八ヶ岳キリスト教会 牧師ファミリーのブログ

〒408-0012
山梨県北杜市高根町箕輪3219-2

主は意外なところから悔い改めに導いてくださる

2012年11月05日 11時02分21秒 | 証し

風邪も無事に良くなり、「やっと仕事に行けるぞ!」と昨日から準備万端張り切っていた。

が、今朝5時頃目が覚め、それも、寒さで目が覚めた。
寒いのである。
エアコンは暖房モードになっており、朝、快適に起きられるように、それこそ準備万端だった。
そのエアコンを28度に設定しても、相変わらず寒い。

で、その寒さは、8:30以降も続いた。
理由不明の寒さで、震える手で、職場に電話をし、休むことを伝えた。
休みが続き、職場に対して心苦しいのだ。

で、10時頃になって、今度は一変、暑くなった。
足の底から、蒸し風呂のように暑い。

いったい何なのだ!?と思った。
氷の中にいるような寒さから一変、すこぶる暑い。

この変化には多分、理由があると思った。
主について考えた。
主も自分と同じように、不思議な体の変調に一緒に忍耐してくださっている。

感謝の思いがわいてきた。

ふと、布団の端っこの方に置いてあるキーボードを眺めた。

その上には、母から頼まれた譜面があった。
母は英語ができないので、英語の歌詞の部分にカタカナでフリガナを書いてくれと先週頼まれたモノだ。

ここで、ワシは悔い改め、主に立ち返った。
歌詞の分からぬ譜面を前に歌うとは、どれほどに心細い事だろう。
今朝の、ワシの寒さに匹敵する心細さではないか。

このまま放置しておけば、母に、大勢の前で、分からぬ歌詞の譜面で、周りに合わせ、冷や冷やしながら歌を歌わせることになったではないか。
罪深い息子なのである。

あわてて、英語歌詞のある譜面に、赤ペンでカタカナの歌詞をふった。

賛美は喜んでするものである。
「いつも喜んでいなさい。」という主の言葉があるが、母に対し、喜んでいられないような状況を作ってしまった自分はどこを向いて「自分は寛容である」などと言えようか。
寛容どころか、自分の仕事のことしか、自分の事しか考えられぬ自己中心そのものではないか。

哀れみ深い主は、こんな体たらくなワシを哀れみ、導いてくれたのだ。

さあ、これから医者に行ってこよう。
そして、母に読み仮名を振った譜面を渡そう。

ああ!心が軽くなった。


「それで何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」
<マタイ7章12節>

感謝です。

 

2012.11.5 SAK


最新の画像もっと見る

コメントを投稿