若僧ひとりごと

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菩提心とは「やるか、やらないか」〜『学道用心集聞解』を読む#5

2020-04-02 20:58:04 | 仏教・禅
前回は可発菩提心事について、前半の説明でした。心地観経についての説明でしたね。ここでは空というのは固定した存在はない、実体的な存在はないということなのだけれど、それが行き過ぎてしまうと因果の道理を無視した邪見に陥ってしまう。空というのはあくまでも「有の病」に対する薬として処されるものである。そして邪見から離れれば悟りの心が自ずから働き出すのだ、というのがおおまかな内容となっていました。今回は前回の引用の残りの部分です。こちらに再掲しておきます。

それ自性清浄の心を菩提心と名づく。六道の群生みな具えたり。ただ発と未発との差別なり。諺に喩を説かば、人の臥したると起きたるとのごとし。未発は臥(ね)てらるなり。発は起るなり。なにほど勝れた器量芸能ある人でも臥(ね)て居た分では一切の事業死人と同じ。もし起きてなれば我に有るほどの智慧才覚少しもつかえず用う。今もこれと同じ。本具の菩提心を発しだにすれば、その功徳の働きにて六度万行の器量芸能にもあらわれ、三明六通の智慧才覚も用いられて一超直入如来地なり。ゆえに華厳には初発心便成正覚と説かれ、涅槃には発心畢竟に無別と説かる。菩提と云うは、阿耨多羅三藐三菩提の略語なり。梵語を翻すれば、無上正偏智とも無上等正覚とも称す。果満如来の徳号なり。

ここに示した引用部分は経典ではなく、面山さん(面山瑞方)の解説になっています。本文は漢文ではなく書き下されたものになっていますが、ひらがなになっている部分はカタカナで記されています。

さて、最初のところから見ていきます。
それ自性清浄の心を菩提心と名づく。六道の群生みな具えたり。

自性清浄という言葉が出てきました。『唯識 仏教辞典』には「自性清浄心」の項目があり、ここでは次のように出てきます。

「本来的に清らかな心。煩悩は心に付着した日本来的なもの(客塵煩悩)であり、心の本性は清らかであるという考えをいう」

本来ある清らかな心、つまり悟りの心があるということを菩提心というのだというのがここの部分です。それを六道の群生、つまり天・人間・阿修羅・地獄・餓鬼・畜生にある存在が全てその悟りの心を持っているというのです。みんな本来的に悟っているんだ、というのが天台では「本覚思想」と言われ、堕落の原因ともなったのですが、ここでは単に本覚思想に終わることはありません。次の文章です。

諺に喩を説かば、人の臥したると起きたるとのごとし。未発は臥(ね)てらるなり。発は起るなり。なにほど勝れた器量芸能ある人でも臥(ね)て居た分では一切の事業死人と同じ。もし起きてなれば我に有るほどの智慧才覚少しもつかえず用う。

本来清浄な悟りの心なのだけれど、どうして違いがあるのかと言うと、それは寝ているか起きているというような違いにあるのだと言われています。未発、つまり発心していない状態は寝ていること、そして発心している状態は起きていることに例えられます。

どれほどの器量芸能、簡単に能力のことと解釈しておきますが、そうした能力のある人でも、寝ているだけではなすこと(事業)は死人と変わらない。つまり何の作用も起こさないということが言われます。「やればできる」と言いながらぐーたらしている人間は結局のところ何にもならないというのと同じことですね。

それに対して、起きていれば自分にある智慧・才覚が邪魔されることなく使うことができるのだとされます。これは簡単には同意しかねるところではあります。起きていてもなかなか自分の能力を発揮できないところはいくらでもあるからです。面山さんの指摘する「起きる」というのは単純に起きているというよりは、本当の意味で「目覚めている」ことを指すのでしょう。

本具の菩提心を発しだにすれば、その功徳の働きにて六度万行の器量芸能にもあらわれ、三明六通の智慧才覚も用いられて一超直入如来地なり。

本具の菩提心、つまり元々備わっている清浄な心が働きさえすれば、その功徳が働いて六波羅蜜という行いが現れ、三明六通という智慧を使えるようになり、如来と立つところを同じくするというのです。

六度万行とは六波羅蜜のことです。布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧の六つですね。元々仏教で重視されていた行いに関する教えとしては八正道というものがありましたが、大乗仏教になると布施に代表されるように他者性を重視するようになりました。

三明六通についてですが、まずは六神通は以下のものになります。

① 神足通(じんそくつう)。欲する所に自由に現れることができる能力。
② 天眼通(てんげんつう)。人々の未来を予知する能力。
③ 天耳通(てんにつう)。世間一切の苦楽の言葉、遠近の一切の音を聞くことができる能力。
④ 他心通(たしんつう)。他人の考えていることを知る能力。
⑤ 宿命通(しゅくみょうつう)。自己や他人の過去のありさまを知る能力。
⑥ 漏尽通(ろじんつう)。煩悩ぼんのうを滅尽させる智慧。宿命通、天眼通、漏尽通

引用元は以下のページです。

浄土真宗の親鸞聖人に関するデータベースのようですが、手元にある辞書とも大差が無いようなので掲載しておきます。

これは六神通について、つまり三明六通の六通に当たる部分ですが、三明と言うのは天眼通、宿命通、漏尽通を別に取り上げたもののようです。

よく仏教は合理主義的な教えだ、宗教だと言われることが多いのですが、仏典の中では度々超能力のような出来事が取り上げられています。お釈迦様の十大弟子の中にも神通第一と言われた目連尊者がいます。この方は神通力を使った亡くなったお母様が今どこにいるのかを見たそうです。すると天でも人間界でもなく、餓鬼として苦しんでいたというのです。

お釈迦様も水の上を歩いたり、お釈迦様のいるところからはるか遠くのところから香を焚いてお釈迦様に教えを求めたところ、そこにすぐさま現れたといった逸話が仏典に残っています。こうしたものが神通力と言われるのですね。菩提心を発せばそうしたことが全て行えるようになるかというと、それはまた疑問が残るところではありますが。

一超直入如来地(いっちょうじきにゅうにょらいち)とは、本来は黄檗希運(おうばくきうん)という、唐代の禅僧が使っていた言葉です。悟りの境地はステップ・バイ・ステップではなく、場面が転換するようにガラッと変わることをここでは示されています。

今回はここまでと致します。
読み進めていくのも良いですが、もう少しテーマオリエンティッドなスタンスで書いていくのも良いかなと思い始めています。

それではまたお会いできますよう。

『 『学道用心集聞解』を読む#5 〜可発菩提心〜』

2020-03-29 07:00:00 | 仏教・禅
今回は「第一可発菩提心」に入っていきますまずはこの「可発菩提心」についての解説がなされます。

以下に全文を示します。

心地観経巻八に発菩提心品あり。文略す取意に謂く、
文殊仏に白して言わく、世尊仏所説の如く三世所有の一切心法皆空。何を説いて発と名づく。
仏文殊に告ぐ。諸々の心法中、諸の邪見を起こす。故に心と心所法と我説いて空と為す。若し空義に執して究竟と為すは、諸法皆無因無果(の)路伽耶陀と何の差別(しゃべつ)か有らん。本(もと)空の薬は有の病を除くが為に、空の薬を服して邪見を除き已(おわ)って自覚悟の心能(よ)く菩提を発(おこ)す。此の覚悟心すなわち菩提心。二相有ること無し。

それ自性清浄の心を菩提心と名づく。六道の群生みな具えたり。ただ発と未発との差別なり。諺に喩を説かば、人の臥したると起きたるとのごとし。未発は臥(ね)てらるなり。発は起るなり。なにほど勝れた器量芸能ある人でも臥(ね)て居た分では一切の事業死人と同じ。もし起きてなれば我に有るほどの智慧才覚少しもつかえず用う。今もこれと同じ。本具の菩提心を発しだにすれば、その功徳の働きにて六度万行の器量芸能にもあらわれ、三明六通の智慧才覚も用いられて一超直入如来地なり。ゆえに華厳には初発心便成正覚と説かれ、涅槃には発心畢竟に無別と説かる。菩提と云うは、阿耨多羅三藐三菩提の略語なり。梵語を翻すれば、無上正偏智とも無上等正覚とも称す。果満如来の徳号なり。



 前半部分に示された心地観経の引用部分を読んでいきます。心地観経の部分は本来は漢文なのですが、ここでは書き下しのみを示すこととします。心地観経はマイナーな経典だと思っていたのですが、ネットで公開されている辞書にもヒットするものでした。さすがにそれを引用するのは忍びないので、『岩波仏教辞典』による解説を紹介します。

「詳しくは〈大乗本生心地観経〉といい、出家して閑静な処に住し、心を観察して仏道を成就すべきことを説く。8巻。この経典は、父母・衆生・国王・三宝の四恩を説くことで有名で有る。中に自性身、受用身(自受用身・他受用身)、変化身の三身を説き、大円鏡智などの四智を説き、無漏法爾種子の説を出し、さらには月輪観や三密も説かれるなどしており、唐の般若訳とされるが、かなり後代に制作されたものと考えられている」

 仏教の様々な用語をテーマにして説かれている経典のようで、特に四恩(父母・衆生・国王・三宝)について説かれているようですが、今回の引用部分で扱われているのは空と発菩提心の関係についてのところです。それではこの心地観経の引用部分、まずは文殊菩薩が仏、つまりお釈迦様に質問をする場面になります。

文殊仏に白して言わく世尊仏所説の如く三世所有の一切心法皆空。何を説いて発と名づく

 ここでは全ての心法、すなわち心(八識)に生起することが全て空である、つまり実体を持たない、他に依った存在であるとされます。それが菩提心を「発(おこ)す」ということはどういうことか。実体が無いのならば何かを発すこともできないのではないかという問いかけです。空については本記事の最後に参考にした辞書の引用を載せてあります。


 続いてお釈迦様の答えです。
諸々の心法中、諸の邪見を起こす。故に心と心所法と我説いて空と為す。

 心法とは心のこと(八識)、そして心と心所法とは心の主体と働きを指す言葉です。心法などの心の概念の説明について、本記事の最後に辞書からの引用部分を挙げておきます。


 「心法中、諸の邪見を起こす」の中で邪見とありますが、邪見として代表的なものは何かを固定的なものとして認識するというものです。様々な説がありますが、因・縁・果の法則を否定する考えであるとしておきます。太田久紀先生の『凡夫のための唯識』には「仏教の基本にある存在の法則は、因果の理法だといわれるが、因果だけでなく、〈縁〉をその法則の中に持ちこみ、〈縁〉の作用を重視するのが大きな特徴である」p329と述べ、因を植物の種子(植物の成長における直接的原因)、縁を周囲の様々な環境(植物の成長における間接的な原因)に分けて論じ、一つの植物が様々な条件に依って成り立っていることに言及します。そして「そうした存在の真相を否定すること、それが〈邪見である〉」p330と述べています。この邪見は唯識などにおいてはより詳細に論じられているところではありますが、ここでは以上の説明で次に入っていきたいと思います。

 お釈迦様の答えの続きです。
若し空義に執して究竟と為すは、諸法皆無因無果(の)路伽耶陀と何の差別(しゃべつ)か有らん。


 これは空の理解が「無い」というものに偏ってしまった場合の邪見であると理解できます。無因無果というのは原因と結果の結びつきも否定しているわけですから、これも因果の法則を無視しているものになります。路伽耶陀(ろかやだ)は元の発音ではローカーヤタであり、意訳としては「順世(間)」とも記されるようです。その教えについて、『岩波仏教辞典』次のような解説がされています。

「実在するのは4元素のみで、不滅の霊魂も来世も神も因果応報の道理も存在せず、感覚のみが唯一確かな認識方法で、推理も宗教聖典もあてにはならない。現世を満喫するのが最高善である」

 同辞典では「唯物論的快楽主義」とも表現されているのですが、刹那的な発想であることがわかります。空であるということは「何にもない」「空っぽ」であるという解釈もされますが、それに対して間違った解釈をしてしまうと、路伽耶陀の唯物論的快楽主義に陥ってしまうというのです。

 そして「差別」とありますが、仏教的には「しゃべつ」と読むことが多く、ここでは区別や相違といった意味になります。「何の差別かあらん」というのはここでは区別はない、一緒であるという意味になってきます。

 お釈迦様の答えで、引用部分の最後です。
本(もと)空の薬は有の病を除くが為に、空の薬を服して邪見を除き已(おわ)って自覚悟の心能(よ)く菩提を発(おこ)す。此の覚悟心すなわち菩提心。二相有ること無し。

 ここでは空が薬であるとされています。何のための薬かというと、「有」の病のためだとされます。自分や周囲の環境が変わらないと考えてしまう、「常」だと考えてしまうことに対して「無常」を説き、自分という魂や人格が確としてあると考えてしまうことに対しては「無我」を説く。仏教の教えは応病与薬だとされますが、まさにこの部分に当てはまる言葉だと言えます。

 この空の薬を飲み、邪見を取り除くと、覚悟の心が菩提を発すとされます。覚悟というのは日常会話では腹をくくるというようなニュアンスで使われますが、ここでは悟りの意味です。そして、菩提も「悟り」で、これが菩提心の省略であったならば「悟りを求める心」です。なんだかわからなくなってきますね。

 しかし、この直後に「此の覚悟心すなわち菩提心。二相有ること無し」と出てきます。結局は同じであるということが言われるのです。僕はこの言葉は「悟りが働き始める」というように受け取っておきたいと思います。自分を含めた世の中に対して固定的なものであるという邪見から離れることによって、自ずから悟りが働き始めるというのがここで示されている教えなのでしょう。

 今回はここまでで、次回は残りの部分についての簡単な解説を行なっていきます。

【心法・心・心所法】
太田久紀先生の『「唯識」の読み方 凡夫が凡夫に呼びかける唯識』によると、次のように出てきます。
「〈心王〉は〈心法〉ともいい、ただ単に〈心〉とだけいうこともある。〈心所有法〉も、略して〈心所法〉〈心所〉などと呼ぶ。〈こころ〉の体用全体を表す場合、二つを合わせて〈心・心所法〉という。」

【空】
空については様々な議論がされていますが、ここでは辞書的な定義を紹介しておきます。
横山紘一先生の『唯識 仏教辞典』においては次のような定義が載せられています(一部抜粋)
・あらゆるものが存在しないこと
・苦聖諦(非常・苦・空・非我の四行相)の一つ。自己のものという見解(我所見)と相違しているありよう、あるいは人・人間という思いがないありよう、あるいは自己がないありようをいう。自己のものという見解(我所見)をなくすために空という行相を修する。

結跏趺坐が組めるまで

2020-03-26 12:08:35 | 仏教・禅

坐禅のイメージ

「坐禅のイメージってどういうものがありますか?」

 そう聞いてみると「痛い」とか「我慢しなきゃいけない」といったものが挙げられることが多いです。警策(きょうさく)という木の棒で叩かれるのが坐禅のお決まりの絵になっているからではないでしょうか。
 それともう一つは、足を組むことが挙げられます。坐禅の正式な坐り方は2種類あると言われています。結跏趺坐と半跏趺坐です。道元禅師の『普勧坐禅儀』には次のように示されています。

 「或いは結跏趺坐(けっかふざ)、或いは半跏趺坐(はんかふざ)。謂(いわ)く、結跏趺坐は先(ま)づ右の足を以って左の䏶(もも)の上に安じ、左の足を右の䏶の上に安ず。半跏趺坐はただ左の足を以て右の䏶を壓すなり」

 簡単に言えば、両足を組む時は右の足を左腿の上、左足を右腿の上に置く。片足を組む時は左足を右の腿の上に置くということです。もっとも、どちらも組む足を反対側にしても構わないという意見もあります。


最初の坐禅
 
 僕が最初に坐禅を習った時は中学生の頃でした。中学・高校は禅宗系の学校で、授業の中で年に4回ほど坐禅の時間があり、また毎週金曜日は朝7時から早朝坐禅の時間がありました。学校に入ると嫌が応でも坐禅を何度も体験することになるため、新入生は全員最初に坐禅の作法について学ぶことになります。

 坐禅のオリエンテーションでは、坐禅堂で先生が丁寧に教えてくれました。坐禅堂への入り方だったり、どこで頭を下げるのかといった説明を受け、とうとう足を組む段になります。先生が最初に見せてくれたのは両足を組む、結跏趺坐。先生が組む結跏趺坐を見て、正直「不可能だ」と思いました。体の固さには自信があったので、そんな芸当はとてもできないと、怖気づいてしまうほどです。
 次にはもう一つ片足を組む半跏趺坐も教わりました。これならかろうじて組めると思い、強引に片足を反対側の腿に乗せました。それもでも相当キツく、坐禅の時間は痛みとの戦いが大半を占めることになりました。


結跏趺坐での坐禅
 高校に入ると本格的な修行を2週間程度経験することにもなりました。そこでももちろん坐禅の時間はたくさんありました。もちろんずっと半跏趺坐で行なっていたのですが、ある時、ある和尚さんにこう言われました。

「途中で崩しても良いから結跏趺坐で坐禅をしてみなさい」。


 普通だったら「嫌だ」と断ってしまいたくなるようなところだったのですが、その和尚さんの凜とした佇まい、落ち着いて、それでいて芯の通った語り口から「よし、やってみようかな」とひとまずやってみることにしました。
 最初は不可能だと思っていた結跏趺坐も、中学の3年間で、右を上にして組んだり左を上にして組んだりを繰り返していたおかげもあり、一応短い時間であれば組めるようになっていました。片足を両手でガッツリともち、反対側の腿へと半ば力づくで載せます。
 この時結局足を組んだまま坐禅を終えたのか、それとも崩して半跏趺坐に戻した状態で坐禅を続けたのかは覚えていません。一回の坐禅が40分もあることや、自分の意志が弱いことを鑑みると、やっぱり崩してしまったのかもしれません。それでも正式な坐禅の時間中に初めて結跏趺坐で坐ることができたことで、なんだか一人前への一歩を踏み出したような気持ちになりました。

永平寺での修行
 大学を卒業してすぐに、福井にある大本山永平寺での修行に入りました。以前は強制されていた結跏趺坐でしたが、僕が修行に行った際には結跏趺坐で坐るかどうかは個々人に委ねられているようでした。

 しかし修行に行く前、師匠に「永平寺の坐禅は結跏趺坐ですか」と聞いたら「当たり前だろ」と言われたこともあり、結跏趺坐で臨もうと意気込み両足を組みました。大学に入ってからほとんど坐禅はしなかったので、久しぶりの結跏趺坐です。

 猛烈な痛みがありました。体感時間では長く組んでいましたが、実際に組んでいられたのは5分とか、10分程度だったのではないでしょうか。どうしてもっと練習したり柔軟体操をしておかなかったのかと、修行前に遊び呆けていた自分を恨みました。

 修行道場に入って1週間は他の修行僧からは隔離された状況での修行生活になり、監督役の先輩僧侶がたまに見にくる程度だったのを良いことに、そっと足を解いていました。情けないことですが。

 それでも、長い時間結跏趺坐を組むことに憧れはあったので、可能な限り結跏趺坐を組んでいました。限界がきたらそっと解く。見つからないように。

結跏趺坐に変化が
 結跏趺坐を一回の坐禅の時間中組み続けられるようになったのはある日の夜の坐禅の時でした。結跏趺坐を組んでいる時、両足がぐあっと下に降りる感覚がありました。うまく言語化ができていないのですが、右腿と左腿が床に近く感じ、骨盤が開く感じとも言い換えることができるかもしれません。

 半跏趺坐の説明のところに「左の足を以て右の腿を壓(お)す」という一句がありましたが、ここの「壓す」を体感できた時だったと思います。この時、足を組んでいても痛みがいつもより感じられず、むしろ穏やかな心持ちになったことを覚えています。

 人間の体の関節、特に股関節などは本当に固くなっている場合もあるようですが、実際には自分で固めてしまっていることが多いようです。坐禅をしていく中でこの無意識的なこわばりが解けた時、腿がしっかりと下に向かって押されるのを受け入れてくれるようになったのでしょう。

 それでも坐禅の時間の中では痛みが強くなってきます。だいたい30分を過ぎると、ピリリと痛みが走ってきます。40分の坐禅の時間を終え、「ふぅ」と足を解き、足のしびれを取っていきます。

 ある日、老師のお話を伺っていた時何かの流れで「結跏趺坐で2時間はもちますね」と言われました。衝撃でした。ようやく結跏趺坐が組めるようになってもまだまだ道が遠いな、と思わされた一言です。

結跏趺坐が絶対ではないけれど
 最近は足の柔軟性の問題や、足の具合が悪い人のために椅子坐禅というものもあります。正座で行う坐禅もあるようですし、ヨガで言われる安楽坐(スッカアーサナ)で坐ることも奨励される場合もあります。事実、自分で坐禅指導を行う時はむしろ結跏趺坐を無理に組まなくとも良い、組まない方が良い場合もあるということもお伝えしています。

 結跏趺坐が坐禅の全てではないでしょうし、結跏趺坐にこだわることを執着だという人も、中にはいるかもしれません。確かに一理ある考えです。しかし、それでも「崩しても良いから結跏趺坐をしてみなさい」と言ってくれた高校時代に出会った和尚さんや、「2時間は組める」と話していただいた老師たちに、憧れに近いものを感じています。それは単に結跏趺坐が組めるからではなく、それを通じで体得ないし表現している人間性のためです。

 自分も結跏趺坐を行じ続けていく中で、この人たちと同じ景色が見えるのかもしれない。そう思い、今はもう少し、結跏趺坐を組むことに執われていたいと思っています。

『学道用心集聞解』を読む#3 〜乾巻〜

2020-03-19 08:52:32 | 仏教・禅
 こんにちは。前回のところで序文が終わり、ようやく内容に入っていくことができます。今回と次回(おそらく次々回ぐらいまで)は、学道用心集の名称の由来や、その構造についての話が続いていくかと思われます。直接的な内容ではないかもしれませんが、重要な部分が示されていて、僕自身もとても興味深く拝読しています。

 ここからはカタカナでふりがながされているところになっていきますが、読みづらいので基本的にはひらがなに直し、そして送り仮名自体も現代の用法にします。例えば「當る」を「当たる」にするなどです。時折経典の引用は漢文そのものなので、そちらについては前回までと同じように原文と書き下しを載せる形にします。書き下してしまえば特別現代語訳をする必要は今のところ感じていません。むしろ使われている語句が仏教的にどのような意味を持っているのかというバックグラウンドを知る方がより大切かと思っています。

 それでは始めていきたいと思います。基本的には太字の部分が本文としています。

 まず出だしのところ。「永平初祖学道用心集聞解乾巻」とあります。全体が「乾(けん)巻」と「坤(こん)巻」に分かれているので、「乾巻」というのは上巻という意味でしょう。ちなみに乾坤というのは天地のことです。

 次の行には「永福老人演説」とあります。永福老人とは面山瑞方禅師のことです。面山さんは永福庵というお寺を現在の福井県小浜に建てたのですが、ここから取っているのでしょう。この行の下には「侍者 慧観 録」とあるので、ここからはいわば講義録のような形で記されたのだと思われます。この次の本文の最初には「老人云く」から始まることからもそれが示唆されます。

 次に『学道用心集』自体がいつ書かれたのかについて言及されます。「天福二年」で道元禅師が35歳の時だとされます。天福二年というのは1234年で、道元禅師が生まれたのが1200年。当時は数え年なので35歳という計算になります。
 数え年とは、生まれた時にすでに1歳としてカウントし、年を越すたびに1歳加えていくというものです。12月31日に生まれたとして、1月1日になったら生後2日だったとしても2歳になるので、現在の誕生日を基準とした年齢計算からは違和感があるかもしれません。ただ、当時の年齢を考えるには細かい月日を勘定に入れずに済むのでむしろシンプルなやり方だとも言えるでしょう。単純に「その年」ー「生まれた年」+1をすれば当時の年齢が算出できるわけですから。

 「興聖寺建立の年に当たる」となっていて、なるほど!と思っていたのですが、よくよく調べると興聖寺建立は1233年で天福元年。1年ずれているのですね。このずれはなぜ生じたのか…。これも課題です。そしてこの年には「奘祖始めて参侍せらる」とあり、懐奘禅師(永平寺二代目住職)が道元禅師の元に弟子入りしたことが言われています。これも1234年の出来事なので、天福二年ではないのです。

 「題号を安ぜられしはそれより十年過ぎて越に山居の後と見えたり」とあり、懐奘禅師によって10年後、永平寺にて10章を集めて1冊にしたと言われています。元々は1章ずつが独立していたことが示唆されます。学道用心集は10章(段)に分かれていますが、面山さんは十に分かれていることにも意味があり、それは「住向行地」の意味と同じだと言います。これ自体の用語について詳しくないのですが、おそらくは十地について述べているのだろうと思われます。十地は華厳経の「十地品」に代表されるもので、「大乗経典において説かれ最も代表的な菩薩の階位」だとされます。独立の経典として『十地経』ないし『十住経』というものもあります。この二つは同じものの異訳です。

 具体的な10段階としては、1 歓喜地、2 離垢地、3 発光地、4 焔慧地、5 難勝地、6 現前地、7 遠行地、8 不動地、9 善慧地、10 法雲地といったものが示されます。他のタイプの十段階もあるようです。具体的な意味として気になる方はwikipediaで恐縮ですが、リンクを貼っておきます。学びを深めた上で改めてお伝えできたらと思います。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%9C%B0

 この十は「法定の数」であるとされています。この言葉自体は手元にある簡単な辞書には出てこないものなのですが、「法数」というものは耳にするところです。四諦八正道の四とか八、三毒、五蓋などに出てくる数字のことを指すようです。十という分類自体も仏の教えにならったものであることを示されているのでしょう。

 ここまでは学道用心集が十段に分かれている意義についてでしたが、次は学道用心集の字義についての説明に入ります。まず「学道」が他の経典にどのように用いられているのかについての紹介がされています。ここでは『四十二章経』という経典がまずは引き合いに出されます。具体的には以下の三つとなります。


学道之人不為性欲所惑
学道の人、性欲のために惑わされず


沙門学道応堅持其心
沙門の学道は応(まさ)に其の心を堅持すべし


学道之人去心垢浄
学道の人は心の垢浄を去る

 さて、個人的にはこの分類は、②を中心にした方が良いのではと思いました。心を堅持するということが中心にあり、その具体的内容として①と③があるという構造です。①では性欲というネガティブなものに振り回されることがないようにということを言っていて、③では垢というネガティブなものに執われないことはもちろん、浄という一見ポジティブなものにも執われないことが説かれています。③はつまりは、二項対立てきに世の中を見る姿勢を戒めているのです。ちなみに①のところで「性欲のために惑わされず」とあって、性欲を無くせと言っているわけではないというところは興味深いところです。

 続いて学道用心集の「用心」の部分を経典から引用してきます。

華厳経浄行品
文殊菩薩告智首菩薩言佛子云何用心能獲一切勝妙功徳
文殊菩薩智首菩薩に告げて言わく、佛子云何(いかに)用心して能く一切勝妙功徳を獲る

潙山警策
此宗難得其妙切須子細用心
此の宗は其妙得難く、切に須らく子細に用心すべし

 どちらの引用も「妙」を得るためには「用心」しなくてはならないという形で述べられています。妙というのは「仏の教えの真髄」と表現すれば良いでしょうか。横山紘一先生の『唯識仏教辞典』で「妙」を引いてみると、次のような説明が出てきます。
「たえなること。すぐれて美しいこと。すばらしいこと。最もすぐれていること」
具体的な用例としては「諸の菩薩の最初発心は妙なり極妙なり」「云何が妙なるや。謂く、仏法僧の宝を最微妙(みみょう)と名づく」などがあります。
『法華経』の名で親しまれているお経がありますが、正式名称は『妙法蓮華経』で、これも妙の名をその頭に持っていますね。

 四十二章経と潙山警策という二つの経典が出てきましたが、これに遺教経を加え、「仏祖三経」という言い方がなされることもあります。特に遺教経と四十二章経は初学者にとっても親しみやすい内容が書かれていることもあり、禅宗で重んじられてきた経典です。
潙山警策は正式には経典というよりは語録になります。潙山霊祐という唐代の禅僧の言葉を集めたものです。

 最後に「学道用心集」の「集」という字について。これは特に経典は引用されませんが、次のように説明されます。

「集の字は、上は隹なり。下は木なり。木の上の隹は集まる。結集のこころなり」

 集の字を解体し、木の上に鳥が集まる様子だと説明し、「結集のこころ」であるとまとめています。結集は「けつじゅう」と読み、お釈迦様が亡くなった後、お弟子様たちがお釈迦様の教えを確かめ合うために開かれたのが最初の結集だと言われています。

 この部分の直後に「これまでは奘祖編集の尊意なるべし」ということが言われています。つまりこの「学道用心集」という名前をつけたのは懐奘禅師(永平寺2代住職)であるということです。「結集のこころ」ということは、お釈迦様の教えというよりは、道元禅師の教えをまとめあげたものであると受け取ることの方がより面山さんの理解に近いかもしれません。


今回はここまでで一区切りとします。
ここまでお読みいただき、誠にありがとうございます。
もし誤りなどがありましたらご指摘頂けますと幸いです。

次回からは全10章がそれぞれどのような意義を持っているのかについての説明に入っていきます。
またお会いできますよう。


『学道用心集聞解』を読む#2 〜序文2〜

2020-03-16 14:52:23 | 仏教・禅
 前回は序文の途中で終わりました。このブログは更新頻度は確定させていませんが、大体週に2回ほどは更新していきたいと思っています。
 まず、前回の本文と書き下しを再掲しておきます。書き下しは少しふりがなを足してあります。

【本文】
竊以八萬四千之法蔵者係其機熟。一千七百公案亦導彼根利。至今機生根鈍。則恰同嬰童聞大雅焉。豈得辨別其曲折之妙哉。我祖学道用心也。苦口鄭重宜可導機生之凡嬰。丁寧告誡可暁根鈍之愚童。

【書き下し】
竊(せつ)に以(おもんみれ)ば八萬四千の法蔵は其の機熟に係る。一千七百の公案も亦彼の根利を導く。今に至って根の鈍きに生じるに至らば則ち恰(あたか)も嬰童(えいどう)の大雅を聞くに同じかな。豈に其曲折の妙を辨別(べんべつ)することを得んや。我が祖の学道用心や。苦口鄭重(くこうていちょう)宜しく機生の凡嬰を導くべく、丁寧告誡(ていねいこっかい)は根鈍(こんどん)の愚童に暁す可し。

 ここは道元禅師の述べているところではなく、面山瑞方さんの記述だというところは注意しなくてはなりません。初回はほぼ進んでおらず、今回は「一千七百公案〜」から進めていきます。

一千七百公案亦導彼根利
 公案とは禅の問答や問題のことで、公府の案牘 (あんとく)という言葉が省略されたものです。公案集として有名なものは『碧巖録(へきがんろく)』や『無門関(むもんかん)』、曹洞宗では『従容録(しょうようろく)』がよく用いられます。正式にはこれらは評唱録と言われるものです。
 公案自体として有名なものは「狗子無仏性」と言われるもので、犬に仏性があるかどうか、というものです。これは趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)という唐代の禅僧とその弟子の問答だと伝えられています。こういった公案の数が1700あると言われていて、それがここでは「一千七百公案」という表現になっているのです。なぜ1700なのかはまた調べてみなくては定かなところではありません。
 公案が「彼の根利を導く」と言われています。根利は機熟と同様の意味になります。修行に向かう力量に優れているということです。禅の問答である公案はお釈迦様の教えと同じように、力量に優れた人を導くものとしてある、ということがこの二文で言われています。

至今
 「今に至って」で、そのままです。ここでは時間が変わっています。法蔵と公案のところでは対象が先人になっていた一方で、この「至今」ではその対象が面山さんの時代、つまり江戸の時代(1760年頃)に移ったとみるべきでしょう。

機生根鈍
機というのは前回もあったように機根の話です。仏教学では「鈍根」という表現はよくありますが、これをひっくり返した形で書かれているのがこの「根鈍」になります。

則恰同嬰童聞大雅焉
 嬰童とは幼子です。大雅というのは詩経の分類の一つのようですが、単純に気高いもの、という意味もあるようです。幼子が(詩経のような)気高いものを聞くのと同じようなことだ、とここでは言っています。
 ただ、嬰童にはポジティブな意味もあるようです。弘法大師空海の『十住心論』では「嬰童無畏住心」というものがあり、人間世界の苦しみから離れた状態のことを指しています。
 大雅の後に「焉」がありますが、文末に来る場合は「かな」という、感嘆の意味を示します。つまりは、幼子が詩経の一部を聞くようなもので、わかるはずもないというような意味に取れます。

我祖学道用心也
 我が祖とは道元禅師のことで、学道用心は『学道用心集』のことになります。

苦口鄭重宜可導機生之凡嬰
 苦口は辞書で引くと「にがくち」と訓読みされますが、ここでは音読みした方がリズムが良いと思われます。「くこうていちょう」ですね。苦口はそのまま「にがにがしい物の言い方」ですが、「にくまれぐち」と言った意味もあります。鄭重は丁重と同じです。注意が行き届いていて丁寧なことです。ちょっと矛盾しているようですが、教師が憎まれようとも大切なことを伝えていこうとする精神を思い浮かべれば納得がいくところでしょう。
 機生之凡嬰とは凡とは平凡な様であり、嬰とは先ほども出ましたが、子供のことです。これは根鈍と同じ意味に取れば良いところです。

丁寧告誡可暁根鈍之愚童
 丁寧はそのまま、告誡は戒めるという意味。根鈍之愚童も前出と同じです。

ここまでの小結
 公案や経典は機根の優れた者、修行の能力に秀でたものに向けられたものであり、それに対して道元禅師の『学道用心集』は修行の能力の低い、鈍根の者に向けられた懇切丁寧なものなのだ、という内容になります。

 ここまでが前回引用した部分。次からは新しいところです。
【本文】
古人謂禁童子之暴謔則師友之誡不如傳婢之指揮。止凡人之鬭䦧則尭舜之道不如寡妻誨諭。

【書き下し】
古人謂く童子の暴謔を禁ずるは則ち師友の誡も傳婢(でんぴ)の指揮に如かず。凡人の鬭䦧(とうげい)を止むるは則ち尭舜の道も寡妻の誨諭に如かず。

 この古人とは誰かをというのを調べたところ、顔之推(がんしすい)という人のようです。謂く以下に書かれているのはこの顔之推によって著された『顔氏家訓(がんしかくん)』です。2年前(2018年)に林田慎之助氏による訳が講談社学術文庫から出ているので、ここの訳文を参照したいと思います。
 
「さて同じことをいっても、信じてくれるのは近親の者の言葉であり、同じことを命じても、従ってくれるのは心服する者のいいつけである。だから子供のいたずらを禁ずるには、師友の忠告よりも、子守や女中の指図のほうが効果的である。凡人のいさかいをやめさせるには、尭や舜といった古代の聖人の説く教えよりも、女房の説教のほうがよほどこたえるというものである」(p15-16)
 この下線部分が『学道用心集聞解』に引用されている部分です。

 簡単に語釈も加えていきます。
暴謔
 暴謔は「いたずら」と訳されています。一般的に見る暴虐は暴力的なものですが、謔にはいたずらといった意味があります。

鬭䦧
 鬭䦧の鬭は「闘」の旧字体です。この漢字が旧字体とされる過程についてこんなブログがあったのでご参考までに。https://dictionary.sanseido-publ.co.jp/column/%E7%AC%AC8%E5%9B%9E%E3%80%8C%E9%97%98%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E9%AC%AA%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E9%AC%AD%E3%80%8D
 「もんがまえ」だけでなく、「とうがまえ」もあったのですね。

傳婢
 この言葉ははっきりとはわからなかったのですが、祖傳婢がの一種であり、それが下人を指す言葉として使われていたようです。

尭舜之道
 尭も舜も中国の伝説的な君主を指します。道は文字通り道の意味もありますが、思想や学説、道理、規律といった意味でも使われ、動詞としては「語る」といった意味にも使われます。ここでは君主が語ったこと、その道理といった意味に取れば良いでしょう。

寡妻
 寡婦は未亡人の意味がありますが、寡妻は正夫人のこと。奥さんです。


 とっくに3000字も超えてしまっているのですが、せっかくなので残りの部分も書いておきたいと思います。

【本文】
今我以此集擬其傳婢之指揮、寡妻之誨諭云爾
【書き下し】
今我此の集を以って其の傳婢の指揮、寡妻の誨諭に擬する云爾(のみ)

 この『学道用心集聞解』を述べる面山さん自身が下人や妻のような親しい存在となって懇々と説いていこうという宣言が述べられているのです。またこの『学道用心集聞解』が書かれたのは明和三年、すなわち1766年であることがこの序文の終わりに示されています。

 次回はまだ学道用心集自体の本文にもはいることはできませんが、漢文では無く、漢字とカタカナによって書かれているので、直接原文を引く理由が無くなります。そのため、内容解説を中心にし、適宜本文の内容を示すという形にとどめていくこととします。

 ここまでご覧いただき、誠にありがとうございます。
 訂正や疑問などをご指摘をいただければ幸いに存じます。
 それではまた次回お会いできますよう。