迷った。
本当に、迷った。
ここ数年で、会社を辞めるときよりも迷いました。
昨夜はひとり、僕のこれからの人生を考えながら、眠れない夜をすごしました。
みなさん、ブログへのコメント、ありがとう。
メールで気持ちやアドバイスを送ってくれたみなさん、ありがとう。
本当に、ひとつひとつ、あぁそうだよなぁと励まされているような気持ちで読ませていただきました。感謝です。
夜中にいきなり電話してしまった友人、先輩のみなさま、貴重な時間をすんませんでした。わけのわからない、とりとめのないようなことばかり話してしまいましたが、ずいぶんと参考になりました。
自分の選択で確実にこれからの人生が変わるという、そんな緊張感のなか、会社を辞めて旅に出るときよりも悩みました。
で、迷いぬいた末の結論。
上京、します。
僕は、東京で働くことにしました。
つい昨日の朝くらいまでは、もう余裕で大阪で働いちゃおうなんて思っていたのですが、野球でいうと9回裏1アウトからの逆転サヨナラタイムリーって感じです(2アウトまで追い込まれてもいないし、ホームランほどたいした逆転劇でもないのが残念!)。
大阪の会社は、雰囲気もよく働きやすいところのようで、業績も伸びているし、とくに断ることもないようないい会社でした。
ただ、これからの事業展開の広がりを考えると、やはり少し心細いかな、と。
僕が昨夜悩みに悩んでいたとき、旅に出る前の、会社を辞めたときの自分を思い出しましていました。
以前の会社もとくになんの不満があったわけでもなく、楽な道を進んでいました。このまま仕事を続けるのが、いちばん楽だったと思っていました。
でも、僕が選んだのは、苦難の道。
そのときの僕は、楽な道と苦難の道のふたつがあれば、苦難の道を選んで生きたいと考えていました。
キャリアを捨てて、ひょっとすると途上で死んでしまうかもしれない長い旅に出て、無事に帰ってきたとしても三十路を迎えての再就職。
行き先が見えなくても、おもしろく生きてやろう、と。
大阪に就職しちゃおうと思っていた自分は、楽な道を選ぼうとしている。
そう思いました。
10年も住んでいた街に戻ること。住み慣れた街、知っている地下鉄路線、映画館だって飯屋の場所だって、なんの苦労もなく入っていける。友人だって仕事つながりの人だっていっぱいいる。ただいま!って言ったら、おかえり!って返ってきそうな感じ。
あぁいいねぇ日本もさぁ、なんて呑気に言えそうな、大阪の街。
僕は大阪が好きだからこそ、上京することに決めた。
僕は日本に戻ってきて、再就職活動をしていたのは、働こうとしているのは、なんのためなんだ? その自問自答の末の結論は、前進すること。
この「放浪日記」のなかで僕は、旅行中何度も「前へ!前へ!前へ!」という言葉を使った。
これは(僕が嫌いすぎて大好きな)毛沢東の言葉だ。
いまとなっては愚行以外のなにものでもない文化大革命の頃におっしゃった言葉。
なりふりかまわず進め!ということ。この言葉のもつ背反性。
だから僕はこの言葉を多用してきたのだが、今、僕が帰国して、日常の中にも「放浪」という言葉に集約される「旅」の要素が含まれていることにあらためて気付いている。
となれば、僕の「半死的世界旅行」は終わっているわけではなく、これが世界旅行から上京へと変わっただけにすぎないのではないか。
やはり、僕は旅人であると思う。
僕の旅する世界は、東京という街になり、日本社会というフィールドに変わりつつある。
それでも僕は旅を、放浪をしていこうと思っている。
中学生の頃、僕はこの歌を初めて聴いた。
あのときは、まさか自分の身がこの歌詞のようになってしまうとは夢にも思わなかったけれど。
著作権の関係などを無視してでも、僕の気持ちは今まさにこの歌のようになっているために、ここで載せておきたい。
長渕剛「東京青春朝焼物語」
両足が鉄の棒のように 痛かった
お前と二人で不動産屋を廻った
張り紙を何度も何度も なぞりながら
井の頭線で五つ目の駅で降りた
愛想の悪い酒屋で 俺は缶ビールを買った
植木鉢の下に 鍵を置くことに決めた
荷ほどきできない ダンボール箱を背中にして
俺たちは えびのように丸くなった
今日から俺 東京の人になる
のこのこと 来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと 東京の人になる
二人でおんぼろの自転車に乗り
野良猫の“チロ“を お前は拾ってきた
不釣合な花柄のカーテンには困ったけど
南向きの窓が たまらなくよかった
豆腐屋のばあさんは ゴムのエプロンに長靴で
いつも そこら中に 水をまいていた
「ごめんよ」が このばあさんの いつもの挨拶で
そこを 通るたびに 笑ってた
今日から俺 東京の人になる
のこのこと 来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと 東京の人になる
カンカンと遠くで 踏切が鳴いてた
夕暮れ時の雨は 嫌だった
つっかけを履いたまんま 女ものの傘をさし
角のバイク屋へ空気入れを借りに行く
鉄柵の向こうからは 空が見えなかったけど
暮らすのに何の理屈も いらなかった
ただ初めて お前の台所に立った背中を
抱きしめたのは ささやかな俺の覚悟だった
今日から俺 東京の人になる
のこのこと 来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと 東京の人になる
今日から俺 東京の人になる
のこのこと 来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと 東京の人になる
あらためてこの歌詞を読みながら、人生ってなにが起こるのかわからないなと思った。
上京のためには、部屋を探したり、引越ししたりとバタバタすることだろう。
11月1日から、仕事をはじめる。
それまでは準備期間。大阪にも挨拶に行きます。東京には何度か足を運びます。みなさん、また会いましょう。写真も完成してお見せできると思います。
本当に、迷った。
ここ数年で、会社を辞めるときよりも迷いました。
昨夜はひとり、僕のこれからの人生を考えながら、眠れない夜をすごしました。
みなさん、ブログへのコメント、ありがとう。
メールで気持ちやアドバイスを送ってくれたみなさん、ありがとう。
本当に、ひとつひとつ、あぁそうだよなぁと励まされているような気持ちで読ませていただきました。感謝です。
夜中にいきなり電話してしまった友人、先輩のみなさま、貴重な時間をすんませんでした。わけのわからない、とりとめのないようなことばかり話してしまいましたが、ずいぶんと参考になりました。
自分の選択で確実にこれからの人生が変わるという、そんな緊張感のなか、会社を辞めて旅に出るときよりも悩みました。
で、迷いぬいた末の結論。
上京、します。
僕は、東京で働くことにしました。
つい昨日の朝くらいまでは、もう余裕で大阪で働いちゃおうなんて思っていたのですが、野球でいうと9回裏1アウトからの逆転サヨナラタイムリーって感じです(2アウトまで追い込まれてもいないし、ホームランほどたいした逆転劇でもないのが残念!)。
大阪の会社は、雰囲気もよく働きやすいところのようで、業績も伸びているし、とくに断ることもないようないい会社でした。
ただ、これからの事業展開の広がりを考えると、やはり少し心細いかな、と。
僕が昨夜悩みに悩んでいたとき、旅に出る前の、会社を辞めたときの自分を思い出しましていました。
以前の会社もとくになんの不満があったわけでもなく、楽な道を進んでいました。このまま仕事を続けるのが、いちばん楽だったと思っていました。
でも、僕が選んだのは、苦難の道。
そのときの僕は、楽な道と苦難の道のふたつがあれば、苦難の道を選んで生きたいと考えていました。
キャリアを捨てて、ひょっとすると途上で死んでしまうかもしれない長い旅に出て、無事に帰ってきたとしても三十路を迎えての再就職。
行き先が見えなくても、おもしろく生きてやろう、と。
大阪に就職しちゃおうと思っていた自分は、楽な道を選ぼうとしている。
そう思いました。
10年も住んでいた街に戻ること。住み慣れた街、知っている地下鉄路線、映画館だって飯屋の場所だって、なんの苦労もなく入っていける。友人だって仕事つながりの人だっていっぱいいる。ただいま!って言ったら、おかえり!って返ってきそうな感じ。
あぁいいねぇ日本もさぁ、なんて呑気に言えそうな、大阪の街。
僕は大阪が好きだからこそ、上京することに決めた。
僕は日本に戻ってきて、再就職活動をしていたのは、働こうとしているのは、なんのためなんだ? その自問自答の末の結論は、前進すること。
この「放浪日記」のなかで僕は、旅行中何度も「前へ!前へ!前へ!」という言葉を使った。
これは(僕が嫌いすぎて大好きな)毛沢東の言葉だ。
いまとなっては愚行以外のなにものでもない文化大革命の頃におっしゃった言葉。
なりふりかまわず進め!ということ。この言葉のもつ背反性。
だから僕はこの言葉を多用してきたのだが、今、僕が帰国して、日常の中にも「放浪」という言葉に集約される「旅」の要素が含まれていることにあらためて気付いている。
となれば、僕の「半死的世界旅行」は終わっているわけではなく、これが世界旅行から上京へと変わっただけにすぎないのではないか。
やはり、僕は旅人であると思う。
僕の旅する世界は、東京という街になり、日本社会というフィールドに変わりつつある。
それでも僕は旅を、放浪をしていこうと思っている。
中学生の頃、僕はこの歌を初めて聴いた。
あのときは、まさか自分の身がこの歌詞のようになってしまうとは夢にも思わなかったけれど。
著作権の関係などを無視してでも、僕の気持ちは今まさにこの歌のようになっているために、ここで載せておきたい。
長渕剛「東京青春朝焼物語」
両足が鉄の棒のように 痛かった
お前と二人で不動産屋を廻った
張り紙を何度も何度も なぞりながら
井の頭線で五つ目の駅で降りた
愛想の悪い酒屋で 俺は缶ビールを買った
植木鉢の下に 鍵を置くことに決めた
荷ほどきできない ダンボール箱を背中にして
俺たちは えびのように丸くなった
今日から俺 東京の人になる
のこのこと 来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと 東京の人になる
二人でおんぼろの自転車に乗り
野良猫の“チロ“を お前は拾ってきた
不釣合な花柄のカーテンには困ったけど
南向きの窓が たまらなくよかった
豆腐屋のばあさんは ゴムのエプロンに長靴で
いつも そこら中に 水をまいていた
「ごめんよ」が このばあさんの いつもの挨拶で
そこを 通るたびに 笑ってた
今日から俺 東京の人になる
のこのこと 来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと 東京の人になる
カンカンと遠くで 踏切が鳴いてた
夕暮れ時の雨は 嫌だった
つっかけを履いたまんま 女ものの傘をさし
角のバイク屋へ空気入れを借りに行く
鉄柵の向こうからは 空が見えなかったけど
暮らすのに何の理屈も いらなかった
ただ初めて お前の台所に立った背中を
抱きしめたのは ささやかな俺の覚悟だった
今日から俺 東京の人になる
のこのこと 来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと 東京の人になる
今日から俺 東京の人になる
のこのこと 来ちまったけど
今日からお前 東京の人になる
せっせせっせと 東京の人になる
あらためてこの歌詞を読みながら、人生ってなにが起こるのかわからないなと思った。
上京のためには、部屋を探したり、引越ししたりとバタバタすることだろう。
11月1日から、仕事をはじめる。
それまでは準備期間。大阪にも挨拶に行きます。東京には何度か足を運びます。みなさん、また会いましょう。写真も完成してお見せできると思います。
上京に決めましたか!
とりあえずビール飲もうね!
やっぱり「東京か、大阪か」と選択を
つきつけられた3日間は、
社会人になってからこんなに悩んだことない、
って思いました。
東京なんて出張で行ったことしかなかったから、
人が住むようなとこじゃないって思ってたしね。
でも昨日も書いたけど、ほんと、
きてみたらぜんぜん平気やで~!
決めたんですね。
後は、東京での生活を楽しみましょう!
人生は何かを計画している時に起こる別の出来事のようなものだ。
と、訳すらしい。
これ、あたくしの大好きな言葉。
何か思ったとき、起こすとき、
いっつも心の中でなぞる呪文です。
一度トーキョーへ行った人は戻ってこない。
さぞ悩んだでしょう決心お疲れ!
変態サイコー。進め進め。
まさにいまかみしめている kazuya です…ハハハ。
きのうのブログ、真剣さが伝わりすぎて、
コメントしようがなくて、足跡しか残せませんでした(笑)
ともあれ、旅を続けることを選ばれたわけで、
にいやさんらしい選択だったかと思います。
東京に沈没しちゃわずに、たまには大阪にもおいでくだされ。
旅の成果がとおく大阪にいても届くような仕事されること、
祈ってます。
なんか楽しくなってきたなぁ(笑)
おもしろく生きるには、前へ前へ、挑戦して、ナンボですもんね。
スバラ式決断に乾杯です。
おめでとうです!
そして頑張ってくださいまし~
すごぃと思います。
オイラは東京に行くといつも
「ここには住めない。。住んでる人達はすごぃ」
と思います。
一からのスタートになるだろうけど
ホント頑張って!
うぇるかむ!!
どこに住むんですかねえ。
詳しいこと決まったらブログに書いてくださいね。
とりあえずウェルカムパーティー。
選択としては楽な道を。
でもこの道は未知です。
違うとこで困難さも待ってます。
東京でゆっくり話しましょう。
私はサニーデイサービスの東京も好きです。