日本通運が2009年10月1日に予定していた日本郵便(JP)の宅配便事業との経営統合が、目前で頓挫した。理由はいわずと知れているとおり、民主党政権が発足し、郵政事業民営化の見直しが掲げられているからだ。私は構造改革をしなければ日本に明日は来ないと確信している人間だから、「民間でできることは民間に任せる」との大方針は崩してはいけないと主張し続ける。それにしても日通は悲劇だ。株価は暴落するし、統合話は延期どころか破談になる可能性もある。国政が経済にどれだけ大きな影響を与えるものなのか、これから私たちは否応なしに体験することになる。日通にはめげずにがんばってもらいたい。
落選した議員が偉そうに総務会(党の最高意思決定機関)に出席するのも変だと思うので、これまで総務会メンバーにもかかわらず出席しないできたが、新総裁が決まり新三役が決定する日でもあったので、けじめの意味も込めて出席した。幹事長に大島理森衆議院議員、政調会長に石破茂衆議、総務会長に田野瀬良太郎衆議、そして国会対策委員長に川崎二郎衆議、、、。感想は?と訊かれると、、、としか答えられない。自民党は本当に再生できるのか、、、。
自民党の新総裁に谷垣禎一氏が選出された。予想された結果だったが、議員票でも地方票でもかなりの差がついたのはいささか意外だった。国民の目は非常に厳しい。古い自民党がまだ根元にも幹にも残ってしまっていると見られているし、谷垣氏はじめ谷垣氏を支援したベテラン議員が古い自民党そのものであるとも見られている。真の保守政党として生まれ変わるために、「みんなでやろうぜ」という新総裁の意気込みのとおり、国民の目から確かに新しく変わったと思われるよう全力を尽くしてもらいたい。自民党の夜明けは来るのか、それとも、、、。
保守の概念を思いつくまでに書き連ねたが、タイミングよく?法務大臣が保守と相対するリベラル=個人主義の概念を明確に打ち出した。夫婦別姓である。保守の理念では家族を社会の基本と考えるので、家族で違う名字を名乗ることには違和感を持つ。ところがリベラル=個人主義の考え方に基づけば、個人の意思が尊重されるので、一人一人が名字をもつのが当たり前となる。私はこういった考え方が家族の崩壊を招き、社会の崩壊へとつながっていると強く感じる。これも国民の選択の結果である。本当にそんな日本社会でいいのか?危機感はつのるばかりだ。
米ゼネラル・モーターズ(GM)が、インドの電気自動車メーカー、レバ・エレクトリックカー社(Reva Electric Car Company、以下「REVA」) と電気自動車(EV)の開発・製造について提携を結んだとのこと。再生可能エネルギー開発に米国政府がてこ入れをするというニュースが流れてきたばかりだが、ほんとうにアメリカの動きは速い。しかも狙いをインドに定めるとはまたさすがだ。まだガソリン自動車もそんなに普及していない国に、新技術を投入するというアイデアは、「後発の利点」として古くから知られているが、それを実行に移すのに、やれない理由を並べる日本とはえらい違いだ。日本メーカーも負けじとがんばれ、と発破をかけたくなる。
米国で再生可能エネルギー開発へのてこ入れが本格的になってきた。米国再生・再投資法(米再生法)という法律に基づいて、再生可能エネルギーを開発する企業に対し、10億ドル(約1000億円)もの直接投資を政府が行うとの決定をホワイトハウスがしたとのニュースが流れた。これはほんの一例に過ぎないだろう。これから米国は環境分野への投資を集中的に行って、今は遅れている同分野において巻き返しを行うことは明らかだ。そしてアメリカ人はこの彼らにとっては新しい分野にまたアメリカンドリームを見出す。すごい国だ。こういうところはどんどん見習うべきだろう。
守るためには変わっていかなければならない、という概念に関連して、日本にどうしても必要なのは成長戦略だと思う。超少子高齢社会に突入して、特に社会保障分野のコストがうなぎのぼりになることを考えれば、経済が成長しなければ現在の生活水準は維持できないだろう。もちろんライフスタイルそのものを変える必要はあるが、経済そのものも大きく変換させなければならない。俗に重厚長大産業からの転換、外需依存からの脱却、などと言われるように、「これから産業」にチェンジしなければ生き残れない。これからは循環型社会を目指すという大方針は皆わかっている。だとすれば経済をその大方針にそってどう発展させるのか、そこがこれからの勝負だし、政治にもその舵取りが求められている。
小泉総理が良く用いた言葉が表題の「保守したくば改革せよ」だ。私はこの言葉が保守の本質を言い当てていると思う。守るべきものは「価値」であり、「形」ではない。文化であれ、伝統であれ、その本質を守るためにどんどん形を変えていく。日本社会も日本の政治も同じことだろう。ところがここのところの自民党は古いやり方という「形」やそれに伴う既得権に固執したがゆえに、守るべき本質を見失ってしまっていた。深く反省し、守るためにどんどん変えていきたい。
「社会」の最小単位である「家族」を守ることが広がって、地域社会、市町村、都道府県、国、となることは言うまでもない。そして、国政となれば「国」を守ることが、保守の大きな柱となる。「国」を守るという概念には簡単に二つ含まれると思う。ひとつは国民の生命と財産を守るということ。もうひとつは日本の国体を維持するということ。特に後者の概念をブラさないというのが保守の概念としてわかりやすいと思う。国後、択捉、歯舞、色丹、尖閣諸島、竹島、日本海の排他的経済水域境界線など日本の領土を明確に主張し守るよう国際社会に働きかけ続けることが保守の基本となる。こんなことは当り前のようだが、北方領土の二島返還論などがまことしやかに出てくることを考えると、危機感を禁じえない。そして自分が「保守的」であることを確信するのである。
「保守」の概念でもっともはじめに浮かんでくるのは、「家族を守る」という概念だ。これは「個」に対する「社会」の概念といっていいのかもしれない。保守の考え方では、「個」は大切であることは言うまでもないが、正しい「社会」を形成することが大切な要素になる。なぜなら「ヒト」は社会があって初めて「人間」になり、そこに文化や伝統といった守るものが生まれてくるからだ。それゆえ「社会」の最小単位である「家族」を保ち守ることが基本になる。この点は民主党の「個」をより重要視する考え方とは明らかに違う点だろう。