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岐阜 柳ケ瀬お化け屋敷「恐怖の細道」公式ブログ

山口敏太郎プロデュース!岐阜市・柳ケ瀬商店街にて開催されるお化け屋敷「恐怖の細道」の公式ブログです。

【連載】やながもんの唄・第四章「あの夏の忘れもの(下)」

2015-07-29 17:25:48 | やながもん
第四章 あの夏の忘れもの(下)


駄文をお読み下さい・・・と嘯いて書き始めた『やながもんの唄』も四章の下に到達した。
まずは連載ペースが遅くなってしまっていることをお詫びしたい。

周囲から「読んでるよ!」という声に乗せられて、だんだんと物書き気どりになっていた自分に気づいた。変な色気が出てきて『う~んアレだぁもう少しドラマティックに』とか『その表現は面白くないな』とか考えて、筆が重くなってしまっていた・・・
素人なのだから素直に淡々と書けば良い!と気づきました。気分一新して連載再開!もうしばらく、この駄文にお付き合いください。






2013年の「恐怖の細道」の副題は『あの夏の忘れ物』と名づけた。
これは、「忘れ物」を取りに行ってしまった少年「やなお」を彼女のいる昭和の柳ヶ瀬に探しにいくというストーリーから想起している。誰もが少年時代に感じた切ない夏の思い出をお化け屋敷で思い起こしてもらいたい、そんな思いも込められた副題なのだが、やはり僕たち『やながもん』の思いも込められている。

僕たちは忘れ物をした・・・2012年の夏に、それを見つける事!
それが2013年のテーマだったのだ。

具体的に言えば、まず収益を上げることが出来なかったことだ。
夏だけでも昭和の賑わいを創出して収益を出し柳ヶ瀬の活性化の為に寄付する、それが出来なかったことは前章でも書いた、今度はお金を残したい!それがまず一つ。
そして終わってから良く聞いた話の中に「いつ行っても何時間待ちみたいに書いてあって結局入れなかったわ・・・」と言われたこと。会場に居た僕らは「おい、きょうはスッゲェぞ6時間待ち」などと悦にいっていたのだが、待ち時間が長すぎて入れなかったお客さんにしてみれば残念でしか無かっただろう・・・悪いことをした。

僕たちは2012年の事業の見直しから始めた。何が収益を痛めたのか?
まずはイベント!どれも思い出深く楽しかったのだが本当に赤字ばかりだった・・・・・・



・ライブイベント(バンド、ライブペイント、怪談、都市伝説トークショー、盛りだくさんで内容もバラエティーに富んで良かったのだが・・・)
・映画上映(これは申し訳なかった、ごめんなさい)
・手相(島田秀平さんに来ていただいて大変好評だったけど・・・・赤字)
・プロレス(なんと妖怪プロレスを開催した、アップルみゆき選手扮する口裂け女と、我らが刃駈選手、砂かけばばあにフランケンが妖怪ワールドカップ争奪戦を行った!スッゴク熱く楽しかったが・・・これも赤字!更にエキジビジョンで屋敷長と戦い僕は肋骨を負傷した)
などなど、これでもか!と打ったイベント・・・どれも楽しかったのだが、でも止めよう!お化け屋敷一本で行こう、と改めた。

営業、広報を強化した!ポスターを貼りまくり(名鉄さんの後援をいただき、駅全部に貼ってもらえたのは大きかった!)、どこにでも出掛けてPRしまくった。この年の広報、営業担当のイナガキ君のエネルギーはあきれる程に凄かった!

そして、柳ヶ瀬商店業連合組合に共催していただいた!これは大きかった。一年目の僕たちはなんの実績も無い有志の集まりだった。にも関わらず、僕たちの活動を評価して柳ヶ瀬が動いた!いや動いてくれたのだ!この年の事業委員長の林君は正に八面六臂の大活躍だった、一緒に広報営業に走り回り備品、資金調達、運営中は少し痛い「口裂けジジイ」まで演じてくれたし、僕の大切な優しい相談役でもあった。

それ以外にも、前年の反省から様々な見直しが行われ、運営システムがスマートになった。
そして、よりスムーズにお客さんが流れるように設計段階から綿密に計画した!
建築家の加納さんとアミューズメント性を高め且つ流れを作る動線を工夫した、前年の時空を越える6人乗り鵜飼舟は8人乗り路面電車になった!



余談だが、その巨大な路面電車を見た時の引っ張り役・刃駈選手の「マジッすか?・・・」と言った時の絶句ぶりは楽しい記憶だ(そう、あの乗り物は人力で動かしていたのだ!)。
建築もスムーズに進行した。



そして僕たちは2013年7月16日、「あの夏の忘れ物」を取り戻す旅に出掛けた。
二年目のジンクスを心配する僕たちの不安を他所に初日から大勢のお客さんが詰め掛けた。
いきなり500人を超えるお客さん。『待っててくれたんだ』心底嬉しかった・・・

沢山の人たちが喜んでくれた、柳ヶ瀬には子どもたちの嬉しい悲鳴が響き渡り、彼女は偶像(アイドル)になった!導線や運営面の工夫も功を奏し、お客さんを何時間も待たせるようなことも無くなった。何より嬉しかったのは、前年に来てくれたお客さんが多く訪れてくれたことだ。「あの夏の忘れ物」・・・置いてきてしまった記憶を取り戻しに来てくれた。いつの間にか、このお化け屋敷はたくさんの人の「思い出の場所」になっていたのだ。

この年の来場者数は当初目標の2万人を遥かに超え、2万2千人を超える動員となった。
そしてお金も残すことが出来た!さまざまな処から聞こえる賞賛の声も心地よかった!
そう、僕らは「あの夏の忘れ物」を見つけたのだった!
・・・かに見えた・・・

次章「一人飲みの夜」3年目の休催の真相に続く。

【連載】やながもんの唄・第四章「あの夏の忘れもの(上)」

2015-07-22 11:17:14 | やながもん
第四章 あの夏の忘れもの(上)


2012年の夏が終わった。
当初8000人来てくれれば・・・と思っていた来場者数は、最終的に18000人を数えた。
僕たちのお化け屋敷は連日テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、インターネット等に取り上げて戴き『柳ケ瀬』という言葉は日本中を飛び交った。

当時の柳ケ瀬商店業連合組合理事長だった市川さんからは、私たちへの感謝の言葉と共に「柳ケ瀬について、この10年間より、この夏だけのほうがずっと沢山の報道をしていただいた。」という言葉をいただいた。

望外の大成功!!


開幕前、僕の目論見は二つあった。一つは柳ケ瀬を大いに賑わすこと。もう一つはお化け屋敷で得た収益を寄付すること。前者については間違いなくうまくいったと言える!
・・・だが、収益については・・・ダクダクと惜しみなく注ぎ込んだ人海戦術による人件費の膨張、躊躇ない物品の購入、採算的には悉く失敗に終わった様々なイベント・・・蓋を閉じてみれば赤字であった、あんなに賑わったのに、だ。

遊技業さんからの100万円を使い果たし、息子の学資保険も随分と目減りしていた・・・
あんなに賑わったのに。金銭面のこともそうだが、望外の成功に僕が払った代償はあまりにも重かったのだ。

燃え尽きた・・・・僕は燃え尽きてしまった


よくスポーツの後などに爽やかな達成感を含む言葉として使用される表現だが、そんなものでは決して無い、心が燃料切れになった状態だった。

その夏のお化け屋敷の残務を終わらせてからずっと、ドンヨリと薄ら黒い重い膜が僕の心身を覆ってしまった。誰にも会いたくなかったし、生活は荒れてしまい自ずと体調も優れず、日に何度も誰も知り合いのいない処へ行きたいと思うようになっていた。日に何度も『死』について考えてしまっている僕がいた・・・

僕は栄光から一番遠い処にいた。
心に闇を抱えていた僕を、周囲が「成功者」「ヒット企画の生みの親」として扱ってくれることとのギャップが、余計に心を心を荒ませた。

そして、僕は決心した。
『もう二度とお化け屋敷なんかやらない!』と・・・
そう思うことで少しだけ心が楽になった気がした、そんな気がした。

街で「来年どうするの?」「また、頼むよ~」とか声を掛けられる度に「は~い、ありがとうございま~す」とか答えるのだけれど、心のなかでは『二度とやるかボケ』とか『お前がやってみろ!』とか思っていた。

あ~嫌になる!書きながら自己嫌悪がヒドイ!思い返せば本当に嫌な男だ。
あのころの僕は欝だったのかも知れない・・・




秋に終わった『恐怖の細道』も秋が過ぎ、冬が過ぎ、春が来た・・・こんな鬱病みたいな男にも春がくるのだ、僕は相変わらずの状態で、市民の皆さんや仲間からの「どうするの?」という問いかけに「うん、やろうかなぁ・・」とか「やりません!」とか揺れる気持ちをそのままに曖昧な返事を繰り返していた。本当に今思えば恥ずかしくも申し訳ない。

叩かれて当然の僕だったが、漏れ伝わってきた沢山の陰口の中にスルーできないものがあった。
「ほれみろ、アイツは面白半分でやっただけで変なヤツが変な事をしただけやわ、もうやらへん、やれへん」

・・・ちょっと待って、ちょっと待ってお兄さん!
面白半分でやった?=ふ~む、、、そりゃそうかも知れん。
変なヤツが変な事を=そりゃそう思うやろうなぁ。
もうやらへん、やれへん?・・・・・ダァ~!!うるさいわあ!!お前が決めるなぁ!!

僕の中の岐阜の沢田研二と言われた(?)負けじ魂に火がついた。
あの時垣間見た柳ヶ瀬に灯った光!中心街区の孤独な子どもたちの笑顔!こんな情けないリーダーを慕ってくれている「やながもん」の仲間たちの切なくも優しい言葉!

沢山の待っていてくれる人たちの為、灯りかけた柳ヶ瀬の光の為!2013年の3月の終わり頃だったか4月だったか?とにかく桜の花が咲いていた春の日に僕は決めた。
再び『岐阜 柳ヶ瀬お化け屋敷 恐怖の細道』開催する事を。

【連載】やながもんの唄・第三章 もう振り返れない(下)

2015-07-17 09:27:50 | やながもん
第三章 もう振り返れない(下)


お化け屋敷の製作が始まった。
かつて豊富座という大衆演芸場があり、その前は映画館だった空きビルが僕らの舞台だ。
最高の素材だ!柳ヶ瀬本通りの入り口の真近に立地し、レトロな雰囲気ある佇まいと十分な床面積とスケルトン状態の内部、何よりもジメジメと湿度の高いヒンヤリした妖気漂う内部は恍惚感すら感じるほどに気持ち悪く僕たちを不敵に微笑みながら出迎えてくれた。

意気揚々と楽しく始まった製作作業・・・だが、すぐに行き詰った。
アイディアはあっても、ノウハウがない。「お化け屋敷を作る」ことはこんなにも難しいのか!果ての無い作業に、仲間も疲労困憊の状態で会話も少なくなり笑顔は消滅した・・・
ここからの話を書き進めるには相当の苦痛が伴う・・・

そうだ!嬉しかった事を書こう!

ある時、電話が掛かってきた。
「新聞で読みましたが町おこしのお化け屋敷を柳ヶ瀬でやるって本当ですか?」
僕は『またクレームっすか?』っと少しゲンナリしながら「はい本当です」と答えると、
返ってきたのはこんな言葉だった。
「迷惑かもしれんけど柳ヶ瀬に空いてる土地があるから期間中、駐車場として使ってくれんか? いや、お金は要らないから」
・・・僕は少し怖くなって「なんでですか?」と聞くと
「いや、補助金とか何もなく柳ヶ瀬の為に、ありがとうやわ・・・お金無いんやろ?」
と・・・あまりにも唐突な申し出に、しばし呆然としたが、間もなく激しい感動が沸いてきた。

そう、僕らにはお金が無かった。手元にあったのは息子の学資保険の100万円のみ、あとは前売りチケットを買ってもらっての資金調達が頼りだった。
そんなある日、僥倖は突然やってきた。ホワイトナイトが現れたのだ!
岐阜県遊技業組合の理事長が助成金をくれるというのだ。それも100万円の大金だ!このお金で僕たちがどれだけ救われたことか。遊技業さんは翌年も同額の助成金を戴いた。

さらに、あの美川憲一さんが僕たちを応援してくれた!
美川さんが岐阜でディナーショウを開くことを聞き、僕らは控室に訪問させていただいた。その日のMCで、美川さんは15分くらい使って僕らの事を紹介してくれたのだ。


「ね~みなさんン~ この夏にヤナガセで町おこしの お化け屋敷やろうっていう人たちがいるのよ~ 応援してあげてよ~ お願いよ~ えっ?わたしがお化けみたいなものだってぇ? おだまり!!・・・・」

なんと勿体無い・・・なんとありがたい!客席にいた僕は、思わずビールグラスを握り潰しそうになったので、あわてて隣に座っていた副代表の平井さんの手を握った・・・涙が出た!しばらく顔を上げられなかった・・・今でも美川さんは僕たちを応援してくれている、控え室で「アナタ頑張るのよ」と言ってくれた時の深い優しい瞳は忘れられない・・・・・

徒手空拳の僕たちを救ってくれた人たちへの感謝、得体のしれない僕らを助けてくれた方々への感謝は決して忘れてはいけない。

気持ちが明るくなった!書き進めよう!

製作は続く・・・そして予期しない様々なトラブルも発生しながら時は過ぎていく・・・
そして7月13日(金)のオープンを迎えた!今だから言えるが、この時お化け屋敷はまだ製作途中の状態だったのだ。その朝は夜半から降っていた雨が上がった薄曇りだった。僕は徹夜の作業を続ける仲間に「おい、もう朝やぞ・・・」と声をかけて見上げた空に映った朝焼けの事を印象深く記憶している。

ともかく僕たちのお化け屋敷はオープンした!オープンしてしまった!
この不安だらけの2ヶ月半のチャレンジが始まった!みんな必死だった。

通りで恐怖の細道の旗を狂ったように叫びながら振り続けるヤツ・・
口裂け女役たちを叱咤激励しながら支えてくれた牛抱さん、
時に自らお化けを演じて奮闘してくれた山口さん、
受付業務を進んで引き受けてくれた山口さんの奥さん、
黙々と重い鵜飼舟を引き続けるプロレスラーの刃駈、
過酷すぎる仕事に10キロも体重が落ちた屋敷長・巨椋さん、
店内美術を担当してくれた戌一君、ひとみちゃん、
そして岐阜の仲間たちも、みんな必死だった・・・・
僕は『こいつらの為なら寿命の5、6年要らないな』って本当に感じた。

そして快進撃が始まった!
「恐怖の細道」がYahoo!のトップニュースに掲載された事を皮切りに、連日連夜マスコミの取材攻勢!週末には待ち時間が4時間を超えるパニック状態の盛況ぶり!これは夢か?奇跡か?



そして、メッチャクチャだった夏が終わった。
最終的にこの年の来場者は17,900人を数えた。目標としていた数をはるかに超える、信じられない数字が残った。

9月23日。最終日を迎えた僕は『やながもんの唄』という歌をつくった。
決して出来が良い訳ではない歌だが、僕のめんどくさく素晴らしい仲間たち…
「やながもん」の事を思ってつくった歌だ。

the G Street Band 「やながもんの唄」


【連載】やながもんの唄・第三章 もう振り返れない(上)

2015-07-07 11:52:27 | やながもん
第三章 もう振り返れない(上)




『やながもん』とは僕たちの事だ。
柳ヶ瀬を愛する者たちという意味と、柳ヶ瀬にモンスターハウスを創る!
という決意を持って、僕たちは自らをそう呼んでいる。

2012年4月30日。
僕たちはマスコミを集め、記者発表を行った。
『2012年7月13日から柳ヶ瀬でお化け屋敷をやる』

無謀にも・・・どうやって創るのか・・・何も分からないままに。
親にも家族にも会社にも言わないままに・・・計画を発表した。
この年の「恐怖の細道」の副題は『もう振り返れない』。
今だから明かせるが、この副題はまさに、吹き飛ばされそうな逆風の中を走り出した
僕たち『やながもん』の事を指していたのだ!



『やっちまった・・・』

きっと世間は変なヤツが変な事を言っているとか、
アホか絶対に失敗する、とか、
そもそもヨシムラテルアキって誰や?・・・と言われるに決まっている!!

僕は記者会見が終わったその夜、眠れずに朝を迎えた。
言っておくが高揚して興奮して眠れなかったのでは断じてない!
怖かったのだ・・・朝が来て新聞たちが、そして読んだ人たちがそう言うことが。

僕は朝が来る前に岐阜を逃げ出した!
バイクに乗ってあてもなく東へ走り出した、
とにかく岐阜にいたくなかった・・・情けない男だ。

辿り着いたのは相模湾沿いにある真鶴という街だった。
その夜、真鶴湾で僕が見た月の事は今でも鮮明に覚えている。
海に映った、揺ら揺らした青白く大きな月は、情けない僕を嘲笑っているようにも
励ましてくれているようにも見えた・・・忘れじの真鶴の月。




しかし尾崎では無い僕は、いつまでも感傷に浸っている訳にはいかない、
そう僕らはお化け屋敷を創らなければならない!

まず手始めに近隣のお化け屋敷に行った・・・
行ってはみたが、どこも期待はずれだった・・・
どうも縁日的というか、出るときに「えっ終わり?」という感想を持ってしまうのだ。

・・・う~ん違う!僕が求めているものは、人の5感、いや6感を刺激するエンターテイメントなのだ!加えて人の記憶にも襲い掛かる、そんなお化け屋敷なのだ!
僕らの世代には、忘れていたあの記憶を蘇らせるものとして、
子どもたちには、柳ヶ瀬のお化け屋敷体験を僕らの歳になった時にも憶えてくれているくらいの痛烈な記憶として体験してもらいたい!
大仰でまったく酷い誇大妄想だけど僕はそれを求めていた(今も求めている)。

僕たちのような、地域を限定した町おこしお化け屋敷の場合、

ノスタルジーの喚起、創造

これは重要なポイントだと思う。地域に根ざした題材を扱わなければ、一過性のイベントとして消費されてしまうだけだ。これは僕たち「やながもん」の矜持でもある。

話がそれたが、とにかくこの時の僕は五里霧中、暗中模索の状態だった・・・
そんな時に一冊の本に出会った。



『お化け屋敷のつくり方』


平野ユーレイ、斎藤ゾンビという二人の男たちの、お化け屋敷に賭けた人生と貴重なスキルが記された唯一無二の魂の大書だ!!

例のごとくまた僕は走り出した!今度は逃げるのではなく彼らを追いかけて、
お台場にある彼らのお化け屋敷『怪奇学校』まで。

何という恐怖・・・ジメジメした・・・・心が腐るかのような・・・奥行きのある恐怖・・・
コレだ!やっと辿りついた・・・・そして行き道の何倍も長い帰り道が僕を待っていた。

(つづく)


【連載】やながもんの唄・第二章 胎動

2015-06-30 10:05:54 | やながもん
第2章 胎動




神田町通りから西に臨む柳ヶ瀬の本通りはパックリと口を空けたままの少し間抜けな大蛇のように見える。
この大蛇は昭和から平成へと移ろう劇的な環境変化に取り残され、岐阜市の真ん中にその巨体を横たえ、時折こう呟く・・・・「昔は良かった昭和はよかった」と

かくいう僕も、まったく鳴かず飛ばずの残念な大人になっていた。
『大人になったら極彩色のネオンが煌く柳ヶ瀬で人生を謳歌する!!』そんな少年の夢は双方の理由によって儚くも消えてしまった。
時の流れは残酷なものだ。愛する柳ヶ瀬は日に日に活力を失い、空っぽの街を空っぽの風が吹き始めていた・・・それを僕は何も出来ずに、ただ悲しく見つめていた。

日曜の昼下がり、45歳の僕はボンヤリとテレビを観ていた。
『たかじんのそこまで言って委員会』という番組だ。その日の特集はオカルトだった。

取り立てて僕はオカルト好きでも何でもない。だが、そのうち一人淡々と語る男が気になり始めた。大抵のオカルト評論家と言われる方々のイメージは
「いるんです!だから絶対にいるんですよ~」というエキセントリックな印象なのだが、
彼はあくまでシニカルに、ユーモラスにリリカルに、オカルトを都市伝説を語っていた。


大発見!彼の名は 山口 敏太郎!


こらえ性の無い僕は早速、彼を岐阜に招き話を聞くことにした、はたして彼は来た!
そして私の胸に一つの言葉を突き刺して帰っていった。

クリプトツーリズム


分かりやすく言えば『都市伝説で街おこしをやっちまえ!』って事だ。
なっ・・・・・ん?・・・・・これは・・・・・ちょっと待て・・・・・・・
突然、僕の目の前で何かが爆発した!!

我が心の柳ヶ瀬で
  今だ生渇きの岐阜発祥、昭和最大の都市伝説を使った
                  お化け屋敷をやる!!

おお! これぞ我が『天下三分の計』驚天動地の大戦略!!
後にテリー伊藤さんは「これは革命だ!」と言ってくれた、さすがに天才には分かってしまうのだ。
光明!そして胎動!グラグラと僕の中で何かが蠢(うごめき)はじめた。
僕はその夜に愛しの都市伝説の彼女の為に歌を創った。

「恐怖の細道」テーマ曲~the G Street Band 「口裂け女のブルース」


→やながもんの唄・第一章 柳ヶ瀬育ち