つれづれ小平

忙中閑あり。
徒然のひとときに、自分探しの旅へ。

ウォーリー与那嶺さん、さようなら

2011年03月01日 23時47分27秒 | Weblog
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110301-00000129-jij-spo

忘れもしません。昭和49年でした。

巨人の連続優勝が途切れ、長嶋さんが引退したこの年、
セ・リーグ優勝したのは中日ドラゴンズでした。
その監督が与那嶺さんでした。

父の影響で中日ファンである岐阜県出身の私、
この年、日本シリーズを前に、
巨人ファンである地元の近所の同級生と激しい言い争いをしました。
日本シリーズの相手はロッテオリオンズでした。

私  「おめえも、中日、応援するやろ?」
同級生「おれ巨人(ファン)やし、ロッテの方が人気あるし、ロッテ応援するさ。」
私  「えー?! 普通、セ・リーグ応援するやろ! 高山(一応、岐阜県)なんやし、やっぱし中日やろ!」
同級生「そんなこと別に決まっとらんにけ。ロッテやさ!」

思えば、当時、「野球は巨人。ガムはロッテ」でした。
岐阜県であっても、
そのCMにも出た、金やんこと、400勝投手金田正一を同級生が応援したのも無理からぬ話かもしれません。

確かに、与那嶺さんは金やんに比べて地味だったのかもしれません。

でも、子供の眼にも、コツコツ積み重ねた感じの真面目な人でした。
日系2世だということも、巨人に在籍したことも、後で知ったことでした。

しばし、昭和49年の記憶に返らせていただきました。合掌。