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マハロ日記

ワイキキだけがハワイじゃない。ハワイ・カントリーライフ。

100歳!のジャズ・ウクレレ・アーティスト

2008-01-03 | ハワイのアーティスト



ハッピー、ニュー、イヤー
!!!


写真はオアフで1番好きな景色、”マカプウ”から見た“ラビット・アイランド”です。

年末年始と日本の台風を思わせるような強風に見舞われたオアフですが、
年が明けたら、いくらか日差しが戻ってきたように思います。

が・・・相変わらず風が強く、寒い!

靴下を履き、長袖Tシャツを着て、その上にパーカーを着ています。

そんなわけで、今年最初の画像は年が明けたハワイの

青い空!海!

・・・と思ったのですが、悪天候の為、昨年撮った画像失礼します。


て、さて、200811日は、ものすごいお年玉を頂きました!

100のご老人に優しくハグされ、
美しいウクレレの音色と歌で、
私の魂は至福のときに包まれました。

そのご老人はジャズ・ウクレレ・アーティストのNo1

Bill Tapiaさんです。

  (彼について書かれたコラムをご覧下さい。)

ビルさんは
1908年の11日ホノルル生まれ。

今年の11日は彼の100歳の誕生日
で、そのパーティーにひょんなことから招かれたのです。

実は主人も私もBill Tapiaの大ファン。

昨年は、彼のCDアルバム 
”Duke of Uke” 
を買ってしょっちゅう聴いていました。



  (クリックしてアルバムを視聴してみて下さい。)

ウクレレを使ったスウィング・スタイルのジャズで、
そこに挿入されるビルの枯れた、
そして温もり溢れる歌声が最高です。

トロピカルなスウィングがお好きな方には絶対のお勧め作品
!!!

実は隣に住むMike Spenglerさんが、音楽プロデューサーで、
BillのCDアルバムをプローデュースした張本人

英語が苦手な私はそんなこととはつゆ知らず、
長年ただ挨拶を交わしてきただけでした。

しかし山側に住む友人の子供達がパーティーをしている
スペングラーさんの庭で遊んでいたので、
その子供達を迎えにいったところ、
なんとBill Tapiaが来ていたのです。

聞いたところ、彼の100歳の誕生日パーティー!

スペングラーさんも私達がBill
CDアルバムを買うほどのファンだと知って、
彼が演奏するからと言って、私たち夫婦も
そのパーティーに呼んでくれたのです。

沢山のミュージシャン達が来ていましたが、
フットボールのテレビが夜7時に終わると
半分くらいの人たちが帰りました。

Billはギタリストと2人で演奏を始めてくれました。

 
さりげなく、自然体でウクレレを弾くBill。


主人はBillのすぐ横のソファに座り、
私はギタリストの真ん前に座って、
その深い年輪によって完成されたBill
美しい芸術音楽を何曲も聴かせてもらいました。

主人は、生涯にいくつもない珠玉の瞬間だと感じたそうです。

私も息を呑んでその完成された美しい瞬間を魂に刻み込みました。

Bill100歳の誕生日、そして100歳になったBill
磨きぬかれた演奏、
人間味がにじみ出て伝わってくる歌と、
その奥深さ・・・。

主人は思い切って持参のウクレレにサインを頼み、
写真を頼むと、肩を抱いてくれたBill・・・。

さらに主人が

「いつかあなたのように
”My Little Grass Shack In Kealakekua, Hawaii”
を演奏できるようになりたい」 
(アルバム3曲目)
と言うと、Bill主人のウクレレでその曲を披露してくれたのです。

卒倒しそうな主人でした。

 
主人のウクレレにサインをしてくれ、さらにそのウクレレで演奏してくれたBill。


Billの凄さはアルバムを買われるとわかると思いますが、
20023月のロイヤル・ハワイアン・ホテル・モナークルーム75周年に、
75年前のオープン時に演奏した生き証人として招かれました。

ハワイジャズ界の最重鎮です。

特にジャズのスタンダードを
ウクレレでスウィング
するジャンルの開拓者で、
彼の人生こそハワイジャズの歴史そのものなのです。

彼にハグしてもらった私は、
まさにハワイの歴史の一端に抱かれた瞬間でした。

それにしても、100年も生きているだけで凄い!!! 

そして、優しく柔らかな心で人を包んでくれて、
彼からにじみ出る波動は、まるで生き仏のよう、
傍にいるだけでこちらが癒され、心地よい感じでした。

 Lots of Aloha!!! 


ケアリイの美しい世界

2007-11-11 | ハワイのアーティスト


ハワイ島、ワイコロアでの夕やけ。


ハワイ民族のアイデンティティーを強く持ち
クムフラ(フラの師匠)

ミュージシャンとして尊敬され
絶大な人気のハワイの国民的アーティスト
ケアリイ・レイシェルの待望のDVD

発売されたと聞いて(日本では12月発売予定)
さっそく買いました。



サムズクラブで$15.24(税別)で買いました。


初めてケアリイの歌っている曲が
ラジオから流れてきた時
もちろん誰が歌っているのかは知りませんでしたが
心の深いところから洗われて
清らかになっていくように感じました。


  
DVDには昨年のライブの模様が収録されており、ケアリイの音楽の魅力だけでなく
力強いカヒコ(古代フラ)とアウアナ(現代フラ)歌とチャント
神と自然への感謝の祈り)
ダンスがフィーチャーされているとのこと


ケアリイの曲を聴くと
今生きている世界が
美しいものだと思えてきます。

それまでハワイの音楽にあまり興味がなかった私は
一気にケアリイの世界に嵌ってしまいました。




優しく問いかけるように歌う
ケアリイの歌が流れると
心の中の毒素が
消えていくような思いになります。


実は・・・
DVDを買ったものの
今時、肝心なプレイヤーを持ってなくて
まだ観れない状態なのです。(涙)
 
次はDVDプレイヤーを買わなければ・・・ 
トホホ・・・。


天才ウクレレ奏者!

2007-07-21 | ハワイのアーティスト


ワイの夏は夕闇のイベントが目白押しです。

独立記念日の花火に始まり、ボンダンス(盆踊り)

ハワイアンミュージックの星空ライブ等など・・・。


日本の夏と同じく、ハワイの夏も野外ライブで盛り上がります。


ビショップ・ミュージアムの昼と夜。ここに来ればハワイの歴史が解ります。


日、ビショップ・ミュージアム 芝生広場で開かれた
      詳しくはこちら。

ジェイク・シマブクロ の野外コンサートに行ってきました。
彼のHPです。

ジェイクは、今やハワイを代表するキャラクター

皆さんもご存知だと思いますが、彼はウクレレの天才です!

ロック、ジャズ、クラシック・・・どんな音楽もたった
4本しか弦のないウクレレで見事に表現するんです。



体全体を動かしながら音と一体となって
リズムとメロディーが絞り出され、
見ているこちらの心の中まで届くんです。

“酔わせる”とはこのことでしょうか。

しかも、これまでもこれからも世界にこんな名手は登場しない!
と思わせるもの凄いテクニック

えっ!ウクレレでそこまで出来るのっ!!


余りにも動きが早いので、写真を撮るのも一苦労です。

まさにアートです。

ハワイの同じ土地、同じ時代に居合わせた幸せを感じます。

地元では幼少年への麻薬撲滅のボランティアをしているジェイク。

そのキャンペーンか、時折様々なステージで彼を見かけます。

昨年のホノルルマラソンのゴール地、カピオラニ公園の野外ステージでは
マラソンを走り終えたばかりのジェイクが無料コンサートを開きました。

明るく、気さくで、普通の若者そのままの彼、むしろ小柄な彼が
多くの人を魅了します。

苦労を重ねたハワイ日系移民の祖先たちが
今や日米を沸かす彼を見て、どんなに喜ぶことでしょうか。

何だか感想が年寄りっぽいでしょうか?

でもハワイにいるといつも
日系移民たちのお蔭に思いを馳せることが多くて
つい・・・出てしまうんです。

 

てそのジェイクのコンサートには
日本からもファンの方々が大勢来ていました。

まだ明るい夕方6時頃から入場し思い思いの場所にゴザを敷き
生ビールや夕食を買って芝生の上で食べながら、開始を待ちました。

ジェイクの前座には、弟のブルース・シマブクロが登場していました。

 
右が弟のブルース・シマブクロ。

パリ・ハイウェイの山手には
まさにレインボー・ステイト・ハワイを象徴するかのように
タイミングよくが広がり、私達を歓迎してくれていました。

“マウカ(山側)は霧雨が降っているなー”と思っていたのですが
その雲が風に乗って
コンサート中もしばしばシャワーに見舞われてしまいました。

 
バックにはライトアップされたミュージアムが。

日頃の経験から、私は折りたたみ傘を持参したのですが
他にも持参した人を見ると・・・
やはりいかにも野外コンサート馴れしているロコ(地元)
家族系の人たちでした。

ただ、若者のロコたちは雨にも動揺すらしていませんでしたが・・・。


♪ケアリイ・レイシェル♪

2007-02-02 | ハワイのアーティスト


ハワイの青い海、空、風にそよぐ木々、惜しげもなく咲き乱れる南国の花々にはハワイアン・サウンドが良く似合あいます。

ハワイに来るまでハワイアン・サウンドにはまったく興味がありませんでした。

ところが、あるアーティストに出会ってから、それは一変しました。


日本の”涙そうそう”のカバー曲を歌っているケアリイ・レイシェル(Keali'i Reichel)です。



1800年代、ハワイ人は公共の場で母国語を話すことが禁じられていたそうです。
そのためケアリイ・レイシェルが生まれた頃には
母国語で話せる人は100人足らずにまで減少したとのことです。

高い犯罪率と貧困に悩まされていたハワイ人は
米国から受けた経済的・文化的打撃からの復興で今世紀の大半を過ごしたようです。

”涙そうそう”のカバー曲、”Ka Nohana Pili Kai(カ・ノホナ・ピリ・カイ)”も
そんな立場から、辛い歴史を持つ島である沖縄へのシンパシーがあって実現したもののようです。



こうした背景も反映され、レイシェルは文化のバック・ボーンにある言語に目を向け
ハワイ大学でハワイ語を勉強し、17歳からチャント(詠唱)を独学で学び始め
19才で自身のフラ団体(halau)を結成し
その後、文化、芸術における州基金からの援助を得て正式にチャントを学んだそうです。

そして、英語のポップスと伝統音楽を組み合わせたスタイルを確立し
94年のデビュー・アルバムは、マドンナを抜いてNO.1を獲得し
ハワイの音楽史上過去最高のセールス記録を樹立したそうです。








                   Click here
写真左がベストアルバムです(3つ折で左がディスク1、右がディスク2。真ん中が歌詞カード)。
ディスク1にはメレ(歌)ディスク2にはオリ(詠唱、チャント)という構成でケアリイのヒストリーが辿れるようになっています。

写真右がケアラオカマイレ。自分にルーツを教えてくれたおばあちゃんの死を契機に作ったアルバムだそうです。


彼の曲はありきたりのハワイアン・サウンドに陥ることなく、
美しいハワイのリズムを刻んでいます。


中でも、ハワイ語で歌う
Ka Nohana Pili Kai(涙そうそう)
は暖かく、優しく語りかけてくれるようなソフトな歌声に
泣きそうになるくらいこみあげてくる感動があります。


いつか彼の生の歌声を聴きたいなぁ・・。