やはり、地味な飯田線の縁の下の力持ちシリーズですが、クモハ54121(静トヨ)です。クモハ54121, 123, 125は運転台右側の窓がHゴム化され、さらに左側の窓はHゴム化されていないのになぜかRが付いている、というアクセントが同じで、撮影メモでもない限り区別がつきません。また正面だけですと先日紹介した54009とも区別がつきません。
この写真を撮ったとき(1976.5)は、メモによりますと、豊橋側から54121+87001+48034+42009で豊橋機関区33番運用に就いていました。54121は当時76年3月に浜松工場で全検を受けたばかりで、塗装がきれいな状態でした。
豊橋駅でのカラーと同じに日に豊橋機関区で撮影したモノクロの画像を見て頂きます。
この三兄弟の内54125のみは、80系投入後も残りましたが、後の2両は流電らと運命を共にすることになりました。
本車の車歴は、
1943.7.24汽車会社東京支店製造(モハ60092)→1943.8.27使用開始(大ミハ)→1945.2座席撤去→1948.7.8大ヨト→1948.12.13座席整備→1950.11.13大ミハ→1953.6.1改番(モハ54121)→1956.1.12更新修繕I(吹田工)→1956.3.1大タツ→1962.9.15大アカ→1967.4.2静トヨ→1979.3.9廃車
データ出所:『関西国電50年』
ほぼ、同僚クモハ54123と同様な経歴を辿っています。
この写真を撮ったとき(1976.5)は、メモによりますと、豊橋側から54121+87001+48034+42009で豊橋機関区33番運用に就いていました。54121は当時76年3月に浜松工場で全検を受けたばかりで、塗装がきれいな状態でした。
豊橋駅でのカラーと同じに日に豊橋機関区で撮影したモノクロの画像を見て頂きます。
この三兄弟の内54125のみは、80系投入後も残りましたが、後の2両は流電らと運命を共にすることになりました。
本車の車歴は、
1943.7.24汽車会社東京支店製造(モハ60092)→1943.8.27使用開始(大ミハ)→1945.2座席撤去→1948.7.8大ヨト→1948.12.13座席整備→1950.11.13大ミハ→1953.6.1改番(モハ54121)→1956.1.12更新修繕I(吹田工)→1956.3.1大タツ→1962.9.15大アカ→1967.4.2静トヨ→1979.3.9廃車
データ出所:『関西国電50年』
ほぼ、同僚クモハ54123と同様な経歴を辿っています。