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藁をも掴む10! 一場 靖弘(ヤクルト)投手

2012-10-24 21:12:00 | 今日の更新
一場 靖弘(30歳・ヤクルト)投手 (明治大-05年楽天自由枠)

蔵の入団前評価:☆☆☆☆

入団前は、複数球団で争奪戦が起きた末裏金問題が発生し、新設された楽天球団への入団で落ち着いた。明大時代は、六大学屈指の速球派として150キロを超える豪速球とキレのある変化球を武器に活躍。大学選手権では、「完全試合」を達成するなど、一躍ドラフトの目玉として注目されることとなる。

元々150キロ前後のストレートの球質が悪く、空振りを取れないタイプの球だった。しかし変化球のキレは悪くなく、むしろストレートを見せ球にして変化球で三振を奪うケースが目立った。元々アドレナリン全快で力で押すピッチングスタイルであり、制球力の甘さや試合をまとめるセンスに不安を残しており、このストレートで押せない時に、どう対処できるのかは、当時から「玉石混淆」でも疑問としてあげていた。

ただここまでアマ時代に圧倒的なパフォーマンスを示しながら、プロで全く使えないということは当時は全く考えられなかった。ただその最大の理由は、やはり内面的な部分に大いに課題があり、裏金問題からケチがつきはじめ、完全に歯車が狂い始めたことは間違いない。そして何より力でねじ伏せるピッチングしかやってこなかったので、それが出来ない相手に対しての対処法を、最後まで見つけることが出来なかったこと。見出すだけの野球頭脳や努力できる才能やセンスが備わったいなかったことが、このような結果に終わった最大の要因だろう。

それでも入団1,2年目は、首脳陣の期待も高く、一軍で23試合・30試合と登板機会に恵まれる。それでも防御率は、5.56・4.37 と数字らしい数字は残せなかった。それでも入団2年目には、7勝14敗。3年目には、6勝2敗 と選手層の薄かった楽天だけに、我慢して起用してもらった背景がある。

しかしこの経験を活かすことができず、徐々に信頼を失っていった。2009年にはヤクルトに移籍するも、一軍定着には至らず。今年は、一軍登板のないまま、解雇の運びとなった。今年のイースタンでの成績も、8試合 1勝1敗0S 防御率 4.32 と少なめ。もう少し詳しく見てみると、僅か8回1/3イニングで、被安打は同数の8安打と多すぎ。四死球は、イニングの半数である4個とこれも多い。奪三振も4個であり、1イニングあたり0.5個と少なく、数字の上からも推せる材料は残っていない。

すでに気持ちの意味でも切れてしまっていた可能性が高く、野球人としては心身共に終わっているのではないのだろうか。このまま第二の人生を模索する方が、個人的には賢明だと考える。大きな故障でもないのに、争奪戦まで起こった選手が、ここまでダメだったケースは極めて稀。いかにプロで活躍するためには、その素材や能力だけでなく、内面が大きく左右することを、彼は身を持って多くのスカウトや我々に教えてくれた気がする。

ただ今考えると彼のターニングポイントは、実は桐生一時代だった気がするのだ。というのも、彼はすでに桐生一時代にプロ希望をすれば、下位指名ならば充分指名されるだけの力量を兼ね備えていた。それがいたずらに大学に進んでしまったことが、私は大きく道を踏み外す要因になったのではないかと考える。勿論彼の六大学で残した実績は素晴らしく、高校時代入団していたら、ここまで社会的に注目される存在にはなり得なかったかもしれない。しかし、いたずらに力量が違い過ぎるアマ球界に残ってしまい、彼の心身への成長にはむしろ悪影響になり道を踏み外す要因になっていったのではないかと。もし高校からプロに進んでいれば、早期で退団した可能性も確かにあるが、もう少し謙虚に深く野球を探求した可能性も無きにしも非ずだと私は考える。プロに行くべきだけの力量に達している選手は、いずれプロに進むのならば、その時点でプロに入るべき。それが、私の持論でもある。すべては、今になってはタラレバの話なのだが・・・