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『学道用心集聞解』を読む#3 〜乾巻〜

2020-03-19 08:52:32 | 仏教・禅
 こんにちは。前回のところで序文が終わり、ようやく内容に入っていくことができます。今回と次回(おそらく次々回ぐらいまで)は、学道用心集の名称の由来や、その構造についての話が続いていくかと思われます。直接的な内容ではないかもしれませんが、重要な部分が示されていて、僕自身もとても興味深く拝読しています。

 ここからはカタカナでふりがながされているところになっていきますが、読みづらいので基本的にはひらがなに直し、そして送り仮名自体も現代の用法にします。例えば「當る」を「当たる」にするなどです。時折経典の引用は漢文そのものなので、そちらについては前回までと同じように原文と書き下しを載せる形にします。書き下してしまえば特別現代語訳をする必要は今のところ感じていません。むしろ使われている語句が仏教的にどのような意味を持っているのかというバックグラウンドを知る方がより大切かと思っています。

 それでは始めていきたいと思います。基本的には太字の部分が本文としています。

 まず出だしのところ。「永平初祖学道用心集聞解乾巻」とあります。全体が「乾(けん)巻」と「坤(こん)巻」に分かれているので、「乾巻」というのは上巻という意味でしょう。ちなみに乾坤というのは天地のことです。

 次の行には「永福老人演説」とあります。永福老人とは面山瑞方禅師のことです。面山さんは永福庵というお寺を現在の福井県小浜に建てたのですが、ここから取っているのでしょう。この行の下には「侍者 慧観 録」とあるので、ここからはいわば講義録のような形で記されたのだと思われます。この次の本文の最初には「老人云く」から始まることからもそれが示唆されます。

 次に『学道用心集』自体がいつ書かれたのかについて言及されます。「天福二年」で道元禅師が35歳の時だとされます。天福二年というのは1234年で、道元禅師が生まれたのが1200年。当時は数え年なので35歳という計算になります。
 数え年とは、生まれた時にすでに1歳としてカウントし、年を越すたびに1歳加えていくというものです。12月31日に生まれたとして、1月1日になったら生後2日だったとしても2歳になるので、現在の誕生日を基準とした年齢計算からは違和感があるかもしれません。ただ、当時の年齢を考えるには細かい月日を勘定に入れずに済むのでむしろシンプルなやり方だとも言えるでしょう。単純に「その年」ー「生まれた年」+1をすれば当時の年齢が算出できるわけですから。

 「興聖寺建立の年に当たる」となっていて、なるほど!と思っていたのですが、よくよく調べると興聖寺建立は1233年で天福元年。1年ずれているのですね。このずれはなぜ生じたのか…。これも課題です。そしてこの年には「奘祖始めて参侍せらる」とあり、懐奘禅師(永平寺二代目住職)が道元禅師の元に弟子入りしたことが言われています。これも1234年の出来事なので、天福二年ではないのです。

 「題号を安ぜられしはそれより十年過ぎて越に山居の後と見えたり」とあり、懐奘禅師によって10年後、永平寺にて10章を集めて1冊にしたと言われています。元々は1章ずつが独立していたことが示唆されます。学道用心集は10章(段)に分かれていますが、面山さんは十に分かれていることにも意味があり、それは「住向行地」の意味と同じだと言います。これ自体の用語について詳しくないのですが、おそらくは十地について述べているのだろうと思われます。十地は華厳経の「十地品」に代表されるもので、「大乗経典において説かれ最も代表的な菩薩の階位」だとされます。独立の経典として『十地経』ないし『十住経』というものもあります。この二つは同じものの異訳です。

 具体的な10段階としては、1 歓喜地、2 離垢地、3 発光地、4 焔慧地、5 難勝地、6 現前地、7 遠行地、8 不動地、9 善慧地、10 法雲地といったものが示されます。他のタイプの十段階もあるようです。具体的な意味として気になる方はwikipediaで恐縮ですが、リンクを貼っておきます。学びを深めた上で改めてお伝えできたらと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%9C%B0

 この十は「法定の数」であるとされています。この言葉自体は手元にある簡単な辞書には出てこないものなのですが、「法数」というものは耳にするところです。四諦八正道の四とか八、三毒、五蓋などに出てくる数字のことを指すようです。十という分類自体も仏の教えにならったものであることを示されているのでしょう。

 ここまでは学道用心集が十段に分かれている意義についてでしたが、次は学道用心集の字義についての説明に入ります。まず「学道」が他の経典にどのように用いられているのかについての紹介がされています。ここでは『四十二章経』という経典がまずは引き合いに出されます。具体的には以下の三つとなります。


学道之人不為性欲所惑
学道の人、性欲のために惑わされず


沙門学道応堅持其心
沙門の学道は応(まさ)に其の心を堅持すべし


学道之人去心垢浄
学道の人は心の垢浄を去る

 さて、個人的にはこの分類は、②を中心にした方が良いのではと思いました。心を堅持するということが中心にあり、その具体的内容として①と③があるという構造です。①では性欲というネガティブなものに振り回されることがないようにということを言っていて、③では垢というネガティブなものに執われないことはもちろん、浄という一見ポジティブなものにも執われないことが説かれています。③はつまりは、二項対立てきに世の中を見る姿勢を戒めているのです。ちなみに①のところで「性欲のために惑わされず」とあって、性欲を無くせと言っているわけではないというところは興味深いところです。

 続いて学道用心集の「用心」の部分を経典から引用してきます。

華厳経浄行品
文殊菩薩告智首菩薩言佛子云何用心能獲一切勝妙功徳
文殊菩薩智首菩薩に告げて言わく、佛子云何(いかに)用心して能く一切勝妙功徳を獲る

潙山警策
此宗難得其妙切須子細用心
此の宗は其妙得難く、切に須らく子細に用心すべし

 どちらの引用も「妙」を得るためには「用心」しなくてはならないという形で述べられています。妙というのは「仏の教えの真髄」と表現すれば良いでしょうか。横山紘一先生の『唯識仏教辞典』で「妙」を引いてみると、次のような説明が出てきます。
「たえなること。すぐれて美しいこと。すばらしいこと。最もすぐれていること」
具体的な用例としては「諸の菩薩の最初発心は妙なり極妙なり」「云何が妙なるや。謂く、仏法僧の宝を最微妙(みみょう)と名づく」などがあります。
『法華経』の名で親しまれているお経がありますが、正式名称は『妙法蓮華経』で、これも妙の名をその頭に持っていますね。

 四十二章経と潙山警策という二つの経典が出てきましたが、これに遺教経を加え、「仏祖三経」という言い方がなされることもあります。特に遺教経と四十二章経は初学者にとっても親しみやすい内容が書かれていることもあり、禅宗で重んじられてきた経典です。
潙山警策は正式には経典というよりは語録になります。潙山霊祐という唐代の禅僧の言葉を集めたものです。

 最後に「学道用心集」の「集」という字について。これは特に経典は引用されませんが、次のように説明されます。

「集の字は、上は隹なり。下は木なり。木の上の隹は集まる。結集のこころなり」

 集の字を解体し、木の上に鳥が集まる様子だと説明し、「結集のこころ」であるとまとめています。結集は「けつじゅう」と読み、お釈迦様が亡くなった後、お弟子様たちがお釈迦様の教えを確かめ合うために開かれたのが最初の結集だと言われています。

 この部分の直後に「これまでは奘祖編集の尊意なるべし」ということが言われています。つまりこの「学道用心集」という名前をつけたのは懐奘禅師(永平寺2代住職)であるということです。「結集のこころ」ということは、お釈迦様の教えというよりは、道元禅師の教えをまとめあげたものであると受け取ることの方がより面山さんの理解に近いかもしれません。


今回はここまでで一区切りとします。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
もし誤りなどがありましたらご指摘頂けますと幸いです。

次回からは全10章がそれぞれどのような意義を持っているのかについての説明に入っていきます。
またお会いできますよう。



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