私は仕事で東急線と京王線を使っているんですよ。
そしたらですね、今日、帰りの時間どっちも止まりやがったんです。
帰ってきたら帰ってきたで、大学時代のクラスメートが結婚の報告です。
…こっちは浮いた話はねぇってのによ。
そして、この記事を書こうと思った瞬間に電話がかかってきたんですが、実はかけてきた人は知らぬ(寝てる?)間に電話を押してしまったようで、無意味電話だったりしました。なぜ私の番号が選ばれたのか。
ちなみにその人から電話かかってきたのは人生で二回目なんですよ。ものすごい確率。
…ものの見事に天中殺です。
・・・しかしおそらくまあ、今までの幸運に対する禊は済んだかと思われます。
見事に「幸福量保存則」は成り立っているようです。
ただ、こんなにネタがいっぱい転がってる一日だったのに、今日はこれだけで終わりにしてしまいます。
なぜかっていうと、電車が止まってたのが、両方とも人身事故だったからす・・・。
まあ、いろいろな理由があると思うんで、一概には言えないんでしょうが、世の中は病んでますね。この一週間で4件くらい人身事故に遭遇してますよ。
ブラックマンデーは世界恐慌でしたが、「ブルーマンデー」って言葉があるらしいです。
…月曜日に人身事故および、自殺が増えるっていうことらしいです。
え~、世の中は確実に暗くなってるんじゃないでしょうか?
って話を今日は少ししたいんです。
ここから先、ものすごく確証の無い話をするんで、知っている方がいたら、どしどし間違いを正していただきたいんですが、私、学生時代に、マクロ経済、ミクロ経済、マルクス経済、どれも一応勉強したことがあるんですけど(ゲーム理論も勉強したんですが、よくわかんなくって…。あれはミクロでいいの?)、とりあえず、マクロ経済を日本の国家としては主軸にすえて考えているようです。
私は教育学部出身なんで、どれもさわりしか学んでいないんで、微妙なのは分かってるんですが、マクロとミクロとマルクスの違いをどう表現するかっていうと…。
マクロ:大きな視点で考えていく経済学。例えば、GDP(国内総生産)とか、GNP(国民総生産)とかでみる考え方。
ミクロ:小さな視点で考える経済学。隣の八百屋さんが儲かってる。向かいの銭湯は赤字。なんていうことを気にする考え方。
マルクス:共産主義経済。生産手段を、社会全体でもつという考え方。
こんな感じでしょうか。
・・・んで、ここから、日本社会がどうなってるのかって話にもどっていきます。
なんで、いきなり経済学の話をしたかといえば、通勤電車に乗ると、サラリーマン風の方で、老若男女を問わず新聞を読んでらっしゃる方が多くって、中でも、時事の多い一般の新聞ではなく、「日本経済新聞」いわゆる「日経」を読んでらっしゃる方がその内の半分を超えている、という私の実感(あくまで私の実測です。)があるからなんです。
つまり、日本の多くの方が、「経済」ということに関心を寄せていて、「景気」の良し悪しが、やはりその時代の雰囲気を決めているというのは否めないと思うからなんです。
そして、日本という「国家」の話になりますが、日本国家の経済を考える上で、いちいち山田さんちの八百屋の動向をつかめないのは良く分かります。だから、マクロ経済的視点で経済というものを考えるということも良く分かるんです。
まあ、仕方ないと、今の時点では一応いっておきましょう。
そして、そのマクロ経済の考え方に立ったとき、確かに景気は上向き傾向にあるというのも間違いではないのでしょう。
・・・ただ、この裏にあることを考える、想像する必要があると私は思うんです。
私は物書きのハシクレのはしくれなんで、えらそうなことはいえないということは重々承知なんですが、その上で思うことがあります。
それは物書きである以上「想像」することを放棄してはいけないということなんです。
それはつまり、A=Bのような固定的なものの考え方をせず、そこから物ごとを膨らませるということです。(実はこの点で、依然書いた「それって法律違反じゃねぇ?」は感情的かつ、固定的文章だったので、反省しているんです。本当は削除する、あるいは大幅に訂正すべきなんでしょうが、このblogを挙げた時点での信念に基づき、それらはしないつもりです。)
・・・そこで、その想像力を使って考えてみてるんですが、どうにも納得いかないところがあるんです。
つまり、「景気は良くなった」と経産省ですとかが、今年の景気の動向とかを発表しているんですけど、実際自分の周りの景気が良くなったとは決して思えない、ということなんです。
・・・そしてこれが、想像力を働かせる契機になりました。
実際自分の周りを考えてみると、例えば、「給料上がった」という人間はほとんどいません。もちろん、給料の話などほとんどしないわけですが、買い物の量とかで、間接的にうかがい知ることができます。
そして、自分の話で考えるんですが、以前お話した、「私が東京を離れる理由」というのが、「職が決まったから」なんですが、その初任給は二年前と比べて、確実に1万~1万5千円ほど下がっています。
…さて、これでなぜ「景気が良くなった」といえるんでしょうか?
もちろん「俺は給料上がったぜ?」という方もいらっしゃると思うんですが、普通に考えて、その会社内で普通に一年仕事をすれば、当然その会社内に適応した能力、会社内での責任、あるいは慣れ、といったものが増えてしかるべきでしょう。
また、同時に定年という考え方がある限り、ある年齢以上の方は引退されていき、あなたよりも経験のうすい新人が入ってきます。
…と、すれば、引退される方の給与と新人の給与の差額分を社員全体で割った分だけ、給料が上がってしかるべきでしょう。
簡単に言えば、一年働けば、給料は上がって「当然」なんです。もちろん全体的な能力という点で上昇が見られなければ、確実ではないでしょうが・・・。
「そんなこといったって、会社の業績が下がってるなら、給料出すほど余裕なんてねぇじゃねぇか。」
という反論がある事でしょう。
・・・そして、これもまた当然だと思っています。
たとえ、「引退する人」がいて、「新人が入ってくる」ことによる給料の差額ができるとしても、その差額を超えるだけの負債、赤字が会社として出ていれば、給料を上げることはできないでしょう。
だからこそ会社としてはその差額を「大きくするため」、リストラ・あるいは早期退社を勧めるわけです。
リストラは、言わずもがなですね。これによって会社は支出を減らすことができますから、結果的に利益を出すことができます。
早期退社を勧める場合の文句として、「退職金を多く払うから…」という言葉をよく聞きます。これは、一見するとお得なようですが、皆さんもお分かりの通り、「以後働かれていた際に払う給料」-「通常の退職金にプラスした額」>0であれば、会社としては利益が出るわけです。
そして、例えば定年まで残り五年、年収600万の人がいたとしたら、単純にかけても3000万円になります。ですからこの金額が退職金にプラスされない限り、企業は儲けが出ます。
仮にもし3000万円完璧に払われたとしても、厚生年金の会社が払う分ですとか、上がりが出ることになりますので、赤になることは無いはずです。
…あ、でも、社員の数による減税とかありましたっけ?
まあ、それがあって、会社が給料以外に社員にかけているプラスアルファよりも大きくない限りは利益が出る、はず、です・・・。(←弱くなったな。笑)
・・・もちろん、その早期退社を勧められる人が、普通の方よりも多く、(例えば2倍、3倍)働ける方であれば、そんな人を引退させるのは会社として損ですから、早期退社を進めなければいいわけですが、そんな感じで、会社としては利益を上げることができます。
あるいは、新規採用を取らない、とっても少ない、という方法で支出を下げることができるでしょう。
こういう方法によって、会社としては、業績を増やさずとも、利益を上げようとする方法があります。
…しかしここで「ちょっと待てよ?」と思う方はいないでしょうか?
…いてほしいんです…。
だって、そうじゃないとここから先の文が無意味になるんだも~ん。笑
前述のひっかかってほしい点。
それはこういう点です。
「社員の数が減ったら、仕事のできる量も減るし、会社としての収入が減るんじゃ・・・。」
・・・ということです。
当たり前の事ですよね、これって。だって、同じ能力の人が働いてたら、10人より100人のほうが明らかにたくさんの仕事ができますもんね。
一人より二人、二人より三人。「三人寄れば文殊の知恵」、「大は小を兼ねる」。いろいろありますが、数は一つの力になります。
それは一つの真理です。
・・・しかし・・・。
実はここに、大きな間違いがあるんです。
それは、「船頭多くして船山登る」とか、「烏合の衆」とか、そういう類の反論ではありません。
物書きをしていますが、「言葉遊び」をしたいわけじゃなんで。
どういう間違いなのかを説明するために、一つ、例を出して見たいと思います。
ぜひ想像して見てください。
あなたは今、自分の配属された部署にいます。
気の合う友人も、いやなやつもいますが、まあ、それなりにうまく、10人の仲間達とうまくやってきていました。
しかし・・・。
部内の一人が、病気を理由に休職することになりました。
部内のみんなは、彼に見舞いを送り、入院させました。
友人が言います。「帰ってくるまで、君の分もがんばるよ!」
そしてもう一人の友人が「治ったら思いっきり飲もうな!」
・・・さて、次の日、出社するとあなたの机の上に、見知らぬ書類が置かれています。
「これな~に?」
すると一人が答えます。
「ああ、あいつの分だよ、手分けしてやんなきゃいけないだろ?」
そう、それは入院した彼の分の仕事でした。
さあここで分岐点です。
1、「俺の仕事じゃないよ」といって放りだす。
2、「一人減ったんだから仕事減らしましょうよ」と、上司に掛け合い、何とか減るまで交渉する。
3、「まあ仕方ないか」といって仕事を引き受ける。
・・・どれを選びますか?
断定します。おそらくほとんどの方が3を選ぶでしょう。間違いなく私だってその場にいれば3を選びます。
だって、放りだしたら、顰蹙もんだし、上司に掛け合ったら角が立つし・・・。
まあ日本人ですからね。我慢するわけですよ。
10人から1人減ったとしても、10/9の仕事量ですから、一人がせいぜい1.1倍働けばいいわけです。
それぐらいなら何とかなる気がするでしょ?
8時間で帰ってたのが、9時間働いて帰るってことぐらいですよ。
それぐらいなら別に苦労することなく仕事できるでしょう。
あるいは急いで帰りたければ、少しガンバって早く仕事を上げればいいわけですからね。
・・・さあ、ここで、話をもとに戻しましょう。
「数が多ければできる仕事の量は多くなる」というのは間違い。というのがもとの話でした。
もう分かりますよね?
この話をもとに考えれば、誰か一人がいなくなっても、一人の仕事量が少し増えるだけで、ほとんど問題なく、仕事量については現状維持ですごすことができるということを表しているんです。
そして、残業代がもらえたり、何らかの手当てがつけば別ですが、ほとんどの場合給料に変化はありません。
・・・ということはどういうことか。
つまり、あなたはいままでもらっていた給料以上のはたらきをしていることになるわけです。
さらにいえば、人間は必要以上に働くことができるということを指すことになるでしょう。
この場合は、入院でしたので、仕方がないといった感はありますが、これがリストラや、新規採用数0のあおりだったとしたらどうでしょう?
おそらくは多くの人がそのまま文句を口に出さず働くはずです。
会社内では何もいわず、友人と話すときや、家の中で愚痴をこぼす。そんな感じだと思います。
ここで視点を会社側にしてみます。
リストラなどにより、払う給料は減りました。しかし、仕事の量は減らすことがありません。
ということは、「リストラにより得た支出減」による利益と、「業績の現状維持」を見事に両立することができたわけです。
・・・万々歳ですよね、会社としては。
一時期リストラが多く出たとき、この負担は見事に社員に降りかかりました。
そして残業10時間。休日月に0.5日などの話を、最低、友人2人から聞きました。
また、電車の中でもれ聞こえた話でも1人はいました。
ありえないですよね。だって、通常勤務が8時間でプラス10時間ですよ。
通勤時間も考えれば、始発で行って終電で帰る。それ以外方法がないでしょう。
睡眠時間は2,3時間。休みはとれやしない。
そしてさらにひどい話を聞きます。
会社が一人の社員にさせていい残業の時間の上限は決まっています。
そしてそれを超えさせれば法律違反として罰金や営業停止命令が下されます。
だからどうするか・・・。
これは私もさせられたことがありますが、「いなかったことにする」わけです。
「彼は仕事をしていなかった。」
そういうことです。
あるいは、「おまえの能力が低いんだからこんな仕事もまともにできないんだろ? 残業代なんて一人前の言葉使ってんじゃねぇよ」
といわれて、責任は残業をする彼になすりつけられます。
でも、ですね。新入社員のA君がいきなり中堅社員と同じだけの仕事をこなせるでしょうか?
一人の社員が、2、3人分の仕事をこなせるでしょうか?
代わりに雇われたアルバイトが、責任のすべてを負ってそれこそ正社員と同じように働けるでしょうか?
無理、ですよね。普通考えたら。
「そんなことないよ。用は能力だ」
といわれる方。それはあなたがすごい人だから言えるんです。
例えば、今の世の中こども達の「数学嫌い」だとか「理科離れ」だとか「活字離れ」だとか言われています。一概に言えはしないでしょうが、それに応じて全体の学力が下がっているのは事実でしょう。
そして、今ほど深刻な言われ方をしてなかったにせよ、「学ぶ内容」というのは戦後どんどん減り続けました。
そして同様に学力低下も問題視されていました。
この状態で、あなた以外の人が、みんなあなたのように働けると思いますか?
なら、やめさせちまえと思ったとしても、実際にやめられたら、あなたにすべての仕事が降りかかるわけです。
1人で2・3人の仕事はできるかもしれないけど、10人の仕事が、あるいは20人、30人とどんどん増えてく仕事量に追いついていけるでしょうか?
いや、あなたならできるかも知れない。しかしそれはあなたのプライベートを削った上で成り立つものでしょう。
だからこそ、社内教育というものが存在したし、定年によって絶対やめさせなければならない人がいる分の新規採用というものがあったわけです。
もちろん人間には慣れや学習能力があります。たとえ誰かに教えてもらわなくても、一人で多くの仕事をこなしていけるようになるはずです。
・・・とすれば、残業の時間も減っていくことでしょう。
(こうなれば企業としても超ラッキーです。法を犯すことなく、業績維持と支出カットができるんですから。)
しかし実際はどうかというと、先ほど例に出した、残業10時間超の3人は、一人は能力の上昇および、会社の業績アップによる人手不足の解消により難を逃れました。
が、一人は会社を辞めて、完全にヒッキーになったそうです。
また、もう一人は現在やめるための地下工作を実行しています。
さあ、ここもサンプルが少ないので一概に言えませんが、社会人の2/3がやめる、あるいはやめることを前提としてる社会。
これは「明るい世の中」でしょうか?
あるいは「景気が良い世の中」でしょうか?
もし本当にこれで景気がよくなったんだとしましょう。でも、影で泣きまくっているお父さんや、うつ病抱えたお兄さん。拒食症、あるいは過食症で引きこもるお姉さんや、家事もほっといてひたすらパートに明け暮れるお母さんの存在を想像できませんか?
そんな犠牲の上に成り立った「景気のよさ」なんて糞喰らえだっての!!
・・・失礼しました。
でも納得いかないですよね。これって。
もちろんすべての人が犠牲者にならないでいる社会をつくることが、本当に、相当難しいことは分かっているつもりです。
・・・それでも、私の身の周りで、2人もやめた(やめようとしている)事実を、どう受け止めればいいんでしょう?
だから私は思うんです。
GNPなんて見てないで、「隣の田中さんにアンケートとってみろよ」って。
あるいは会社の社長さんに「あなたの会社は?」って聞く前に、そこの社員に「ここの会社はどう?」って聞いてみろよって。
1000人でいいと思いますよ、聞くのなんて。
で、その中に1人でも「やばいっす」って言ったら相当やばい状態だと思うんですよ。
単純に日本の1万人がそういう状態だっていうだけじゃないんですよ。
だって日本人て自分の思っていることを周りにいわないことについては右に出るものがいないってくらいの国民性でしょ?
それが、見ず知らずのアンケート員に「実は・・・。」っていうぐらいなんだから、相当やばいって。
1000人中0人でも、『かくれ・・・』がどれだけいるかわかんないんだから、ただアンケートとって「不満はありませんから景気はよくなった」なんていえないと思うんですよ。
だからもっとまともな国にしたいと思ってるんですよ、私は。
だってこの国の主権者ですから。
この国をこうしてしまった責任の少しを負っているんです。
そのためのレポートをこの場でするのはまずいでしょうか?
反論は甘んじて受けます。そして議論します。
時に説得するだろうし、逆に私が変説することもあるでしょう。
でもそれこそが、この国のコンセンサスを作るってことだし、よりこの国を健全にしていくってことだと思っています。
勝ち組(安易にこの言葉を使うのはものすごく嫌だけど。)の人たちの意見はいくらでも聞けます。
テレビでも、ラジオでも新聞でも雑誌でも・・・。
だって彼らは勝っているから、聴衆の視線が集まるんです。
せめて少しでも勝つための何かをつかみたいから。
あるいは強い口調で「あんた死ぬわよ」とか言っている占い師さんに視聴率が集まるのも、「何かを得られるかもしれない期待感」が、そうさせているのかも知れません。(これについてはいずれレポートしたいと思っています。)
そして彼らは自分のいい点や、世の中、世間の人のだめな点を平然と言います。
だって勝ってるから。
そしてその強力な力に押される私たちは、発表する場を得なかったり、あるいは「自分が悪いのか・・・」と落ち込んでしまったり、つらいことは自分が我慢すればいいんだと思い込んだり、自分が言ったって世の中変わらないと思い込んで、「そうではない!」って言うことができないと思うんですよ。
・・・だからこそいいたい。
こんなページがあってもいいじゃないかと。
そして、伝えたい。
あなたの一言が国を形作るんだってことを。
あなたが言わなければ、言う機会を持つ人々はどんどん話していってしまう。
そして最終的にはあなたと同じように考えている誰かを、言い伏せてしまうかもしれない。
でもそこであなたが、「ちょっとおかしい」と感じたことを隣の誰かに言ったなら、この世の中はあなたの考える方向に、少しよくなるかも知れない。
弱者を救うヒーローは恥ずかしくって格好悪い。そう思うかもしれないけど、そろそろいいじゃないですか、格好悪いヒーローになったって。だってあなたが思うことは正しいんだもの。
間違ってたっていいじゃない。後で「ごめん、間違ってたな」ってみとめて、より正しいと思えることを言えばいいじゃないですか。
そのときは否定してくれた奴の話も利用したりしてね。
物を言える人たちだけで作られた、偏った社会はもう要らない。
本当の意味で国民主権の国にしたい。
そう思うから今日の徒然書きました。
書こうと思っていたことをすっ飛ばしてね。
いいじゃない、こんな文章かいたって・・・。
・・・だめだ、まじめなこと書いたから、茶化して終わろうと思ったんだけど、今日は思いつかない・・・。
ネタの枯渇だ!!
そしたらですね、今日、帰りの時間どっちも止まりやがったんです。
帰ってきたら帰ってきたで、大学時代のクラスメートが結婚の報告です。
…こっちは浮いた話はねぇってのによ。
そして、この記事を書こうと思った瞬間に電話がかかってきたんですが、実はかけてきた人は知らぬ(寝てる?)間に電話を押してしまったようで、無意味電話だったりしました。なぜ私の番号が選ばれたのか。
ちなみにその人から電話かかってきたのは人生で二回目なんですよ。ものすごい確率。
…ものの見事に天中殺です。
・・・しかしおそらくまあ、今までの幸運に対する禊は済んだかと思われます。
見事に「幸福量保存則」は成り立っているようです。
ただ、こんなにネタがいっぱい転がってる一日だったのに、今日はこれだけで終わりにしてしまいます。
なぜかっていうと、電車が止まってたのが、両方とも人身事故だったからす・・・。
まあ、いろいろな理由があると思うんで、一概には言えないんでしょうが、世の中は病んでますね。この一週間で4件くらい人身事故に遭遇してますよ。
ブラックマンデーは世界恐慌でしたが、「ブルーマンデー」って言葉があるらしいです。
…月曜日に人身事故および、自殺が増えるっていうことらしいです。
え~、世の中は確実に暗くなってるんじゃないでしょうか?
って話を今日は少ししたいんです。
ここから先、ものすごく確証の無い話をするんで、知っている方がいたら、どしどし間違いを正していただきたいんですが、私、学生時代に、マクロ経済、ミクロ経済、マルクス経済、どれも一応勉強したことがあるんですけど(ゲーム理論も勉強したんですが、よくわかんなくって…。あれはミクロでいいの?)、とりあえず、マクロ経済を日本の国家としては主軸にすえて考えているようです。
私は教育学部出身なんで、どれもさわりしか学んでいないんで、微妙なのは分かってるんですが、マクロとミクロとマルクスの違いをどう表現するかっていうと…。
マクロ:大きな視点で考えていく経済学。例えば、GDP(国内総生産)とか、GNP(国民総生産)とかでみる考え方。
ミクロ:小さな視点で考える経済学。隣の八百屋さんが儲かってる。向かいの銭湯は赤字。なんていうことを気にする考え方。
マルクス:共産主義経済。生産手段を、社会全体でもつという考え方。
こんな感じでしょうか。
・・・んで、ここから、日本社会がどうなってるのかって話にもどっていきます。
なんで、いきなり経済学の話をしたかといえば、通勤電車に乗ると、サラリーマン風の方で、老若男女を問わず新聞を読んでらっしゃる方が多くって、中でも、時事の多い一般の新聞ではなく、「日本経済新聞」いわゆる「日経」を読んでらっしゃる方がその内の半分を超えている、という私の実感(あくまで私の実測です。)があるからなんです。
つまり、日本の多くの方が、「経済」ということに関心を寄せていて、「景気」の良し悪しが、やはりその時代の雰囲気を決めているというのは否めないと思うからなんです。
そして、日本という「国家」の話になりますが、日本国家の経済を考える上で、いちいち山田さんちの八百屋の動向をつかめないのは良く分かります。だから、マクロ経済的視点で経済というものを考えるということも良く分かるんです。
まあ、仕方ないと、今の時点では一応いっておきましょう。
そして、そのマクロ経済の考え方に立ったとき、確かに景気は上向き傾向にあるというのも間違いではないのでしょう。
・・・ただ、この裏にあることを考える、想像する必要があると私は思うんです。
私は物書きのハシクレのはしくれなんで、えらそうなことはいえないということは重々承知なんですが、その上で思うことがあります。
それは物書きである以上「想像」することを放棄してはいけないということなんです。
それはつまり、A=Bのような固定的なものの考え方をせず、そこから物ごとを膨らませるということです。(実はこの点で、依然書いた「それって法律違反じゃねぇ?」は感情的かつ、固定的文章だったので、反省しているんです。本当は削除する、あるいは大幅に訂正すべきなんでしょうが、このblogを挙げた時点での信念に基づき、それらはしないつもりです。)
・・・そこで、その想像力を使って考えてみてるんですが、どうにも納得いかないところがあるんです。
つまり、「景気は良くなった」と経産省ですとかが、今年の景気の動向とかを発表しているんですけど、実際自分の周りの景気が良くなったとは決して思えない、ということなんです。
・・・そしてこれが、想像力を働かせる契機になりました。
実際自分の周りを考えてみると、例えば、「給料上がった」という人間はほとんどいません。もちろん、給料の話などほとんどしないわけですが、買い物の量とかで、間接的にうかがい知ることができます。
そして、自分の話で考えるんですが、以前お話した、「私が東京を離れる理由」というのが、「職が決まったから」なんですが、その初任給は二年前と比べて、確実に1万~1万5千円ほど下がっています。
…さて、これでなぜ「景気が良くなった」といえるんでしょうか?
もちろん「俺は給料上がったぜ?」という方もいらっしゃると思うんですが、普通に考えて、その会社内で普通に一年仕事をすれば、当然その会社内に適応した能力、会社内での責任、あるいは慣れ、といったものが増えてしかるべきでしょう。
また、同時に定年という考え方がある限り、ある年齢以上の方は引退されていき、あなたよりも経験のうすい新人が入ってきます。
…と、すれば、引退される方の給与と新人の給与の差額分を社員全体で割った分だけ、給料が上がってしかるべきでしょう。
簡単に言えば、一年働けば、給料は上がって「当然」なんです。もちろん全体的な能力という点で上昇が見られなければ、確実ではないでしょうが・・・。
「そんなこといったって、会社の業績が下がってるなら、給料出すほど余裕なんてねぇじゃねぇか。」
という反論がある事でしょう。
・・・そして、これもまた当然だと思っています。
たとえ、「引退する人」がいて、「新人が入ってくる」ことによる給料の差額ができるとしても、その差額を超えるだけの負債、赤字が会社として出ていれば、給料を上げることはできないでしょう。
だからこそ会社としてはその差額を「大きくするため」、リストラ・あるいは早期退社を勧めるわけです。
リストラは、言わずもがなですね。これによって会社は支出を減らすことができますから、結果的に利益を出すことができます。
早期退社を勧める場合の文句として、「退職金を多く払うから…」という言葉をよく聞きます。これは、一見するとお得なようですが、皆さんもお分かりの通り、「以後働かれていた際に払う給料」-「通常の退職金にプラスした額」>0であれば、会社としては利益が出るわけです。
そして、例えば定年まで残り五年、年収600万の人がいたとしたら、単純にかけても3000万円になります。ですからこの金額が退職金にプラスされない限り、企業は儲けが出ます。
仮にもし3000万円完璧に払われたとしても、厚生年金の会社が払う分ですとか、上がりが出ることになりますので、赤になることは無いはずです。
…あ、でも、社員の数による減税とかありましたっけ?
まあ、それがあって、会社が給料以外に社員にかけているプラスアルファよりも大きくない限りは利益が出る、はず、です・・・。(←弱くなったな。笑)
・・・もちろん、その早期退社を勧められる人が、普通の方よりも多く、(例えば2倍、3倍)働ける方であれば、そんな人を引退させるのは会社として損ですから、早期退社を進めなければいいわけですが、そんな感じで、会社としては利益を上げることができます。
あるいは、新規採用を取らない、とっても少ない、という方法で支出を下げることができるでしょう。
こういう方法によって、会社としては、業績を増やさずとも、利益を上げようとする方法があります。
…しかしここで「ちょっと待てよ?」と思う方はいないでしょうか?
…いてほしいんです…。
だって、そうじゃないとここから先の文が無意味になるんだも~ん。笑
前述のひっかかってほしい点。
それはこういう点です。
「社員の数が減ったら、仕事のできる量も減るし、会社としての収入が減るんじゃ・・・。」
・・・ということです。
当たり前の事ですよね、これって。だって、同じ能力の人が働いてたら、10人より100人のほうが明らかにたくさんの仕事ができますもんね。
一人より二人、二人より三人。「三人寄れば文殊の知恵」、「大は小を兼ねる」。いろいろありますが、数は一つの力になります。
それは一つの真理です。
・・・しかし・・・。
実はここに、大きな間違いがあるんです。
それは、「船頭多くして船山登る」とか、「烏合の衆」とか、そういう類の反論ではありません。
物書きをしていますが、「言葉遊び」をしたいわけじゃなんで。
どういう間違いなのかを説明するために、一つ、例を出して見たいと思います。
ぜひ想像して見てください。
あなたは今、自分の配属された部署にいます。
気の合う友人も、いやなやつもいますが、まあ、それなりにうまく、10人の仲間達とうまくやってきていました。
しかし・・・。
部内の一人が、病気を理由に休職することになりました。
部内のみんなは、彼に見舞いを送り、入院させました。
友人が言います。「帰ってくるまで、君の分もがんばるよ!」
そしてもう一人の友人が「治ったら思いっきり飲もうな!」
・・・さて、次の日、出社するとあなたの机の上に、見知らぬ書類が置かれています。
「これな~に?」
すると一人が答えます。
「ああ、あいつの分だよ、手分けしてやんなきゃいけないだろ?」
そう、それは入院した彼の分の仕事でした。
さあここで分岐点です。
1、「俺の仕事じゃないよ」といって放りだす。
2、「一人減ったんだから仕事減らしましょうよ」と、上司に掛け合い、何とか減るまで交渉する。
3、「まあ仕方ないか」といって仕事を引き受ける。
・・・どれを選びますか?
断定します。おそらくほとんどの方が3を選ぶでしょう。間違いなく私だってその場にいれば3を選びます。
だって、放りだしたら、顰蹙もんだし、上司に掛け合ったら角が立つし・・・。
まあ日本人ですからね。我慢するわけですよ。
10人から1人減ったとしても、10/9の仕事量ですから、一人がせいぜい1.1倍働けばいいわけです。
それぐらいなら何とかなる気がするでしょ?
8時間で帰ってたのが、9時間働いて帰るってことぐらいですよ。
それぐらいなら別に苦労することなく仕事できるでしょう。
あるいは急いで帰りたければ、少しガンバって早く仕事を上げればいいわけですからね。
・・・さあ、ここで、話をもとに戻しましょう。
「数が多ければできる仕事の量は多くなる」というのは間違い。というのがもとの話でした。
もう分かりますよね?
この話をもとに考えれば、誰か一人がいなくなっても、一人の仕事量が少し増えるだけで、ほとんど問題なく、仕事量については現状維持ですごすことができるということを表しているんです。
そして、残業代がもらえたり、何らかの手当てがつけば別ですが、ほとんどの場合給料に変化はありません。
・・・ということはどういうことか。
つまり、あなたはいままでもらっていた給料以上のはたらきをしていることになるわけです。
さらにいえば、人間は必要以上に働くことができるということを指すことになるでしょう。
この場合は、入院でしたので、仕方がないといった感はありますが、これがリストラや、新規採用数0のあおりだったとしたらどうでしょう?
おそらくは多くの人がそのまま文句を口に出さず働くはずです。
会社内では何もいわず、友人と話すときや、家の中で愚痴をこぼす。そんな感じだと思います。
ここで視点を会社側にしてみます。
リストラなどにより、払う給料は減りました。しかし、仕事の量は減らすことがありません。
ということは、「リストラにより得た支出減」による利益と、「業績の現状維持」を見事に両立することができたわけです。
・・・万々歳ですよね、会社としては。
一時期リストラが多く出たとき、この負担は見事に社員に降りかかりました。
そして残業10時間。休日月に0.5日などの話を、最低、友人2人から聞きました。
また、電車の中でもれ聞こえた話でも1人はいました。
ありえないですよね。だって、通常勤務が8時間でプラス10時間ですよ。
通勤時間も考えれば、始発で行って終電で帰る。それ以外方法がないでしょう。
睡眠時間は2,3時間。休みはとれやしない。
そしてさらにひどい話を聞きます。
会社が一人の社員にさせていい残業の時間の上限は決まっています。
そしてそれを超えさせれば法律違反として罰金や営業停止命令が下されます。
だからどうするか・・・。
これは私もさせられたことがありますが、「いなかったことにする」わけです。
「彼は仕事をしていなかった。」
そういうことです。
あるいは、「おまえの能力が低いんだからこんな仕事もまともにできないんだろ? 残業代なんて一人前の言葉使ってんじゃねぇよ」
といわれて、責任は残業をする彼になすりつけられます。
でも、ですね。新入社員のA君がいきなり中堅社員と同じだけの仕事をこなせるでしょうか?
一人の社員が、2、3人分の仕事をこなせるでしょうか?
代わりに雇われたアルバイトが、責任のすべてを負ってそれこそ正社員と同じように働けるでしょうか?
無理、ですよね。普通考えたら。
「そんなことないよ。用は能力だ」
といわれる方。それはあなたがすごい人だから言えるんです。
例えば、今の世の中こども達の「数学嫌い」だとか「理科離れ」だとか「活字離れ」だとか言われています。一概に言えはしないでしょうが、それに応じて全体の学力が下がっているのは事実でしょう。
そして、今ほど深刻な言われ方をしてなかったにせよ、「学ぶ内容」というのは戦後どんどん減り続けました。
そして同様に学力低下も問題視されていました。
この状態で、あなた以外の人が、みんなあなたのように働けると思いますか?
なら、やめさせちまえと思ったとしても、実際にやめられたら、あなたにすべての仕事が降りかかるわけです。
1人で2・3人の仕事はできるかもしれないけど、10人の仕事が、あるいは20人、30人とどんどん増えてく仕事量に追いついていけるでしょうか?
いや、あなたならできるかも知れない。しかしそれはあなたのプライベートを削った上で成り立つものでしょう。
だからこそ、社内教育というものが存在したし、定年によって絶対やめさせなければならない人がいる分の新規採用というものがあったわけです。
もちろん人間には慣れや学習能力があります。たとえ誰かに教えてもらわなくても、一人で多くの仕事をこなしていけるようになるはずです。
・・・とすれば、残業の時間も減っていくことでしょう。
(こうなれば企業としても超ラッキーです。法を犯すことなく、業績維持と支出カットができるんですから。)
しかし実際はどうかというと、先ほど例に出した、残業10時間超の3人は、一人は能力の上昇および、会社の業績アップによる人手不足の解消により難を逃れました。
が、一人は会社を辞めて、完全にヒッキーになったそうです。
また、もう一人は現在やめるための地下工作を実行しています。
さあ、ここもサンプルが少ないので一概に言えませんが、社会人の2/3がやめる、あるいはやめることを前提としてる社会。
これは「明るい世の中」でしょうか?
あるいは「景気が良い世の中」でしょうか?
もし本当にこれで景気がよくなったんだとしましょう。でも、影で泣きまくっているお父さんや、うつ病抱えたお兄さん。拒食症、あるいは過食症で引きこもるお姉さんや、家事もほっといてひたすらパートに明け暮れるお母さんの存在を想像できませんか?
そんな犠牲の上に成り立った「景気のよさ」なんて糞喰らえだっての!!
・・・失礼しました。
でも納得いかないですよね。これって。
もちろんすべての人が犠牲者にならないでいる社会をつくることが、本当に、相当難しいことは分かっているつもりです。
・・・それでも、私の身の周りで、2人もやめた(やめようとしている)事実を、どう受け止めればいいんでしょう?
だから私は思うんです。
GNPなんて見てないで、「隣の田中さんにアンケートとってみろよ」って。
あるいは会社の社長さんに「あなたの会社は?」って聞く前に、そこの社員に「ここの会社はどう?」って聞いてみろよって。
1000人でいいと思いますよ、聞くのなんて。
で、その中に1人でも「やばいっす」って言ったら相当やばい状態だと思うんですよ。
単純に日本の1万人がそういう状態だっていうだけじゃないんですよ。
だって日本人て自分の思っていることを周りにいわないことについては右に出るものがいないってくらいの国民性でしょ?
それが、見ず知らずのアンケート員に「実は・・・。」っていうぐらいなんだから、相当やばいって。
1000人中0人でも、『かくれ・・・』がどれだけいるかわかんないんだから、ただアンケートとって「不満はありませんから景気はよくなった」なんていえないと思うんですよ。
だからもっとまともな国にしたいと思ってるんですよ、私は。
だってこの国の主権者ですから。
この国をこうしてしまった責任の少しを負っているんです。
そのためのレポートをこの場でするのはまずいでしょうか?
反論は甘んじて受けます。そして議論します。
時に説得するだろうし、逆に私が変説することもあるでしょう。
でもそれこそが、この国のコンセンサスを作るってことだし、よりこの国を健全にしていくってことだと思っています。
勝ち組(安易にこの言葉を使うのはものすごく嫌だけど。)の人たちの意見はいくらでも聞けます。
テレビでも、ラジオでも新聞でも雑誌でも・・・。
だって彼らは勝っているから、聴衆の視線が集まるんです。
せめて少しでも勝つための何かをつかみたいから。
あるいは強い口調で「あんた死ぬわよ」とか言っている占い師さんに視聴率が集まるのも、「何かを得られるかもしれない期待感」が、そうさせているのかも知れません。(これについてはいずれレポートしたいと思っています。)
そして彼らは自分のいい点や、世の中、世間の人のだめな点を平然と言います。
だって勝ってるから。
そしてその強力な力に押される私たちは、発表する場を得なかったり、あるいは「自分が悪いのか・・・」と落ち込んでしまったり、つらいことは自分が我慢すればいいんだと思い込んだり、自分が言ったって世の中変わらないと思い込んで、「そうではない!」って言うことができないと思うんですよ。
・・・だからこそいいたい。
こんなページがあってもいいじゃないかと。
そして、伝えたい。
あなたの一言が国を形作るんだってことを。
あなたが言わなければ、言う機会を持つ人々はどんどん話していってしまう。
そして最終的にはあなたと同じように考えている誰かを、言い伏せてしまうかもしれない。
でもそこであなたが、「ちょっとおかしい」と感じたことを隣の誰かに言ったなら、この世の中はあなたの考える方向に、少しよくなるかも知れない。
弱者を救うヒーローは恥ずかしくって格好悪い。そう思うかもしれないけど、そろそろいいじゃないですか、格好悪いヒーローになったって。だってあなたが思うことは正しいんだもの。
間違ってたっていいじゃない。後で「ごめん、間違ってたな」ってみとめて、より正しいと思えることを言えばいいじゃないですか。
そのときは否定してくれた奴の話も利用したりしてね。
物を言える人たちだけで作られた、偏った社会はもう要らない。
本当の意味で国民主権の国にしたい。
そう思うから今日の徒然書きました。
書こうと思っていたことをすっ飛ばしてね。
いいじゃない、こんな文章かいたって・・・。
・・・だめだ、まじめなこと書いたから、茶化して終わろうと思ったんだけど、今日は思いつかない・・・。
ネタの枯渇だ!!
とくに、GNPって、確か「国民一人当たりの総生産」とかってやつでしょ?単位あたり量ってヤツだ。小6で習うヤツ。
こういう考え方は便利だけど、実際にはどれだけバラツキ、偏りがあるか考慮しないとね。たぶんそういうとことが想像力なんだね。
素朴な疑問だけど、国民一人当たりってことは人口が少ないほうがGNPって高くなるんじゃないか?ひょっとするとGNPが上がってるのって自殺者の数とか少子化の影響で人口が減ってるせいかも!・・・さすがにそれはないかな。
ところで天中殺?ってなあに?
長文じゃないと、表\現できないのはまずいんですけどね・・・。汗
お書きの通り、物の裏を想像しよう!って文章のつもりです。テレビに出てるから本当とは限らないし、出てないことにも重要なことはあるだろうと・・・。
そしてそれを明らかにしていくには、色々議論するしかない。疑問を解明していくしかないとも思っているわけです。
ですから、今後とも、このようなコメントを頂けるとうれしいです。m(_ _)m
>酒は一休寿司は平禄\さん
いいHNですね。激しく同意です。
祝ってくれてありがとうございます。
天中殺っていうのは、算明学(易学、占いみたいなもの)の内の言葉で、12年に2度あるとても大きな不運の時を指すそうです。
だからとりあえず不運の日だったという事でして・・・。