先日、ちょっと当ブログの方向性を考える機会がありました。
これまで、結構ブログ炎上をさせてきたワタシが言うのもおかしいかもしれませんが、
本当は文章や創作物なんて人の心を荒立てるところに価値があるんだと思うんです。
でも、つい丸いこと書いて批判を避けてしまう。
本当はもっと尖ってないと面白くないんです。
実際強めの文章の方が受けてますし。
「嫌われたくない」という考えが入ると文章が無難になって、
どうしてもつまらなくなる。
どういう表現も不快になる人が多かれ少なかれいるけれども、
100%の全員が不快になることもないのではないかと思います。
それならば、ブログの方向性を大きく変える必要も
ないんじゃないかとも思います。
これはスタンドからの声も同じ。
いくら前向きな言葉を投げ掛けようが汚い罵声を浴びせようが、
必ず不快感や違和感を感じる人はいます。
前向きな言葉にしたって「それは違うだろ」って。
ゲーフラを上げる時もそう。
いつもあまり高く上げないのはなるべく周りの視界を遮らないように。
それでも不快に思ってる人はきっといます。
ただし不快な思いをしたからって被害者ヅラしてそれをやめさせようとしたり、
殴り込んでくるのはどうなのかと。
「何様のつもりだ」と言ってるお前が何様のつもりなのかと。
ここには立場の上下なんてもんはありません。
ブログだったら下手したら言論・表現の自由を阻害する行為ですからね。
って言ってるお前も何様だって思う人もいるでしょう。それが「誰かしらは必ず不快感を持つ」ってことです。
ワタシの場合、本業でもスタジアムでもそうなのですが、
良くないと思った事が少しの改善も見られず繰り返される事には非常に怒ります。
だって直そうとしていないって事ですから。
ちょっとでも改善の兆しが見えれば怒ることはそうありません。
言っちゃ悪いですけど、特にスタジアムにおいては
スタンドの向こう側、内側に関わらずです。
物事には必ず伏線がある。その伏線を理解していれば
被害者ヅラするよりもなぜこうなった、という方向に視線が行くはず。
・・・って言ってるところが被害者ヅラっぽいな(笑)
えーと、何の話でしたかね?
あ、そうそう。表現の話。
まあ批判を避けてたら面白い文章は書けないし、
どんな表現をしようと多かれ少なかれ良く思わない人はいるという事です。
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これまで、結構ブログ炎上をさせてきたワタシが言うのもおかしいかもしれませんが、
本当は文章や創作物なんて人の心を荒立てるところに価値があるんだと思うんです。
でも、つい丸いこと書いて批判を避けてしまう。
本当はもっと尖ってないと面白くないんです。
実際強めの文章の方が受けてますし。
「嫌われたくない」という考えが入ると文章が無難になって、
どうしてもつまらなくなる。
どういう表現も不快になる人が多かれ少なかれいるけれども、
100%の全員が不快になることもないのではないかと思います。
それならば、ブログの方向性を大きく変える必要も
ないんじゃないかとも思います。
これはスタンドからの声も同じ。
いくら前向きな言葉を投げ掛けようが汚い罵声を浴びせようが、
必ず不快感や違和感を感じる人はいます。
前向きな言葉にしたって「それは違うだろ」って。
ゲーフラを上げる時もそう。
いつもあまり高く上げないのはなるべく周りの視界を遮らないように。
それでも不快に思ってる人はきっといます。
ただし不快な思いをしたからって被害者ヅラしてそれをやめさせようとしたり、
殴り込んでくるのはどうなのかと。
「何様のつもりだ」と言ってるお前が何様のつもりなのかと。
ここには立場の上下なんてもんはありません。
ブログだったら下手したら言論・表現の自由を阻害する行為ですからね。
って言ってるお前も何様だって思う人もいるでしょう。それが「誰かしらは必ず不快感を持つ」ってことです。
ワタシの場合、本業でもスタジアムでもそうなのですが、
良くないと思った事が少しの改善も見られず繰り返される事には非常に怒ります。
だって直そうとしていないって事ですから。
ちょっとでも改善の兆しが見えれば怒ることはそうありません。
言っちゃ悪いですけど、特にスタジアムにおいては
スタンドの向こう側、内側に関わらずです。
物事には必ず伏線がある。その伏線を理解していれば
被害者ヅラするよりもなぜこうなった、という方向に視線が行くはず。
・・・って言ってるところが被害者ヅラっぽいな(笑)
えーと、何の話でしたかね?
あ、そうそう。表現の話。
まあ批判を避けてたら面白い文章は書けないし、
どんな表現をしようと多かれ少なかれ良く思わない人はいるという事です。
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