「水戸黄門」で知られている徳川光圀公は、藩主を退き、1691年から1700年までの
10年間を過ごされた隠居所・西山荘へ行って来ました。
茨城県常陸太田市新宿町590番地
櫟の丸太を柱として、自然美を取り入れた簡素なつくりですが、西山荘の正門です。
入口には、光圀公が紀州から取り寄せ、移植した熊野杉が天を覆っています。
平成23年3月11日の東日本大震災で建物は傾き、土壁もひびが入り、礎石のずれなどが生じました。
2年の調査と準備を経て、平成25年7月から1年9か月にかけて災害普及工事が行われました。
建物は茅葺き平屋建て、内部は粗壁のそのままで、どの部分も装飾はなく、
書斎も丸窓だけの三畳間と質素なたたずまいです。
光圀公はこの部屋に住まわれました。領民たちと自ら親しく交流しながら、修史編纂事業
(その書名は、光圀公の没後、綱篠公により「大日本史」と命名されました)に情熱を注ぎました。
丸窓から光を採った3畳の小部屋で、窓ぎわに梅を植えて勉学のいましめとされました。
心字池、 別名白蓮の池。「人の心は裏から見よ」との戒めから「心」という字を
裏から見た形に池を掘りました。光圀公はこの池に白蓮をうえ、
泥の中の君子として、この花を愛しました。
西山荘には、開門と同時に入りました。敷地には、大きな杉の木、梅の木、竹、
もみじなどの木が多くあり、静かで別世界に来たように感じました。
多くの木々に覆われた西山荘は、新緑がとてもきれいでした。
紅葉の時期にも訪問できたらと思いながら、ウォーキングとお花を見に向かいました。
続きます
今日もありがとうございます。
想像していたより質素な生活だったのですね
ここは何時でも入れるのですか?
関東地方は中々馴染みがないんですが、ご隠居は、こんなところでお住まいだったんですね。
華美を嫌った光圀公は、隠居の際に、わずかな身の回りの品と修史編纂事業に必要な書物を選ばれせたと伝えられています。
見学は、9時から16時までになっています。
入場券は、水戸黄門でおなじみの光圀公葵紋印籠が印刷されたものです。
私は、時代劇はあまり見ないですが、水戸黄門の「人生楽ありゃ、苦もあるさ~~」という歌が聞こえなくなったのは寂しいです。
6月29日に21時から2時間スペシャルとして復活するので、少しだけでも見ようと思っています。
菖蒲は如何でしたか?
改造後にも行きましたが屋根の感じが自然の
風景になじむようになりましたね。
紅葉の頃行くつもりです。
西山荘の修理工事は、のべ約3,500人の文化財修理の専門職人さんが参加して無事終了したそうです。
見事な杉の木が数多くあり、歴史を感じました。
もみじの木も多いので、紅葉の時期、きれいでしょうね。
花しょうぶは、ちょうど見ごろで良かったです。