仏分離となり、神社の境内にあ
った寺院は破壊されます。いわゆる廃仏毀釈
です。千年も一緒だった神道と仏教がバラバラ
になってしまったわけですが、これが問題だ
ったと思います」
神社への参拝で、拍手が正式に取り入れられ
たのは、明治時代だという。
「仏教と離れた神道は、神社の格を上げるため
に、国家が直接祭祀を司るようになります。
そして、神社祭式(明治40年)によって祭祀
のあり方が規定されるのです。神社祭式の中で
拝礼の仕方として、再拝、拍手が記されてい
ます。再拝というのは、二度続けて深くお辞儀
することです。現在の二礼二拍手一礼という
作法の元になったと言われているのが伊藤博文
が推奨した“一揖(ゆう)再拝二拍手一揖”。
伊藤氏がこれを正式な作法とすると発言した
と伝えられていますが、確認はされていません
“揖”とは上体をやや前に傾けて行う礼で頭を
深く下げて行う“拝”のほうがより丁寧な礼に
なります。ただしこの神社祭式で定められた
作法は、神職が祭事に臨むときに行われるもの
で、一般の人に対して勧められたものではあ
りません」ではなぜ、現在の神社は、一般の
参拝者に対して二礼二拍手一礼を勧めるのか。
「日本は高度成長期の頃から、盛んに初詣を
するようになりました。有名な神社では何時間
も並ぶわけですが、できるだけ早く参拝を終
わらせるために、祈る間がない、二礼二拍手
一礼を取り入れたのかもしれません。伝統的
な作法ではないのに、いつの間にかしきたり
になってしまった典型的な例と言えますね」
二礼二拍手一礼は、あくまで高度成長期の頃
から広まったにすぎない。合掌だけでも何の
問題もないそうだ。と週刊新潮WEB取材班が
伝えていました。



ただ南からの風が強くて寒さは厳しく感じて
落ち葉と競争しながらのウォーキングでした。
いよいよ12月に入り私以外の皆さんはすべて
師ですから、皆さん元気に走り回る月ですね。
神社で「二礼二拍手一礼」は伝統的な作法で
はない 宗教学者が教える“しきたり”の嘘
という週刊新潮の記事が目に止まりました。
初詣などで神社に参拝するときは、「二礼二
拍手一礼」が一般的な作法として知られる。
この作法をイラスト入りで紹介している神社
も少なくない。だが、宗教学者の島田裕巳氏
によればこれは伝統的な作法ではないという
ことのようです。
神社巡りといえば、高齢者の老後の楽しみと
言われものだが、最近は30~40代の女性の
参拝者が目立つようになった。神主から朱印
と墨書をいただくいわゆる「御朱印ガール」
と呼ばれている人たちだ。彼女たちは、参拝
する際は二礼二拍手一礼を頑なに守っているが
彼女たちより年輩の人たちから見れば、この
作法に違和感を覚える人もいるはずです」
と語るのは、先日、『神社で拍手を打つな!』
を出版した島田氏である。同書では、神社の
参拝作法や除夜の鐘、初詣など、日本人の
しきたりについて解説している。
「昭和の時代は、二礼二拍手一礼はそれほど
広まってはいませんでした。以前の参拝作法
は、基本的には、両掌を顔や胸の前で合わせ
て拝む合掌でした。今でも、合掌して参拝す
る人もいます。二礼二拍手一礼だと、形式だ
けで終わってしまう。心の中で祈る間がこの
作法は含まれていない。だから、物足らない
と思っている人は多いのではないでしょうか
島田氏は、最も美しい形の参拝として、黒澤
明の映画『姿三四郎』のワンシーンをあげる。
「三四郎は、村井半助という他の流派の年配
の柔道家と対戦しますが、試合前に近くの神社
を通りかかったとき、半助の娘が、神社の拝殿
の前で一心に祈りを捧げている姿を目撃します
娘は着物姿で、下駄を履き、からだをその上に
沈め、目をつぶりながら手を合わせ、懸命に
祈っていました。映画の舞台は明治時代ですが
当時、神社に参拝するときは合掌したことが
うかがえます。映画を見ればわかりますがこの
祈りの姿は美しいですね」
合掌が伝統的な作法
「元々神道には、開祖も教祖もいません。教え
を記した教典もありません。ですから参拝の
作法もありません。そのため明治以前は、神道
と仏教が密接な関係を結びます。仏教には教え
の体系があるので、仏教の理論を応用し、融合
したのが神仏習合です。明治維新になるまで
神仏習合は千年間続きます。仏閣での参拝には
拍手がありません。基本的に合掌となります。
それが神社に受け継がれてきたわけですね。
実際、江戸時代の1763年に、芙蓉山人という
人物が出した、伊勢詣のガイドブックのような
書物『伊勢参宮細見大全』では、参拝者の様子
が描かれています。参拝者は座り込み、合掌
して拝んでいます。頭を垂れて、一心に拝ん
でいる人もいます。拍手を打っているような
人間は一人もいません」
昔の人たちは神に祈る場合、座り込むかそれに
近い形をとっていたわけですね。
「現在の二礼二拍手一礼は、立って行います。
果たして神に祈るとき、立って礼拝するという
のは正しいのだろうか。疑問に思いますね」
奈良時代から始まった神仏習合、当初は仏教
が主で、神道は従だった。
「神仏習合の理論の代表的なものが、“本地
垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)”です。日本
の神々は、仏がその姿を仮に現わしたという
考え方で、仏が本地(本来の境地)で、神が
垂迹(仏の化身)です。仏を神の上に位置づ
けたわけです」ところが、江戸時代になると
神道の優位を説く思想が起こり、明治時代に
なると、神道を国家の基本に据えようする国
学者や神道家が現れる。
「これで、神仏分離となり、神社の境内にあ
った寺院は破壊されます。いわゆる廃仏毀釈
です。千年も一緒だった神道と仏教がバラバラ
になってしまったわけですが、これが問題だ
ったと思います」
神社への参拝で、拍手が正式に取り入れられ
たのは、明治時代だという。
「仏教と離れた神道は、神社の格を上げるため
に、国家が直接祭祀を司るようになります。
そして、神社祭式(明治40年)によって祭祀
のあり方が規定されるのです。神社祭式の中で
拝礼の仕方として、再拝、拍手が記されてい
ます。再拝というのは、二度続けて深くお辞儀
することです。現在の二礼二拍手一礼という
作法の元になったと言われているのが伊藤博文
が推奨した“一揖(ゆう)再拝二拍手一揖”。
伊藤氏がこれを正式な作法とすると発言した
と伝えられていますが、確認はされていません
“揖”とは上体をやや前に傾けて行う礼で頭を
深く下げて行う“拝”のほうがより丁寧な礼に
なります。ただしこの神社祭式で定められた
作法は、神職が祭事に臨むときに行われるもの
で、一般の人に対して勧められたものではあ
りません」ではなぜ、現在の神社は、一般の
参拝者に対して二礼二拍手一礼を勧めるのか。
「日本は高度成長期の頃から、盛んに初詣を
するようになりました。有名な神社では何時間
も並ぶわけですが、できるだけ早く参拝を終
わらせるために、祈る間がない、二礼二拍手
一礼を取り入れたのかもしれません。伝統的
な作法ではないのに、いつの間にかしきたり
になってしまった典型的な例と言えますね」
二礼二拍手一礼は、あくまで高度成長期の頃
から広まったにすぎない。合掌だけでも何の
問題もないそうだ。と週刊新潮WEB取材班が
伝えていました。


