高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

埋め込みヘッドライトが残されていた新前橋区のクモハ41044

2016-06-01 23:15:53 | 国鉄
 さて、再び飯田線から離れて高崎ローカルに久しぶりに戻ります。本車は新前橋電車区のクモハ41044です。特徴は埋め込みヘッドライトが残されていたこと。と言ってもヘッドライトの250W化は行われていますので、原型のままではありません。とはいえ往年の残り香が残されていた車両です。







では例によって本車の車歴です。

1938 日本車輌製造 → 1938.10.25 使用開始(東鉄) → (1947.3.1現在 東カマ) → (千ツヌ)→1953.12 東マト→1963.9.22 高シマ → 1978.6.28 廃車

データ出典: 『旧型国電車両台帳』『終戦直後の東京の電車』『鉄道ピクトリアル』バックナンバー

 1938年に日車で製造され東鉄に配属になっています。本車はクモハ41の最終増備グループのトップナンバーで、初のリベットを使わない全溶接車体となっています。この後の40系の電動車は出力強化されたMT30を装備したモハ60にバトンタッチされます。ちなみに1947年の配属では蒲田電車区=京浜東北線になっていました。この時モハ41は主に山手線、京浜線、中央線に配備されていました。その後、おそらくモハ63の増備に伴ってか、一時モハ41の大半が集結する津田沼区へ移動しますが、この移動時期は不明です。しかし意外に早く仲間と別れて津田沼を離脱し、松戸区に移ります。松戸区はモハ60の牙城でしたので、出力の小さい本車は肩身が狭かったのではないかと思われますが... そして1963年には高崎ローカル用に首都圏を都落ちし、その後15年間を高崎近郊で過ごしました。
 因みに松戸には、後に新前橋で共に活躍するモハ30001, 3もいましたが、彼らは松戸から直接新前橋に移るのではなく、一旦中原を経由してから移っています。

 クモハ41は出力の小ささのためか比較的早く淘汰された車両が多かったのですが、本車は、埋め込みヘッドライトと相まって比較的遅くまで残った貴重な車両でした。


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1 コメント

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ノーリベット試作車 (原口 悟)
2016-06-04 00:30:30
ノーリベットのクモハ41型ですが、41044~41055が該当します。昭和13年度の車なのですが、同年度の車が一斉にノーリベットには移行してなく、他はクハ68型018~020(後のクハ68054, 056, 058)だけがノーリベットでした。共通するのは日車(本店)製ということで、全溶接の試行として日車本店が指名されたか、日車本店が自主試行したことが考えられます。
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