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小野神社😐😐😐かつて一つの神社だったと伝えられる「矢彦神社」に隣接し同じ社叢に鎮まる神社

2020-09-02 20:00:00 | 神社仏閣
国道153号線沿い、JR中央本線「小野駅」から徒歩約15分の「信濃国二之宮」の「小野神社」(塩尻市)は、かつて一つの神社だったと伝えられる隣接「矢彦神社」(上伊那郡辰野町)と、同じ社叢に鎮まる旧社格「県社」の神社だ。
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創建については不詳だが、「建御名方命(たけみなかたのかみ)」が、諏訪の土着「洩矢神(もりやのかみ/もりやしん)」のため諏訪へ進めず、この地で暫く留まったことが由緒だという伝承がある。
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両社の分割は、深志城(後の「松本城」)主「石川数正(いしかわ かずまさ)」(1533/天文2年~1593/文禄2年)と飯田城主「毛利秀頼(もうり ひでより)」(1541/天文10年~1593/文禄2年)による領地争いに遡るという。争いは1591(天正19)年、「小野」を「北小野」と「南小野」に分割という「豊臣秀吉」の裁定で、神社も「小野神社」と「矢彦神社」に分割されたという。分けられた「矢彦神社」境内は、「北小野」での「南小野」の飛び地になって現在に至っている。
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「小野神社」社殿は1672(寛文12)年の焼失を受け、松本藩主「水野直忠(みずの ただなお)」(1652/慶安5年~1713/正徳3年)により再建されたが、「御柱祭」に際して遷座するため、「一間社流造(いっけんしゃ ながれづくり)」の同規模の本殿二棟が建てられている。その「本殿」に並列する「一間社流造」の「八幡宮本殿」と、「本殿」前方中央に「切妻造(きりづまづくり)」「四脚門(よつあしもん/しきゃくもん)」の「勅使殿(ちょくしでん)」が位置している。
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なお「御柱祭」は、寅年と申年の「諏訪大社」の「御柱祭」翌年に、両社合同で行われるが、「人を見るなら諏訪御柱、綺羅を見るなら小野御柱」と、その煌びやかな衣装が現在でも語られる。
 ❖ 本殿 副本殿 八幡宮本殿 勅使殿  主祭神は、「古事記」において「大国主命(おおくにぬしのみこと)」の御子神で、「事代主命(ことしろぬしのみこと)」の弟神とされ、「諏訪大社」主祭神でもある「建御名方命(たけみなかたのみこと)」だ。
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社殿は焼失した1672(寛文12)年に、松本藩の第3代藩主「水野忠直」により再建・寄進されている。水野家大工頭「中村四郎右衛門」らによる造営は、右「八幡宮本殿」中央「本殿」左「副本殿」の三棟が、母屋正面の柱間が一つの社殿「一間社(いっけんしゃ)」、屋根の前が長く伸びて向拝を覆い庇と母屋を同じ流れで葺く建築形式「流れ造り(ながれづくり)」、屋根を木の薄板で葺く「杮葺(こけらぶき)」(現在は銅板葺)だ。手前中央「勅使殿」一棟は、屋根最上部の大棟から両側へ斜めに葺き下ろす屋根の形式「切妻造り(きりづまづくり)」、2本の本柱の前後に2本ずつ4本の柱がある「四脚門(よつあしもん/しきゃくもん)」、「杮葺」(現在は銅板葺)で、何れも1992(平成4)年に長野県宝に指定されているという。
 ❖ 拝殿  左右に廻廊を備えた「拝殿」は、「本殿」を奥に控えて中央に、神道の祭祀に用いられる幣帛の一種「御幣(ごへい)」を納める。張られる幕は、松本藩主だった水野家の家紋「丸に沢瀉(おもだか)」を標し、粛然たる社殿に華を添える存在となっている。
 ❖ 神楽殿  「拝殿」手前右にある建物が「神楽殿(かぐらでん)」だ。「神楽殿」とは、神の来臨や神託を願い、神と人々が酒食をともにして歌舞する鎮魂呪術と、このとき行われる神事芸能「神楽」を奏するために、神社境内に設けた建物を言う。
 ❖ 鐘楼  境内の「鐘楼」は、「武田信玄」次子で、諏訪氏を継いで「高遠城主」となるも、信玄の没後家督を相続した「武田勝頼(たけだ かつより)」(1546/天文15年~1582/天正10年)が、戦勝祈願で1564(永禄7)年に寄進した梵鐘を納めるため造られたという。
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現地掲示に、梵鐘は「青銅製、周五尺二寸、丈三尺」で、鐘銘について「刻字は針刻で浅く、細い楷書で、その書体は素朴で美しい。文章も立派であるといわれ、この文中に武田勝頼の寄進した鐘であることが記されている。」と案内される。なお、梵鐘は1974(昭和49)年「塩尻市指定文化財」に指定されている。
 ❖ 境内摂末社(稲荷社 など)  「拝殿」に向かって手前左に境内社の摂末社が、左から「天神社(てんじんしゃ)」「宗像社(むなかたしゃ)」「子安社(こやすしゃ)」「稲荷社(いなりしゃ)」の順に並ぶ。
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「天神社」は、天界の神霊「天津(『つ』は古語で所属・位置を表す語)神」を祀る御霊信仰として始まったという。「菅原道真(すがわらのみちざね)」の憤死後、その怨霊を鎮める信仰と結びつき、やがて学問の神として崇める信仰になって広まったという。「菅原道真」とは関係がない神社もあって、「あまつかむやしろ」の読みもある。
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「宗像社」は、旧社格「官幣大社」の「宗像大社(むなかたたいしゃ)」を総本社とする「多紀理毘賣命(たきりびめのみこと)」「市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)」「多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)」の「宗像三女神(むなかたさんじょしん)」を祀る海上交通の守護神として信仰されて来たが、現在は陸上交通安全の神としても信仰されている。
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「子安社」は、「天照大神」の孫「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」の妻で、神話の中でもとりわけ美しいと語られる女神「木花之開耶姫(このはなのさくやびめ)」を祭神とする安産子育ての信仰の神社だが、現在は「子安観音」「子安地蔵」などの信仰と結びついたものが多い。
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「稲荷社」は、稲を象徴する穀物・農耕の神だが、現在は商工業の神としても信仰されている。

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