まっしぐら.com

やまぎわ大志郎が政治の現場で日々感じた事を綴ります。

4月29日(土) ブラジルへ

2006年04月29日 | Weblog
本日よりブラジルアメリカに出張する。目的は私が理事を務める総務委員会で議論されているデジタル放送技術をブラジルに導入するための働きかけと、これもまた私が副部会長を務める経済産業部会のエネルギー戦略の課題で、新エネルギーとしてバイオエタノールを日本に燃料として導入するための準備、また事務局長を務める感覚器疾患の勉強会で感覚器センターを日本に作るために、モデルとしてのNIH(米国立健康福祉研究所群)を視察するためだ。日ごろからたまっているテーマをGWを利用して一気にこなそうとするものだから、とてつもなくハードな出張となった。仕事を精力的にさせていただくことに感謝し、しばらく日本を離れる。さて一体何がまっていることだろう。

4月28日(金) 教育基本法改正のための特別委員会の委員に選ばれる

2006年04月28日 | Weblog
本日教育基本法改正案が国会に上程された。これを受けて衆議院に教育基本法改正のための特別委員会が設置される運びとなった。私が最も情熱を燃やし取り組んできた課題だけにどうしても委員になりたく、今回だけはあらゆる方面に頼み込んで委員にしていただけるように働きかけた。その情熱が受け入れられ、特別委員会の委員に選ばれた。ゴールデンウィーク明けから毎日、集中して委員会審議が行われる。猛烈にファイトが沸いてきた。

4月26日(水) モビリティマネジメントによる渋滞解消

2006年04月26日 | Weblog
地域公共交通小委員会にて、地域交通における自動車と公共交通機関(電車・バスなど)の「かしこい」使い方の提案:モビリティマネジメントについて議論した。今回は特に通勤に自動車を使う率の高いいくつかの都市で公共交通機関を自発的に使うよう促す働きかけをした実験的な例を示していただいた。うれしいことに私たちには公共に尽くす意識がしっかりとあり、実験の結果自発的に自動車の使用率が下がり、それが継続しているとの事。意識を変えることの大切さと、意識を変えれば世の中が変わることを改めて実感した。さて満員電車や慢性渋滞でつらい思いをしている私たち川崎市民はどう意識を変えていくべきなのだろう。

モビリティ・マネジメント:公共交通の利用促進のために、利用者に対し、公共交通の利用が環境、安全、各個人の健康等に好影響をもたらすことや、公共交通の便利な利用方法等を効果的に情報提供することにより、交通行動をマイカーから公共交通利用へ自発的な転換を期待するコミュニケーション施策の総称です。


4月25日(火) 教育基本法改正案上程

2006年04月25日 | Weblog
教育基本法改正法案を自民党文部科学部会にて了承し、政務調査会審議会および私もメンバーを務める総務会でも了承した。これにより4月28日に行われる閣議に同法案がかけられ、閣議決定された後、内閣提出法案として今国会に上程される見通しとなった。戦後60年間全く動かなかった歴史が、今まさに大きく動いた。その瞬間にその仕事に携わっていることの重みに本当に身震いがする。教育基本法の改正は私が問題意識として最も強くもっている「人づくりのしくみを創りなおす」土台だ。全力を傾注して今国会でなんとしても成立させたい。

4月24日(月) 不当な支配に服することなく

2006年04月24日 | Weblog
教育基本法改正案の作成が大詰めを迎えている。いくつかどうしても譲れない点があり本日もそこで激論が交わされた。その中の一つに、「教育は、不当な支配に服することなく、、、」というくだりがある。戦後間もない状況においては不当な支配とは軍国教育のことをさしたのかもしれない。しかし現実にはこの表現を日教組に逆手にとられ、教育現場における行政の関与を不当な支配と曲解し、教育現場の荒廃を招いてきたのはご存知の通りである。この文言を残し、かつ不当な支配とはまさに日教組による学校ジャックのことであると解釈させようというのが、妥協の上の苦しい説明であった。私はここの部分はすっぱり削ってしまったほうが良いと思う。理屈をこねなくても誰が読んでもすっきり理解できるような表現をなぜ使えないのだろうか。誠に不可解である。妥協といっても最低限譲れない線があろう。今国会でなんとしても教育基本法を改正したいと思うが、道はまだ険しい。明日早朝からまた協議することとなった。

4月23日(日) 台湾議員団来日

2006年04月23日 | Weblog
台湾の議員団が来日した。私たち日本にとって重要なパートナーであるだけでなく、親日感情をもって接してくれるよき仲間でもある。私はつねづね経済やリスクに国境はないと主張しているが、まさに平事であるからこそこのタイミングで大局的な観点から議論を深める必要があると思う。例えばSARSのような感染症リスクを例に取ればいかに国境というものがむなしく意味のないものであるか容易に理解していただけよう。勿論国という単位を無視せよというつもりはない。が国を意識しすぎると各国の安全・安心は確保できない。冷静に未来を見据え議論していきたい。

4月22日(土) 子どもたちを守る会開催

2006年04月22日 | Weblog
やまぎわ大志郎と子ども達を守る会を開催した。今回のテーマは年金・介護・医療制度を始めとする社会保障制度について理解を深めた。日本の社会保障制度は複雑であとから付け足し付け足しでつくったものだから、理解することから難しい。そこで社会保障の基本理念、すなわち社会的弱者の救済を社会全体で行う、というところまで立ち返ってどうすれば持続可能な制度として機能させられるか、皆さんに考えていただく種を提供した。私からは日本の社会制度は戦後につくられてきたもので、まだ半世紀経っていない制度だけに、決して完成されたものではない、すなわち皆で制度を発展させる必要があると説明させていただいた。この会のいいところは結論を出さずに、議論を通じ、様々な社会的事象について考えていただく姿勢を広められることだ。国民全体が正しい情報(種)を元に考えた上で政治が動く国になれば日本はもっと素晴らしい国になる。そのためのほんの小さな活動かもしれないが継続していきたい。

4月21日(金) 明るい太陽光発電の未来

2006年04月21日 | Weblog
エネルギー戦略部会において太陽光発電の現状について説明を聞いた。太陽の光は地球にほぼ無限に降り注いでいるが、人類はほとんどそれを利用できていない。もちろん人間以外の生物もほとんど全て太陽エネルギーの恩恵にあずかって生きているわけだが、ほんの少しそのおすそ分けをいただくだけで人間が必要としているエネルギーは全てまかなわれてしまうほど太陽は偉大だ。そんな太陽光を電気エネルギーに変えるのが太陽光発電だが、ご存知のとおりこの技術は日本が世界のトップランナーだ。資源のない国だけに早くから官民あげて研究開発に取り組んできた結果が現れているわけだが、まだ汎用には効率、コスト両面において更なる取り組みが必要だ。また政策的に原子力をあまり使わない方向にあるドイツがこの分野に力を注ぎ始めた。いまのところ日本にアドバンテージがあるが、非常に強力なライバルだ。私はドイツの取り組みを歓迎したい。競争相手がいることでより技術開発に弾みがつき、日本のひいては世界の人々により早い段階で貢献できる可能性が高まるからだ。原子力の利用も同じだが、これからは日本一国で日本のためだけに研究開発を行うような時代ではないと、また感じた。

4月20日(木)  科学=文化である。遠藤秀紀

2006年04月20日 | Weblog
解剖男をご存知だろうか?前国立科学博物館研究官、現京都大学教授の遠藤秀紀先生のことだ。じつは私の恩師でもある。先般講談社現代新書から「解剖男」という著書を出版されたことからのネーミングである。私とのエピソードも記されているので興味のある方は是非お読みいただきたい。さて前置きはこの程度にして、私が事務局を預かる科学技術政策特別委員会に講師としてお越しいただいた。科学技術というとスーパーコンピューターやスプリング8といった何千億円もお金がかかるいわゆるビッグサイエンスのことが頭に浮かぶが、実はそれは科学のごく一部でしかない。自民党内で科学技術が議論されるときはそのごく一部のことをさらにある一面からしか議論されないのでいつも違和感を覚えていたが、遠藤先生からのお話で自分の考えに間違いはないと改めて確信を持たせていただいた。遠藤先生の主張では「科学=文化」でありそれは純粋に人間の知的好奇心によって生み出されるものの結果である。それゆえ科学の結果として金儲けにつながることはあってもそれは科学のある一面でしかない。私は科学を金儲けに大いに使うべきだと思う。がしかし金儲けの目的だけの科学しか科学として扱わないような現状はあまりに脆い。日本の将来を考えるなら科学全体をしっかり支え育てる環境を創らないと、その一部である金儲けにつながる科学も育たないという認識を皆さんと共有したい。

4月19日 日本で25頭目のBSE罹患牛

2006年04月19日 | Weblog
岡山にて通算で25頭目にあたるBSEの罹患牛が見つかった。日本人は過敏反応を示す民族だとよく外国人から言われるが、さすがに25頭目ともなると反応しなくなる。私は常々リスクゼロというのは人が生きていくうえでどの分野においてもありえないという話をさせていただくが、BSEに関しては私の言うことに世論は全く反応してくれなかった。人々の意識が落ち着いたところでもう一度リスクとは相対的なものであることを認識していただきたい。すなわち食べ物に限っても、例えばしょうゆを毒だと認識して食する人はいないだろう。しかし実際にはしょうゆもいっぺんに3リットルも飲めば腎不全を起こす。もともと腎臓の悪い人なら命取りにもなろう。つまり食べ物には全て毒性があるということをこの例は示している。われわれはそこで食べ物の毒性の強さから摂取する量を調節することによって、人体に悪影響を及ぼさない範囲で、毎日食べて生きていることになる。BSEも全く同じ。BSEに罹患した牛の肉を食べて死んだ日本人はほとんどいない。これに比較してアルコールを楽しんで肝硬変、肝臓がんで死ぬ日本人は毎年数え切れないくらいにいる。ここでBSE牛肉とアルコールとどっちが危険だろうか?と問えば素直にアルコールという答えが返って来るのではないだろうか。しかしそもそもこの質問そのものが意味のない質問であることを理解していただきたい。意味のある認識はBSE牛肉もアルコールも摂取する量によって栄養にもなるし毒にもなるということである。この認識を広く国民が持てるようになればアレルギー体質民族などといわれないですむようになるし、なにより私たちの生活がより安心しておくれるようになると私は思う。皆さんはいかがお感じだろう。