昨日、親の事について、少し話しました。
自分は、子供達がなにかやってみたい、こう進んでみたい、と、言ったならば、子供の背中を押して上げられる親になりたいと、子供を持つ前から思っていました。
背中を押して上げられると言うことは、その子の力を、その子の事を信じていると言う事です。
例えそれが茨の道でも、きっとこの子は乗り越える。
例え世間に笑われても、勝手に笑ってろ、きっとこの子はやりとげる!
そう信じられれば、背中をおしてやれるはずです。
自分は背中を押された事がありません。
そんな事出来っこない。 世間にわらわれる。 つらいだけ。 やってもムダ。 やる前からわかってる。等々…
だもんで、だいぶ親に反発しました。
で、行動に移せず、中途半端な行動をしてうまく行かなかった事もありました。
もちろん、親のせいにはしませんが。
なぜ、親を捨ててでもやり通さなかったのか… 弱かった自分が情けなかった。
そして、親にまた、足を引っ張られ、親戚にも引っ張られましたが、今度は全てを振り切り、自分の生きたいようにやりました。
それからも、困難は沢山ありましたが、自分で選んだ道。
つらいと思う事はあっても、後悔は全くありません。
一つ一つを、自分の手で切り開き、自分の足で歩んできました。
家族も、仕事も、地元の付き合い、消防も…
そして、今の自分がいます。
だから、子供達にも、困難とわかっていても、その困難に立ち向かって行けるように、親として、背中をそっと押してあげたいのです。
そんな親になりたいのです。
マッサンを見ていて、マッサンのお父さん、鴨居の大将を見て、そんな自分の親としての元風景を思い出しました。