今日からまた通常通り。
私はやっと、自分のペースで家事ができるのでほっとします。
さて何回か、夫が病気だった話を書いていますが、それにはたくさん過去を振り返りました。
おそらく、その時代の傾向もあるし、それが家庭にも強く影響しているので、私たちと同年代の人たちには、似たようなことがあるのかなと思います。
とにかく戦後は貧しくて、多くの人が「お金を稼がなきゃ」となっていたでしょうし、物があることが豊かさの象徴となっていたと思います。
食べるのも大変だったでしょうから、無理ないですよね。
きっとお父さんは、家族のために頑張って働かなくてはいけない、という責任感で頑張っていたでしょう。
それゆえに、世のお父さん達はとても忙しくて、子供と一緒に過ごす時間は少なく、子育てはお母さんがほとんどやっていたという家庭が多かったでしょうね。
私の父は、団塊の世代には珍しく、育児も家事も手伝っていたそうですが、それでも子育てについては、母に任せていたように思います。
父は私のことをほめてくれたし、認めてくれ、嫌なことは強制せず優しかったので
それは私の救いではありましたが、母がほぼ子育てを担っていたから、知らないことも関与しないことも多かったのです。
子育ては母の役割。だから母の影響を強く受けました。
ほめられることはないし、否定されるし、気持ちを理解されずに口をつぐみました。
それは、夫の家庭も同じです。
しかも夫のお父さんは、子育てと家事を一切しなかったそうです。今も全然です。
子供のことをほめ、いつも肯定してくれる優しいお父さんなんですがね、なんせ存在感があまりないのです。
それに、お母さん一人で家事を頑張っているのに、ちっとも手伝わないので腹立たしく思っていたとか。
夫のお母さんは「愛情とは、物やお金を与えること。お金をかけてあげること」だと思っています。
確かにそれもありますよ。でもお金をあげたからって、心が満たされるわけでも幸せになれるわけでもないですよね。
欲しがってもいないゲームを、近所の子が持っているからと買ってあげたり
やりたくもない習い事を、子供のためだからと無理やり習わせたり
本人が行きたいとも言っていない大学に入るように勉強させたり
「あなたのためだから」と、嫌がることを押し付けられても、子供は苦しいばかりで満たされません。
わかりますよ、お母さんの気持ちも。私も親なので。
他の人と比べて貧しい思いをさせたくない、学歴でバカにされず給料の高い会社に入ってほしい、体が強くなるように運動させたい、能力をつけてあげたい・・・
でもね、子供時代の夫はそれを喜ぶどころか
上達を期待されても応えられない自分に自信をなくし、「母ががっかりするのは自分のせいだ」と罪悪感まで抱いてしまいました。
お母さんの期待通りにできたら、喜んでもらえるかもしれない、
こんなにしてもらってるんだから、お母さんの言う通りにしてあげるのが親孝行だ、と。
自分の気持ちを置いてけぼり。
私から見ると、結構酷いことを言われたりされたりして育っているのに
親を怨むこともなく、無能な自分のために頑張って育ててくれたお母さんに親孝行しなくちゃいけない
と思ってるんですよね。
いや、まあ、親に感謝して、恩返ししたいと思うのは素晴らしいことなんですけど
それ以前に、自分を潰されてきた過去を直視しないとね。
子供時代の自分を、癒してあげないと。
こんななので、「うまくできない自分が悪い」という思考が、しっかりと身についてしまっていました。
人の理想を生きる必要もないし、完璧な人間なんていないんだから、うまくいかなくたって良いんですよ。
こういう人、たくさんいるんじゃないかなあ。
先日、「母という呪縛 娘という牢獄」という本の記事を読んだんですけど、ここまで酷い親子関係でなくても
もっと軽いバージョンだったら、多くの家庭でもあるんじゃないかなって思ったんですよね。
自分が子供を産んでから、すごく親子関係について考えるようになったんですが、ここ数年も夫のことがあって
自分なりにいっぱい考えました。
夫はやっと自分と向き合ったので、今は変わりました。
はっきりと、お母さんに対して自分の気持ちや意見を伝えるようになりました。
四十数年かかったけど、良かったですよ。言えるようになって。
私は、子供が素直な気持ちを表現できるように、見守るようにしています。
自分の気持ちを認めること、人に伝えられることって、とても素敵なことですよ。
時代は変わりつつあるけれど、物質主義は相変わらずかなあと感じています。
心を大事にする時代に変わっていくと良いなあ。
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