ゆっくり走っています

ゆっくりのんびりマイペースで走っています。
走ることや日常のことなど書いていきます。

猪苗代から会津若松へ

2015-08-13 11:53:57 | 旅行


猪苗代湖畔を散策してから、今年4月にリニューアルオープンした
野口英世記念館へ行くことにしました。




記念館の脇には、生家が保存されています。
雨風にさらされないように大きな屋根が設置してありました。




一歳の時、囲炉裏に落ちて左手を大やけどしました。

左手が使えず不自由で、いじめられていました。

貧しかったため先生や同級生がお金を出し合って、手術を受けることができました。
医学のすばらしさを知り、医者になることを志しました。

医学校に行くお金がないため、医院の書生になって、
医院の仕事をしてから夜中まで勉強しました。





「志を得ざれば再び此地を踏まず」と床柱に刻んで、医者になるため上京したそうです。

いろいろな方の援助を受け、努力をして、医者の試験に合格しました。


記念館には、野口英世の業績と生涯を展示し、
さらに体験参加型の遊び感覚のある展示がされています。

野口英世の研究が、お子様たちにも親しみやすく解説されており、
大人にも科学の面白さを感じ取ることができる内容になっております。


いろいろな細菌の研究にかかわり、解決していきました。
世界の代表的な医学者として認められました。

野口英世の作った薬のきかない新しい黄熱病がはやりだしてきた
ことを知り、周りが止めるのを聞かずアフリカへ渡りました。
アフリカの黄熱病は、10年前に発見した菌とは違うことに
気が付き、そして5種類の菌を見つけました。
アメリカに持ち帰ろうと思った矢先、ひどい寒気を覚えました。

黄熱病にかかっていたのでした。日に日に重くなり
アメリカに帰ることもできず、51歳の生涯を閉じました。

ニューヨークの墓石には、   
「野口英世、この人は、すべてを科学にささげ、全人類のために生き、
全人類のために死んでいった。」としるされているそうです。





野口英世が、手術をしていただいた医院、書生として働き、
医者になるために勉強した医院は会津若山市にありました。

野口英世青春通り、青春広場など関連したところがあります。




さらに、会津若松城を見に行きました。





現在の城内は、郷土博物館となっております。
一層から四層には、多数の国、県、市の重要指定文化財など
会津を代表する文化財が展示されております。
五層は、展望台になっており、磐梯山、猪苗代湖、会津の町を一望することができます。

桜の木が多くあるので、お花見の頃の会津若松城は、
さらに見ごたえがあるのではと思いながら、あとにしました。


今日もありがとうございます。






コメント (6)
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