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 東京湾シンフォニークルーズ

2011年08月30日 15時42分51秒 | 業界関係の行事


不動産の業界の、全日本不動産協会 港支部の親睦会がありました。


私は、厚生委員長のため、今回の企画は、東京湾でのシンフォニークルージングに、港支部の会員様と、東北地方より、港区内に仮住まいされているご家族の方をお招きしての懇親会。


お父様、お母様とご一緒のお子様も参加しました。


夏休み最後でもあるので、子供たちは、大はしゃぎでした。


とっても明るく元気な子供たちに、日本の未来が見えました。



120名参加の会員様が色紙に応援メッセージを書き、記念にお渡ししました




やっと退院

2011年08月19日 19時57分59秒 | ひとりごと

私の治療をしてくれたドクターたち

産業医科大学若松病院の整形外科

 

内田 宗志 先生のブログで、自分の症状が当てはまると思い、意を決し

北九州までやって来ましたが、無事 退院する所まで来ました。

まだまだ、スポーツ復帰は当分無理ですが、リハビリ励んで、自分を取り戻します。

 

みなさんよく 働きますね~

一週間に3日くらい 朝から晩まで手術して、それ以外に外来と、入院患者の朝晩の回診

朝は8時くらいに回診に来て、晩の回診は遅いと9時~10時ころ

寝る暇とご飯食べる暇あるのかな~と 思うぐらいです

 

左から

原 道冶 医師

邑本 哲平 医師

内田 宗志 医師

迫田 真輔 医師

松本 英彦 医師

 すばらしい治療をありがとうございました。

ほんと、この病院と先生方に出会えて ラッキーでした。

 

 

 リハビリの先生:立石 聡史 さん

筋トレ、ストレッチは、やっていましたが、病院のリハビリは初めてでしたが

なるほど 手術内容や、術後の症状によっていろいろあるものなんですね~

何種類かの動作のリハビリをしていると、あっと言う間に1時間半はかかって

しまいます。

午前1回  午後1回 のリハビリで、まじめにやると、けっこー疲れます。

お蔭様で、退屈な入院生活も、ちょっぴり体育会系の合宿みたいて、楽しかったです。

Ptの立石先生も、ご覧の通り、若くてカッコよくて ラッキーでした

教え方も親切 丁寧 。あまり無理させないように、見てないようで、見張ってました。

 


花と龍

2011年08月03日 07時41分58秒 | ひとりごと

 

6月28日、早く入院手続きしたいため初めて産業医科大若松病院に来たとき、
ホテルルートインに泊まり、夕食に近所の居酒屋「花と龍」に寄った。
かっこいい名前のお店だなあと思っていたが、何の意味か知らなかった。

今、この若松出身の作家 火野葦平(ひの あしへい)の「花と龍」の本を
アマゾン.comで、上下巻勝って読み出した。
先に下巻が宅配便で届いたので、しかたなく、下巻より読み出している。

火野 葦平は、1960年没だが、1936年若松沖仲仕労働組合を結成し、港湾労働者の闘争を指導。逮捕転向を経て文学の世界に戻る。
この小説は、昭和27年から昭和28年までの間、読売新聞に連載された
自分の父、金五郎(左の腕に龍の刺青がある)生涯を書いたもので、母はマン。

作家の父
玉井金五郎は、玉井組の親分で、当時の市会議員。
大正時代、若松市会議員といっても、沖仲仕、女郎屋、バクチ打ち、石炭ブロウカーという面々だった時代。
喧嘩渡世ではない仕事仕だった。北九州一円では名を知られる親分
三井物産、八幡製鉄所、東海興業、その他と仕事を持ち港湾石炭荷役の元締めとなり、直属の子分も数百人いた。働く人の代表という意味で 市会に押され、当選し、市会議員となった。
波止場の近代化の影に吉田親分との因縁の対立、金五郎を巡る女たちのしのぎを削る、明治から昭和戦前に至る北九州若松を舞台に展開するロマンティズム溢れる万丈波乱の物語