こちらは伊那松島区に所属していたクモハ51069です。オリジナルのクモハ51ではなく、モハ41をセミクロス化した改造車ですが、飯田線の車輌としては珍しく、通風機が潰されていません。パンタグラフもオリジナルのPS-11でそれに加えて側面の通風機も健在という、オリジナルの初期タイプ、城東線に配備されたモハ41の雰囲気を強く残した車輌でした。これで樋までオリジナルであればもっと良いのですが、それは望みすぎでしょう。では両サイドともご覧頂きます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/b1/9f4692e63e5fa5788ca923435f69f47d.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/8a/3783c5c23ba79d3e77f94df7c1fca2e6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/95/c4e33f3a7dfa803252bce1524e3ed663.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/25/08f40df8d979d4a663200b3bc39c9cc4.jpg)
やはり特徴があるせいか、模型キットも発売されたことがあるようです。
本車の車歴ですが、
1932.12.12日本車輌東京支店製造(モハ41009)→1932.12.28使用開始 (大ヨト)→1943.12.17改造・改番 (モハ51066 [初代])→1943.12.27大アカ→1944.7.26改番 (モハ51069)→1945.1.15座席撤去→1951.2.19更新修繕I(吹田工)→1956.6.30更新修繕II→1960.12.11静ママ→1966.1.26長キマ→1966.5.8静ママ→[77-12全検浜松工]→1978.10.19静トヨ→1978.12.20廃車
一時的に大糸線にいた時期があったのですね。今回調べてみて初めて分かりました。また本車の飯田線の転入は1960年と早いですが、これはちょうど101系の増備で関東から押し出されてきた73系が明石に流れ始めた頃。この時初期の40系を51系に改造したグループが岡山ローカルやこちらに押し出されていたようです。おそらく車令を考慮していたのでしょう。
以上『関西国電50年』および『鉄道ピクトリアル』『鉄道ファン』バックナンバー・データ(一部現車確認)によります。
※78年10月に移動していると思われますが、鉄道ピクトリアルの10月移動データから番号がありません。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/b1/9f4692e63e5fa5788ca923435f69f47d.jpg)
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やはり特徴があるせいか、模型キットも発売されたことがあるようです。
本車の車歴ですが、
1932.12.12日本車輌東京支店製造(モハ41009)→1932.12.28使用開始 (大ヨト)→1943.12.17改造・改番 (モハ51066 [初代])→1943.12.27大アカ→1944.7.26改番 (モハ51069)→1945.1.15座席撤去→1951.2.19更新修繕I(吹田工)→1956.6.30更新修繕II→1960.12.11静ママ→1966.1.26長キマ→1966.5.8静ママ→[77-12全検浜松工]→1978.10.19静トヨ→1978.12.20廃車
一時的に大糸線にいた時期があったのですね。今回調べてみて初めて分かりました。また本車の飯田線の転入は1960年と早いですが、これはちょうど101系の増備で関東から押し出されてきた73系が明石に流れ始めた頃。この時初期の40系を51系に改造したグループが岡山ローカルやこちらに押し出されていたようです。おそらく車令を考慮していたのでしょう。
以上『関西国電50年』および『鉄道ピクトリアル』『鉄道ファン』バックナンバー・データ(一部現車確認)によります。
※78年10月に移動していると思われますが、鉄道ピクトリアルの10月移動データから番号がありません。