親心、子心

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今もどこかで

2005年11月25日 17時02分18秒 | 過去~徒然から~
先ほど航空写真の話をしました。
その飛行機から落とされるのはカメラのフラッシュで、
『平和だ』
…と書いて終わりました。

日本は平和です。

たとえ若い姉妹が『惨い死』を迎えても、子どもが『通学路でダンボールの中に入れられて死んで』いても(この辺も書きたいことはありますが。)、他人事で済ますことはいくらでもできます。

普通、『私は殺される』と思いながら生活しません。
もちろん私もそうです。



…しかし。

今、この時間。
どこかの場所で。
実際に殺されている人がいます。
それは『事件』という、天災のように起こり、『避ける事を予測できないもの』のせいではありません。
確実に『避けられるもの』のせいで、です。

60年も昔に遡る必要はなく、ほんの一年前にも、『理性的な』指導者が、自国の人々に他国の人々を『殺させ』、同時に自国の人々を『殺され』もしていました。



争うことは簡単です。
暴力を使うことは簡単です。
だから今もどこかで、殺し、殺されています。

…それを、想像して下さい。

その上で言います。
私たちの国は、その争いを『正当化』しています。

『国際紛争の解決手段として、武力を永久に放棄』した私達の国が、です。



『そう言ったって戦争をするのは理由がある』

…と、当たり前のように言われます。
確かに『戦争』には理由があります。
…しかし、本当に『避けられない』のでしょうか?

先ほど私は、『争うことは簡単だ』といいました。
…ではその対極は何か。

私は『話し合うこと』だと考えています。



子ども達がオモチャをめぐって、つかみ合いのケンカになりました。
あなたはそれを『よくやった』と、褒めるでしょうか?

商談の際、相手に『契約しなかったら殺す』と、ナイフをちらつかせて脅すでしょうか?
あるいは殴って、いうことを聞かせるでしょうか?
契約を取れなかった腹いせに殺したりするでしょうか?

どんなに困難で難しくても。
相手が話を聞いてくれなくても。
ただひたすら、それこそ必死に、信頼を得るために話し、交渉し、道を切り拓いていく事でしょう。



…この国の意見は誰が創っているんでしょうか?

…想像してください。

それは、些細な事で人を殴る子どもでしょうか?

人を脅して契約を取る人でしょうか?
暴力でいうことを聞かせる人でしょうか?
腹いせに人を殺す人でしょうか?

…それは、『争いを正当化する人』でしょうか?



私は日本という『国』にある種の絶望感を抱いています。

…しかし。
私が生まれた『土地』や、そこに暮らす『人々』を愛しています。
争いを好まぬ、この国の人々を。



どうして…、
どんなに困難でも暴力を使わぬ人々が暮らすこの国で、人を虫ケラのように殺す争いが『正当化』されるのでしょうか?

たとえ大きな不安を感じ、武力を持つことを当たり前だと思う人でも、実際に自分がしていることは、暴力から遠く離れたこと。

そうではないでしょうか?

そして、そういった人々の意見が集まって創られているはずのこの国の意見は、なぜ、それとは乖離しているのでしょうか?



『武力を使い、戦争をする』

それは『人を殺す』事に他なりません。
同時に『殺されても仕方ない』ということを受け入れる事にもなります。

あなたは、人を『殺したい』でしょうか?
人に『殺されたい』でしょうか?

…或いは、

大好きなあの人を『殺されたい』でしょうか?
大好きなあの人に、

『人を殺させたい』

…でしょうか?

私達は、日常においてどんなに困難でも対話によって道を切り拓いていきます。

その意見が集まっていけば、北の国にでも、古代文明発祥の地にでも、同じはずです。

どんなに困難でも、『対話によって道を切り拓く事を実行』している私達なんですから。

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