宿泊施設のバラエティが増え、同じ会員制旅サロンの宿好きとのオフ会も多かった。
2003年末からお正月は山口を中心に周遊。
1月
★山口 川棚グランドホテル
サンチェーロの部屋。ここは1室だけある離れ。到着時はお茶室へ案内され、夕食は敷地内
にあるカウンターのイタリアン、朝食は部屋におかもちが届けられる。大きな宿にはあまり
泊まらないので楽しめた。
★山口 ホテル西長門リゾート
海景色に以前から憧れていた宿。受付してくれたフロントの美しいお姉さんは、電話会社の
ポスターのモデルになったそうで、フロント近くに貼られていた。大浴場のフナムシに泣く。
庭園イルミネーションの点燈をさせてもらった。庭のポピーも積み放題でした♪
長門市役所で旧国地名スタンプをもらう。
★山口 T宿
近くでイチゴ狩りでき、高速道路に近いので決定。地元の大旅館系列。一軒宿。池に面して
いて、アヒルと一緒に散策する。部屋のこたつが壊れていた。食事、特に朝食が寂しかった。
でも日帰り湯で地元では人気らしく、当日も泊まれないかと人が来ていたがお正月だし満室。
新年早々、イニシャル宿が続き、なかなか辛い状況。
朝一番乗りでつぼ湯へ。温泉で玉子やサツマイモやら、いろいろゆでての朝食、そして近く
の川湯温泉で川をせきとめた温泉で泳いでから宿へ。
★和歌山 A屋
つぼ湯近くの秘湯宿。確かに湯の花の舞う温泉は素晴らしい。料理に温泉を使うのもいい。
薦められて2階の風呂付の部屋にしました。でも到着直後から、お風呂のお湯が出ません。
宿の方にその事を伝えたものの、結局だめで、あきらめました。後でロビーでひっそり本を
読んでいると、誰もいないと思った宿の人同士の会話が聞こえてきました。「客の多い連休
はいつもお湯が出なくなる」それって私の部屋の事?確信犯だとしたらひどい話です。当日
の団体客がボイラー協会だったので「直してもらえよ~」とつぶやく私でした。
★和歌山 御宿 N
今はありません。ただその後数年に渡ってこの宿に係わっていました。面白い経験もできた
し、金銭的に被害を受けたわけでもないけれど・・・残念。
2月
★大阪 観音蒸し風呂
珍しい蒸し風呂、花天井、鶏の鍋、レトロな館内は風情があり、以前から訪ねてみたかった
1軒。ここの住所は黄金の里。だから郵便出したら当たるかなと思って応募した福島・飯坂
温泉の宿泊キャンペーン。2人で2通、どちらも当選しました。
★長崎 インターナショナルホテル
最終便で現地入りして翌朝一番から活動のパターン。長崎便の全日空のジャンプシート前に
座っていたのですが、キャビンアテンダントさん達もここのホテルでした。ホテルおすすめ
のお菓子など教えてもらいました。
★長崎 彩月庵
数年前の開業日にネット予約1号で泊まった宿。その後、全国版旅番組のテレビ企画をして
いる知人に放送予定と聞いたので放送に先駆けて再訪。高台にあり部屋のお風呂からの眺め
もよく、お料理もたくさん。この時期の平目を楽しみにしていたのですが・・・食べ損なう。
★長崎 オーベルジュあかだま
当時は1日1組の宿でした。地の魚中心に伊勢海老、大島トマトを使ったお料理は食べ切れ
ません。定番のリゾットは宿泊時の朝の楽しみ。オーナーシェフは同じ会員制旅行サロンの
メンバー、奥様は私が子供の頃から利用していた京都のある店で研修した事も。以来通って
います。ちなみに平目はここで食べました。
この年の春は、地元とは東北は1ヵ月、北海道は2ヶ月季節をずらして考える事を学ぶ。
3月
★山形 いきかえりの宿 瀧波
日本の宿。朝のおもちつきが餅好きのパブロフにうれしいかと思い予約。二人には広い部屋
でした。いいお宿だと思うのですが、その後、同じ赤湯温泉で通う宿ができたので。
★山形 名月荘
日本の宿。うっかり椿の季節と思って「椿」の部屋を指定。でも東北はまだ雪ばかりでした。
部屋からの蔵王の眺め、夜のスキー場の照明もきれいでした。部屋は快適で館内施設も充実。
その後、満月コンサート等でも訪れたのでおすすめだと思いますが、上山温泉は高レベルの
宿が多いので。この部屋では会員制宿サロンの前の訪問者が部屋にあるものを隠していたの
ですが、宿側に回収されたようで見つけられませんでした。
★福島 君太郎
今はありません。だから実名で。私達はこちらの宿を「ゲゲゲの君太郎」と呼んでいます。
飯坂温泉観光協会主催の宿泊キャンペーンで1人だけ2,000円程度の宿泊料でした。ですが、
なかなか予約がとれません。長崎便の飛行機待ちの時間に問い合わせていたのを覚えてい
ます。そんなに人気が?と思ったら宿泊日は私達だけ。ボイラー故障(嘘だと思う)で大浴場
は使用不可という事で、お風呂付の離れへ案内される。ラッキーと思ったものの、変な空気
を感じたので、かけじくの裏をチェックしたら・・・お札が・・・でも、それは差し押さえ
の札。あわてて他にもないかあちこち調べていくつか発見。夕食後に少し離れた温泉街へと
思ってロビーに行くと既に電気が消され、施錠されていた。後日、テレビ番組で個人の家に
なっているのを知ってああ、と思いました。私達2人の為にパブリックスペースの光熱費を
使いたくなかったんでしょうね。手土産持参したから、無事に帰れたのかも?
しかし翌日も怪奇現象は続きました。会津若松の宿では、到着時にいきなり地震。
★福島 渋川問屋
そして夜、テレビを見ながらうたた寝していた私は部屋の廊下の外を大勢の人が通り過ぎた
ような騒々しさに目を覚ましました。ですが深夜、最上階の部屋。廊下には誰もいません。
実はこの時、ボーズのヘッドフォンをしてネットをしていた夫も同じ音を聞いていました。
ヘッドフォンはノイズキャンセリングシステムで、ジェット機のファーストクラスでも使わ
れている音を遮断する機能があるのにです。結局それから特に何事もなかったのですが翌朝、
これだったのかと思ったのが、宿泊施設の真横にあった庭のお稲荷さん。その参道を客室へ
の廊下がまたぐように横切っていたのです。さらに宿の近くのお寺は、戊辰戦争時の犠牲者
が集められ、すぐに弔われなかった場所でした。
4月
旅行当日の朝、台所を裸足で歩いていたパブロフが、前夜私が割った陶器の破片を踏み負傷。
まだ病院も開いていない時間なので、関空医務室にて手当てを受ける。温泉行くのにと心配
する彼に「大丈夫、モール泉だから」と意味不明の励ましをする私。飛行機の席は基本前方
をとるようにしているが、団体客がいたからか機材変更で席がグレードアップしてラッキー。
帯広は20年以上前に女友達と来て以来だったので、上質な素材なのに低価格のスイーツ、
六花亭、柳月堂、ぱんじゅう・・・豚丼と食べ歩きも楽しかった。
★北海道 北海道ホテル
三余庵と同系列の以前から泊まりたかったホテル。館内で結婚式も行われ、一足早く春が。
モール泉の温泉あり。ホテルには散策マップが用意されていて、近くの世界一長いベンチの
ある公園へ。巨大なまつぼっくりや、冬の間止まっていた噴水が記憶に残る。
★北海道 三余庵
今回の目的地はこの春オープンしたこちら。2室ある露天風呂付の部屋から「春の海」に。
メゾネットのもう1室も良さそうなので次の機会に。移動距離は長いけれど、建物づたいに
行ける隣接ホテルの大浴場も使えた。川には白鳥の姿も。
5月
★山梨 船山温泉
休前日・連休も同料金、午後1時~と早いチェックイン時間は長距離ドライブの後の初日の
宿に最適。全体的に総合満足度は高い宿です。ただ私達を部屋に案内してくれた人の言動に
動揺。その一言で滞在を楽しめなかった。勇気を出して7年後再訪。ご主人に事情を聞いた
が、その方は問題が多かったので、そういう場合はクレームを言ってほしいと。でもねぇ。
まぁ又7年後に行きます。
★山梨 ぶどうの丘
公共の宿、あまり記憶がない。
★山梨 美味しい学校
併設のイタリアンが目的。多忙な時期なので予約は必須。
★山梨 古守宿一作
1日1組の宿。年数日しか出せない自然素材の献立もあるらしい。ご主人は古物商の資格を
持ち、昼間は敷地内で骨董品を扱っている。そちらも自由に歩けるけれど夜は怖そう。古い
硝子瓶をお土産にいただきました。
★京都 ハーベストホテル
参加していた会員制旅行サロンのオフ会。私が幹事でしたが、全国から人が来てくれたので
予想外に大変でした。場所は要庵西富家さん。女性1人参加者と3人でこちらに宿泊。
★広島 庭園の宿 石亭
5月末満開の皐月の時期に。少し前の京都でのオフ会は反省面も多く、落ちこみがちでした
が、この宿に行きつけの大勢の会員がその事をご亭主に伝えてくれており、最大限のおもて
なしをしていただいた。すぐ全室制覇を決める。庭園の四季の美しさを満喫すべく、11ヶ
月毎(5月→翌年4月→翌々年3月・・・)に訪ねる事として10年。今年の夏で全室制覇だ。
宿の蔵書に次に来る会員への秘密メッセージを残したり、いろいろ遊ばせてもらった。翌日
は地元会員と系列店でミニオフ会。
★広島 仙酔島 ここから
鯛で有名な鞆の浦の海開き日。宿は元国民宿舎。今は2000年に泊まった岡山空港近くの
ホテルと同系列だと思う。数年前に○○事件があったのを知っていたので離れた部屋を指定。
食事は自分で割って食べる塩釜等こっていたけれど居酒屋みたいか。夜は近くの系列ホテル
のテラスで花火見物。翌日は海辺の蒸し風呂施設へ。午後はまたまた地元会員とオフ会。
6月
★鹿児島 東雲の里
数年前にこの日本一をめざす紫陽花園のことを知り、蛍と紫陽花を目当てに1年前に予約。
宿泊は2日に1組なので、週末にこの条件が揃うのは年数日。当日は飛行機が強風で遅れ、
到着が遅れそうと電話したら、予約が消えていたと判明。結局泊まれて蛍風呂、紫陽花の花
も朝晩は貸切で愛でられた。ご主人は陶芸もされていて、記念に夫婦茶碗をいただいた。
★鹿児島 笠沙恵比寿
笠沙(かささ)は地名です。公共の宿。九州方面で楽しい列車デザインをたくさん手がけられ
ている水戸岡さんの設計に興味があり宿泊。パブリックスペースはカラフルでした。部屋は
メゾネットで海の眺めも良かったけれど、食事が和食でなく洋食系ならリゾートっぽくなる
のにと思った記憶が。大浴場は目隠しがないと外から見えそうで、その分、海の眺めや開放
感が半減していて惜しかった。
★岡山 プチホテルゆばらリゾート
全国には6月26日の露天風呂の日に盛大なイベントを行う温泉街がいくつかあります。
九州の何ヶ所か、奥飛騨温泉郷、そしてこの宿のある湯原温泉です。こちらの宿はご主人が
温泉療法やネットにくわしく、専門誌によく記事を書かれていたので興味がありました。
パブロフが旅行直前に腰を痛めたので、あまりイベントには参加せず、のんびり過ごす。
★岡山 香古庵
建物はとても素敵でした。調度品もセンス良し。ただ経営者の顔が見えない宿で、しばらく
閉まっていた時期もあるので今はどうなのでしょう。食事の時のサービスで気になる事が。
7月
★熊本県 五足のくつ
連泊。
★石川 縄文真脇温泉
近くの名民宿「さんなみ」と迷ったが、春に象設計集団の「三余庵」に泊まったので、象
つながり。こちらは日帰りもしている別棟の温泉施設が象設計集団の作品。料理人さんが
研究熱心で、グルメ漫画がたくさん置かれていた。
★石川 シーサイドヴィラ渤海
周辺は桜貝や世界一長いベンチで有名。渤海は7-10世紀に満州から朝鮮半島北部ロシアの
沿海地方にかけて、かつて存在した国。当時行き来があったらしく、船の模型があった。
部屋は洋室。夏休みの繁忙期だからか、夕食は支配人がお世話してくれた。いまいちぎこ
ちなく、他のスタッフに聞くと「まだ慣れてない」ようでした。
8月
フィンランド 2回目 8日 ガレリア地方中心に回る。
9月
★神奈川 パンパシフイックホテル
このホテルには、2月に泊まったオーベルジュオーナーが修行した料理の鉄人のフレンチ
があり、彼の元同僚がいたので、東京方面のメンバーとオフ会。部屋から観覧車が見えた。
★栃木 日光金谷ホテル N35号室
パブロフとこのホテルに泊まるのは2度目。前回はクラッシックホテルプラン利用で別棟
の皇室の方も利用した、眺めの良い部屋でした。N35号室は小山薫堂さんプロデュースの
彼の事務所の名前のついた1室だけの部屋。当時は一休経由のみの予約。支配人クラスの
外車での送迎、その部屋に泊まった人限定の料理等、選択肢の多いサービスでした。知人
が連絡をくれ、羽田で再びオフ会。
大洲でイベントをしていたので愛媛へ。帰路、徳島でミニオフ会といつもの鞄屋さんへ。
★愛媛 休暇村瀬戸内東予
何かのプランに申し込んだからか、部屋は広い角部屋でした。特典の1つのカラオケは
利用しなかったけれど、大浴場でずーっと本を読んでいた女性の事は覚えています。
★愛媛 花の森ホテル
町は栗が名物。宿は料理の評判が良かったのですが、ちょうど近くの道の駅のレストラン
で、夜に料理イベントをしていてこちらへ。担当者さんに町長さんに紹介してもらった。
部屋は山小屋風の洋室でした。
★兵庫 峰山高原 ホテルリラクシア
ここのお風呂でカメラを落としてしばらく不調に。周辺はススキの名所。夜は観月会へ。
ノルウェイの森や平清盛のロケ地。
10月
★新潟 Y月
3室の家族経営。早期申し込みにもかかわらず、部屋の希望は第三希望だった。記念日の
訪問だったので仮予約後に宿の指定する日に改めて電話しても通じず、後日確認した所、
家族で旅行していたようだ。後で食べようと思って部屋の他の場所においていた到着時の
袋入りの菓子は片付けらた。部屋の露天風呂の塀の向こうは、道一本隔ててお墓。お掃除
は苦手らしく、よくみると庭のベンチには錆びたカマが放置され、室内にはカビの生えた
果物が置かれたままだった。使用できるとあったクレジットカードも機械故障で不可に。
★新潟 宝巌堂
栃尾又温泉にある宿は3軒だけで、温泉は日帰りでは利用できません。ここは一番山側で
小規模。少し前にリニューアルしたばかりで、料理・風呂・部屋はとにかく居心地が良し。
全室制覇をめざしています。利用前から連絡を取り合っていた元気な若女将はじめ、宿の
スタッフはさりげなく、温かく、滞在客が快適に過ごせるよう見守ってくれています。
★新潟県 嵐渓荘
秘湯の一軒宿。やはり宿泊前から連絡を取り合っていたこちらのお宿。若いけれど苦労人
のご主人ががんばっています。新潟は私達が訪問した少し後で大地震があり、驚きました。
この頃から私の仕事が多忙になり、旅行に行く時間がなくなる。あまりの忙しさに現実
逃避で訪れたのが、伊丹空港から直行便が出ていた種子島。知らない所に行きたくて選択。
が、小さな飛行機は乗務員のやりくりで出発時間が遅れた。
11月
★鹿児島 種子島コスモリゾート
連泊。いわさき系列だったと思うが、今はもうないのではないか。ホテルと高台のヴィラを
1泊ずつ予約。ホテルの部屋はスイートにアップしてくれた。飛び魚、タンカンと南の島ら
しい食材を利用した料理。
インギー鶏も食べに行った。宇宙センターのロケットを見たり、海辺でお茶してしばし気分
転換。人のいない海岸でレンタカーがパンクした時は困りました。ちょうど引退後で日本を
車で回っていた人に助けてもらった。立ち寄った地元のお菓子屋さんが岡山の知人の親戚!
12月
★山口 てしま旅館
ちょうど1年ぶり。部屋は後からできた一番端のメゾネット。墨白(ぼっぱく)の部屋
2003年末からお正月は山口を中心に周遊。
1月
★山口 川棚グランドホテル
サンチェーロの部屋。ここは1室だけある離れ。到着時はお茶室へ案内され、夕食は敷地内
にあるカウンターのイタリアン、朝食は部屋におかもちが届けられる。大きな宿にはあまり
泊まらないので楽しめた。
★山口 ホテル西長門リゾート
海景色に以前から憧れていた宿。受付してくれたフロントの美しいお姉さんは、電話会社の
ポスターのモデルになったそうで、フロント近くに貼られていた。大浴場のフナムシに泣く。
庭園イルミネーションの点燈をさせてもらった。庭のポピーも積み放題でした♪
長門市役所で旧国地名スタンプをもらう。
★山口 T宿
近くでイチゴ狩りでき、高速道路に近いので決定。地元の大旅館系列。一軒宿。池に面して
いて、アヒルと一緒に散策する。部屋のこたつが壊れていた。食事、特に朝食が寂しかった。
でも日帰り湯で地元では人気らしく、当日も泊まれないかと人が来ていたがお正月だし満室。
新年早々、イニシャル宿が続き、なかなか辛い状況。
朝一番乗りでつぼ湯へ。温泉で玉子やサツマイモやら、いろいろゆでての朝食、そして近く
の川湯温泉で川をせきとめた温泉で泳いでから宿へ。
★和歌山 A屋
つぼ湯近くの秘湯宿。確かに湯の花の舞う温泉は素晴らしい。料理に温泉を使うのもいい。
薦められて2階の風呂付の部屋にしました。でも到着直後から、お風呂のお湯が出ません。
宿の方にその事を伝えたものの、結局だめで、あきらめました。後でロビーでひっそり本を
読んでいると、誰もいないと思った宿の人同士の会話が聞こえてきました。「客の多い連休
はいつもお湯が出なくなる」それって私の部屋の事?確信犯だとしたらひどい話です。当日
の団体客がボイラー協会だったので「直してもらえよ~」とつぶやく私でした。
★和歌山 御宿 N
今はありません。ただその後数年に渡ってこの宿に係わっていました。面白い経験もできた
し、金銭的に被害を受けたわけでもないけれど・・・残念。
2月
★大阪 観音蒸し風呂
珍しい蒸し風呂、花天井、鶏の鍋、レトロな館内は風情があり、以前から訪ねてみたかった
1軒。ここの住所は黄金の里。だから郵便出したら当たるかなと思って応募した福島・飯坂
温泉の宿泊キャンペーン。2人で2通、どちらも当選しました。
★長崎 インターナショナルホテル
最終便で現地入りして翌朝一番から活動のパターン。長崎便の全日空のジャンプシート前に
座っていたのですが、キャビンアテンダントさん達もここのホテルでした。ホテルおすすめ
のお菓子など教えてもらいました。
★長崎 彩月庵
数年前の開業日にネット予約1号で泊まった宿。その後、全国版旅番組のテレビ企画をして
いる知人に放送予定と聞いたので放送に先駆けて再訪。高台にあり部屋のお風呂からの眺め
もよく、お料理もたくさん。この時期の平目を楽しみにしていたのですが・・・食べ損なう。

当時は1日1組の宿でした。地の魚中心に伊勢海老、大島トマトを使ったお料理は食べ切れ
ません。定番のリゾットは宿泊時の朝の楽しみ。オーナーシェフは同じ会員制旅行サロンの
メンバー、奥様は私が子供の頃から利用していた京都のある店で研修した事も。以来通って
います。ちなみに平目はここで食べました。
この年の春は、地元とは東北は1ヵ月、北海道は2ヶ月季節をずらして考える事を学ぶ。
3月
★山形 いきかえりの宿 瀧波
日本の宿。朝のおもちつきが餅好きのパブロフにうれしいかと思い予約。二人には広い部屋
でした。いいお宿だと思うのですが、その後、同じ赤湯温泉で通う宿ができたので。
★山形 名月荘
日本の宿。うっかり椿の季節と思って「椿」の部屋を指定。でも東北はまだ雪ばかりでした。
部屋からの蔵王の眺め、夜のスキー場の照明もきれいでした。部屋は快適で館内施設も充実。
その後、満月コンサート等でも訪れたのでおすすめだと思いますが、上山温泉は高レベルの
宿が多いので。この部屋では会員制宿サロンの前の訪問者が部屋にあるものを隠していたの
ですが、宿側に回収されたようで見つけられませんでした。
★福島 君太郎
今はありません。だから実名で。私達はこちらの宿を「ゲゲゲの君太郎」と呼んでいます。
飯坂温泉観光協会主催の宿泊キャンペーンで1人だけ2,000円程度の宿泊料でした。ですが、
なかなか予約がとれません。長崎便の飛行機待ちの時間に問い合わせていたのを覚えてい
ます。そんなに人気が?と思ったら宿泊日は私達だけ。ボイラー故障(嘘だと思う)で大浴場
は使用不可という事で、お風呂付の離れへ案内される。ラッキーと思ったものの、変な空気
を感じたので、かけじくの裏をチェックしたら・・・お札が・・・でも、それは差し押さえ
の札。あわてて他にもないかあちこち調べていくつか発見。夕食後に少し離れた温泉街へと
思ってロビーに行くと既に電気が消され、施錠されていた。後日、テレビ番組で個人の家に
なっているのを知ってああ、と思いました。私達2人の為にパブリックスペースの光熱費を
使いたくなかったんでしょうね。手土産持参したから、無事に帰れたのかも?
しかし翌日も怪奇現象は続きました。会津若松の宿では、到着時にいきなり地震。
★福島 渋川問屋
そして夜、テレビを見ながらうたた寝していた私は部屋の廊下の外を大勢の人が通り過ぎた
ような騒々しさに目を覚ましました。ですが深夜、最上階の部屋。廊下には誰もいません。
実はこの時、ボーズのヘッドフォンをしてネットをしていた夫も同じ音を聞いていました。
ヘッドフォンはノイズキャンセリングシステムで、ジェット機のファーストクラスでも使わ
れている音を遮断する機能があるのにです。結局それから特に何事もなかったのですが翌朝、
これだったのかと思ったのが、宿泊施設の真横にあった庭のお稲荷さん。その参道を客室へ
の廊下がまたぐように横切っていたのです。さらに宿の近くのお寺は、戊辰戦争時の犠牲者
が集められ、すぐに弔われなかった場所でした。
4月
旅行当日の朝、台所を裸足で歩いていたパブロフが、前夜私が割った陶器の破片を踏み負傷。
まだ病院も開いていない時間なので、関空医務室にて手当てを受ける。温泉行くのにと心配
する彼に「大丈夫、モール泉だから」と意味不明の励ましをする私。飛行機の席は基本前方
をとるようにしているが、団体客がいたからか機材変更で席がグレードアップしてラッキー。
帯広は20年以上前に女友達と来て以来だったので、上質な素材なのに低価格のスイーツ、
六花亭、柳月堂、ぱんじゅう・・・豚丼と食べ歩きも楽しかった。
★北海道 北海道ホテル
三余庵と同系列の以前から泊まりたかったホテル。館内で結婚式も行われ、一足早く春が。
モール泉の温泉あり。ホテルには散策マップが用意されていて、近くの世界一長いベンチの
ある公園へ。巨大なまつぼっくりや、冬の間止まっていた噴水が記憶に残る。
★北海道 三余庵
今回の目的地はこの春オープンしたこちら。2室ある露天風呂付の部屋から「春の海」に。
メゾネットのもう1室も良さそうなので次の機会に。移動距離は長いけれど、建物づたいに
行ける隣接ホテルの大浴場も使えた。川には白鳥の姿も。
5月
★山梨 船山温泉
休前日・連休も同料金、午後1時~と早いチェックイン時間は長距離ドライブの後の初日の
宿に最適。全体的に総合満足度は高い宿です。ただ私達を部屋に案内してくれた人の言動に
動揺。その一言で滞在を楽しめなかった。勇気を出して7年後再訪。ご主人に事情を聞いた
が、その方は問題が多かったので、そういう場合はクレームを言ってほしいと。でもねぇ。
まぁ又7年後に行きます。
★山梨 ぶどうの丘
公共の宿、あまり記憶がない。
★山梨 美味しい学校
併設のイタリアンが目的。多忙な時期なので予約は必須。
★山梨 古守宿一作
1日1組の宿。年数日しか出せない自然素材の献立もあるらしい。ご主人は古物商の資格を
持ち、昼間は敷地内で骨董品を扱っている。そちらも自由に歩けるけれど夜は怖そう。古い
硝子瓶をお土産にいただきました。
★京都 ハーベストホテル
参加していた会員制旅行サロンのオフ会。私が幹事でしたが、全国から人が来てくれたので
予想外に大変でした。場所は要庵西富家さん。女性1人参加者と3人でこちらに宿泊。

5月末満開の皐月の時期に。少し前の京都でのオフ会は反省面も多く、落ちこみがちでした
が、この宿に行きつけの大勢の会員がその事をご亭主に伝えてくれており、最大限のおもて
なしをしていただいた。すぐ全室制覇を決める。庭園の四季の美しさを満喫すべく、11ヶ
月毎(5月→翌年4月→翌々年3月・・・)に訪ねる事として10年。今年の夏で全室制覇だ。
宿の蔵書に次に来る会員への秘密メッセージを残したり、いろいろ遊ばせてもらった。翌日
は地元会員と系列店でミニオフ会。
★広島 仙酔島 ここから
鯛で有名な鞆の浦の海開き日。宿は元国民宿舎。今は2000年に泊まった岡山空港近くの
ホテルと同系列だと思う。数年前に○○事件があったのを知っていたので離れた部屋を指定。
食事は自分で割って食べる塩釜等こっていたけれど居酒屋みたいか。夜は近くの系列ホテル
のテラスで花火見物。翌日は海辺の蒸し風呂施設へ。午後はまたまた地元会員とオフ会。
6月
★鹿児島 東雲の里
数年前にこの日本一をめざす紫陽花園のことを知り、蛍と紫陽花を目当てに1年前に予約。
宿泊は2日に1組なので、週末にこの条件が揃うのは年数日。当日は飛行機が強風で遅れ、
到着が遅れそうと電話したら、予約が消えていたと判明。結局泊まれて蛍風呂、紫陽花の花
も朝晩は貸切で愛でられた。ご主人は陶芸もされていて、記念に夫婦茶碗をいただいた。
★鹿児島 笠沙恵比寿
笠沙(かささ)は地名です。公共の宿。九州方面で楽しい列車デザインをたくさん手がけられ
ている水戸岡さんの設計に興味があり宿泊。パブリックスペースはカラフルでした。部屋は
メゾネットで海の眺めも良かったけれど、食事が和食でなく洋食系ならリゾートっぽくなる
のにと思った記憶が。大浴場は目隠しがないと外から見えそうで、その分、海の眺めや開放
感が半減していて惜しかった。
★岡山 プチホテルゆばらリゾート
全国には6月26日の露天風呂の日に盛大なイベントを行う温泉街がいくつかあります。
九州の何ヶ所か、奥飛騨温泉郷、そしてこの宿のある湯原温泉です。こちらの宿はご主人が
温泉療法やネットにくわしく、専門誌によく記事を書かれていたので興味がありました。
パブロフが旅行直前に腰を痛めたので、あまりイベントには参加せず、のんびり過ごす。
★岡山 香古庵
建物はとても素敵でした。調度品もセンス良し。ただ経営者の顔が見えない宿で、しばらく
閉まっていた時期もあるので今はどうなのでしょう。食事の時のサービスで気になる事が。
7月

連泊。
★石川 縄文真脇温泉
近くの名民宿「さんなみ」と迷ったが、春に象設計集団の「三余庵」に泊まったので、象
つながり。こちらは日帰りもしている別棟の温泉施設が象設計集団の作品。料理人さんが
研究熱心で、グルメ漫画がたくさん置かれていた。
★石川 シーサイドヴィラ渤海
周辺は桜貝や世界一長いベンチで有名。渤海は7-10世紀に満州から朝鮮半島北部ロシアの
沿海地方にかけて、かつて存在した国。当時行き来があったらしく、船の模型があった。
部屋は洋室。夏休みの繁忙期だからか、夕食は支配人がお世話してくれた。いまいちぎこ
ちなく、他のスタッフに聞くと「まだ慣れてない」ようでした。
8月
フィンランド 2回目 8日 ガレリア地方中心に回る。
9月
★神奈川 パンパシフイックホテル
このホテルには、2月に泊まったオーベルジュオーナーが修行した料理の鉄人のフレンチ
があり、彼の元同僚がいたので、東京方面のメンバーとオフ会。部屋から観覧車が見えた。
★栃木 日光金谷ホテル N35号室
パブロフとこのホテルに泊まるのは2度目。前回はクラッシックホテルプラン利用で別棟
の皇室の方も利用した、眺めの良い部屋でした。N35号室は小山薫堂さんプロデュースの
彼の事務所の名前のついた1室だけの部屋。当時は一休経由のみの予約。支配人クラスの
外車での送迎、その部屋に泊まった人限定の料理等、選択肢の多いサービスでした。知人
が連絡をくれ、羽田で再びオフ会。
大洲でイベントをしていたので愛媛へ。帰路、徳島でミニオフ会といつもの鞄屋さんへ。
★愛媛 休暇村瀬戸内東予
何かのプランに申し込んだからか、部屋は広い角部屋でした。特典の1つのカラオケは
利用しなかったけれど、大浴場でずーっと本を読んでいた女性の事は覚えています。
★愛媛 花の森ホテル
町は栗が名物。宿は料理の評判が良かったのですが、ちょうど近くの道の駅のレストラン
で、夜に料理イベントをしていてこちらへ。担当者さんに町長さんに紹介してもらった。
部屋は山小屋風の洋室でした。
★兵庫 峰山高原 ホテルリラクシア
ここのお風呂でカメラを落としてしばらく不調に。周辺はススキの名所。夜は観月会へ。
ノルウェイの森や平清盛のロケ地。
10月
★新潟 Y月
3室の家族経営。早期申し込みにもかかわらず、部屋の希望は第三希望だった。記念日の
訪問だったので仮予約後に宿の指定する日に改めて電話しても通じず、後日確認した所、
家族で旅行していたようだ。後で食べようと思って部屋の他の場所においていた到着時の
袋入りの菓子は片付けらた。部屋の露天風呂の塀の向こうは、道一本隔ててお墓。お掃除
は苦手らしく、よくみると庭のベンチには錆びたカマが放置され、室内にはカビの生えた
果物が置かれたままだった。使用できるとあったクレジットカードも機械故障で不可に。

栃尾又温泉にある宿は3軒だけで、温泉は日帰りでは利用できません。ここは一番山側で
小規模。少し前にリニューアルしたばかりで、料理・風呂・部屋はとにかく居心地が良し。
全室制覇をめざしています。利用前から連絡を取り合っていた元気な若女将はじめ、宿の
スタッフはさりげなく、温かく、滞在客が快適に過ごせるよう見守ってくれています。

秘湯の一軒宿。やはり宿泊前から連絡を取り合っていたこちらのお宿。若いけれど苦労人
のご主人ががんばっています。新潟は私達が訪問した少し後で大地震があり、驚きました。
この頃から私の仕事が多忙になり、旅行に行く時間がなくなる。あまりの忙しさに現実
逃避で訪れたのが、伊丹空港から直行便が出ていた種子島。知らない所に行きたくて選択。
が、小さな飛行機は乗務員のやりくりで出発時間が遅れた。
11月
★鹿児島 種子島コスモリゾート
連泊。いわさき系列だったと思うが、今はもうないのではないか。ホテルと高台のヴィラを
1泊ずつ予約。ホテルの部屋はスイートにアップしてくれた。飛び魚、タンカンと南の島ら
しい食材を利用した料理。
インギー鶏も食べに行った。宇宙センターのロケットを見たり、海辺でお茶してしばし気分
転換。人のいない海岸でレンタカーがパンクした時は困りました。ちょうど引退後で日本を
車で回っていた人に助けてもらった。立ち寄った地元のお菓子屋さんが岡山の知人の親戚!
12月

ちょうど1年ぶり。部屋は後からできた一番端のメゾネット。墨白(ぼっぱく)の部屋
2002年末から九州旅行へ。
以前から、島原のお城ファンタジア(ライトアップ)を見たかったので、近くの宿で興味の
あったこちらに。
★長崎 やすらぎの宿 木綿木(ゆうき)
民宿ですが、建物は飛騨のオークビレッジだし、お料理もこっていました。ただ遅く着い
たので、夕食、その後すぐにお風呂と女性オーナーに指示され、落ち着かず。翌朝、部屋
の窓から雲仙普賢岳をまじかに見て、この雄大さを味わうなら早く着くべきだったと悟る。
★長崎 フォギーヴィラ
豪華な施設でしたが、今はもうないのではないかと思う。近所のクリニックの奥様経営と
聞いた。近くの港には恵比寿様が沢山まつられていた。
★佐賀 大正屋椎葉山荘
館内あちこちで感心。部屋にあらかじめ数種類用意された浴衣等も機能的。デザイナーズ
旅館の走りではないかと思う。佐賀牛中心の食事や豆乳など食事も満足度が高い宿でした。
★佐賀 S風庵
完全予約制の薬膳店。昼食で訪れ、雪で高速が止まり泊めてもらった。ここは人生相談で
訪れる人も多いらしい。ちょっと怪しい女主人の気功のおかげで、パブロフ禁煙成功。
2月
★静岡 陶の宿あやとり
近くの前年できた「あせび野」と迷ってこちらに。露天風呂付の部屋。常識的な事ばかり
だが、部屋の使い方等注文の多い宿であった。夕食は窓に向いて2組4人が横並びの家族
ゲームのような席だった。
★静岡 G峰館
河津桜の時期に。
当時はヤングマン歌手の行きつけ宿と聞いた。バリ好きの前経営者時代だから、今は違う
と思います。部屋設備は最低限だが、豊富な湯量の温泉と食事に惹かれ予約。温泉プール
の底はヌルヌル、雑誌でよく見る素敵な雰囲気の無料貸切露天風呂は床が斜め、写真マジ
ックを感じた。河津桜のパンフレットが宿にコピー1枚しかなく、後で観光協会でもらう
時に「あそこは旅館組合に入ってないから」と聞いた。
★静岡 民宿かいとく丸
知人が日本三大民宿と呼んでいたが、その中では最初の訪問。お料理は良かったが部屋に
トイレがないのは、寒い時期は辛いかな。
★岡山 あしもり荘
料理が美味しいと聞き宿泊。近くの吉田牧場に訪問してチーズ購入。この頃は簡単に買え
ました。
3月
阿蘇の山焼きにあわせて九州へ。宿は竹つながりで。
★熊本 旅館 竹楽亭
部屋の露天風呂にて灰にまみれる(山焼き目的だから想定内)。関西からの客は少ないので、
歓迎してもらえた。
★熊本 竹ふえ
前経営者時代。今は大阪の会社の経営だと思う。当初は新しい露天風呂付の部屋と思って
いたが、1番人気の「小夜」も空いていたので予約。アイデアは豊富なものの、計画倒れ
のまま放置の施設多数。別料金の陶芸体験で湯のみ作成。工作少年パブロフの才能開花。
4月
あんずの花期に。しかし桜もチューリップもまだでした。
★長野 岩の湯
11ヶ月前、朝8時からの予約には苦労。接客ルールはないと聞いたが、一部丁寧すぎて
なじめず。洞窟風呂、食事の演出、滞在時間の長さ等素晴らしいと思うが、なかなか再訪
できず。秘湯スタンプ。
★長野 三水館
メゾネットの蔵の部屋に泊まり、寝室の寒さに震えて1階のこたつで寝た。草鍋ではお腹
こわした。食事は個室。にゃんぞうが窓から侵入を試みてくれて笑えた。
4月~5月
芝桜、藤等世羅高原の花めぐりへ。
★広島 森の泉
公共の宿 日帰り温泉施設があり、宿泊客も靴をコイン返還式ロッカーにしまうのだが、
パブロフ回収を忘れる。ナイアガラの滝の時も、往復支払っていたな。
★広島 千両万両
神楽がテーマの施設。部屋は2階の角部屋だった。食事は豆腐料理等。
5月
★小豆島 真里
メゾネットの蔵に宿泊。食事も美味しく、全体的によく工夫されているが予約困難。後に
他の部屋で再訪したが、距離的にも近く、私的には宿泊時に補助金も出る施設なのに・・・
6月
忘れな草の季節に。
この頃は四葉のクローバーを何も考えず1回で見つけられた。御岳でも1枚。
★岐阜 倭乃里
飛騨らしい大らかな宿だが、奥飛騨には魅力的な宿が多く再訪はしていない。
★長野 つたや季の里 風里
こちらは近くの宿が出した新しい宿。庭のテラス、部屋の緑、季語を使った献立名の工夫等、
多くの試みは高評価。秘湯スタンプ。
7月
★徳島 ホテル秘境の湯
2室ある洋室を指定したら最上階でした。夕食にほこりよけなのか大きな覆いがかけられて
いた。
★高知 某コテージ
知人が雑誌に四国で最高の鮎が食べられると書いていたので訪問。でも折からの台風で川は
氾濫、部屋はかび臭かった。インクラインに乗った。
★徳島 ホテルリビエラししくい
室戸岬越えは大変だったが、眺めの良い海岸沿いの宿でした。
8月
フランス 8日間
この年は猛暑で、ホテルにクーラーのない宿も多いフランスは大変でした。
9月
★熊本 ほたるの長屋
平山温泉に泊まりたくて予約。この頃は2室だけで小さい方の部屋。私が夕食時体調不良に。
部屋の特徴が某宿と似ていたので女将に聞くと、知人K氏が某宿の前に手がけた宿でした。
当時は日帰り温泉併設。
★熊本 国民宿舎 通潤荘
地元のお祭り、花火と通潤橋の放水が目的で旅を企画。遠方からの客という事で、最上階
の眺めの良い部屋にしてくれた。通潤橋は上を歩け、やはり昔は歩けた世界遺産、南仏の
ポン・デュ・ガールを思い出した。
10月
★福島 高蔵内源泉
某雑誌への掲載記念に、露天風呂付の部屋にホムペのカウンター数の料金で宿泊できる
キャンペーンをしていて確か1人1.5万円程度で宿泊。差額分は手土産を持参した。する
と突然お土産を下さった。
★栃木 こころのお宿 G荘
実は近所の宿と間違えて予約。ちょうどリニューアル中でお留守番をしていた名前からして
経営者一族らしい支配人を通じて1階の部屋を予約。部屋は配色センスと排水(下水臭い)に
難があり、灰色の滞在に。
★栃木 二期倶楽部 東館
実はここに泊まるのがメインの旅でした。コンラン卿デザインの新しい部屋は、斬新にして
快適。レストランでの食事も美味。広い敷地も歩きがいがあった。
★京都 ほん梅の里
松茸目的で宿泊。近所の散策で真っ赤な、からすうりを見つけて嬉しかったなぁ。
11月
★宮崎 シーガイア ホテル45だっけ?
妹と旅行。私はオープン翌年に続いて2度目の宿泊。宮崎は実家の家族旅行でよく訪れた
が、今回は風邪を引いて体調不良。少し前に泊まった両親はスイートで、食事も良かった
らしいが、
私はあまり記憶がない。
★宮城 だいこんの花
オープンにあわせて旅行。部屋はスタッフにオススメを聞いて、今でも人気のメゾネット
苅田岳。その後知人の予約をもらってリピート。いろいろな意味であちこちの宿に影響を
与えたと思う。
★山形 銀山温泉 能登屋
予約困難と聞いていたが、さらに部屋指定した。それは表通りに面した角部屋で橋田先生
「おしん」執筆部屋。追加料金を払って宿泊。パブロフが2人前食べた夕食の牡蠣に当たる。
秘湯スタンプ。宿の浴衣を来てカフェに行ったら、他の客からどうやって「能登屋」の予約
をしたのか聞かれた。予想外の雪に風情(恐怖も)を感じた。
★宮城県・松庵
眺めの良い部屋。遊歩道、興味を持っていたバーの仕組みや、タバコの自販機の目隠し等
に感心。現在はリピ宿の若女将の親友が女将なので、いずれ再訪したい。
12月
★滋賀 日登美山荘
1日1組。2人で予約可能の紅葉時期の週末で記念日に計画。猿抜き大根を販売するなど
商売上手。かの地ではあらゆる生物が元気なのか、夜食に置いていた岩魚釜飯のおにぎり
の上に黒い昆虫が~。
2004年にかけて
12月
★山口 てしま旅館
お風呂に椅子を置く視覚に訴えるスタイルはここから広まったのではないか。小規模宿に
勇気を与えた宿だと思う。友達になった番頭は当時まだ20代半ば。お父様の作るお料理
も美味で、家族ぐるみのもてなしも温かかった。全室制覇済。
以前から、島原のお城ファンタジア(ライトアップ)を見たかったので、近くの宿で興味の
あったこちらに。
★長崎 やすらぎの宿 木綿木(ゆうき)
民宿ですが、建物は飛騨のオークビレッジだし、お料理もこっていました。ただ遅く着い
たので、夕食、その後すぐにお風呂と女性オーナーに指示され、落ち着かず。翌朝、部屋
の窓から雲仙普賢岳をまじかに見て、この雄大さを味わうなら早く着くべきだったと悟る。
★長崎 フォギーヴィラ
豪華な施設でしたが、今はもうないのではないかと思う。近所のクリニックの奥様経営と
聞いた。近くの港には恵比寿様が沢山まつられていた。
★佐賀 大正屋椎葉山荘
館内あちこちで感心。部屋にあらかじめ数種類用意された浴衣等も機能的。デザイナーズ
旅館の走りではないかと思う。佐賀牛中心の食事や豆乳など食事も満足度が高い宿でした。
★佐賀 S風庵
完全予約制の薬膳店。昼食で訪れ、雪で高速が止まり泊めてもらった。ここは人生相談で
訪れる人も多いらしい。ちょっと怪しい女主人の気功のおかげで、パブロフ禁煙成功。
2月
★静岡 陶の宿あやとり
近くの前年できた「あせび野」と迷ってこちらに。露天風呂付の部屋。常識的な事ばかり
だが、部屋の使い方等注文の多い宿であった。夕食は窓に向いて2組4人が横並びの家族
ゲームのような席だった。
★静岡 G峰館
河津桜の時期に。
当時はヤングマン歌手の行きつけ宿と聞いた。バリ好きの前経営者時代だから、今は違う
と思います。部屋設備は最低限だが、豊富な湯量の温泉と食事に惹かれ予約。温泉プール
の底はヌルヌル、雑誌でよく見る素敵な雰囲気の無料貸切露天風呂は床が斜め、写真マジ
ックを感じた。河津桜のパンフレットが宿にコピー1枚しかなく、後で観光協会でもらう
時に「あそこは旅館組合に入ってないから」と聞いた。
★静岡 民宿かいとく丸
知人が日本三大民宿と呼んでいたが、その中では最初の訪問。お料理は良かったが部屋に
トイレがないのは、寒い時期は辛いかな。
★岡山 あしもり荘
料理が美味しいと聞き宿泊。近くの吉田牧場に訪問してチーズ購入。この頃は簡単に買え
ました。
3月
阿蘇の山焼きにあわせて九州へ。宿は竹つながりで。
★熊本 旅館 竹楽亭
部屋の露天風呂にて灰にまみれる(山焼き目的だから想定内)。関西からの客は少ないので、
歓迎してもらえた。
★熊本 竹ふえ
前経営者時代。今は大阪の会社の経営だと思う。当初は新しい露天風呂付の部屋と思って
いたが、1番人気の「小夜」も空いていたので予約。アイデアは豊富なものの、計画倒れ
のまま放置の施設多数。別料金の陶芸体験で湯のみ作成。工作少年パブロフの才能開花。
4月
あんずの花期に。しかし桜もチューリップもまだでした。
★長野 岩の湯
11ヶ月前、朝8時からの予約には苦労。接客ルールはないと聞いたが、一部丁寧すぎて
なじめず。洞窟風呂、食事の演出、滞在時間の長さ等素晴らしいと思うが、なかなか再訪
できず。秘湯スタンプ。
★長野 三水館
メゾネットの蔵の部屋に泊まり、寝室の寒さに震えて1階のこたつで寝た。草鍋ではお腹
こわした。食事は個室。にゃんぞうが窓から侵入を試みてくれて笑えた。
4月~5月
芝桜、藤等世羅高原の花めぐりへ。
★広島 森の泉
公共の宿 日帰り温泉施設があり、宿泊客も靴をコイン返還式ロッカーにしまうのだが、
パブロフ回収を忘れる。ナイアガラの滝の時も、往復支払っていたな。
★広島 千両万両
神楽がテーマの施設。部屋は2階の角部屋だった。食事は豆腐料理等。
5月
★小豆島 真里
メゾネットの蔵に宿泊。食事も美味しく、全体的によく工夫されているが予約困難。後に
他の部屋で再訪したが、距離的にも近く、私的には宿泊時に補助金も出る施設なのに・・・
6月
忘れな草の季節に。
この頃は四葉のクローバーを何も考えず1回で見つけられた。御岳でも1枚。
★岐阜 倭乃里
飛騨らしい大らかな宿だが、奥飛騨には魅力的な宿が多く再訪はしていない。
★長野 つたや季の里 風里
こちらは近くの宿が出した新しい宿。庭のテラス、部屋の緑、季語を使った献立名の工夫等、
多くの試みは高評価。秘湯スタンプ。
7月
★徳島 ホテル秘境の湯
2室ある洋室を指定したら最上階でした。夕食にほこりよけなのか大きな覆いがかけられて
いた。
★高知 某コテージ
知人が雑誌に四国で最高の鮎が食べられると書いていたので訪問。でも折からの台風で川は
氾濫、部屋はかび臭かった。インクラインに乗った。
★徳島 ホテルリビエラししくい
室戸岬越えは大変だったが、眺めの良い海岸沿いの宿でした。
8月
フランス 8日間
この年は猛暑で、ホテルにクーラーのない宿も多いフランスは大変でした。
9月
★熊本 ほたるの長屋
平山温泉に泊まりたくて予約。この頃は2室だけで小さい方の部屋。私が夕食時体調不良に。
部屋の特徴が某宿と似ていたので女将に聞くと、知人K氏が某宿の前に手がけた宿でした。
当時は日帰り温泉併設。
★熊本 国民宿舎 通潤荘
地元のお祭り、花火と通潤橋の放水が目的で旅を企画。遠方からの客という事で、最上階
の眺めの良い部屋にしてくれた。通潤橋は上を歩け、やはり昔は歩けた世界遺産、南仏の
ポン・デュ・ガールを思い出した。
10月
★福島 高蔵内源泉
某雑誌への掲載記念に、露天風呂付の部屋にホムペのカウンター数の料金で宿泊できる
キャンペーンをしていて確か1人1.5万円程度で宿泊。差額分は手土産を持参した。する
と突然お土産を下さった。
★栃木 こころのお宿 G荘
実は近所の宿と間違えて予約。ちょうどリニューアル中でお留守番をしていた名前からして
経営者一族らしい支配人を通じて1階の部屋を予約。部屋は配色センスと排水(下水臭い)に
難があり、灰色の滞在に。
★栃木 二期倶楽部 東館
実はここに泊まるのがメインの旅でした。コンラン卿デザインの新しい部屋は、斬新にして
快適。レストランでの食事も美味。広い敷地も歩きがいがあった。
★京都 ほん梅の里
松茸目的で宿泊。近所の散策で真っ赤な、からすうりを見つけて嬉しかったなぁ。
11月
★宮崎 シーガイア ホテル45だっけ?
妹と旅行。私はオープン翌年に続いて2度目の宿泊。宮崎は実家の家族旅行でよく訪れた
が、今回は風邪を引いて体調不良。少し前に泊まった両親はスイートで、食事も良かった
らしいが、
私はあまり記憶がない。

オープンにあわせて旅行。部屋はスタッフにオススメを聞いて、今でも人気のメゾネット
苅田岳。その後知人の予約をもらってリピート。いろいろな意味であちこちの宿に影響を
与えたと思う。
★山形 銀山温泉 能登屋
予約困難と聞いていたが、さらに部屋指定した。それは表通りに面した角部屋で橋田先生
「おしん」執筆部屋。追加料金を払って宿泊。パブロフが2人前食べた夕食の牡蠣に当たる。
秘湯スタンプ。宿の浴衣を来てカフェに行ったら、他の客からどうやって「能登屋」の予約
をしたのか聞かれた。予想外の雪に風情(恐怖も)を感じた。
★宮城県・松庵
眺めの良い部屋。遊歩道、興味を持っていたバーの仕組みや、タバコの自販機の目隠し等
に感心。現在はリピ宿の若女将の親友が女将なので、いずれ再訪したい。
12月
★滋賀 日登美山荘
1日1組。2人で予約可能の紅葉時期の週末で記念日に計画。猿抜き大根を販売するなど
商売上手。かの地ではあらゆる生物が元気なのか、夜食に置いていた岩魚釜飯のおにぎり
の上に黒い昆虫が~。
2004年にかけて
12月

お風呂に椅子を置く視覚に訴えるスタイルはここから広まったのではないか。小規模宿に
勇気を与えた宿だと思う。友達になった番頭は当時まだ20代半ば。お父様の作るお料理
も美味で、家族ぐるみのもてなしも温かかった。全室制覇済。
最近、あまり宿の紹介を書いていなくて、つい簡単な地元のグルメ紹介ばかり。
ブログ名とも合っていませんね。
そこで備忘録を兼ねて、昨年複数の理由で遠出を控えるまで、ここ10年の旅と宿の簡単
な記録をまとめました。
2002年は、それまで海外やホテルが好きだった私達が、初めて再訪どころか全室制覇
したいと思った宿にめぐりあえ、旅のスタイルが変わった記念すべき年。
古い情報ですが、皆様のお役に立てれば幸いです。
は、その後もリピートしている宿。
情報は宿泊時のもので、今はない宿も出てきます。
この年はありませんが、いろいろあって2度と行きたくない宿は、イニシャルにしました。
2001年末から四国旅行へ。
高知で3軒
★海辺の果樹園 (特別室)、
★黒潮本陣 (洋室 前回と同じ部屋)、
★テルメ足摺 (テラスのある部屋)と回って・・・
1月
★愛媛 ベルリーフ大月
海辺の公共宿。洋室(楽だし)希望だったが満室で和室で予約。でも当日空いていたので変更
してもらえました。
★愛媛 宇和島社会保険センター
高台にあり、すぐお隣の闘牛場で開催される闘牛見物に便利なので予約。雪が降って困った。
★愛媛 今治国際ホテル
豪華なみかけだが、部屋の端の出っ張り部分に行くとミシっと音がして怖かった。夜は鉄板
焼鳥へ。
★広島・ナティーク城山
夕食デザートのアップルパイ美味。広いテラスは夏か対岸の山に桜の咲く頃が良さそう。
島の観光施設で抽選したら、山盛りレモンが当たったので、部屋でレモン風呂をしました。
この間の記憶と記録がありません。
滋賀と何ヶ所か泊まったと思うのですが・・・
いつか写真整理したら思い出すかな。
5月
★富山 ニチマ倶楽部
魚津の朝市(抽選で魚セットが当選)、ホタルイカ、チューリップの花の時期にあわせて宿泊。
女子寮2つを1つの建物に。カマクラの部屋。
★富山 桜ケ池 クアガーデン
部屋や家具はゆったりしたアメリカンタイプ。料理はフレンチか~と思った記憶が。今では
知人のY氏が公務員時代に携わった公共宿。
6月
★岡山 元仲田邸くらやしき
高梁の皐月の時期に。
2階の階段正面の部屋。部屋に冷房なし。からし入の甘辛い茄子の漬物と白米が美味でした。
6月~7月
★熊本 竹の倉山荘
全室露天風呂付 その後知人となるK氏が手がけていた。
★熊本 山口旅館
秘湯を守る会。玄関の赤いポスト、湯浴み着で入る滝風呂、館内連絡にケータイを利用して
いたのが印象に残りました。夕食ほぼいっきだし。隣の地獄温泉に日帰り入浴。
★熊本 石山離宮 五足のくつ
オープン日に宿泊。海と山を臨む立地。そのリゾート感、新鮮な食材、赤茶色の温泉の部屋
露天風呂に魅了され、初めて全室制覇を決意した宿。その後10年かけて制覇。旅館のコン
サルで初代支配人K氏と知り合う。
7月
★岡山 ホテル蒜山ヒルズ
ラベンダーの季節に。バリアフリールーム利用。夜のクイズ大会のお題、日本の車メーカー
で光岡自動車と答え、人と重なったので決勝に進めなかった。
8月
★トルコ8日間
9月
★長野 ゲストハウス小布施
栗シーズンに合わせて。メゾネット利用 部屋のベッドが高く、照明の色がバラバラだった。
★長野 村のホテル 住吉屋
「妙高」の部屋指定。祭にあわせて花火も見物。サービス微妙であった。
航空会社の空の日のキャンペーン利用。
★大分 レゾネイトクラブくじゅう
部屋指定は不可だが、希望に近い眺めの部屋にしてもらえた。宿泊日の朝から電話して貸切
露天風呂を予約。当時は阿蘇赤牛のバイキングをしていたのでランチからこちらへ。デザート
は近くのガンジー牧場で。
★大分 翡翠之庄
知人も泊まったメゾネット野崎に宿泊。部屋露天のお湯が自然と抜けて困った。エノハ料理と
長湯温泉と姉妹都市のドイツのアイスワインを注文。夕食前はお風呂近くで小さな缶ビールの
サービスがあった。ただ、離れとそれ以外の部屋では浴衣が違うので・・・
10月
両宿とも紅葉見物で。秘湯を守る会
★岐阜 かつら木の郷
離れ。休前日に2人不可だったので平日に。長距離移動の廊下も飽きないようにさまざまな
オブジェが飾られていた。朝市、もらい湯のできる「のくとまり手形」と福地温泉は魅力的。
★岐阜 槍見館
休前日も洋室ならとの事で宿泊。しかし深夜まで隣室が騒がしく睡眠不足に。楽しいお風呂
がたくさんあった。
11月~12月
フグとカニを食べに。
★福井 幸楽
民宿だが海の幸豊富と聞き申し込む。社会保険関係の補助あり。
★京都 ワインとお宿千歳
特別室。部屋から見える運河に漂うクラゲは素敵な眺めでした。部屋のポストカードが3桁
(古)だったのと、室内の目立つ場所に料金表が貼られていたのには苦笑。ワイン好き向き。
12月
★島根 玉造温泉 玉泉
社員旅行で。女子は2人のみ参加で洋室に。当時は女1人に男50人の良い時代だったなぁ。
★兵庫 有馬 花小宿
温泉でクリスマス。知人お髭のS兵衛様経営宿。当時、洋室の金茶の硝子には憧れたものだ。
★兵庫 オテル・ド・マヤ
部屋は殺風景な公共宿。食事やサービスは工夫され、ジャグジーからの夜景は最高でした(寒)
そして2002年末は山口から九州へ。
★山口 ホテル海峡ビュー下関
1番端の広い部屋。その年の夏に下関の姉妹都市イスタンブールに行ったのでご縁を感じる。
★大分 山荘天水
K氏が以前支配人をしていた宿の姉妹宿。川に面したバーは必見。たくさんある無料の貸切
露天風呂のおすすめは「かま」と「きり」。
部屋での食事の世話してくれた方とは音楽の話で盛り上がり、心づけは音楽券にした。
前年夏に北欧で購入したヴィトンの財布をお褒めいただいた支配人からは記念品をいただく。
福岡 豊前市役所にて旧国地名スタンプ押印。
★熊本 石山離宮 五足のくつ
大晦日は特別な宿になったこちらでのんびり過ごしました。
ブログ名とも合っていませんね。
そこで備忘録を兼ねて、昨年複数の理由で遠出を控えるまで、ここ10年の旅と宿の簡単
な記録をまとめました。
2002年は、それまで海外やホテルが好きだった私達が、初めて再訪どころか全室制覇
したいと思った宿にめぐりあえ、旅のスタイルが変わった記念すべき年。
古い情報ですが、皆様のお役に立てれば幸いです。

情報は宿泊時のもので、今はない宿も出てきます。
この年はありませんが、いろいろあって2度と行きたくない宿は、イニシャルにしました。
2001年末から四国旅行へ。
高知で3軒
★海辺の果樹園 (特別室)、
★黒潮本陣 (洋室 前回と同じ部屋)、
★テルメ足摺 (テラスのある部屋)と回って・・・
1月
★愛媛 ベルリーフ大月
海辺の公共宿。洋室(楽だし)希望だったが満室で和室で予約。でも当日空いていたので変更
してもらえました。
★愛媛 宇和島社会保険センター
高台にあり、すぐお隣の闘牛場で開催される闘牛見物に便利なので予約。雪が降って困った。
★愛媛 今治国際ホテル
豪華なみかけだが、部屋の端の出っ張り部分に行くとミシっと音がして怖かった。夜は鉄板
焼鳥へ。
★広島・ナティーク城山
夕食デザートのアップルパイ美味。広いテラスは夏か対岸の山に桜の咲く頃が良さそう。
島の観光施設で抽選したら、山盛りレモンが当たったので、部屋でレモン風呂をしました。
この間の記憶と記録がありません。
滋賀と何ヶ所か泊まったと思うのですが・・・
いつか写真整理したら思い出すかな。
5月
★富山 ニチマ倶楽部
魚津の朝市(抽選で魚セットが当選)、ホタルイカ、チューリップの花の時期にあわせて宿泊。
女子寮2つを1つの建物に。カマクラの部屋。
★富山 桜ケ池 クアガーデン
部屋や家具はゆったりしたアメリカンタイプ。料理はフレンチか~と思った記憶が。今では
知人のY氏が公務員時代に携わった公共宿。
6月
★岡山 元仲田邸くらやしき
高梁の皐月の時期に。
2階の階段正面の部屋。部屋に冷房なし。からし入の甘辛い茄子の漬物と白米が美味でした。
6月~7月
★熊本 竹の倉山荘
全室露天風呂付 その後知人となるK氏が手がけていた。
★熊本 山口旅館
秘湯を守る会。玄関の赤いポスト、湯浴み着で入る滝風呂、館内連絡にケータイを利用して
いたのが印象に残りました。夕食ほぼいっきだし。隣の地獄温泉に日帰り入浴。

オープン日に宿泊。海と山を臨む立地。そのリゾート感、新鮮な食材、赤茶色の温泉の部屋
露天風呂に魅了され、初めて全室制覇を決意した宿。その後10年かけて制覇。旅館のコン
サルで初代支配人K氏と知り合う。
7月
★岡山 ホテル蒜山ヒルズ
ラベンダーの季節に。バリアフリールーム利用。夜のクイズ大会のお題、日本の車メーカー
で光岡自動車と答え、人と重なったので決勝に進めなかった。
8月
★トルコ8日間
9月
★長野 ゲストハウス小布施
栗シーズンに合わせて。メゾネット利用 部屋のベッドが高く、照明の色がバラバラだった。
★長野 村のホテル 住吉屋
「妙高」の部屋指定。祭にあわせて花火も見物。サービス微妙であった。
航空会社の空の日のキャンペーン利用。
★大分 レゾネイトクラブくじゅう
部屋指定は不可だが、希望に近い眺めの部屋にしてもらえた。宿泊日の朝から電話して貸切
露天風呂を予約。当時は阿蘇赤牛のバイキングをしていたのでランチからこちらへ。デザート
は近くのガンジー牧場で。
★大分 翡翠之庄
知人も泊まったメゾネット野崎に宿泊。部屋露天のお湯が自然と抜けて困った。エノハ料理と
長湯温泉と姉妹都市のドイツのアイスワインを注文。夕食前はお風呂近くで小さな缶ビールの
サービスがあった。ただ、離れとそれ以外の部屋では浴衣が違うので・・・
10月
両宿とも紅葉見物で。秘湯を守る会
★岐阜 かつら木の郷
離れ。休前日に2人不可だったので平日に。長距離移動の廊下も飽きないようにさまざまな
オブジェが飾られていた。朝市、もらい湯のできる「のくとまり手形」と福地温泉は魅力的。
★岐阜 槍見館
休前日も洋室ならとの事で宿泊。しかし深夜まで隣室が騒がしく睡眠不足に。楽しいお風呂
がたくさんあった。
11月~12月
フグとカニを食べに。
★福井 幸楽
民宿だが海の幸豊富と聞き申し込む。社会保険関係の補助あり。
★京都 ワインとお宿千歳
特別室。部屋から見える運河に漂うクラゲは素敵な眺めでした。部屋のポストカードが3桁
(古)だったのと、室内の目立つ場所に料金表が貼られていたのには苦笑。ワイン好き向き。
12月
★島根 玉造温泉 玉泉
社員旅行で。女子は2人のみ参加で洋室に。当時は女1人に男50人の良い時代だったなぁ。
★兵庫 有馬 花小宿
温泉でクリスマス。知人お髭のS兵衛様経営宿。当時、洋室の金茶の硝子には憧れたものだ。
★兵庫 オテル・ド・マヤ
部屋は殺風景な公共宿。食事やサービスは工夫され、ジャグジーからの夜景は最高でした(寒)
そして2002年末は山口から九州へ。
★山口 ホテル海峡ビュー下関
1番端の広い部屋。その年の夏に下関の姉妹都市イスタンブールに行ったのでご縁を感じる。
★大分 山荘天水
K氏が以前支配人をしていた宿の姉妹宿。川に面したバーは必見。たくさんある無料の貸切
露天風呂のおすすめは「かま」と「きり」。
部屋での食事の世話してくれた方とは音楽の話で盛り上がり、心づけは音楽券にした。
前年夏に北欧で購入したヴィトンの財布をお褒めいただいた支配人からは記念品をいただく。
福岡 豊前市役所にて旧国地名スタンプ押印。

大晦日は特別な宿になったこちらでのんびり過ごしました。
★文楽=人形浄瑠璃
文楽=人形浄瑠璃で、正式には人形浄瑠璃芝居と言います。
浄瑠璃語り、三味線弾き、人形遣いの三者で成り立つ芝居の形式を示します。
文楽とは「文楽座」という興行小屋で、幕末から明治前期にかけて代表的な
劇場でした。
このため、上演される人形浄瑠璃もいつしか「文楽」と呼ばれるようになり
ました。
★浄瑠璃と義太夫、常磐津、清元、長唄
浄瑠璃、義太夫は、おおざっぱに言うと人形浄瑠璃芝居におけるBGM部分。
浄瑠璃とはもともと語り、あるいは三味線を伴奏音楽とする語り物という
意味です。
最初に「浄瑠璃」と言われたのは「義太夫節」でした。
時代が下って、江戸で派生したのが常磐津や清元、長唄。
人形はしゃべれないので、浄瑠璃を使ってセリフを言わせています。
古くは琵琶法師による琵琶をBGMにした語りだったそうです。
最初に語られたのが、牛若丸と浄瑠璃姫の話だったところから、浄瑠璃と
言われるようです。
(現在のように、三味線に語りをのせるようになったのは16世紀に三味線
が日本に入ってきてからで、この頃のものは古浄瑠璃とよばれます。)
17世紀に入ると、大阪に、語り手の天才 竹本義太夫が表れます。
「竹本座」を構えて古浄瑠璃から独立し、太棹の三味線の調べに乗せ優艶
な節回しで語る義太夫節はたちまち人気を呼びました。
いつしか義太夫節が文楽のBGMとして幅を利かせるようになり、上方では
「竹本義太夫」の創り出した義太夫節を、浄瑠璃と同義語として扱うよう
になったそうです。
ですから義太夫を「義太夫浄瑠璃」などと言ったりもするようです。
「浄瑠璃」は「語る」という言い方をします。
決して「歌う」ものではありません。
ですから演奏者は「語り手」であり「太夫」と呼ばれます。
現在は、歌舞伎の世界では「太夫」という字を使い、文楽では「大夫」と
字を使い分けています。
義太夫は、歌舞伎と文楽で使われていますが、文楽座の方が格が上と
されていて文楽から歌舞伎へ転身することはあっても、その逆はありま
せん。
難しいデス・・・
文楽=人形浄瑠璃で、正式には人形浄瑠璃芝居と言います。
浄瑠璃語り、三味線弾き、人形遣いの三者で成り立つ芝居の形式を示します。
文楽とは「文楽座」という興行小屋で、幕末から明治前期にかけて代表的な
劇場でした。
このため、上演される人形浄瑠璃もいつしか「文楽」と呼ばれるようになり
ました。
★浄瑠璃と義太夫、常磐津、清元、長唄
浄瑠璃、義太夫は、おおざっぱに言うと人形浄瑠璃芝居におけるBGM部分。
浄瑠璃とはもともと語り、あるいは三味線を伴奏音楽とする語り物という
意味です。
最初に「浄瑠璃」と言われたのは「義太夫節」でした。
時代が下って、江戸で派生したのが常磐津や清元、長唄。
人形はしゃべれないので、浄瑠璃を使ってセリフを言わせています。
古くは琵琶法師による琵琶をBGMにした語りだったそうです。
最初に語られたのが、牛若丸と浄瑠璃姫の話だったところから、浄瑠璃と
言われるようです。
(現在のように、三味線に語りをのせるようになったのは16世紀に三味線
が日本に入ってきてからで、この頃のものは古浄瑠璃とよばれます。)
17世紀に入ると、大阪に、語り手の天才 竹本義太夫が表れます。
「竹本座」を構えて古浄瑠璃から独立し、太棹の三味線の調べに乗せ優艶
な節回しで語る義太夫節はたちまち人気を呼びました。
いつしか義太夫節が文楽のBGMとして幅を利かせるようになり、上方では
「竹本義太夫」の創り出した義太夫節を、浄瑠璃と同義語として扱うよう
になったそうです。
ですから義太夫を「義太夫浄瑠璃」などと言ったりもするようです。
「浄瑠璃」は「語る」という言い方をします。
決して「歌う」ものではありません。
ですから演奏者は「語り手」であり「太夫」と呼ばれます。
現在は、歌舞伎の世界では「太夫」という字を使い、文楽では「大夫」と
字を使い分けています。
義太夫は、歌舞伎と文楽で使われていますが、文楽座の方が格が上と
されていて文楽から歌舞伎へ転身することはあっても、その逆はありま
せん。
難しいデス・・・
あこぎは漢字では阿漕と書きます。
阿漕は古来より有名な歌枕の1つです。
平安時代に、忍ぶ恋を密漁に譬えて詠んだのが、
☆逢ふことを阿漕の島に曳く網のたびかさならば、人も知りなん
古今和歌六帖
☆伊勢の海、阿漕が浦に引く網もたびかさなれば人もこそ知れ
源平盛衰記
この歌から「あこぎ」とは「度重なる」という意味となり、転じて「貪欲
にむさぼる」ことをいうようになりました。
改めて調べると、阿漕浦は三重県津市の東方、中心部に程近い、岩田川の
河口の南側で、今も海水浴場やヨットハーバーとして利用されています
ここは昔、伊勢神宮に供える魚をとるために、一般民は禁漁域でした。
ある漁夫がこの禁を破って魚を獲った。
たびたび密漁を行ったので、遂には人に知られ、漁夫は捕らえられた。
実際は年に3回程度の期間限定でしたが、やはり伊勢側と漁民との間は
うまくいっていなかったようです。
この話が江戸時代に浄瑠璃、文楽、芝居、落語等でアレンジされました。
その後、映画にもなっています。
阿漕塚、阿漕浦では多くの文人が和歌、俳句、短歌を残しています。
☆野口雨情 「阿漕が浦の舟人はゆらりゆらりと舟を漕ぐ」
☆長谷川素逝 「遠花火 海の彼方に ふと消えぬ」 の碑があります。
阿漕浦が発祥の地という古流泳法「観海流」というのもあるそうです。
確か能にも「阿漕」ってあったはずと家の「能の名曲70番」をひもとく。
日向国(宮崎県)から伊勢参宮に来た男に、伊勢(三重県)の阿濃(あの)の郡
(こおり)で会った老漁師は「ここは伊勢神宮へ供える魚を獲るところで、
禁漁だが昔、禁をたびたび犯した罪で、漁師が沖に沈められたので男の名
を取って「阿漕浦」と名づけられたと語って消える。
法華経の読経の後、漁師は今度は阿漕の亡霊として、生前隠れて殺生して
いた姿を再現する四つ手網を持って登場する。
悪名を死後に残し、冥土でも罪の呵責に苦しみ、救いを求めていると言い、
地獄の炎となった波の底へ消える。
旅の僧の出る演出もある。
文楽では「勢州阿漕浦」。
江戸時代の中期に浄瑠璃(義大夫)の「勢州阿漕浦・鈴鹿合戦、平治住家の段」が
できて広まりました。
坂上田村麿が鈴鹿の逆賊・藤原千方(ふじわらのちかた)を退治する時代物
「田村麿鈴鹿合戦」の四段目に当たります。
今日ではここだけが上演され「勢州阿漕浦」と題も内容も改められました。
それが「芝居」にもなりました。
殺生禁断の地である阿漕浦で毎晩密漁していたのが見つかって捕えられ、
簀巻にされて海に沈められた後、殺生の罪によって死後も地獄の苦しみを
味わう海士の姿を描いた物語です。
浄瑠璃作者は、能の中では説明されない密漁の理由を解き明かす趣向の話
を書き上げました。
また、能が海士の死後の物語であるのに対して、浄瑠璃では海士が簀巻に
されて殺されるという事件を更にさかのぼって、海士の生前の物語を書い
ています。
落語ではこの和歌を題材にした「西行」という話があります。
染殿という女房に懸想をした北面の武士・佐藤憲清は、思いがかない一夜
を共にします。
憲清は別れ際に逢瀬を尋ねますが、染殿は「阿漕であろう」と答えて立ち
去ってしまいます。
憲清はこの「阿漕」の意味がわからず、悩んだ挙句に出家してしまいます。
出家して西行となった憲清が伊勢国を旅していると、馬方が馬に「おまえ
のような阿漕な奴はない」と言っているのを聞き、その意味を尋ねると、
「馬が餌を食ったばかりで、いくらも稼がないうちにまた餌を食いたが
って困るのだ」という返事。
そこで西行は「阿漕とは二度目のこと」と気づく話です。
以下は「釣りと魚のことわざ辞典」二階堂清風著東京堂出版からの引用。
阿漕平治という漁師(一説では海士)は、老母の病を治すため難病に効く
とされたヤガラを求めて、禁漁区の海に禁を犯して網を入れました。
ヤガラは矢の幹のように細長い魚。
江戸の書物によると、反胃(食べ物が消化されずに戻してしまう病)や
噎膈(食べ物がのどを通らない病)の病にかかった人に与えるといいと
されていました。
ヤガラの体内に食物を含ませ、ヤガラの口をストローのようにして食べ
させると戻すことがないと信じられいたようです。
「ヤガラ」は、平治住家ノ段にある「十握ノ釼」を、あらわしています。
暫くは、人に知られず、また、知られても孝養ということで、大目に見
られていましたが、図に乗って幾度と無く網を入れたため、捕らえられて
簀巻きにされ、この浦に沈められてしまいました。
その後、誰となくこの浦を「阿漕が浦」と呼ぶようになったとか。
「平治住家」の初演の後、浄瑠璃の影響を受けた孝子伝説が地元に生まれ、
天明二年(1782年)には主人公・阿漕の平治を供養する阿漕塚が海岸
付近に建てられ、今でもかの地に残されています。
津には平治煎餅があり、地元では「孝行せんべい」と呼んでいるらしいが、
製造元の消費期限偽装が発覚、文字通りあこぎな商売をしていたようです。
ちゃんちゃん。
阿漕は古来より有名な歌枕の1つです。
平安時代に、忍ぶ恋を密漁に譬えて詠んだのが、
☆逢ふことを阿漕の島に曳く網のたびかさならば、人も知りなん
古今和歌六帖
☆伊勢の海、阿漕が浦に引く網もたびかさなれば人もこそ知れ
源平盛衰記
この歌から「あこぎ」とは「度重なる」という意味となり、転じて「貪欲
にむさぼる」ことをいうようになりました。
改めて調べると、阿漕浦は三重県津市の東方、中心部に程近い、岩田川の
河口の南側で、今も海水浴場やヨットハーバーとして利用されています
ここは昔、伊勢神宮に供える魚をとるために、一般民は禁漁域でした。
ある漁夫がこの禁を破って魚を獲った。
たびたび密漁を行ったので、遂には人に知られ、漁夫は捕らえられた。
実際は年に3回程度の期間限定でしたが、やはり伊勢側と漁民との間は
うまくいっていなかったようです。
この話が江戸時代に浄瑠璃、文楽、芝居、落語等でアレンジされました。
その後、映画にもなっています。
阿漕塚、阿漕浦では多くの文人が和歌、俳句、短歌を残しています。
☆野口雨情 「阿漕が浦の舟人はゆらりゆらりと舟を漕ぐ」
☆長谷川素逝 「遠花火 海の彼方に ふと消えぬ」 の碑があります。
阿漕浦が発祥の地という古流泳法「観海流」というのもあるそうです。
確か能にも「阿漕」ってあったはずと家の「能の名曲70番」をひもとく。
日向国(宮崎県)から伊勢参宮に来た男に、伊勢(三重県)の阿濃(あの)の郡
(こおり)で会った老漁師は「ここは伊勢神宮へ供える魚を獲るところで、
禁漁だが昔、禁をたびたび犯した罪で、漁師が沖に沈められたので男の名
を取って「阿漕浦」と名づけられたと語って消える。
法華経の読経の後、漁師は今度は阿漕の亡霊として、生前隠れて殺生して
いた姿を再現する四つ手網を持って登場する。
悪名を死後に残し、冥土でも罪の呵責に苦しみ、救いを求めていると言い、
地獄の炎となった波の底へ消える。
旅の僧の出る演出もある。
文楽では「勢州阿漕浦」。
江戸時代の中期に浄瑠璃(義大夫)の「勢州阿漕浦・鈴鹿合戦、平治住家の段」が
できて広まりました。
坂上田村麿が鈴鹿の逆賊・藤原千方(ふじわらのちかた)を退治する時代物
「田村麿鈴鹿合戦」の四段目に当たります。
今日ではここだけが上演され「勢州阿漕浦」と題も内容も改められました。
それが「芝居」にもなりました。
殺生禁断の地である阿漕浦で毎晩密漁していたのが見つかって捕えられ、
簀巻にされて海に沈められた後、殺生の罪によって死後も地獄の苦しみを
味わう海士の姿を描いた物語です。
浄瑠璃作者は、能の中では説明されない密漁の理由を解き明かす趣向の話
を書き上げました。
また、能が海士の死後の物語であるのに対して、浄瑠璃では海士が簀巻に
されて殺されるという事件を更にさかのぼって、海士の生前の物語を書い
ています。
落語ではこの和歌を題材にした「西行」という話があります。
染殿という女房に懸想をした北面の武士・佐藤憲清は、思いがかない一夜
を共にします。
憲清は別れ際に逢瀬を尋ねますが、染殿は「阿漕であろう」と答えて立ち
去ってしまいます。
憲清はこの「阿漕」の意味がわからず、悩んだ挙句に出家してしまいます。
出家して西行となった憲清が伊勢国を旅していると、馬方が馬に「おまえ
のような阿漕な奴はない」と言っているのを聞き、その意味を尋ねると、
「馬が餌を食ったばかりで、いくらも稼がないうちにまた餌を食いたが
って困るのだ」という返事。
そこで西行は「阿漕とは二度目のこと」と気づく話です。
以下は「釣りと魚のことわざ辞典」二階堂清風著東京堂出版からの引用。
阿漕平治という漁師(一説では海士)は、老母の病を治すため難病に効く
とされたヤガラを求めて、禁漁区の海に禁を犯して網を入れました。
ヤガラは矢の幹のように細長い魚。
江戸の書物によると、反胃(食べ物が消化されずに戻してしまう病)や
噎膈(食べ物がのどを通らない病)の病にかかった人に与えるといいと
されていました。
ヤガラの体内に食物を含ませ、ヤガラの口をストローのようにして食べ
させると戻すことがないと信じられいたようです。
「ヤガラ」は、平治住家ノ段にある「十握ノ釼」を、あらわしています。
暫くは、人に知られず、また、知られても孝養ということで、大目に見
られていましたが、図に乗って幾度と無く網を入れたため、捕らえられて
簀巻きにされ、この浦に沈められてしまいました。
その後、誰となくこの浦を「阿漕が浦」と呼ぶようになったとか。
「平治住家」の初演の後、浄瑠璃の影響を受けた孝子伝説が地元に生まれ、
天明二年(1782年)には主人公・阿漕の平治を供養する阿漕塚が海岸
付近に建てられ、今でもかの地に残されています。
津には平治煎餅があり、地元では「孝行せんべい」と呼んでいるらしいが、
製造元の消費期限偽装が発覚、文字通りあこぎな商売をしていたようです。
ちゃんちゃん。
朝、パブロフに「今日はいい肉の日だね」とごろあわせで話したら、
「じゃあ美味しそうな肉があったら、出先で探しておく」と殊勝な返事が。
密かに楽しみにしていたのですが「いいのなかった」との返事に結構がっかり
しました。
ところがこの日は、本当に「いい肉の日」でした。
宮崎県の肉用牛の関係団体や企業で構成される「良き宮崎牛づくり対策協議会」が、
味と品質の良さで知られる宮崎牛をアピールするために制定していたのです。
数年前に宮崎牛というか、尾崎牛を食べに行った事はありますが、知らなかった。
そして実はこの日、パブロフに山形から米沢牛が届きました。

霜降り具合にうっとり♪

決して、私のお肉への執着が呼び寄せたわけではありませんよ。
まもなく訪れる彼の記念日に、Aさんが贈って下さったものです。
パブロフは、大好きなAさんからのプレゼントに、もう到着前からワクワク。
いつもは自分でしない宅配の再配達手続きも、ネットで済ませたらしく
「夜8時~9時の再配達だから早く帰らないと」とウキウキ。
Aさん、いつもありがとうございます。
米沢牛のすき焼き、美味しくいただきました。
1枚が大きいので家で1番大きな鍋を用意しましたが、入りきらず。



デザートはたまたまあった、やはり山形のラ・フランスにしました。

少しだけ残しておき、翌日は趣向を変えて、蒸してパクパク。
たまたま飛騨牛のしぐれ寿司という駅弁も取り寄せていて、
幸せなお肉三昧が続きました


帰宅時に気づいたのですが、茨木市上空に謎のサーチライトが2本。

どうやら30日から始まる「いばらき光回廊2012」の試験点灯のようでした。
30日からは3本になって「リング」になるそうです。
この日は満月に近く、月も大きかった。
「じゃあ美味しそうな肉があったら、出先で探しておく」と殊勝な返事が。
密かに楽しみにしていたのですが「いいのなかった」との返事に結構がっかり
しました。
ところがこの日は、本当に「いい肉の日」でした。
宮崎県の肉用牛の関係団体や企業で構成される「良き宮崎牛づくり対策協議会」が、
味と品質の良さで知られる宮崎牛をアピールするために制定していたのです。
数年前に宮崎牛というか、尾崎牛を食べに行った事はありますが、知らなかった。
そして実はこの日、パブロフに山形から米沢牛が届きました。







決して、私のお肉への執着が呼び寄せたわけではありませんよ。
まもなく訪れる彼の記念日に、Aさんが贈って下さったものです。
パブロフは、大好きなAさんからのプレゼントに、もう到着前からワクワク。
いつもは自分でしない宅配の再配達手続きも、ネットで済ませたらしく
「夜8時~9時の再配達だから早く帰らないと」とウキウキ。
Aさん、いつもありがとうございます。
米沢牛のすき焼き、美味しくいただきました。




1枚が大きいので家で1番大きな鍋を用意しましたが、入りきらず。



デザートはたまたまあった、やはり山形のラ・フランスにしました。

少しだけ残しておき、翌日は趣向を変えて、蒸してパクパク。




帰宅時に気づいたのですが、茨木市上空に謎のサーチライトが2本。

どうやら30日から始まる「いばらき光回廊2012」の試験点灯のようでした。
30日からは3本になって「リング」になるそうです。


2012年開催のロンドンオリンピックのトーチのデザインを手がけたイギリス人
デザイナーユニットが、Barber Osgerby(バーバー・オズガビー)。
彼らが初めてヴィトラ(vitra)社と手がけた新作が、Tip Ton(ティップトン)。
早くも代表作になるだろうと言われています。
2011年ミラノサローネで発表、日本でも今春から発売されました。
発表の約3年前からリサーチが進められていたそうで、バーバー・オズガビー
は「TIP TONの開発では、機械仕掛けのメカニズムを使わず、いかに角度を
変える動きを確保するかがカギだった」と語っています。
ベースの先端(=Tip)に傾斜があり、座り方によって前傾する形状から
「Tip Ton」と名付けられた新感覚のチェア。
9度の傾斜によるチルトアクション(前方に座面 が傾く機能)
で、日常のデスクワークや食事をするときも、骨盤と背骨を 正常な位置に
保つことができる=血流を滞らせることがない。
立ち上がりも楽です。
ヴィトラは、このチェアのために新技術を開発し、他の素材やパーツを用
いず、ポリプロピレンの射出成形でこれを実現。
木製チェアのように見えますが、耐久性と費用対効果を考慮した素材です。
カラフルな8色展開でスタッキングも可能。
片手で持ち上げられるほど軽いので移動も楽です。
当初、学校や図書館など公共施設での利用を想定。
教育の場に適した役割を担うチェアとして開発されたらしいのですが、
オフィスやダイニングにも適したデザインのようです。
27,300円 ※2012年3月下旬より販売
デザイナー:Barber Osgerby(バーバー・オズガビー)
Edward Barber(エドワード・バーバー)とJay Osgerby(ジェイ・オズガビー)
によるデザインユニット。
共に1969年英国生まれ。
ロンドンのRCA(ロイヤル カレッジ オブ アート)で建築を学んだ後、1996年に
スタジオを設立。
同年にデザインした「Loop Coffee Table」が、各国の美術館で永久保存品に選
ばれるなど注目を集める。その後もヴィトラ(スイス)、クラシコン(ドイツ)
、マジス(イタリア)、エスタブリッシュド&サンズ(イギリス)、フロス
(イタリア)など、グローバルに展開する名門家具ブランドから優れたプロダクト
を発表し数多くのデザイン賞を受賞。
近年ではロンドンオリンピックのトーチのデザイン(2012年)を担当するなど、
プロダクトや空間デザインの分野で独創的なスタイルを提案するデザインユニット。
ブランド:vitra.(ヴィトラ)
1934年にスイスで店舗什器の製造メーカーとして創業。
創業者であるヴィリー・フェールバウムがイームズ夫妻の家具の製造販売権を獲得
したのをきっかけに、1957年より家具生産に乗り出した。
以来、マリオ・ベリーニ、ジャン・プルーヴェ、ジャスパー・モリソン、ロナン&
エルワン・ブルレックなど世界的なデザイナー、建築家がデザインしたファニチャー
を世に送り出し続けている。
1989年、ドイツにヴィトラ・デザイン・ミュージアムを設立。
4,000点を超えるコレクションをもち、名作家具の復刻にも力を注いでいる。
デザイナーユニットが、Barber Osgerby(バーバー・オズガビー)。
彼らが初めてヴィトラ(vitra)社と手がけた新作が、Tip Ton(ティップトン)。
早くも代表作になるだろうと言われています。
2011年ミラノサローネで発表、日本でも今春から発売されました。
発表の約3年前からリサーチが進められていたそうで、バーバー・オズガビー
は「TIP TONの開発では、機械仕掛けのメカニズムを使わず、いかに角度を
変える動きを確保するかがカギだった」と語っています。
ベースの先端(=Tip)に傾斜があり、座り方によって前傾する形状から
「Tip Ton」と名付けられた新感覚のチェア。

で、日常のデスクワークや食事をするときも、骨盤と背骨を 正常な位置に
保つことができる=血流を滞らせることがない。
立ち上がりも楽です。
ヴィトラは、このチェアのために新技術を開発し、他の素材やパーツを用
いず、ポリプロピレンの射出成形でこれを実現。
木製チェアのように見えますが、耐久性と費用対効果を考慮した素材です。
カラフルな8色展開でスタッキングも可能。
片手で持ち上げられるほど軽いので移動も楽です。
当初、学校や図書館など公共施設での利用を想定。
教育の場に適した役割を担うチェアとして開発されたらしいのですが、
オフィスやダイニングにも適したデザインのようです。
27,300円 ※2012年3月下旬より販売
デザイナー:Barber Osgerby(バーバー・オズガビー)
Edward Barber(エドワード・バーバー)とJay Osgerby(ジェイ・オズガビー)
によるデザインユニット。
共に1969年英国生まれ。
ロンドンのRCA(ロイヤル カレッジ オブ アート)で建築を学んだ後、1996年に
スタジオを設立。
同年にデザインした「Loop Coffee Table」が、各国の美術館で永久保存品に選
ばれるなど注目を集める。その後もヴィトラ(スイス)、クラシコン(ドイツ)
、マジス(イタリア)、エスタブリッシュド&サンズ(イギリス)、フロス
(イタリア)など、グローバルに展開する名門家具ブランドから優れたプロダクト
を発表し数多くのデザイン賞を受賞。
近年ではロンドンオリンピックのトーチのデザイン(2012年)を担当するなど、
プロダクトや空間デザインの分野で独創的なスタイルを提案するデザインユニット。
ブランド:vitra.(ヴィトラ)
1934年にスイスで店舗什器の製造メーカーとして創業。
創業者であるヴィリー・フェールバウムがイームズ夫妻の家具の製造販売権を獲得
したのをきっかけに、1957年より家具生産に乗り出した。
以来、マリオ・ベリーニ、ジャン・プルーヴェ、ジャスパー・モリソン、ロナン&
エルワン・ブルレックなど世界的なデザイナー、建築家がデザインしたファニチャー
を世に送り出し続けている。
1989年、ドイツにヴィトラ・デザイン・ミュージアムを設立。
4,000点を超えるコレクションをもち、名作家具の復刻にも力を注いでいる。
エンジェルズ・トランペットについてよく知らなかったので調べました。
すると驚きの結果が。
なんと 毒がある らしい。
エンジェル・トランペット春から秋にかけて、下向きに垂れ下がった花をつける。
ラッパ状の大きくエキゾチックな花を咲かせる熱帯花木。
夕方になると香を漂わせます。
つぼみには卵形、球形、紡錘形などがあり、花はつぼみから飛び出すような形で
咲く。
花弁の先端は、5つに分かれ反り返る。
原産地はアメリカの熱帯地方だが、暑さが苦手で高地にしか生息していない。
そのため熱帯気候の日本では、夏季の生育が緩慢になり、管理を怠ると最悪枯れ
てしまう場合もある。
低温に強く、丈夫で育てやすい植物である。
春温かくなってから旺盛に生育してゆき、開花時期には大型の株にたくさんの花
をつける。
エンゼルストランペットは、上向きに花を咲かせる一年草の朝鮮朝顔の近縁種。
以前は朝鮮朝顔属に含められていて、ダチュラと呼ばれていたそうです。
その名残りからか両属は、よく混同されています。
違いは、
・キダチチョウセンアサガオ属
高木または低木で、下向きの花をつける。
・チョウセンアサガオ属
一年草または多年草で、上向きの花をつける。
【別名】 ダチュラ、木立朝鮮朝顔
【学名】 Brugmansia
【科/属名】 ナス科キダチチョウセンアサガオ属
【原産地】 熱帯アメリカ原産
【伝来時期】 江戸時代
【国内分布】 全国
【花色】 オレンジ、白、黄色、紫
【草丈】 50cm~300cm
【花径】 花長:15cm~40cm
【花期】 6月~10月
【名前の由来】エンジェルストランペットは別名や通称名。
本来はブルグマンシアが正しい。
ブルグマンシアと言う植物が売れず困った人が、「エンジェルストランペット」
と通称名をつけて売った所、大変売れたことから、この通称名が有名になった。
【花言葉】 愛敬、変装、夢の中、遠くから私を思って、あなたを酔わせる、
偽りの魅力
【誕生花】 8月9日、16日、9月4日、10月23日
【文学】キダチチョウセンアサガオ属が登場する作品
★『BANANA FISH』(吉田秋生、小学館)
作中に登場する架空の麻薬、バナナフィッシュの原型はこの属の植物から生成
されたという設定。
★有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」下記参照。
【毒】
エンジェルといいながら、アルカイドという有毒な成分を含んでいるので木の汁
に触れないことが大切。
口に入れたり、傷口に触れたり、特に種を食べてはいけない。
含まれているアルカロイド系の成分(アトロピン、スコポラミン(ヒヨスチン)、
ヒヨスチアミン等)を食べたりすると、錯乱状態になり死ぬ時もあるそう。
せん妄、幻聴、頭痛、めまい、興奮、錯乱、最悪、意識喪失、呼吸停止を引き起
こし、汁液が皮膚に付着すると炎症を起こす他、葉茎などの液汁が目に入ると
瞳孔が散大し、見えなくなったり、重症の場合は失明することもある。
強い毒性、麻薬的な効能もあるため、江戸時代には「まんだらけ」「気狂い茄子」
と呼ばれていました。
毒草はその性質を良く知り、分量を適格に調合すると、逆に薬効を現すケースもあ
り、この朝鮮朝顔系は「麻酔薬」として用いられました。
江戸末期、家族を犠牲にして様々の苦難の末、世界で始めて麻酔薬の調合に成功、
麻酔手術を成し遂げた外科医の話は、有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」で有名。
青洲は曼陀羅華(まんだらげ=朝鮮朝顔)の花と草鳥頭(そううず=トリカブト=
猛毒)を含む6種類の薬草を砕いて粉末にし、煎じた物を麻酔薬として用いました。
朝鮮朝顔の仲間は多数あり、華岡青洲が麻酔薬「通仙散」に用いた曼荼羅華がどの
朝鮮朝顔か特定は難しいのですが、洋種朝鮮朝顔(別名:藤色朝鮮朝顔)の可能性
が高いようです。
夾竹桃や彼岸花も同じ成分の、猛毒な有毒素を持っています。
昔、子供達が夾竹桃の枝に肉や野菜を刺して、バーベキューをして、全員死亡する
と言ういたましい事故がありました。
彼岸花は食べると彼岸に行くから彼岸花。
エンゼルトランペットの別名は曼荼羅華。
食べると自分が仏さまになるからです。
でも、こんな風に住宅街で、子供の手の届くところに咲いています。
1番怖いのは、こういう日常に潜む、さりげない風景なのかもしれません。

次回は枚方で、学校へ「食べに」行こう!2連発です。
すると驚きの結果が。
なんと 毒がある らしい。
エンジェル・トランペット春から秋にかけて、下向きに垂れ下がった花をつける。
ラッパ状の大きくエキゾチックな花を咲かせる熱帯花木。
夕方になると香を漂わせます。
つぼみには卵形、球形、紡錘形などがあり、花はつぼみから飛び出すような形で
咲く。
花弁の先端は、5つに分かれ反り返る。
原産地はアメリカの熱帯地方だが、暑さが苦手で高地にしか生息していない。
そのため熱帯気候の日本では、夏季の生育が緩慢になり、管理を怠ると最悪枯れ
てしまう場合もある。
低温に強く、丈夫で育てやすい植物である。
春温かくなってから旺盛に生育してゆき、開花時期には大型の株にたくさんの花
をつける。
エンゼルストランペットは、上向きに花を咲かせる一年草の朝鮮朝顔の近縁種。
以前は朝鮮朝顔属に含められていて、ダチュラと呼ばれていたそうです。
その名残りからか両属は、よく混同されています。
違いは、
・キダチチョウセンアサガオ属
高木または低木で、下向きの花をつける。
・チョウセンアサガオ属
一年草または多年草で、上向きの花をつける。
【別名】 ダチュラ、木立朝鮮朝顔
【学名】 Brugmansia
【科/属名】 ナス科キダチチョウセンアサガオ属
【原産地】 熱帯アメリカ原産
【伝来時期】 江戸時代
【国内分布】 全国
【花色】 オレンジ、白、黄色、紫
【草丈】 50cm~300cm
【花径】 花長:15cm~40cm
【花期】 6月~10月
【名前の由来】エンジェルストランペットは別名や通称名。
本来はブルグマンシアが正しい。
ブルグマンシアと言う植物が売れず困った人が、「エンジェルストランペット」
と通称名をつけて売った所、大変売れたことから、この通称名が有名になった。
【花言葉】 愛敬、変装、夢の中、遠くから私を思って、あなたを酔わせる、
偽りの魅力
【誕生花】 8月9日、16日、9月4日、10月23日
【文学】キダチチョウセンアサガオ属が登場する作品
★『BANANA FISH』(吉田秋生、小学館)
作中に登場する架空の麻薬、バナナフィッシュの原型はこの属の植物から生成
されたという設定。
★有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」下記参照。
【毒】
エンジェルといいながら、アルカイドという有毒な成分を含んでいるので木の汁
に触れないことが大切。
口に入れたり、傷口に触れたり、特に種を食べてはいけない。
含まれているアルカロイド系の成分(アトロピン、スコポラミン(ヒヨスチン)、
ヒヨスチアミン等)を食べたりすると、錯乱状態になり死ぬ時もあるそう。
せん妄、幻聴、頭痛、めまい、興奮、錯乱、最悪、意識喪失、呼吸停止を引き起
こし、汁液が皮膚に付着すると炎症を起こす他、葉茎などの液汁が目に入ると
瞳孔が散大し、見えなくなったり、重症の場合は失明することもある。
強い毒性、麻薬的な効能もあるため、江戸時代には「まんだらけ」「気狂い茄子」
と呼ばれていました。
毒草はその性質を良く知り、分量を適格に調合すると、逆に薬効を現すケースもあ
り、この朝鮮朝顔系は「麻酔薬」として用いられました。
江戸末期、家族を犠牲にして様々の苦難の末、世界で始めて麻酔薬の調合に成功、
麻酔手術を成し遂げた外科医の話は、有吉佐和子の小説「華岡青洲の妻」で有名。
青洲は曼陀羅華(まんだらげ=朝鮮朝顔)の花と草鳥頭(そううず=トリカブト=
猛毒)を含む6種類の薬草を砕いて粉末にし、煎じた物を麻酔薬として用いました。
朝鮮朝顔の仲間は多数あり、華岡青洲が麻酔薬「通仙散」に用いた曼荼羅華がどの
朝鮮朝顔か特定は難しいのですが、洋種朝鮮朝顔(別名:藤色朝鮮朝顔)の可能性
が高いようです。
夾竹桃や彼岸花も同じ成分の、猛毒な有毒素を持っています。
昔、子供達が夾竹桃の枝に肉や野菜を刺して、バーベキューをして、全員死亡する
と言ういたましい事故がありました。
彼岸花は食べると彼岸に行くから彼岸花。
エンゼルトランペットの別名は曼荼羅華。
食べると自分が仏さまになるからです。
でも、こんな風に住宅街で、子供の手の届くところに咲いています。
1番怖いのは、こういう日常に潜む、さりげない風景なのかもしれません。

次回は枚方で、学校へ「食べに」行こう!2連発です。
10年位前ですが、フランス旅行中に、HOTEL TATIN (オテル・タタン)のある
ラモット・ブーヴロン(Lamotte-Beuvron)の町を通りました。
タルト・タタンは由来がはっきりしたお菓子。
ウィキをベースにまとめました。
定義
タルト・タタン (Tarte Tatin) とは、バターと砂糖でいためた(キャラメリゼ)
リンゴをしいて焼いたフランス菓子。
ひっくり返してリンゴの部分を上にします。
タルト・タタンの誕生
タルト・タタンを最初に作ったのは、パリ南方にあるラモット・ブーヴロン
(現在のロワール=エ=シェール県にある町)のホテル『タタン』において。
タルト・タタンの故郷
タルト・タタン発祥の地であるラモット・ブーヴロンのあるソローニュ地方は、
フランス中央部、豊かな平野を川が潤し、野菜、果物、花、穀物の栽培が
盛んで「フランスの庭」、「フランスの穀倉」とも言われています。
古城が多いことで有名なロワール河とシェール河にはさまれた森林地帯
は、その深い森の中には小さな湖が点在し、昔から狩猟が盛んな地域
としても知られています。
秋のシーズンには、都会からも多くのハンターたちがやってきます。
誕生は19世紀後半
今でも人口わずか4000人の小さな町の駅前にある「ホテル・タタン」を
1881年に継いだのが、姉ステファニー Stephanie Tatin(1838~1917)、
妹のカロリーヌ Caroline Tatin(1847~1911)のタタン姉妹。
カロリーヌは「ソローニュの女王様」というあだ名をつけられているほどの
人気者。
美しく、誰に対しても親切で、世話好きだったので、レストランでは給仕の係を
していました。
姉のステファニーは、料理を担当していて、朝早くから夜遅くまで、かまどの
前で忙しく動いている働き者で、料理の達人でした。
そのステファニーが、ある時うっかり作り方を間違えてしまったタルトを仕方
なくレストランのお客に出したところ、皆がこの新しい味のタルトを絶賛。
町じゅうの話題になったことが始まりでした。
・有力な説によると、タルト・タタンを作ったのは、調理のほとんどを担当して
いたステファニーで、彼女はある日余分な仕事をした。
彼女は、伝統的なアップルパイを作り始めたが、リンゴをバターと砂糖で炒めて
いたところ、長く炒めすぎてしまった。
焦げるような匂いがしてきたので、ステファニーは失敗を何とか取り返そうと、
リンゴの入ったフライパンの上にタルト生地をのせ、そのままフライパンごと
オーブンへ入れた。
焼けた頃にフライパンを出してひっくり返してみると、ホテルの客に出しても
良いようなデザートができあがっていた。
・他に「タルト・タタン協会」による異説があり、ステファニーが砂糖で焦が
したリンゴタルトを間違ってひっくり返してしまったという。
どちらにしろ、ステファニーはオーブンから温かいままかつてない一品を客に
出し、新たな伝統菓子が誕生したのである。
2人の死後にパリで紹介される
タルト・タタンはホテル・タタンの看板菓子となり、作り方はソローニュ地方
に広まりました。
カロリーヌは1911年に64歳で、ステファニーは1917年に79歳で亡く
なりましたが、1926年に美食家で有名なキュルノンスキー (Curnonnsky)が、
オテル・タタンを訪れ、タルト・タタンという名で初めてパリに紹介。
パリで初めてデザートとして出したのは、レストラン「マキシム」。
経営者ルイ・ヴォーダブルが実際にソローニュへ来てタルトを賞味、めでたく
タルト・タタンは店の固定メニューに加えられました。
「タルト・タタン協会」
ソローニュ地方には、タルト・タタンのファンクラブがあり、会合の新聞記事には、
胸にタルト・タタンを型どった勲章をつけた男性メンバー達の写真が出ています。
会食の時に使われたというメニューはタルト・タタンの形。
・タルト・タタンは、形の整ったリンゴ菓子でなければならない。
・いためたリンゴがピュレ状になってはならない。
北アメリカでは、タルト・タタンは、アメリカン・スタイルのアップルパイに
使われることのないゴールデン・デリシャス種のリンゴを使った物が典型的と
されている。
種類
タルト・タタンは洋ナシ、桃、アプリコット、パイナップル、トマト、タマネギ
などの野菜や果物で作られることがある。
名前
普通のタルトはタルト生地の上に果物をのせて焼きますが、タルト・タタンは
リンゴとバター、砂糖を先に焼き、上から生地をかぶせて、最後にひっくり返
してできあがります。
英語ではアップサイド ダウン アップル タルトと言います。
丸い型の中にりんごなどを先に入れ、その上にタルト生地をのせて焼き、最後に
お皿の上にひっくりかえして供すという作り方は、フランス菓子の中でも独特
のもので、フランスでは別名タルト・ランヴェルセ
(Tarte renversee=逆さまのタルト)と呼んでいます。
ただ、タルトを焼いている時に誤ってひっくり返してしまったと言われています
が、このように普通と逆に焼くタルトはソローニュからオルレアネ地方一帯に
昔から伝わっているようです。
現代におけるタルト・タタン
一般家庭でも比較的簡単に作る事ができる洋菓子として、レシピが多数あります。
食べ方
フランスでは、CreamFraicheというちょっと濃い甘みのない生クリームやアイス
を添えることも。
現存するホテル・タタン
「ホテル・タタン」は経営者は変わっていますが、今でもあります。
ホームページにはホテルの様子ばかりでなく、タルトの歴史、さらにはタタン
姉妹の顔写真まで出ています。
サロンの窓際には、タタン姉妹が使っていたというかまどが置かれています。
白地に青のタイル張り、上に黒い銅板の蓋がついています。
当時は、この上に蓋付きの銅の型を置いて、タルト・タタンを作っていたそう
です。
ホテルの客室にはタルト・タタンにまつわる資料が置かれていて、その誕生から、
作り方、提供の仕方まで、まとめられています。
~タルト・タタンの誕生~
その昔、19世紀の終わり、ラモット=ブヴロン駅の前に客足の絶えないホテル
を経営しているそのホテルには猟師、気難しい人や食道楽達がたくさん集まり、
タタン姉妹の作り出す無尽蔵の料理を高く評価していた。
ある狩猟解禁日の日曜日、猟を終えた客でにぎわう食堂で、おしゃべりなお客
にステファニーは長い時間対応していた。
その後、急いで忙しい厨房へ戻るとステファニーは大層取り乱した。
なんとデセールを作り忘れていたのである。
剥いてあったりんごに気付いたステファニーは、バターと砂糖を型にすばやく
入れ、りんごを詰めてオーブンに放り込んだ。
ひとしきり落ち着いた彼女はこの後どうしようか考えた。
今自分が作ったものは、もはやタルトでもなければ焼きりんごでもない。
りんごには火が入り始め、辺りにはキャラメルのにおいが立ち込めている。
猟師たちにデセールを提供する時間はもうすぐである。
作り直すには遅すぎる。
そこで彼女は少量の生地を伸ばし、りんごの上にのせ、再びオーブンに入れた
のである。
提供する時、どうすればこれは美味しそうに見えるのだろう、とステファニー
はためらった。
しかしその時、ある考えが突然彼女に浮かんだ。
彼女は一枚の大皿を取り出し、型の上にかぶせ、丸ごとひっくり返したのだ。
そこで目にしたものは…とても見事な、芳香のある、美味しそうなもので
あったのだ。
彼女はオーブンから出したての温かい状態で猟師に提供した。
彼らはそれを存分に味わい、感嘆の声を上げた。
こうしてタルト・タタンは誕生したのである。
1926年にはパリで『タルト・デ・ドゥモワゼル・タタンtarte des demoiselles Tatin
(タタン姉妹のタルト)』と紹介し、有名になったのである。
タルト・タタンの作り方
★準備するもの
・高さの十分にある型、マンケ型
・良質のバター
・砂糖
・薄く伸ばしたパート・ブリゼ
・りんご:作りやすい品種はゴールデン、レネット種、またはクロシャール種。
皮を剥き、種を取り、大きな角切りにしておく。
★作り方
・型の側面と底にたっぷりとバターを塗る。
・砂糖を全体に一層振り入れる。
・その上にりんごをきっちりと詰めて並べる。
・型の内側内径いっぱいに伸ばした生地で蓋をする。
・熱いオーブンに入れて25~40分焼成する。この時間はオーブン、りんごの種類、
生地の厚さによって変わる。しっかりキャラメリゼしたい場合は、生地をのせる
前に高温のオーブンでりんごをキャラメリゼし、その後生地をのせる。
★タルト・タタンの提供の仕方
・オーブンから出したら、粗熱を取り、型から抜きやすくするために包丁を周り
に1周入れる。
・提供する皿を型にかぶせ、勢いよくひっくり返す。
・タルト・タタンが熱い、もしくは温かい状態で提供しなければならない。
・追加するものとして、生クリーム、コンフィチュール(ジャム)、提供時に
フランベ用アルコールなどが挙げられるが、これらはタルト・タタンの持つ独特
の味わいを変化させてしまうため、禁止している。
なお、前もって作っておいたタルト・タタンは柔らかい火のオーブンで温め直し
てから提供する。
・レストランのメニューにタルト・タタンとあって、もしもジャムがかかって
いたり、アルコールでフランベされていれば、それは名称の乱用であるので注意
しなければならない。
・タルト・タタンはバターと上等なりんごの価値を証明する贅沢なデザートである。
作り方はいくぶん変わり得るが、パティシエや料理人、主婦は、りんごとバター
と砂糖と生地だけできちんと作って、タルト・タタンの本来の味わいをこれからも
大事にしてほしい。
尚、ホテル・タタンでは添え物をせずに、りんご、バター、砂糖、生地だけの味
を味わって欲しいということです。
ラモット・ブーヴロンのタルト・タタン
まず町の入口の看板がタルト・タタンです。
当然、町にはタルト・タタンを提供する店が多数あり、毎年9月の不特定日曜日
に行われる定期市の中の一環として、タルト・タタンコンクールも開催。
この場合は、りんごの種類等、必ずしもレシピに忠実でなくても良いようです。
過去の優勝店でも、りんごはガラ種を使用するけれど、旬が短いので、ガラの後
にはゴールデンを使うらしいし、年中ゴールデンを使用する店もあります。
レネット種(酸味が強い品種)は酸味が強いのであまり使用されず、ゴールデン
は通年市場にあるものだから手に入りやすいと言うのが理由。
失敗から生まれたタルト・タタンは、今でもラモット・ブーヴロンの名物として、
ホテル・タタンのレストランで、タタン姉妹のレシピに忠実に焼かれています。
結論 失敗は成功のもと
ラモット・ブーヴロン(Lamotte-Beuvron)の町を通りました。
タルト・タタンは由来がはっきりしたお菓子。
ウィキをベースにまとめました。
定義
タルト・タタン (Tarte Tatin) とは、バターと砂糖でいためた(キャラメリゼ)
リンゴをしいて焼いたフランス菓子。
ひっくり返してリンゴの部分を上にします。
タルト・タタンの誕生
タルト・タタンを最初に作ったのは、パリ南方にあるラモット・ブーヴロン
(現在のロワール=エ=シェール県にある町)のホテル『タタン』において。
タルト・タタンの故郷
タルト・タタン発祥の地であるラモット・ブーヴロンのあるソローニュ地方は、
フランス中央部、豊かな平野を川が潤し、野菜、果物、花、穀物の栽培が
盛んで「フランスの庭」、「フランスの穀倉」とも言われています。
古城が多いことで有名なロワール河とシェール河にはさまれた森林地帯
は、その深い森の中には小さな湖が点在し、昔から狩猟が盛んな地域
としても知られています。
秋のシーズンには、都会からも多くのハンターたちがやってきます。
誕生は19世紀後半
今でも人口わずか4000人の小さな町の駅前にある「ホテル・タタン」を
1881年に継いだのが、姉ステファニー Stephanie Tatin(1838~1917)、
妹のカロリーヌ Caroline Tatin(1847~1911)のタタン姉妹。
カロリーヌは「ソローニュの女王様」というあだ名をつけられているほどの
人気者。
美しく、誰に対しても親切で、世話好きだったので、レストランでは給仕の係を
していました。
姉のステファニーは、料理を担当していて、朝早くから夜遅くまで、かまどの
前で忙しく動いている働き者で、料理の達人でした。
そのステファニーが、ある時うっかり作り方を間違えてしまったタルトを仕方
なくレストランのお客に出したところ、皆がこの新しい味のタルトを絶賛。
町じゅうの話題になったことが始まりでした。
・有力な説によると、タルト・タタンを作ったのは、調理のほとんどを担当して
いたステファニーで、彼女はある日余分な仕事をした。
彼女は、伝統的なアップルパイを作り始めたが、リンゴをバターと砂糖で炒めて
いたところ、長く炒めすぎてしまった。
焦げるような匂いがしてきたので、ステファニーは失敗を何とか取り返そうと、
リンゴの入ったフライパンの上にタルト生地をのせ、そのままフライパンごと
オーブンへ入れた。
焼けた頃にフライパンを出してひっくり返してみると、ホテルの客に出しても
良いようなデザートができあがっていた。
・他に「タルト・タタン協会」による異説があり、ステファニーが砂糖で焦が
したリンゴタルトを間違ってひっくり返してしまったという。
どちらにしろ、ステファニーはオーブンから温かいままかつてない一品を客に
出し、新たな伝統菓子が誕生したのである。
2人の死後にパリで紹介される
タルト・タタンはホテル・タタンの看板菓子となり、作り方はソローニュ地方
に広まりました。
カロリーヌは1911年に64歳で、ステファニーは1917年に79歳で亡く
なりましたが、1926年に美食家で有名なキュルノンスキー (Curnonnsky)が、
オテル・タタンを訪れ、タルト・タタンという名で初めてパリに紹介。
パリで初めてデザートとして出したのは、レストラン「マキシム」。
経営者ルイ・ヴォーダブルが実際にソローニュへ来てタルトを賞味、めでたく
タルト・タタンは店の固定メニューに加えられました。
「タルト・タタン協会」
ソローニュ地方には、タルト・タタンのファンクラブがあり、会合の新聞記事には、
胸にタルト・タタンを型どった勲章をつけた男性メンバー達の写真が出ています。
会食の時に使われたというメニューはタルト・タタンの形。
・タルト・タタンは、形の整ったリンゴ菓子でなければならない。
・いためたリンゴがピュレ状になってはならない。
北アメリカでは、タルト・タタンは、アメリカン・スタイルのアップルパイに
使われることのないゴールデン・デリシャス種のリンゴを使った物が典型的と
されている。
種類
タルト・タタンは洋ナシ、桃、アプリコット、パイナップル、トマト、タマネギ
などの野菜や果物で作られることがある。
名前
普通のタルトはタルト生地の上に果物をのせて焼きますが、タルト・タタンは
リンゴとバター、砂糖を先に焼き、上から生地をかぶせて、最後にひっくり返
してできあがります。
英語ではアップサイド ダウン アップル タルトと言います。
丸い型の中にりんごなどを先に入れ、その上にタルト生地をのせて焼き、最後に
お皿の上にひっくりかえして供すという作り方は、フランス菓子の中でも独特
のもので、フランスでは別名タルト・ランヴェルセ
(Tarte renversee=逆さまのタルト)と呼んでいます。
ただ、タルトを焼いている時に誤ってひっくり返してしまったと言われています
が、このように普通と逆に焼くタルトはソローニュからオルレアネ地方一帯に
昔から伝わっているようです。
現代におけるタルト・タタン
一般家庭でも比較的簡単に作る事ができる洋菓子として、レシピが多数あります。
食べ方
フランスでは、CreamFraicheというちょっと濃い甘みのない生クリームやアイス
を添えることも。
現存するホテル・タタン
「ホテル・タタン」は経営者は変わっていますが、今でもあります。
ホームページにはホテルの様子ばかりでなく、タルトの歴史、さらにはタタン
姉妹の顔写真まで出ています。
サロンの窓際には、タタン姉妹が使っていたというかまどが置かれています。
白地に青のタイル張り、上に黒い銅板の蓋がついています。
当時は、この上に蓋付きの銅の型を置いて、タルト・タタンを作っていたそう
です。
ホテルの客室にはタルト・タタンにまつわる資料が置かれていて、その誕生から、
作り方、提供の仕方まで、まとめられています。
~タルト・タタンの誕生~
その昔、19世紀の終わり、ラモット=ブヴロン駅の前に客足の絶えないホテル
を経営しているそのホテルには猟師、気難しい人や食道楽達がたくさん集まり、
タタン姉妹の作り出す無尽蔵の料理を高く評価していた。
ある狩猟解禁日の日曜日、猟を終えた客でにぎわう食堂で、おしゃべりなお客
にステファニーは長い時間対応していた。
その後、急いで忙しい厨房へ戻るとステファニーは大層取り乱した。
なんとデセールを作り忘れていたのである。
剥いてあったりんごに気付いたステファニーは、バターと砂糖を型にすばやく
入れ、りんごを詰めてオーブンに放り込んだ。
ひとしきり落ち着いた彼女はこの後どうしようか考えた。
今自分が作ったものは、もはやタルトでもなければ焼きりんごでもない。
りんごには火が入り始め、辺りにはキャラメルのにおいが立ち込めている。
猟師たちにデセールを提供する時間はもうすぐである。
作り直すには遅すぎる。
そこで彼女は少量の生地を伸ばし、りんごの上にのせ、再びオーブンに入れた
のである。
提供する時、どうすればこれは美味しそうに見えるのだろう、とステファニー
はためらった。
しかしその時、ある考えが突然彼女に浮かんだ。
彼女は一枚の大皿を取り出し、型の上にかぶせ、丸ごとひっくり返したのだ。
そこで目にしたものは…とても見事な、芳香のある、美味しそうなもので
あったのだ。
彼女はオーブンから出したての温かい状態で猟師に提供した。
彼らはそれを存分に味わい、感嘆の声を上げた。
こうしてタルト・タタンは誕生したのである。
1926年にはパリで『タルト・デ・ドゥモワゼル・タタンtarte des demoiselles Tatin
(タタン姉妹のタルト)』と紹介し、有名になったのである。
タルト・タタンの作り方
★準備するもの
・高さの十分にある型、マンケ型
・良質のバター
・砂糖
・薄く伸ばしたパート・ブリゼ
・りんご:作りやすい品種はゴールデン、レネット種、またはクロシャール種。
皮を剥き、種を取り、大きな角切りにしておく。
★作り方
・型の側面と底にたっぷりとバターを塗る。
・砂糖を全体に一層振り入れる。
・その上にりんごをきっちりと詰めて並べる。
・型の内側内径いっぱいに伸ばした生地で蓋をする。
・熱いオーブンに入れて25~40分焼成する。この時間はオーブン、りんごの種類、
生地の厚さによって変わる。しっかりキャラメリゼしたい場合は、生地をのせる
前に高温のオーブンでりんごをキャラメリゼし、その後生地をのせる。
★タルト・タタンの提供の仕方
・オーブンから出したら、粗熱を取り、型から抜きやすくするために包丁を周り
に1周入れる。
・提供する皿を型にかぶせ、勢いよくひっくり返す。
・タルト・タタンが熱い、もしくは温かい状態で提供しなければならない。
・追加するものとして、生クリーム、コンフィチュール(ジャム)、提供時に
フランベ用アルコールなどが挙げられるが、これらはタルト・タタンの持つ独特
の味わいを変化させてしまうため、禁止している。
なお、前もって作っておいたタルト・タタンは柔らかい火のオーブンで温め直し
てから提供する。
・レストランのメニューにタルト・タタンとあって、もしもジャムがかかって
いたり、アルコールでフランベされていれば、それは名称の乱用であるので注意
しなければならない。
・タルト・タタンはバターと上等なりんごの価値を証明する贅沢なデザートである。
作り方はいくぶん変わり得るが、パティシエや料理人、主婦は、りんごとバター
と砂糖と生地だけできちんと作って、タルト・タタンの本来の味わいをこれからも
大事にしてほしい。
尚、ホテル・タタンでは添え物をせずに、りんご、バター、砂糖、生地だけの味
を味わって欲しいということです。
ラモット・ブーヴロンのタルト・タタン
まず町の入口の看板がタルト・タタンです。
当然、町にはタルト・タタンを提供する店が多数あり、毎年9月の不特定日曜日
に行われる定期市の中の一環として、タルト・タタンコンクールも開催。
この場合は、りんごの種類等、必ずしもレシピに忠実でなくても良いようです。
過去の優勝店でも、りんごはガラ種を使用するけれど、旬が短いので、ガラの後
にはゴールデンを使うらしいし、年中ゴールデンを使用する店もあります。
レネット種(酸味が強い品種)は酸味が強いのであまり使用されず、ゴールデン
は通年市場にあるものだから手に入りやすいと言うのが理由。
失敗から生まれたタルト・タタンは、今でもラモット・ブーヴロンの名物として、
ホテル・タタンのレストランで、タタン姉妹のレシピに忠実に焼かれています。
結論 失敗は成功のもと
シェフが1人でやっているトラットリア・イル・ピスタッキオで見かけた紙のテーブル
マットにはトラットリアと書かれていた。
デザインからシチリアで購入されたものだと思う。
そういえば、昨秋食べた水戸の要予約のシェフが1人でしている店の名前は
リストランテ・ダル・ソウシだった。
店の広さは違うけれど、あそこも確か3テーブル。
ただし、昼夜2組限定だった気が・・・
業態は似ているけど、トラットリアとリストランテ。
イタリアンの店の名前のつけ方に決まりはあるのだろうか?
少し調べてみた。
結論 イタリアでも
リストランテとトラットリアの明確な違いはない。
私も美味しかったら呼び方は何でもいいと思います。
一応の目安は、
リストランテRistorante
もともときちっとした高級レストランをリストランテと呼んでいた。
現在は多少気楽なお店でもリストランテを名乗るところもある。
いわゆる有名シェフなどがいるお店、高級店と呼ばれるお店は殆どの場合がこのリストランテ。
トラットリアTrattoria
リストランテとまでは行かず、決して高級ではないがリストランテ同様前菜からメインコースにいたるまで一通り揃えているところが普通。
トラットリアを名乗るところでも行って見ると実は結構な高級店だった、ということも。
オステリアOsteria
オステリアは、もともとは駅馬車の中継地点にあった旅館と食堂を兼ねたもの。
日本なら街道の宿場町にある旅籠(はたご)に当たります。
宿泊施設がある店も残っていますが、最近では「オステリア」と名乗っていながら、泊まれない店も多く、昔、オステリアだった名残りが店名に残っているだけという場合も多い。オステリアから食堂が独立したのが、リストランテの始まりだといわれています。現在のオステリアには大衆食堂、居酒屋風の店もありますが、あくまで飲み屋ではなくレストラン。
なかには、ミシュランで3つ星をとる超高級店もあります。
オステリアもトラットリア同様タイプは様々。
通常は気軽な「わいわいがやがや」と楽しめるお店。
又、ワインを豊富に取り揃えて飲む方も楽しめることが多いこともあり「日本の居酒屋」的なイメージか。
地元の伝統的な料理を出すお店でこのオステリアを名乗るケースが目立つ他、こちらも相当な高級店である場合もある。
ピッツェリアPizzeria
ピザ専門店。全てのお店が釜で焼いているかというとそうでは無い。こちらもピッツェリア・リストランテなどと名乗る店も多く、 そういったお店ではピザの他にも通常のトラットリアのように何でも食べれる。一緒に行く仲間で食べたいものが違う時など重宝する。 (レストランについての参考)
イタリアにはパスタとピザを一緒に出す店はほとんどなかったが、最近「リストランテ・ピッツェリア」という看板を掲げている店も増えてきた。
つまり、ピッツェリアとリストランテが一緒になっているところで、リストランテ的な店構えでも、気取らずにピッツァを楽める。
どちらかというと、リストランテに近い存在で、そこにピザも置いているという感じ。
エノテーカ(ワイン屋)。
ワインを買うだけでなく、飲むこともできます。
ただし長居はせず、居酒屋ではないので酔っ払わないように。
(都市部では、ワインを売るだけという店も多い)
イタリア人は空ビンを持ってエノテーカへ行き、好みのワインを詰めてもらいます。
マットにはトラットリアと書かれていた。
デザインからシチリアで購入されたものだと思う。
そういえば、昨秋食べた水戸の要予約のシェフが1人でしている店の名前は
リストランテ・ダル・ソウシだった。
店の広さは違うけれど、あそこも確か3テーブル。
ただし、昼夜2組限定だった気が・・・
業態は似ているけど、トラットリアとリストランテ。
イタリアンの店の名前のつけ方に決まりはあるのだろうか?
少し調べてみた。
結論 イタリアでも
リストランテとトラットリアの明確な違いはない。
私も美味しかったら呼び方は何でもいいと思います。
一応の目安は、

もともときちっとした高級レストランをリストランテと呼んでいた。
現在は多少気楽なお店でもリストランテを名乗るところもある。
いわゆる有名シェフなどがいるお店、高級店と呼ばれるお店は殆どの場合がこのリストランテ。

リストランテとまでは行かず、決して高級ではないがリストランテ同様前菜からメインコースにいたるまで一通り揃えているところが普通。
トラットリアを名乗るところでも行って見ると実は結構な高級店だった、ということも。

オステリアは、もともとは駅馬車の中継地点にあった旅館と食堂を兼ねたもの。
日本なら街道の宿場町にある旅籠(はたご)に当たります。
宿泊施設がある店も残っていますが、最近では「オステリア」と名乗っていながら、泊まれない店も多く、昔、オステリアだった名残りが店名に残っているだけという場合も多い。オステリアから食堂が独立したのが、リストランテの始まりだといわれています。現在のオステリアには大衆食堂、居酒屋風の店もありますが、あくまで飲み屋ではなくレストラン。
なかには、ミシュランで3つ星をとる超高級店もあります。
オステリアもトラットリア同様タイプは様々。
通常は気軽な「わいわいがやがや」と楽しめるお店。
又、ワインを豊富に取り揃えて飲む方も楽しめることが多いこともあり「日本の居酒屋」的なイメージか。
地元の伝統的な料理を出すお店でこのオステリアを名乗るケースが目立つ他、こちらも相当な高級店である場合もある。

ピザ専門店。全てのお店が釜で焼いているかというとそうでは無い。こちらもピッツェリア・リストランテなどと名乗る店も多く、 そういったお店ではピザの他にも通常のトラットリアのように何でも食べれる。一緒に行く仲間で食べたいものが違う時など重宝する。 (レストランについての参考)
イタリアにはパスタとピザを一緒に出す店はほとんどなかったが、最近「リストランテ・ピッツェリア」という看板を掲げている店も増えてきた。
つまり、ピッツェリアとリストランテが一緒になっているところで、リストランテ的な店構えでも、気取らずにピッツァを楽める。
どちらかというと、リストランテに近い存在で、そこにピザも置いているという感じ。

ワインを買うだけでなく、飲むこともできます。
ただし長居はせず、居酒屋ではないので酔っ払わないように。
(都市部では、ワインを売るだけという店も多い)
イタリア人は空ビンを持ってエノテーカへ行き、好みのワインを詰めてもらいます。

マラスキーノ (Maraschino) とは、マラスカ種(酸味の強いブラックチェリー)
のサクランボを原料としたリキュール。
カクテルのレシピ集には、マラスキーノ・チェリーも頻繁に登場するため、
マラスキーノ・リキュールと表記される場合もある。
名産地はイタリア北部のトリエステ近郊や、クロアチア、スロベニア。
もともとは、アドリア海を挟んでイタリアの向かい側に位置するダルマチア
地方で、神のお酒として伝統的に作られてきたリキュール。
1821年、イタリアのジェノヴァ出身のジロラモ・ルクサルドが、当時ダルマ
チア領だったツァラ町で生んだ酒。
現在はイタリアのパドヴァで生産。
製造過程でサクランボの種子を破砕するため、アーモンドに似た独特の香気
を呈するのが特徴。
甘口で濃厚な味。
アルコール分も35%で強すぎず、弱すぎないお酒です。
現在のマラスキーノ酒は、3回蒸留、3年以上熟成させている。
原料となるマラスカ種チェリーは、小さくて黒くて苦みが強く、乾燥させて安く売るだけの商品価値しかない無価値なフルーツ。しかし、18世紀の頃から、地元の人々は、このチェリーを使って地酒ともいうべきマラスキーノを作っていたのです。
そのマラスキーノが一躍脚光を浴びたのが、ナポレオン戦争のときでした。全ヨーロッパが武装し、各地で戦いが繰り広げられる中、兵士たちはマラスキーノのような強いお酒に群がりました。軍隊ばかりでなく、北部ヨーロッパでは市民の間にもマラスキーノ人気は高まります。よりいっそう酒精を強くしたショック・マラスキーノも作られ、ダルマチア地方は時ならぬ活況を呈することになります。
しかし、ナポレオン戦争の終結とともに、マラスキーノは見向きもされなくなります。優雅さのかけらもない、ただ強いだけの粗野なお酒は、平和を享受する人々には不向きだったのです。 ルクサルド社の創業者であるジロラモ・ルクサルドが登場するのは、マラスキーノ業界が暗雲におおわれていたこの時代です。彼は原点に立ち返り、それをさらに洗練させた新しいタイプのマラスキーノ作りに挑戦していきます。納得のできる洗練された豊潤な香味が得られるまで、彼は何度も蒸留実験を繰り返したといいます。
ジロラモ・ルクサルドがダルマチア地方のツァラに最初の工場を建てたのは1821年のこと。彼が37歳のときでした。当時の彼のプロフィールを伝える歴史家の文章があります。「スポーツで鍛えられた、華々しい経歴を物語る落ち着いた高貴な顔」……。彼は貴族の家柄に生まれ、その妻も侯爵家の出身でした。
8年後には、時の権威であったオーストリアから専用製造権という特権を授与され、マラスキーノ・ルクサルドはリキュールとしての確固たる地位を確立していくことになります。ルクサルド社の工場は、ツァラで最大の規模を誇り、マラスキーノ・ルクサルドは世界中に輸出されていきました。
このリキュールを最も愛したのがオーストリア皇帝でした。後に、皇室御用達の菓子店デメルは、このリキュールの独創的な風味をお菓子の中に見事に再現しています。
ジロラモの素晴らしさは、一度は死んだマラスキーノを洗練されたお酒として甦らせただけではありません。マラスキーノ・ルクサルドを印象づけるためのボトルラッピングに、画期的なアイディアを展開したのです。それは、緑色の細いボトルをストローで包むというアイディアでした。このラッピングによってルクサルド社のブランドが印象づけられるだけでなく、船ではるか遠い国に輸送するときにも破損を防ぐことができます。
後に、このストロー・ラッピングは他の業者もまねをすることになり、マラスキーノの代名詞になっていきます。
創業以来、変わらないルクサルド社の熟練の製法 曲がりなりにも平和な時代が続き、後継者にも恵まれたルクサルド社は繁栄の一途をたどります。しかし、再び戦争の陰が忍び寄ってくることになるのです。1914年、第一次世界大戦の勃発。1917年、ロシア革命の勃発。操業が停止され、売掛金の貸し倒れが相次ぎ、ルクサルド社の業績は急激に落ち込むことになります。
やがて、戦争の終結後にもたらされた束の間の平和。しかし、第二次世界大戦に向かって、世界は徐々に歩みを進めていました。1943年、大空襲により初代ジロラモの築いたツァラの工場が焼失。4万8千リットルもの純粋アルコールが灰に帰すことになります。ツァラの人々の実の5人に1人が死亡するという大空襲。ルクサルド・ファミリーも、その例外ではありませんでした。
しかし、ただ一人生き残ったジョルジョ・ルクサルドは、廃墟の中で雄々しく立ち上がります。ルクサルド社の復興は驚くほどのスピードで進んでいきました。スラブ人の手に落ちたダルマチアを離れ、愛するイタリアのトレッリアに新工場を建設。名実ともにイタリアを代表する名酒として、マラスキーノ・ルクサルドが甦ったのです。
大戦終結の6年後には、早くもイタリア飲料輸出業者リストのトップになり、この分野での輸出合計の25%をマラスキーノで占有することになります。ストロー・ラッピングを施したボトルは、再び世界の果てまで届くことになったのです。
新鮮なチェリーが工場に運ばれると、すぐさま種をとって高圧プレスにかけられ、クラッシュされていきます。このジュースを木の樽でゆっくりと熟成させ、単式蒸留を経て、さらに特別仕立ての大樽で3年に渡って熟成させて生まれる豊潤な香りのマラスキーノ・ルクサルド。その製法は、創始者であるジロラモ・ルクサルドの時代と寸分の変わりもありません。
チェリー独特の香味をさらに濃厚に凝縮させ、優雅な気品に満ちたリキュールに仕上げたルクサルド・ファミリーたち。昔も今も、その豊潤な香りをお菓子に生かすべく、世界のパティシエたちは腕を競っているのです。
日本で「チェリー・ブランデー」というと、このマラスキーノのことを指す
ことが多い。
カクテルやアイスクリーム、パフェなどに添えられるマラスキーノ・チェリーは収穫したチェリーを塩水に漬けて、着色剤、シロップ、アルコール、香味料に漬け込んで作られますが、もともとはこのリキュールで作られていました。
本来このマラスキーノに浸漬して作るもの。


茨木のシチリア料理店で使われていたパンテレリア島のケッパー。
あれ?どこかで聞いた名前と思ったら、1月に豊橋の「山猫軒」のご主人が
「世界一のケッパー、入手困難」と話していた島。
手帳にシチリアから船で3時間南下と書いていました。
それがまさか地元でこんな風にさりげなく出てくるとは予想外でした。


ちゃんと地図に載っていますね。
くわしく調べてみました。

する低木で、古代から食用とされてきました。
古代ギリシャで医薬品として盛んに利用され、ヒポクラテスやアリストテレスは、
それぞれの著書の中で効用を指摘し、旧約聖書にも同様の記述があるといいます。
イタリアの産地はメッシーナの西北に位置するエオリア諸島とパンテレリア島。
パンテレリア島はシチリア州に属し、アフリカ寄りでイタリア最南端に位置する
活火山島。
夏にはサハラ砂漠から吹き荒れる熱風シロッコ。
それ以外の季節にもほぼ常に暖風に包まれており、あちこちの岩場から蒸気が
噴出するという独特な環境下で栽培されています。
火山性の土壌や乾燥した空気、昼夜の温度差が激しいことなど、まさにケッパー
のためにあるような環境。
イタリア語でカッペリ(ケッパー)は、100%パンテレリア産を保証するIGP
(保護指定地域表示)認定。
ケイパーは害虫がつきやすく、被害に合うとたちまち味が落ちてしまうのが難点。
パンテレリア島に自生する固有種のケッパーは、大粒で風味が強く、シチリアの
塩による塩漬けと熟成を経て作られます。
天然塩の塩漬けによる乳酸発酵での熟成は、強い風味を一層に引き出し、濃厚
な旨みが生まれます。
ケッパーは日本では酢漬けのものが一般的ですが、余分な味や風味が加わって
本来の味と香りはしません。
塩漬けは「ケッパーベリーの花」本来の味がするので、旨みが全然違います。
日本の塩漬けは、保存のためか塩の量がかなり多いが、現地では塩控えめ。
ケッパーには小さい実と、大きい実の2種類があります。
小さい実の方がつぼみが早いうちに摘んだ柔らかいもの。
つぼみが出来てすぐに、手作業で摘み取っているので、柔らかくて美味。
ケッパーの蕾は小さければ小さいほど上質で、摘み取るのは根気の要る女性の
仕事。
こちらは火を通さない料理や、サラダ、カルパッチョの仕上げに。
大粒のものは、トマトと一緒に煮込んだり、みじん切りにして混ぜ込む料理に
使います。
ケッパーが入った料理をパンテレリア風と言う。
続いて島についても少し勉強。
島にはアルマーニ氏の別荘があるそうです。
私はアルマニスタ(アルマーニ好きな人)じゃないから。
シチリア島からは100km以上、アフリカまでわずか70キロ。
晴れた日には、水平線の彼方にチュニジアがうっすらと見えるほど、アフリカ
が近い。
およそ3万年前の火山噴火による隆起によって生まれ、紀元前700年頃、古代
カルタゴ人の上陸から始まった島の歴史。
フェニキア、古代ローマと近隣地中海諸国が名を連ね、中でも、アラブ人に
よる支配の影響は色濃く、今でも地名や建物に、その名残が見られる。
島は、古くからシチリア島とアフリカ大陸の交易中継点として栄えてきた。
島名も、アラブ語「Bent el Riahベン・エ・リー(風の子供・娘)」が語源だ。
島内に点在する、屋根がドーム状になった風変わりな石積みの家屋。
「ダムーゾ」と呼ばれるアラブ式の伝統的な建物で、島ではこのダムーゾを
改築したり模したりして別荘にするのが、長い間流行している。
多分、火付け役はアルマーニ氏。
彼の別荘も、そんなダムーゾのひとつで、ヨーロッパ発のファッション誌や
インテリア誌によく登場する。
周囲にさえぎるものが何もない島には、その名前の通り1年中あらゆる方向
から風が吹くことでも有名。ここで栽培されるオリーブは、風を避けて上より
横に枝を伸ばし、土着品種のブドウ(ジビッボ)は、成木でも大人のひざ丈程
の高さ。
名産カッペリ(ケッパー)は、大地にへばりついたまま成長する。
採掘資源に黒曜石を有する。
「ベビーリーフ」は発芽10~30日程度の柔らかい若い葉をサラダ用に収穫
したもの。
発祥の地は、イタリアで「ミスティカンツァ(混ぜ合わせ)」(misticanza)という
栽培方法で、西洋七草と言われているマーシュ、バジル、ロケット(ルッコラ)、
チコリ、レタス、トレビス、エンダイブの種を混ぜて蒔き、若葉をサラダにして
使ったのが始まり。
こういう呼び方をするのはイタリアでも 中部地方に限られています。
中部地方のアブルッツォ州ではミスティカンツァを拡大解釈して、 ミックス
したものをなんでもこう呼ぶ傾向もあるそうです。
本来のミスティカンツァは、自然に野に生えている香り高い野草だけをミックス
した 野趣溢れるサラダ。
たとえば野生のルッコラ、フィノッキオ(英語でフェンネル)、チコリ、 ラツゥ
ゲッラ(ちしゃの1種)、スカンポ、カブラキキョウ・・・。
ドレッッシングは、白ワインビネガーと塩をふり、オリーブ油を回しかけるだけ。
これはイタリアでもっとも一般的なサラダの食べ方です。
ワインビネガーの酸味の替わりのにレモン汁、ドレッシングにアンチョビーも加え
ます。
ミスティカンツァに入れる野菜は香りが強いので、アンチョビーを加えても味が
負けなくておいしいと土地の人は言います。
でもウィキには「元々は南フランスのサラダである」ってあったな~。
そのフランスでは「ムスクラン」(mesclun)という名前で商品化され高級野菜として
有名に。
英語ではメスクラン・グリーンズ(mesclun greens)。
栄養価が高いことなどが受け、米国で1980年代から市場確立。
重量当たりの単価が高く、水耕栽培すれば最高で年間24毛作が可能なことから、
生産者側のメリットも大きい。
現在、年間数十億円ほどの日本国内市場は、300億円程度まで拡大することが
見込まれている
価格的には高くても、利点もたくさんあります。
・どの野菜も新芽の方がビタミン・ミネラルの含有量が育ったものより高い。
・一度に多くの種類の野菜が食べられる。
・100%無農薬で作られている。
したもの。
発祥の地は、イタリアで「ミスティカンツァ(混ぜ合わせ)」(misticanza)という
栽培方法で、西洋七草と言われているマーシュ、バジル、ロケット(ルッコラ)、
チコリ、レタス、トレビス、エンダイブの種を混ぜて蒔き、若葉をサラダにして
使ったのが始まり。
こういう呼び方をするのはイタリアでも 中部地方に限られています。
中部地方のアブルッツォ州ではミスティカンツァを拡大解釈して、 ミックス
したものをなんでもこう呼ぶ傾向もあるそうです。
本来のミスティカンツァは、自然に野に生えている香り高い野草だけをミックス
した 野趣溢れるサラダ。
たとえば野生のルッコラ、フィノッキオ(英語でフェンネル)、チコリ、 ラツゥ
ゲッラ(ちしゃの1種)、スカンポ、カブラキキョウ・・・。
ドレッッシングは、白ワインビネガーと塩をふり、オリーブ油を回しかけるだけ。
これはイタリアでもっとも一般的なサラダの食べ方です。
ワインビネガーの酸味の替わりのにレモン汁、ドレッシングにアンチョビーも加え
ます。
ミスティカンツァに入れる野菜は香りが強いので、アンチョビーを加えても味が
負けなくておいしいと土地の人は言います。
でもウィキには「元々は南フランスのサラダである」ってあったな~。
そのフランスでは「ムスクラン」(mesclun)という名前で商品化され高級野菜として
有名に。
英語ではメスクラン・グリーンズ(mesclun greens)。
栄養価が高いことなどが受け、米国で1980年代から市場確立。
重量当たりの単価が高く、水耕栽培すれば最高で年間24毛作が可能なことから、
生産者側のメリットも大きい。
現在、年間数十億円ほどの日本国内市場は、300億円程度まで拡大することが
見込まれている
価格的には高くても、利点もたくさんあります。
・どの野菜も新芽の方がビタミン・ミネラルの含有量が育ったものより高い。
・一度に多くの種類の野菜が食べられる。
・100%無農薬で作られている。
タイトルはゴージャスという意味ではありません。
私達夫婦が日常で買物をしているスーパーのお話。
幸い多くの店がある地域に住んでいます。
平日は週2回程度、職場と自宅の間で2~3軒をはしご。
週末も食べたいランチのある地域のスーパーへ。
月1度や、直行の時だけ立ち寄る店、全部あわせたら、数10軒はあるのでは
ないかと思います。
行きつけの宿が増えるに従い、旅先で行きつけのスーパーもできてきました。
日常の延長のはずのスーパーで、特に旅先で非日常を感じる事も多数。
ここではそんなスーパーで買ったものや、撮った写真を備忘録として記します。
写真撮影禁止の店が増えてきたのは残念です。
でも、私かなり怪しい人かも。

買ったのは
チョコボール 北海道ミルク味。
ちょうどもらったばかりのチョコがあったので意味も無く同時撮影。

森永ミルクキャラメル食パン。
新たにキャラメル味のパンを売り出すのでなく、既に有名な自社ブランドを
アレンジするのは最近多い常套手段。
その術中にすぐはまる私であった。

おかわかめ
おかひじきは知っていましたが、これははじめて。
わかめが苦手なので購入せず。

のぞみ
いちごは一段の平積みか箱積みが普通、これだと華やかでスペースも使え、
目も引きます。

鳥取・大山乳業の白バラコーヒー
とても美味しいのですが、あまり関西では売っていません。
柔らかな色は、ミルクたっぷりのコーヒー色。 

ランチパック トマトジャム&トマトホイップ
ゾクゾクと発売されるテレビ番組とのコラボ製品。
すぐ買わないと2度と会えない。

アルバイトさんの力作か?美しく積み上げられたミルク。

オマーン産の三度豆。
野菜不足の冬の思い出に。
昔、オマーンの王族と結婚した神戸の女性がいたな~。
スイスチャード(ふだん草)
近所ではあんまり売っていません。

昔、和歌山の産直「めっけもん市場」で売っていた。
ゆでる→
ゆで汁→ 
リーガロイヤルのチーズケーキ
おいしそうに見え購入
まだ残っている。
濃厚なチーズケーキにサワーチェリーがすっぱすぎ!

イスラエルの柿
これは渋柿なのだろうか?
はるばるイスラエルから来たというのに、おつとめ品。
数年前の大晦日。
エジプトのソフィテル・ルクソールのガラパーティーの山盛り果物の隅に
柿があって、思わずつまんだら、激シブだったのを思い出した。
私達夫婦が日常で買物をしているスーパーのお話。
幸い多くの店がある地域に住んでいます。
平日は週2回程度、職場と自宅の間で2~3軒をはしご。
週末も食べたいランチのある地域のスーパーへ。
月1度や、直行の時だけ立ち寄る店、全部あわせたら、数10軒はあるのでは
ないかと思います。
行きつけの宿が増えるに従い、旅先で行きつけのスーパーもできてきました。
日常の延長のはずのスーパーで、特に旅先で非日常を感じる事も多数。
ここではそんなスーパーで買ったものや、撮った写真を備忘録として記します。
写真撮影禁止の店が増えてきたのは残念です。
でも、私かなり怪しい人かも。

買ったのは

ちょうどもらったばかりのチョコがあったので意味も無く同時撮影。


新たにキャラメル味のパンを売り出すのでなく、既に有名な自社ブランドを
アレンジするのは最近多い常套手段。
その術中にすぐはまる私であった。


おかひじきは知っていましたが、これははじめて。
わかめが苦手なので購入せず。


いちごは一段の平積みか箱積みが普通、これだと華やかでスペースも使え、
目も引きます。


とても美味しいのですが、あまり関西では売っていません。




ゾクゾクと発売されるテレビ番組とのコラボ製品。
すぐ買わないと2度と会えない。

アルバイトさんの力作か?美しく積み上げられたミルク。


野菜不足の冬の思い出に。
昔、オマーンの王族と結婚した神戸の女性がいたな~。


近所ではあんまり売っていません。

昔、和歌山の産直「めっけもん市場」で売っていた。









これは渋柿なのだろうか?
はるばるイスラエルから来たというのに、おつとめ品。
数年前の大晦日。
エジプトのソフィテル・ルクソールのガラパーティーの山盛り果物の隅に
柿があって、思わずつまんだら、激シブだったのを思い出した。