高尾山麓日誌

東京、高尾山麓付近に暮らす日常から、高尾山の状況や、高尾山・八王子周辺地域で気付いたこと、周辺鉄道情報などを掲載

原型モハ41の雰囲気を残したクモハ51069 (蔵出し画像)

2016-02-01 22:45:33 | 旧型国電
 こちらは伊那松島区に所属していたクモハ51069です。オリジナルのクモハ51ではなく、モハ41をセミクロス化した改造車ですが、飯田線の車輌としては珍しく、通風機が潰されていません。パンタグラフもオリジナルのPS-11でそれに加えて側面の通風機も健在という、オリジナルの初期タイプ、城東線に配備されたモハ41の雰囲気を強く残した車輌でした。これで樋までオリジナルであればもっと良いのですが、それは望みすぎでしょう。では両サイドともご覧頂きます。









 やはり特徴があるせいか、模型キットも発売されたことがあるようです。

本車の車歴ですが、

1932.12.12日本車輌東京支店製造(モハ41009)→1932.12.28使用開始 (大ヨト)→1943.12.17改造・改番 (モハ51066 [初代])→1943.12.27大アカ→1944.7.26改番 (モハ51069)→1945.1.15座席撤去→1951.2.19更新修繕I(吹田工)→1956.6.30更新修繕II→1960.12.11静ママ→1966.1.26長キマ→1966.5.8静ママ→[77-12全検浜松工]→1978.10.19静トヨ→1978.12.20廃車

 一時的に大糸線にいた時期があったのですね。今回調べてみて初めて分かりました。また本車の飯田線の転入は1960年と早いですが、これはちょうど101系の増備で関東から押し出されてきた73系が明石に流れ始めた頃。この時初期の40系を51系に改造したグループが岡山ローカルやこちらに押し出されていたようです。おそらく車令を考慮していたのでしょう。

以上『関西国電50年』および『鉄道ピクトリアル』『鉄道ファン』バックナンバー・データ(一部現車確認)によります。
※78年10月に移動していると思われますが、鉄道ピクトリアルの10月移動データから番号がありません。


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
LP402ヘッドライト支持方法の変化 (原口 悟)
2016-02-02 00:54:45
飯田線に昭和30年代前半までに転入した車はヘッドライトの250W(LP402)化の際、旧型国電で一般的だった背後に支持金具が付き、後ろに支持のステーが伸びているタイプではなく、蒸気機関車や旧型電気機関車で見られた台に乗ったような形の取り付け方をしており、恐らく豊川分工場独特の工事です。これは、落石等線路への支障物が多く発生する元三信鉄道区間の保安度向上のためにヘッドライトの大容量化が求められたため、首都圏や関西圏のヘッドライトのLP402化に先行して行われたと考えられ、旧型国電標準の工事方法(ライトの背後支持)が確立する前に蒸気機関車の流儀を応用して工事をしたためではないかと考えられます。転入時期から、写真のクモハ51069が蒸気機関車型のライト取り付けを行った恐らく最後の車で、この後に転入した車は標準工法に変わったか、LP402を装備済みで転入しています。
返信する
Unknown (管理人)
2016-02-02 23:27:11
確かに、前照灯のタイプに2つあるのは当時から気付いていましたが.... なるほどそうでしたか。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。