一つ前に書いた天満菜(大阪しろ菜)を絶滅危惧種に追いやった白菜だが、意外なことに、日本にやってきたのはキャベツ(=明治元年渡来)よりも後である。
明治8年(1875)名古屋で開かれた国際博覧会に中国の「山東白菜」が出品された。これを愛知県がもらい受けて栽培されるようになる。
白菜といえば鍋物に欠かせないのだが、意外なことに鍋物として食べられていない。
例によって御浸し、和え物、漬物が主だった。
この山東白菜は今でいう「山東菜」で、完全に結球しない半結球白菜だった。
鍋にするには柔らかすぎるし、ボリュームもなかった。
この山東白菜の球をより大きくしようと、愛知県が改良を始めるがうまくいかない。白菜と同種のアブラナ科の植物が日本には多くある。
まれに大きく結球しても、咲いた花が他のアブラナ科の植物と交配してしまうために、まとまった種を採ることができなかったのだ。
完全結球白菜の改良に成功したのは、意外なことに宮城県だった。
明治37年(1904)の日露戦争に従軍した兵士が、現地で食べた白菜があまりにもおいしかったので、その種を日本に持ち帰った。
宮城農業学校(現在の宮城県農業高等学校)の先生が、他のナズナ科との交雑を少なくするため、松島湾内の馬放島で隔離栽培で育てられた。
少しずつ改良が加えられ、大正13(1924)年に今のような白菜が完成。以後、「仙台白菜」の名で全国に出荷される。いよいよ、白菜の入った鍋物をみんなでつつくことができると言いたいが、関東と東北が中心の出荷、栽培。いくら日持ちのする白菜とはいえ、関西は遠すぎる。
白菜の入った鍋物をみんなでつつくには、関西で栽培可能な品種が必要だった。
関西で栽培できる品種が改良さたのは戦後。今や、大阪・兵庫・京都の順に年間購入量のベスト3を占めている。
というわけで、白菜を定植した。
白菜は関西人だけでなく虫も大好物の野菜なので、無農薬での栽培は困難。
結球するには外葉が20枚程度必要なので、無肥料では困難。
気温15度以下でないと結球しないという、意外と気難しい野菜である。
そこで白菜だけは防虫ネットの特別扱いになる。